私家版・高校生物授業wiki
生命学史年表
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bioota2010
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紀元前590年頃 軽症の天然痘から得られた物質(膿疱など)で天然痘に対する免疫を行っていた、中国・インドなど。
1347 イタリアのシシリー島で10月に発生した黒死病はヨーロッパの最南端のこの場所から北上し、3年経たないうちに3500キロメートル離れた北極圏にまで広がった。この発生だけでヨーロッパの全人口の約半分が死亡した。最近黒死病はペストでは無く、ウィルス出血熱だったのでは無いかという調査研究が発表された(Return of the Black Death , Wiley, 2004)。
14世紀 ルネッサンス期
1500年以前 1450 火縄銃の発明(火薬の改良)
1454 グーテンベルグの活版印刷(改良)
1492 コロンブスの新大陸発見羅(針盤の改良)
1347 イタリアのシシリー島で10月に発生した黒死病はヨーロッパの最南端のこの場所から北上し、3年経たないうちに3500キロメートル離れた北極圏にまで広がった。この発生だけでヨーロッパの全人口の約半分が死亡した。最近黒死病はペストでは無く、ウィルス出血熱だったのでは無いかという調査研究が発表された(Return of the Black Death , Wiley, 2004)。
14世紀 ルネッサンス期
1500年以前 1450 火縄銃の発明(火薬の改良)
1454 グーテンベルグの活版印刷(改良)
1492 コロンブスの新大陸発見羅(針盤の改良)
1543 Nicolaus Copernicus 天球の回転について出版(コペルニクスの地動説)
1590 Z.Janssen,H.Janssen(父子) 2枚の凸レンズを組み合わせ、初めて複合顕微鏡を作った。
16世紀 ルネッサンス期
1601 ティコ・プラーエ没 自分の領地フヴェン島に天文台を設置、詳細な星の観察を行った。月、太陽、惑星、恒星。望遠鏡はまだ無かった時代で、目視観察で恒星の年周視差は気がつかなかった。地球の不動性は温存しつつも惑星は太陽の周りを回ることを明らかにした。コペルニクスはティコのデータに関心を抱き、1600年にプラハに居たティコの元を訪れた。1601年にティコが没したため、ケプラーは宮廷天文官をティコから引継ぎ、同時にティコの膨大なデータを譲り受けた。これにケプラー独自の観測データを付け加えて1609年にケプラーの法則を発見した。
1608 リッペルスハイ 2つのレンズを組合せて望遠鏡を発明。特許申請。
1609 ケプラー ケプラーの法則。惑星の運動に関する2つの経験則を報告した。1.全ての惑星は太陽を焦点とする楕円軌道上を運動する。2.太陽と惑星を結ぶ線分が等しい時間に描く扇形の面積は一定である。古典的解釈は『天空とは完全無欠の聖なる存在であり完璧である・・よって惑星の軌道は地球を中心として完全な円を描く』であった。1619年に『世界の調和』を著し、惑星の公転周期の2乗は、楕円軌道の直径の3乗に比例することを示した。天体の運行に関するこうした簡潔な規則性の存在は、太陽などの何らかの作用(力)が支配していることを想像させた。ここに『力学』が発展する土壌があった。
1610 ガリレオ 『星界の報告』を著す。屈折理論を使って独自に望遠鏡を作り天体観測をしてまとめた。肉眼では捉えられなかった宝の山が見えたという。月の観察、あばたの発見=宇宙は完璧であるという説への疑問。地球の特殊性の否定。
1612 ガリレオ 海王星を発見。ガリレオが衛星の位置を表示する目印として使った木星の近くの恒星が実は海王星であったことが1980年に明らかになった。
1620 このころ魔女裁判が盛んに行われる。ケプラーの母親もその嫌疑をかけられたという。
1621 スネル 光の屈折の法則の発見。水中に沈めた物体が浮き上がって見える現象。
