メニュー


『ドイツ・イデオロギー』



マルクスのひととなり

個人ページ


キーワード

リンク






ここを編集

注目タグ


更新履歴

取得中です。


ここを編集

個人ページ > began_jp


※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

20110807 - プロセスでの問題

そうか、組織的な医療=病院の始まりも、戦争が契機だったんだ。傷ついた兵士を効率的に治療するために。インターネットでも原子力でも、起源を遡ると戦争に行き着くというのは、なんだか気持ち悪いなあ。

posted at 14:55:20

そういう問題意識を持っている人は、医療専門家の中にもいるのに、なんで改善されないんだろう。♺ @chapiny: 障害者手帳開始も負傷兵のため。66年たった今も押し通されてる現実。

posted at 18:41:04

でも実のところ、顕在化した「困ってるひと・こと」にしか注目しないのは、なにも制度だけではなくて、自分も含めた多くの一般人に言えることだ。そこには人間の想像力の限界がある。

posted at 18:44:23

ということは、まず問題にされるべきは、制度やシステムを作り上げるプロセスだ。現状は専門家が分立した状態で、複数の視点がちゃんと統合されていない。

分業について


技術の進化、社会の効率化が、なぜ人を幸せにしていないのか、という問題について、最近考えている。「仕事で演じなければいけない自分」と「こうありたいという個人(プライベート)」との間で引き裂かれることが苦しみを生むのだ、と思ってきた。が、たぶんそれだけではないな。

posted at 17:21:22

柄谷行人を真似して、起源について考えてみた。大昔を考えてみると、仕事もプライベートも区別はなかった。狩ること、耕すことがそのまま生きることであったからだ。仕事をすること=食べること。日常の生活の中に「個人」という余力が生まれたのは、社会全体が効率化された後のことだ。

posted at 17:25:09

「仕事」と「個人」という対立軸で考えると、覆い隠されてしまうもの、見えなくなってしまう問題が生じてしまう。それは何か。「仕事が悪い」「社会が悪い」それは間違いなくある。では一方で、「個人が悪い」という可能性はないのか。個人の問題と言うより、集団の問題と言っても良いのかもしれない。

posted at 17:31:32

社会の高度化によって、生活の中に余力が生まれて「プライベート」が見出された。でも、それが日本では根付いていない。孤立している「個人」が、あまりにも多すぎて、逆に苦しみになっている。孤立していること=誰にも理解されないこと、と読み替えれば、それはコミュニケーションの問題と言える。

posted at 17:36:35

集団からはじかれた個人が孤立している=理解されていない、と言うとそうでもなくて、そもそもその集団の中にも、理解なんてものはないのだ。「個人」が耐えられずに群れているだけ。消費消費を繰り替えして気を紛らせているだけ。(もちろんそうじゃない人もたくさんいる)

posted at 17:38:52

ちょっと言い方がまずいかな。たぶん自分がここで、心の中で攻撃対象としてしまっているのは、バブル期の欲望だ(話で聞いただけだけど)。「金が欲しい、女が欲しい、食べ物が欲しい」。そこにはコミュニケーションのコの字も、他者の他の字もない。

posted at 17:41:25

でも、残念ながら今の世界も、少なからずその線上に成り立っていて、自分にもやっぱり、同様の病があるように思う。たまたま自分のまわりには、コミュニケーションに対して粘着質な友人がいたから考えを改めるチャンスがあったというだけで。

posted at 17:45:48

理想もなく群れているだけだから、同調圧力なんてものが生まれるんだろうな。西欧の個人主義がうらやましいと思うことがある。個人と仕事をうまく切り分けている。でもこれまでの思考だと、分業化の問題が日本にだけ生じたことになるな。なんかまだまだ考え足りない感じだなあ。

posted at 17:54:57

自分は、真剣に切り結べる他者なんて、せいぜい2~3人だろうと思って生きている。そして、それで問題ないとも思っている。薄く広く付き合う人間関係より、深い人間関係の方が好きだ。でも、そこに俺の病がある。というか、たぶん多くの現代人が共有している病であろうと思っている。

posted at 18:12:49

確かに、自分のことだけを考えればそれで十分。この社会とのそれなりのつながりがあって、あとは真剣に話せる友人が2、3人いれば良い。ただし、少しのハンディキャップのある人を考えると、どうやらそうではない。(身体的な障害のみならず、会社の中で精神的に疲弊している人も含めて)。

posted at 18:15:40

もちろんこれは他人事ではなくて、自分も会社の中でそういう状況に追い込まれる可能性がある。たぶんそうなると、2~3人の理解者だけじゃ、にっちもさっちも行かなくなるのだ。…もう少し、自分の世界は広がらなくちゃいけないのだろう。

posted at 18:20:35

自分にとって文学は、そこに意味があります。「技術者=社会を支えてる存在だぜ、いえーい」というお気楽な考えはしたくない。道具がどうあるべきか、考えていきたい。まだまだ言葉が先行しちゃってますが。♺ @whosjnana: 文系人間として、科学技術の先走りに関しては思う所が多々…

posted at 18:30:01

とはいえ、やはり自分の生活を回すだけで手一杯、と思うのが正直なところ。そういう人はきっと多いはずで。技術が何か役に立てるとすれば、個人の生活の余力を増やすことなのだろうか。便利にすることじゃなくて。

posted at 19:26:46
|新しいページ|検索|ページ一覧|RSS|@ウィキご利用ガイド | 管理者にお問合せ
|ログイン|