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『ドイツ・イデオロギー』



マルクスのひととなり

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まさに専門家specialistの仕事。その言葉を聴く耳を養おうと思う。 「今回起きたことは、碩学によって14年も前に恐ろしいほどの正確さで想定されていたのだ」 発信箱:すべて想定されていた(毎日新聞) http://t.co/xHoIPJg via

posted at 10:58:46

「悪人を見つけて批判すれば、放射線の拡散が終わるわけではない」。これは首都圏生活者が311から得られる教訓の一つだ。今回の原発事故で、悪いのは誰だ? 東京電力? 民主党? 自民党? 原子力安全保安院? どの回答も同じ程度に正しく、わかりやすく、そして同じ程度に私たちから疎遠だ。

posted at 11:27:17

ここ数日間、 @began_jpが言い続けていることだけど、「クレーマー」について真面目に考える必要がある。企業などに対してしかるべき請求claimを求めることは理にかなっている。重要なのは、「しかるべきright」の度合いが人によって異なる点。

posted at 11:39:01

どのようなときに、人は「自分の当然の権利right」を過大に評価し、訴えかけるのだろうか? 一つの答えとして、「私は無力であるが、あなたには正しくものごとを制御する力と責任がある」という図式に乗ったとき、があげられると思う。

posted at 11:52:58

「私は無力だから、権利を主張することしかできないよ」。この発言はある意味、正しい。けれど、「己の無力」をためらいも含羞もなく言い募る態度への警戒が、すっぽりと抜けている。だから、上の発言は憐れみを請うもののそれではあっても、倫理ἔθοςを担う者=〈戦士〉の発言ではない。

posted at 12:12:25

古代ギリシアにおいて、倫理を担うもの=市民は、有時には、都市を守る戦士でもあった。戦場で、彼らは大きな盾で自らの半身を守り、そして隣人の半身を守った。戦列から逃げ去ることは、隣人の死を意味した。倫理ἔθοςという概念は、そういう場所で始まった。

posted at 12:18:22

勘違いを避けるために急いで補足すると、無力であること、弱いこと、少数であることは、決して咎められることではない。どんな猛者でも、飢え、乾き、病み、老い、死ぬのだから。弱さと無力さは私たちの可能態だし、私たちがいま少数派でないのは、完全に偶然の賜物でしかない。

posted at 12:23:16

今後、考えていかなければならないのは、「「正しくものごとを制御すべきどこかの誰かと、制御されている、弱く、虐げられている私」という図式を採用することに、何の違和感も感じない人々が、なぜ集団的に現れたのか?」という原因に関する問いだと思う。それは、〈分業化〉と深く関わる問いだ

posted at 12:42:01

繰り返すけど、「弱く、虐げられている人」は、いる。歴然として、いる。ただ、「それは私のことではないかもしれない」という問いが一瞬でもひらめくならば、「当然の権利legitimate right」を過大に評価することはない。権利は「自分の」ではなく「あなたの」かもしれないのだから。

posted at 12:56:40

いま、まさにそれの論文の最終詰め作業をやっていたところだったので、今夜にでもやりたいと思います。〈食べる身体〉について。 QT @began_jp いつだったか、農業を普段どう意識するかと考えていたよね? あの帰結ってどうなったんだっけ? なんかブログ記事になってたら教えてー。

posted at 13:02:45

.@began_jp 『ドイデ』を読み直していたんだけど、1845年にカール(同い年だからファースト・ネームで呼ぶ)が分業について抱いていた危惧と考察は、現在でも引継ぎ可能だと思った。クレーマー問題は、過度な分業化の弊害と結びついているように思える、とくにこういうくだりを読むと…

posted at 13:38:09

「分業と私的所有とは同じことの表現である――後者において活動の生産物との関係で言い表わされているものが、前者においては活動との関連で言い表わされているのである」(マルクス『ドイツ・イデオロギー』、岩波文庫、2002年、65頁)

posted at 13:41:52

「労働活動が自由意志的にではなく自然発生的に分掌されている限り、人間自身の行為が人間にとって疎遠な、対抗的な威力となり、人間がそれを支配するのではなく、この威力の方が人間を支配する。[…]

posted at 13:44:33

同じく、労働が分業化され始めると、各人は自分に押し付けられる一定の“排他的な”活動領域をもつようになり、それから抜け出せなくなる。彼は、猟師、漁夫あるいは牧人あるいは批評家のどれかであって、生活の手段を失いたくなければそれであり続けざるをえない」」(同上、66頁)

posted at 13:48:04

ちなみに外側のもの、異質なもの、雰囲気を乱すものへの「排他性exclusivity」の緩和の方策は、自分のD論のテーマの一つ。

posted at 13:56:49

@tekmacmayacom 頼めばふつうに院生の授業でも聴講できると思いますよ。というか、したことあります。おまけに他校(青学)で。

posted at 13:59:16

たぶんうちが集団の「排他性」を緩和しつづけたいと願うのは、早稲田をはじめ、いろいろな大学にもぐって、その場所で一度も白眼視されたり追い出されたりしなかったことへの感謝があるんなんだろうな…。

posted at 14:05:54
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