1637 Rene Descartes 『方法序説』出版・分析的手法、機械論的自然観の確立。光の屈折の法則を発展させて、入射角と屈折角の正弦の比で表した。後に屈折の法則は実験によって確立されて、数学によって記述された最初の法則となった。
1642 イギリス クロムウエル:清教徒革命により共和制へ移行。
1643 トリチェリ 真空の実験。
1644 デカルト 哲学の原理を著す。
1651 W.Harvey すべての生物(ヒトを含む)は卵から始まるという概念を提唱した。
1660 英国王立協会(The Royal Society)の設立。英国始めての自然科学の学会。ピューリタン革命の最中、ロンドンのグレシャムカレッジとオックスフォードの間の宗教と政治に関する不毛な論争を嫌った人々が非公式のサークルを作っていた。1660年11月28日この2つのサークルが合流して王立協会となった。ボイル、ぺティーら12名の会員でスタートし、チャールズ2世の勅許状を得てロイヤルソサエティーを名乗った。ニュートンも会長を務めた(1703-1727)。
1665 R.Hooke Micrographiaを著し細胞を初めて記載した。
1671 ニュートン 微分積分方を発見。1655年にペストが大流行し大学が閉鎖されため、故郷に戻って暇にあかして思索にふけっていた時に発見したとされている。『項数が無限の方程式による解析について』『無限級数に関する論文』などを仲間内での回覧していた。
1676 Antoni van Leeuwenhoek 顕微鏡で湖沼の微生物を初めて観察して記載。
1684 ライプニッツ 微分積分法を発表。微積分の関する最初の論文を発表。現在の微積分に関する記号はライプニッツのもの。ニュートンと先取権を争う。
1687 I.Newton プリンキピアを出版。ケプラーの法則を力学的に説明した。運動の3つの基本法則と重力の法則を樹立。自然哲学の数学的原理(プリンキピア)。質量、運動量、静止力としての慣性、外力、求心力を定義。第一法則:慣性の法則。第二法則:物体に力を加えた場合加えた力(外力)の大きさに比例し、力の加えられた直線方向に運動が起こる。第三法則:二つの物体が相互に及ぼす力は『作用』と『反作用』で、大きさが等しく方向は反対である。重力の法則:二つの物体は『ある力で』相互に引き合う。その力はその物体の質量に正比例し、物体の間の距離の二乗に反比例する。
1688 イギリス 名誉革命、権利の章典公布
1694 J.R.Camerarius 初めて受粉実験を行い、顕花植物に性が存在することを報告した。
1700年代 天然痘の予防法としての『人痘』が英国に伝わった。天然痘患者の『物質』を大きな針の先に付けて人の静脈中に接種した。George I世がLady Mary Wortley Montagu(コンスタンチノープル駐在英国大使夫人)より教えられた。
1735 C.V.Linne (現在ではラテン語つづりの Linnaeus を使用) Systema Naturae の第1版を著す。生涯に分類学の著作を、16版完成した。第10版は、彼の植物に関する著作 Species Plantarum とともに、動物についての科学的命名法の出発点となり、今日の二名法によるリンネの体系を創り出した。Homo sapiens(ヒト)を始め、約7700種の植物、約4400種の動物の命名は現在も使われている。種の不変およびその客観的分類に関するLinne の主張は、種の起源に関する方法論を生み出した。
1761~67 J.G.Kolreuter タバコ属(Nicotiana)各種の間で交雑を行い、雑種が外観上量的に両親の中間で、正逆交雑も差がないことを知り、両親は次代の形質に均等に影響するとした。
1764 J.Watt 近代的蒸気機関の発明、産業革命の進行
1769 L.Spallanzani 栄養培地中の微生物の自然発生は容器を密閉して、30分以上沸騰処理すれば防げることを示した。ニーダム対スパランツァーニ。滅菌。
???? ドサウスリュ 細菌が2分裂することを発見。
1776 アメリカ 独立宣言、ジェファーソン
1780 L.Spallanzani 両生類を使って人工授精実験を行い、受精と発生には、卵と精液の物理的接触が必要であることを示した。
