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「遺伝子は何という物質で構成されているか?」:グリフィスとアベリー
最終更新:
bioota2010
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メンデルは、いわゆる遺伝の法則を発見したわけですが、まだ彼の理論において遺伝子(メンデルはエレメントと呼んでいた)は仮説以上のものではありませんでした。しかし、1913年、モーガンらの染色体地図の作成の成功によって、遺伝子が物質であることはわかりました。
「では、遺伝子は何という物質なのか?」
イギリスの厚生省に勤めるグリフィス(1879-1941)の研究分野は、当時の死因のトップ、肺炎でした。彼は、タイプ別の肺炎菌の出現頻度の変化から、宿主の体内で肺炎菌のタイプが変化するのではないかと仮説を立て、以下の実験を行いました。
1928年、実験を行っていたグリフィスは、不思議な現象を発見します。肺炎双球菌には、非病原性のR型(無鞘菌株)と、病原性のS型(有鞘菌株)がいます。いま、生きているR菌と、加熱して死滅させたS菌を混ぜてネズミに注射すると、ネズミは肺炎を発症します。重要なのは、加熱したS菌も生菌のR菌も、単独ではネズミに肺炎を発症させない点です。しかし、混合して注射するとネズミは肺炎で死に、加熱して死んだはずのS菌が血液中から発見されたのです。
もちろん、R菌が突然変異によってS菌に戻った可能性をグリフィスは想定しました。S型からはS型の菌が、R型の菌からはR型の菌が分裂によって増えるわけですが、宿主の体内で、ⅡR菌が突然変異を起こし、ⅡS菌になる現象が希に起こることがすでに他の実験結果で明らかになっていたからです。しかし、生きているⅡR菌と加熱処理したⅢSを混ぜて注射する実験で、ネズミの血液中から発見されたのは、ⅢS菌でした。ここからグリフィスは、死んだⅢS株に含まれる何らかの“形質転換因子”によって、ⅡR株がⅢS株に形質転換(transformation)した」と結論づけるに至りました。
さらに重要なのが、この形質転換因子で変化した形質は、一代限りのものではなく、遺伝するということでした。つまり、形質転換因子は遺伝子であり、「遺伝子は何の物質で構成されているのか?」という問いに答えるには、「形質転換因子は何の物質で構成されているか?」という問いに答えれば良いことがわかったのです。
1940年代、この転換要素を同定する研究が盛んになります。グリフィスも、形質転換因子をS菌に含まれるある種のタンパク質だと考え、研究を進めていたようですが、解明できませんでした。他の多くの研究者の見解も、形質転換因子=タンパク質と予測を立てていました。生体内でそんなに複雑な動きができるのは、タンパク質くらいの高分子だろうと思っていたからです。
アメリカ・ロックフェラー研究所で肺炎を研究していたアベリー(1877-1955)は、まず、転換要素である可能性をもつ物質をリストアップしました。候補は、鞘膜成分である多糖類、タンパク質、RNA、DNA。アベリーらはS菌の抽出物からそれらを分けて取り出し、生きたR菌に加えました。
(じつは、アベリーはもともと、形質転換に関するグリフィスの実験結果を信じていませんでした。しかし、形質転換が試験管中でも形質転換が起こることが証明され(1931年)、S菌からの抽出物を使っても形質転換が起こることがわかると(1932年)、俄然、興味をひかれるようになったそうです)
S菌の抽出物のなかで形質転換をおこしたのは、DNAのみ。しかし、「転換要素=タンパク質」が常識だった当時の学会では、DNA説は中々受け入れらませんでした。DNAは核酸塩基が4種類しかない、ある意味、単純な物質であるため、そこに複雑な情報が含まれるとはとは、誰も考えていなかったためです。
