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メンデル遺伝学の粒子説
最終更新:
bioota2010
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メンデル遺伝の範囲は計算が大変なわりに、彼の業績があまりスポットされないのでそこをお話したいと思います。
7月20日にGoogleのロゴがメンデル(1822-1884)仕様になった(http://t.co/TizuOzwO)のを覚えている方も多いと思います。このロゴ、彼の発見した「優性の法則」をデザイン化したものです。高校のとき生物を選択した方は懐かしかったのでは。
メンデルの業績として、教科書は「優性の法則」、「分離の法則」、「独立の法則」の3つの遺伝法則をとりあげることが多いです。が、それらを支える【粒子説】を提唱したことこそが、彼のもっとも基礎的な業績だといえます。
当時は、ある形質が遺伝する場合、形質そのものがランダムに混合されて親から子へ伝わるという【混合説】が遺伝学の主流でした。そうではなく、形質のもととなる粒子状の要素elementが、親から子に伝えられていく、と考えた点が、メンデルの大きな成果です。これは後の遺伝子につながります
(遺伝に関する基礎用語「形質character」:形、色、大きさ、性質など、同じ種の個体の持っている特徴のこと。1つの形質が発現するとき、1個以上の遺伝子が関係しています。)
1866年、メンデルは【粒子説】にもとづいて、先の3つの遺伝の規則性を記号と数式でまとめ、『雑種植物の研究』を発表します(←岩波文庫で入手可)。ただ、論文を発表した時、まだ「染色体」の存在も「減数分裂」という現象も知られていなかったので、彼の研究の価値は認められませんでした。
(ちなみに、メンデルの発表した論文は生涯、2本。もう1本はブルノの気象についてです。1868年に、メンデルはアウグスチノ修道院長となり、多忙なスケジュールの合間に、自分の発見した遺伝の法則を追試すべく、ほかの植物での実験やミツバチの交雑実験も行っていたそうです。)
メンデルの【粒子説】は、「1対(2本)の相同染色体の上にのった、対立形質に関する遺伝子(対立遺伝子)が、減数分裂のときに分かれて、離れ離れになって別々の細胞に分配される」という表現へとアップデートされ、その後のモルガンの染色体地図、そして分子生物学への道を開くことになります。
メンデルの法則が再評価されたのは1900年。1881年にフレミングが、「相同染色体」が細胞分裂でどのように動くか、そのプロセス確認し、1884年にシュトラスブルガーが植物の生殖細胞において減数分裂を発見したあとのことです。
111111 あしたま#001