1783 A.L.Lavoisine 酸素中で水素を燃焼すると水を生成することを発見。フロギストン説を否定し、燃焼は酸素との化合であることを明らかにした。
1789 フランス革命、バスチーユの牢獄襲撃事件
1795 アペール 瓶詰め食品の発明。
1798 T.R.Malthus 人口論 (An Essay on the Principle of Population) を匿名で著した。この論文は1838年 Darwin に生存競争と適者生存の概念を示唆した。
Edward Jenner イングランド西部の一部、特にグロスターシアにおいて発見され、牛痘の名で知られる病気、 Variolae Vaccinae の原因と影響に関する調査 を著した。この中で牛痘によるワクチンが天然痘の予防に有効であることを初めて示し、有効な免疫の原理を確立し、免疫学を創始した。
1590 Z.Janssen,H.Janssen(父子) 2枚の凸レンズを組み合わせ、初めて複合顕微鏡を作った。
16世紀 ルネッサンス期
1601 ティコ・プラーエ没 自分の領地フヴェン島に天文台を設置、詳細な星の観察を行った。月、太陽、惑星、恒星。望遠鏡はまだ無かった時代で、目視観察で恒星の年周視差は気がつかなかった。地球の不動性は温存しつつも惑星は太陽の周りを回ることを明らかにした。コペルニクスはティコのデータに関心を抱き、1600年にプラハに居たティコの元を訪れた。1601年にティコが没したため、ケプラーは宮廷天文官をティコから引継ぎ、同時にティコの膨大なデータを譲り受けた。これにケプラー独自の観測データを付け加えて1609年にケプラーの法則を発見した。
1608 リッペルスハイ 2つのレンズを組合せて望遠鏡を発明。特許申請。
1609 ケプラー ケプラーの法則。惑星の運動に関する2つの経験則を報告した。1.全ての惑星は太陽を焦点とする楕円軌道上を運動する。2.太陽と惑星を結ぶ線分が等しい時間に描く扇形の面積は一定である。古典的解釈は『天空とは完全無欠の聖なる存在であり完璧である・・よって惑星の軌道は地球を中心として完全な円を描く』であった。1619年に『世界の調和』を著し、惑星の公転周期の2乗は、楕円軌道の直径の3乗に比例することを示した。天体の運行に関するこうした簡潔な規則性の存在は、太陽などの何らかの作用(力)が支配していることを想像させた。ここに『力学』が発展する土壌があった。
1610 ガリレオ 『星界の報告』を著す。屈折理論を使って独自に望遠鏡を作り天体観測をしてまとめた。肉眼では捉えられなかった宝の山が見えたという。月の観察、あばたの発見=宇宙は完璧であるという説への疑問。地球の特殊性の否定。
1612 ガリレオ 海王星を発見。ガリレオが衛星の位置を表示する目印として使った木星の近くの恒星が実は海王星であったことが1980年に明らかになった。
1620 このころ魔女裁判が盛んに行われる。ケプラーの母親もその嫌疑をかけられたという。
1621 スネル 光の屈折の法則の発見。水中に沈めた物体が浮き上がって見える現象。
1637 Rene Descartes 『方法序説』出版・分析的手法、機械論的自然観の確立。光の屈折の法則を発展させて、入射角と屈折角の正弦の比で表した。後に屈折の法則は実験によって確立されて、数学によって記述された最初の法則となった。
1642 イギリス クロムウエル:清教徒革命により共和制へ移行。
1643 トリチェリ 真空の実験。
1644 デカルト 哲学の原理を著す。
1651 W.Harvey すべての生物(ヒトを含む)は卵から始まるという概念を提唱した。
1660 英国王立協会(The Royal Society)の設立。英国始めての自然科学の学会。ピューリタン革命の最中、ロンドンのグレシャムカレッジとオックスフォードの間の宗教と政治に関する不毛な論争を嫌った人々が非公式のサークルを作っていた。1660年11月28日この2つのサークルが合流して王立協会となった。ボイル、ぺティーら12名の会員でスタートし、チャールズ2世の勅許状を得てロイヤルソサエティーを名乗った。ニュートンも会長を務めた(1703-1727)。
