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『ドイツ・イデオロギー』



マルクスのひととなり

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序文

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観念論に対する批判(というか皮肉)

かつてある健気な男がいて、人が水に溺れるのは人が重力の思想にとりつかれているせいだと思い込んだ。この表象を、例えば、それは迷信的な表象だ、宗教的な表象だと言明するといったやり方で人の頭から叩き出せば、あらゆる水難は免れるのだそうな。〈男は戦った〉生涯かけて男は重力という幻想と戦ったが、その幻想の危険な結果については、どの統計も彼に膨大な新証拠を提供したという。この健気な男こそ、近時のドイツの革命的哲学者たちの典型であった。(15頁)
 ここで「ドイツの革命的哲学者」としてイメージされているのは、(たぶん)引用文のあとで同じく批判されているフォイエルバッハ。彼は『キリスト教の本質』のなかで、疎外を宗教的なものと位置づけている。
 とはいえ、マルクスもエンゲルスも、若いときはどっぷりとフォイエルバッハにはまっていた(バウアー兄弟から「マルクスとエンゲルスはフォイエルバッハの亜流」と呼ばれるほどに)。二十代後半の二人が『ドイツ・イデオロギー』を書いた背景には、フォイエルバッハといかにして適切な距離をとるか、という課題があったのかもしれない。




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