目次
本の概要
引用
序章<科学思想史>の来歴と肖像
啓蒙主義的科学思想史
従来の科学思想史は現在から見て科学的と思われるものと、そうでないものとを腑分けし、現在の科学に見合うものだけを取り上げるという歴史記述に陥ることがよくあった。それをいま、啓蒙主義的科学思想史と呼ぶ。……それは、文系の人間や素人にとっては科学に親しむ契機を提供するという意味で有意義だが、科学者にとっては何の役にも立たない。なぜならそれは、現在既に知られていることを時系列に沿って並べ直したものにすぎないからだ。同じ理由で、啓蒙主義的科学思想史は現代科学に没批判的なままに留まる。
啓蒙主義的科学思想史をこのように定義したあと、金森は次の科学の批判的対象化の話につなげる。
現在から見た歴史の捏造は、柄谷行人「日本近代文学の起源」が刺激的。
現在から見た歴史の捏造は、柄谷行人「日本近代文学の起源」が刺激的。
科学の批判的対象化
科学の偉業は明らかだが、同時に大量殺傷兵器の開発や資源の大量消費などという事態とも同根なものであるために、科学の批判的対象化は必須のはずだ。科学とはいったい何なのか、人類にとって科学はどのような意味をもつのか、近代科学とは何だったのかということが、現代人に問われている課題なのだ。(p.6)
また、科学思想史が本当の<歴史性>を獲得するためには、同時代の歴史的背景に密着し、いまでは見えない規定条件や問題状況を白日の下に晒すのでなければならない。(p.6)
唯物論vs観念論という整理と、それへの批判
観念論は支配階級による実在の幻影的な粉飾である一方、唯物論は被支配者、あるいは新興階級のものだとする
岡邦雄の上記のような問題意識に貫かれた科学思想史の整理に対し、金森は次のような指摘を加えている。
歴史上の人物たちの評価がどうしてもイデオロギー的で一面的なものになる。…(中略)…唯物論、即<善玉>、観念論、即<悪玉>だとでもいうかのような評価方式で話が済むほど、人類史は単純ではない。同時代の強力な観念論的動向に対する対抗基軸をたてるという必要性が当時はあったのかもしれないが、現時点から見るなら、やはりこの種の<評価的歴史>はこの領域全体にとって一種の枷になっている
実証主義vs批判主義という整理
本田修郎の『自然科学思想史』を評してこう言う。
実証主義と批判主義の闘争というような議論は、科学思想史的な特性を際立たせている
→実証主義と批判主義という対立軸がよくわからん。