1665 R.Hooke Micrographiaを著し細胞を初めて記載した。
1671 ニュートン 微分積分方を発見。1655年にペストが大流行し大学が閉鎖されため、故郷に戻って暇にあかして思索にふけっていた時に発見したとされている。『項数が無限の方程式による解析について』『無限級数に関する論文』などを仲間内での回覧していた。
1676 Antoni van Leeuwenhoek 顕微鏡で湖沼の微生物を初めて観察して記載。
1684 ライプニッツ 微分積分法を発表。微積分の関する最初の論文を発表。現在の微積分に関する記号はライプニッツのもの。ニュートンと先取権を争う。
1687 I.Newton プリンキピアを出版。ケプラーの法則を力学的に説明した。運動の3つの基本法則と重力の法則を樹立。自然哲学の数学的原理(プリンキピア)。質量、運動量、静止力としての慣性、外力、求心力を定義。第一法則:慣性の法則。第二法則:物体に力を加えた場合加えた力(外力)の大きさに比例し、力の加えられた直線方向に運動が起こる。第三法則:二つの物体が相互に及ぼす力は『作用』と『反作用』で、大きさが等しく方向は反対である。重力の法則:二つの物体は『ある力で』相互に引き合う。その力はその物体の質量に正比例し、物体の間の距離の二乗に反比例する。
1688 イギリス 名誉革命、権利の章典公布
1694 J.R.Camerarius 初めて受粉実験を行い、顕花植物に性が存在することを報告した。
1700年代 天然痘の予防法としての『人痘』が英国に伝わった。天然痘患者の『物質』を大きな針の先に付けて人の静脈中に接種した。George I世がLady Mary Wortley Montagu(コンスタンチノープル駐在英国大使夫人)より教えられた。
1735 C.V.Linne (現在ではラテン語つづりの Linnaeus を使用) Systema Naturae の第1版を著す。生涯に分類学の著作を、16版完成した。第10版は、彼の植物に関する著作 Species Plantarum とともに、動物についての科学的命名法の出発点となり、今日の二名法によるリンネの体系を創り出した。Homo sapiens(ヒト)を始め、約7700種の植物、約4400種の動物の命名は現在も使われている。種の不変およびその客観的分類に関するLinne の主張は、種の起源に関する方法論を生み出した。
1761~67 J.G.Kolreuter タバコ属(Nicotiana)各種の間で交雑を行い、雑種が外観上量的に両親の中間で、正逆交雑も差がないことを知り、両親は次代の形質に均等に影響するとした。
1764 J.Watt 近代的蒸気機関の発明、産業革命の進行
1769 L.Spallanzani 栄養培地中の微生物の自然発生は容器を密閉して、30分以上沸騰処理すれば防げることを示した。ニーダム対スパランツァーニ。滅菌。
???? ドサウスリュ 細菌が2分裂することを発見。
1776 アメリカ 独立宣言、ジェファーソン
1780 L.Spallanzani 両生類を使って人工授精実験を行い、受精と発生には、卵と精液の物理的接触が必要であることを示した。
1783 A.L.Lavoisine 酸素中で水素を燃焼すると水を生成することを発見。フロギストン説を否定し、燃焼は酸素との化合であることを明らかにした。
1789 フランス革命、バスチーユの牢獄襲撃事件
1795 アペール 瓶詰め食品の発明。
1798 T.R.Malthus 人口論 (An Essay on the Principle of Population) を匿名で著した。この論文は1838年 Darwin に生存競争と適者生存の概念を示唆した。
Edward Jenner イングランド西部の一部、特にグロスターシアにおいて発見され、牛痘の名で知られる病気、 Variolae Vaccinae の原因と影響に関する調査 を著した。この中で牛痘によるワクチンが天然痘の予防に有効であることを初めて示し、有効な免疫の原理を確立し、免疫学を創始した。
1800 Bolta 電池を発明。
1805 J.Dolton 原子説