1944年、アベリーは、タンパク質分解酵素、RNA分解酵素、炭水化物分解酵素を使って再実験、転換要素がDNA以外にありえないことを証明しました。彼の実験は本当にスマートで、福岡伸一『生物と無生物のあいだ』はそれを追体験できてお勧めです。
非常に核心的な発見をした、グリフィスとアベリーですが、じつは彼らはノーベル医学生理学賞を与えられていません。しかし、彼らの研究から、現代遺伝学や分子生物学は本格的にスタートしたといえます。ブラボー。
1928年、実験を行っていたグリフィスは、不思議な現象を発見します。肺炎双球菌には、非病原性のR型(無鞘菌株)と、病原性のS型(有鞘菌株)がいます。いま、生きているR菌と、加熱して死滅させたS菌を混ぜてネズミに注射すると、ネズミは肺炎を発症します。重要なのは、加熱したS菌も生菌のR菌も、単独ではネズミに肺炎を発症させない点です。しかし、混合して注射するとネズミは肺炎で死に、加熱して死んだはずのS菌が血液中から発見されたのです。
もちろん、R菌が突然変異によってS菌に戻った可能性をグリフィスは想定しました。S型からはS型の菌が、R型の菌からはR型の菌が分裂によって増えるわけですが、宿主の体内で、ⅡR菌が突然変異を起こし、ⅡS菌になる現象が希に起こることがすでに他の実験結果で明らかになっていたからです。しかし、生きているⅡR菌と加熱処理したⅢSを混ぜて注射する実験で、ネズミの血液中から発見されたのは、ⅢS菌でした。ここからグリフィスは、死んだⅢS株に含まれる何らかの“形質転換因子”によって、ⅡR株がⅢS株に形質転換(transformation)した」と結論づけるに至りました。
さらに重要なのが、この形質転換因子で変化した形質は、一代限りのものではなく、遺伝するということでした。つまり、形質転換因子は遺伝子であり、「遺伝子は何の物質で構成されているのか?」という問いに答えるには、「形質転換因子は何の物質で構成されているか?」という問いに答えれば良いことがわかったのです。
1940年代、この転換要素を同定する研究が盛んになります。グリフィスも、形質転換因子をS菌に含まれるある種のタンパク質だと考え、研究を進めていたようですが、解明できませんでした。他の多くの研究者の見解も、形質転換因子=タンパク質と予測を立てていました。生体内でそんなに複雑な動きができるのは、タンパク質くらいの高分子だろうと思っていたからです。
アメリカ・ロックフェラー研究所で肺炎を研究していたアベリー(1877-1955)は、まず、転換要素である可能性をもつ物質をリストアップしました。候補は、鞘膜成分である多糖類、タンパク質、RNA、DNA。アベリーらはS菌の抽出物からそれらを分けて取り出し、生きたR菌に加えました。
(じつは、アベリーはもともと、形質転換に関するグリフィスの実験結果を信じていませんでした。しかし、形質転換が試験管中でも形質転換が起こることが証明され(1931年)、S菌からの抽出物を使っても形質転換が起こることがわかると(1932年)、俄然、興味をひかれるようになったそうです)
S菌の抽出物のなかで形質転換をおこしたのは、DNAのみ。しかし、「転換要素=タンパク質」が常識だった当時の学会では、DNA説は中々受け入れらませんでした。DNAは核酸塩基が4種類しかない、ある意味、単純な物質であるため、そこに複雑な情報が含まれるとはとは、誰も考えていなかったためです。
1944年、アベリーは、タンパク質分解酵素、RNA分解酵素、炭水化物分解酵素を使って再実験、転換要素がDNA以外にありえないことを証明しました。彼の実験は本当にスマートで、福岡伸一『生物と無生物のあいだ』はそれを追体験できてお勧めです。
非常に核心的な発見をした、グリフィスとアベリーですが、じつは彼らはノーベル医学生理学賞を与えられていません。しかし、彼らの研究から、現代遺伝学や分子生物学は本格的にスタートしたといえます。ブラボー。