1809 J.B.de Monet Lamarck 適応形質の不断の強化と完成によって種は徐々に新しい種へと変化しうること、また獲得形質が子孫に伝えられることを提唱した。
1812 G.S.C.Kirchhoff 澱粉を弱酸で煮るとブドウ糖に分解されることを発見
1815 Kirchhoff,G.S.C. 麦から抽出した粘液性物質を澱粉に加えると酸で分解するより遥かに効率良くデキストリンと糖に分解することを発見。この物質をディアスターゼと命名。
1818 W.C.Wells アフリカに住むヒトの集団は、風土病に対する抵抗性の程度に応じて選択されてきたことを示唆し、自然選択の原理を初めて明確に述べた。
1820 C.F.Nasse ヒトの血友病の遺伝が伴性であることを記述した。
1822~24 T.A.Knight, J.Goss, A.Seton それぞれ独自にエンドウの交雑実験を行い、F1に優性形質が現れ、F2において種々の遺伝形質が分離することを観察した。しかし、分離比や後代検定は研究行わなかった。
1825 F.V.Raspail デンプンのヨウ素反応を用いて、組織化学の基礎を作った。
1827 K.E.von Baer ヒトの卵子について初めて正確な記述を行った。
1830 G.B.Amici 花粉管が花柱内を伸び、胚珠に入ることを示した。
1831 R.Brown 細胞内の核を記述した。
C.Darwin 12月27日、ビーグル号が世界一周航海のためにプリマス港を出航した。この艦には22歳の博物学者 Charles Darwin が乗船。1833年9月15日、ビーグル号はガラパゴス諸島に到着。Darwin は動植物の生活を調査するために5週間滞在した。
Suchs 唾液にプチアリンがあることを発見。デンプンを糖化する物質。
1836 Shwann (細胞説のシュワン)胃液にペプシンがあることを発見。蛋白を分解する物質。
1831 M. Faraday 磁場の中を金属が動くと電流が生じることを発見(電磁誘導の法則)。
1837 C.Darwin 他の専門家たちとともにガラパゴス諸島に採集調査に行き、いろいろな島に多くの種が固有に存在していることを知る。この事実は、それぞれの島に本島から由来した少数の種が移住し、それらの種からそれぞれの島の環境で生存できるように特殊化した新種が進化したことを示唆している。Darwinは、このような考えに基づいて、自然選択による進化論を支持するデータを集め始めた。
Hugo von Mohl 葉緑体を、緑色植物の細胞中に存在する明確な構造体として初めて記載した。
1838 G.J.Mulder 化学論文にタンパク質(protein)という語を初めて使った。しかし、この用語は J.J.Berzelius がつくったものである。
1838-39 M.J.Schleiden
T.Schwann 細胞説を展開。Schleiden は核内に核小体があることを記述した。
1839 Louis Daguerre 銀塩写真を発明。『ダゲレオタイプ写真術と透視画の方法の歴史と解説』出版
1841 A.Kolliker 精子が精巣内の細胞から変化した性細胞であることを示した。
1845 J.Dzierzon ミツバチでは雄バチが不受精卵から、ハタラキバチと女王バチは受精卵から孵化することを報告した。
1853 ロシア・トルコ クリミア戦争勃発
1855 A.R.Wallace マレー諸島の動物相の研究を通じて地理的分化を示唆する証拠を集め、種が不変であるという定説に疑問をもつようになり、Darwinと同様の進化論を展開し始めた。
R.Virchow 新しい細胞は既存の細胞の分裂によってのみ生じるという原理を発表した。
1856 Gregor Mendel オーストリアの Brunn (現チェコスロバキア Brno)にあるアウグスチン修道院の修道士Mendelはエンドウ(Pisum sativum)の交雑実験を始めた。
1858 C.Darwin
A.R.Wallace ロンドンのリンネ学会で自然選択に基づく進化論を共同発表した。
1859 C.Darwin 種の起源 (On the Origin of Species)を著した。
1860 T.A.E.Klebs パラフィン包埋法を開発した。
1861 アメリカ 南北戦争、リンカーン
1861 L.Pasteur 発酵は酵母の生きた状態に直接関連しているとし、リービッヒの考えを誤りであると退けた。
1864 L.Pasteur 微生物の自然発生説に対して実証的反証。プーシェ対パスツール、アカデミー主催公開実験。
1865 G.Mendel 2月8日と3月8日に行われた Brunn の自然科学学会の月例会でエンドウの遺伝実験の結果とその解釈を報告した。
1866 G.Mendel "植物の交雑雑種の実験 (Versuche uber Pflanzenhybriden)" が出版されたが無視された。
1869 F.Galton " Hereditary Genius " を著した。ヒトの家系を科学的に研究し、ヒトの知能が遺伝すると結論した。
1870 W.His ミクロトームを発明した。
1871 F.Miescher 核の単離方法を発表し、ヌクレイン(現在では核酸とタンパク質の混合物として知られる)の発見を報告した。
1872 J.T.Gulick オアフ島の谷に生息する陸生カタツムリの自然集団の殻の色の変異を記述した。このような動物の小集団が地理的に隔離されることが新種の形成の必要条件であることを示唆した。
1873 A.Schneider 有糸分裂を初めて記述した。
1875 F.Galton 行動に及ぼす遺伝と環境の相対的影響を知るのに、双生児の研究が有用であることを示した。
O.Hertwig ウニの生殖に関する研究から、動植物ともに受精は雌雄の親由来の二つの核が物理的に結合したものであると結論した。
E.Strasburger 種子植物の細胞分裂を記載した。
1876 O.Butschli 繊毛虫の核の二型性を記述した。
1877 H.Fol ヒトデの精子が卵内に侵入することを観察し、精子核がそこなわれずに卵内にはいり、雄性前核になることを報告した
E.Abbe 顕微鏡光学理論に関する重要な研究の発表を始める。
1878 W.Kuhne enzyme(酵素) という言葉をつくりだした。
1879 W.Flemming サンショウウオの尾びれ上皮の有糸分裂の研究を行い、核分裂は染色体の縦分裂と、生じた娘染色分体の娘核への移動とからなることを示した。また、chromatin(染色質) という術語をつくりだした。
1881 R.Koch 現在も用いられている細菌の純粋培養法を開発した。(1889, コッホに師事した北里柴三郎が破傷風菌の純粋培養に成功)。
1882 W.Flemming ランプブラシ染色体を発見し、mitosis(有糸分裂 ) という術語をつくりだした。
1883 E.van Beneden 回虫の一種 Ascaris (この種の染色体数は2n =4であった)の減数分裂を研究。配偶子は体細胞の染色体の半数を含み、受精によって再び体細胞染色体数に戻ることを示した。哺乳類の受精に関するL述も行った。
A.Weismann 動物の体細胞と生殖細胞の違いを指摘し、生殖細胞に起こった変化のみがそれ以降の世代に伝達されることを強調した。
A.F.W.Schimper 葉緑体が分裂可能であること、緑色植物は葉緑素を含む生物と無色の生物との共生関係からできたと提案した。
1887 A.Weismann 染色体数の周期的な減数がすべての有性生物に起こるという仮説を提出した。
1888 T.Boveri 中心粒 (centriole) を記載した。
W.Waldeyer Roux (1883) の記載したヒモ状のものに対し、染色体 (chromosome) という新語を作った。
1889 F.Galton "Natural Inheritance " を著した。集団における計量形質の定量的測定を行い、生物測定学と変異の統計学的研究の基礎をつくった。
S.Kitazato コッホに師事した北里柴三郎が破傷風菌の純粋培養に成功
1889-1890 旧アジア風邪流行、インフルエンザ菌を分離と報告されたが、実はウイルスだったことが後に判明(H2N2)。
1890 R.Altman 細胞中に"バイオブラスト"の存在を報告し、細胞内共生生物として住みつき、宿主の生命活動を担っている基本的な生物であると結論した。後に(1898年)、C.Benda によりこのオルガネラはミトコンドリアと命名された。
E.von Behring まえもって免疫した動物の血清には、免疫するのに用いた生物を特異的に殺傷する因子が含まれていることを示した。
1896 E.B.Wilson 「発生と遺伝における細胞」"The Cell in Development and Heredity" を著した。学界に大きい影響を与えたこの論文は、 Schleiden と Schwann が細胞説を提唱して以来半世紀の間に得られた細胞学に関する情報の成果をまとめたものである。
A.H.Becquerel ウランの放射能を発見。放射能の強さがウランの絶対量に比例することを確認。
1897 E.Buchner 酵母抽出液がグルコースを分解してエタノールを生成すること(アルコール発酵)を証明した。
J.J.Tomson 電子を発見.
1898 T.Boveri Parascaris equorum における染色体削減を記述した。
M.Curie & P.Curie ポロニウム、ラジウム発見
E.Rutherford ウランの放射線中にα線とβ線が存在することを発見。
1899 S.G.Navashin 種子植物の重複受精を発見し、胚乳細胞は3倍体であると結論した。
1900 H.deVries
C.Correns
E.Tschermak それぞれ独立に Mendel の論文を再発見した。de Vries と Correns は、Mendel の初期の研究に相当する交配実験を、数種の植物を用いて行い、独立に、同じ解釈に達した。Mendel の論文を読み、直ちにその重要性を認めた。 W.Bateson もロンドンの王立学会における演説で Mendel の業績の重要性を力説した。
K.Pearson カイ自乗検定法を確立した。
K.Landsteiner ヒトの血液凝集反応を発見した。
P.Ehrlich 抗原と抗体が互いに結合するのは、それらの相補的な構造によることを提案した。
1805 J.Dolton 原子説
1809 J.B.de Monet Lamarck 適応形質の不断の強化と完成によって種は徐々に新しい種へと変化しうること、また獲得形質が子孫に伝えられることを提唱した。
1812 G.S.C.Kirchhoff 澱粉を弱酸で煮るとブドウ糖に分解されることを発見
1815 Kirchhoff,G.S.C. 麦から抽出した粘液性物質を澱粉に加えると酸で分解するより遥かに効率良くデキストリンと糖に分解することを発見。この物質をディアスターゼと命名。
1818 W.C.Wells アフリカに住むヒトの集団は、風土病に対する抵抗性の程度に応じて選択されてきたことを示唆し、自然選択の原理を初めて明確に述べた。
1820 C.F.Nasse ヒトの血友病の遺伝が伴性であることを記述した。
1822~24 T.A.Knight, J.Goss, A.Seton それぞれ独自にエンドウの交雑実験を行い、F1に優性形質が現れ、F2において種々の遺伝形質が分離することを観察した。しかし、分離比や後代検定は研究行わなかった。
1825 F.V.Raspail デンプンのヨウ素反応を用いて、組織化学の基礎を作った。
1827 K.E.von Baer ヒトの卵子について初めて正確な記述を行った。
1830 G.B.Amici 花粉管が花柱内を伸び、胚珠に入ることを示した。
1831 R.Brown 細胞内の核を記述した。
C.Darwin 12月27日、ビーグル号が世界一周航海のためにプリマス港を出航した。この艦には22歳の博物学者 Charles Darwin が乗船。1833年9月15日、ビーグル号はガラパゴス諸島に到着。Darwin は動植物の生活を調査するために5週間滞在した。
Suchs 唾液にプチアリンがあることを発見。デンプンを糖化する物質。
1836 Shwann (細胞説のシュワン)胃液にペプシンがあることを発見。蛋白を分解する物質。
1831 M. Faraday 磁場の中を金属が動くと電流が生じることを発見(電磁誘導の法則)。
1837 C.Darwin 他の専門家たちとともにガラパゴス諸島に採集調査に行き、いろいろな島に多くの種が固有に存在していることを知る。この事実は、それぞれの島に本島から由来した少数の種が移住し、それらの種からそれぞれの島の環境で生存できるように特殊化した新種が進化したことを示唆している。Darwinは、このような考えに基づいて、自然選択による進化論を支持するデータを集め始めた。
Hugo von Mohl 葉緑体を、緑色植物の細胞中に存在する明確な構造体として初めて記載した。
1838 G.J.Mulder 化学論文にタンパク質(protein)という語を初めて使った。しかし、この用語は J.J.Berzelius がつくったものである。
1838-39 M.J.Schleiden
T.Schwann 細胞説を展開。Schleiden は核内に核小体があることを記述した。
1839 Louis Daguerre 銀塩写真を発明。『ダゲレオタイプ写真術と透視画の方法の歴史と解説』出版
1841 A.Kolliker 精子が精巣内の細胞から変化した性細胞であることを示した。
1845 J.Dzierzon ミツバチでは雄バチが不受精卵から、ハタラキバチと女王バチは受精卵から孵化することを報告した。
1853 ロシア・トルコ クリミア戦争勃発
1855 A.R.Wallace マレー諸島の動物相の研究を通じて地理的分化を示唆する証拠を集め、種が不変であるという定説に疑問をもつようになり、Darwinと同様の進化論を展開し始めた。
R.Virchow 新しい細胞は既存の細胞の分裂によってのみ生じるという原理を発表した。
1856 Gregor Mendel オーストリアの Brunn (現チェコスロバキア Brno)にあるアウグスチン修道院の修道士Mendelはエンドウ(Pisum sativum)の交雑実験を始めた。
1858 C.Darwin
A.R.Wallace ロンドンのリンネ学会で自然選択に基づく進化論を共同発表した。
1859 C.Darwin 種の起源 (On the Origin of Species)を著した。
1860 T.A.E.Klebs パラフィン包埋法を開発した。
1861 アメリカ 南北戦争、リンカーン
1861 L.Pasteur 発酵は酵母の生きた状態に直接関連しているとし、リービッヒの考えを誤りであると退けた。
1864 L.Pasteur 微生物の自然発生説に対して実証的反証。プーシェ対パスツール、アカデミー主催公開実験。
1865 G.Mendel 2月8日と3月8日に行われた Brunn の自然科学学会の月例会でエンドウの遺伝実験の結果とその解釈を報告した。
1866 G.Mendel "植物の交雑雑種の実験 (Versuche uber Pflanzenhybriden)" が出版されたが無視された。
1869 F.Galton " Hereditary Genius " を著した。ヒトの家系を科学的に研究し、ヒトの知能が遺伝すると結論した。
1870 W.His ミクロトームを発明した。
1871 F.Miescher 核の単離方法を発表し、ヌクレイン(現在では核酸とタンパク質の混合物として知られる)の発見を報告した。
1872 J.T.Gulick オアフ島の谷に生息する陸生カタツムリの自然集団の殻の色の変異を記述した。このような動物の小集団が地理的に隔離されることが新種の形成の必要条件であることを示唆した。
1873 A.Schneider 有糸分裂を初めて記述した。
1875 F.Galton 行動に及ぼす遺伝と環境の相対的影響を知るのに、双生児の研究が有用であることを示した。
O.Hertwig ウニの生殖に関する研究から、動植物ともに受精は雌雄の親由来の二つの核が物理的に結合したものであると結論した。
E.Strasburger 種子植物の細胞分裂を記載した。
1876 O.Butschli 繊毛虫の核の二型性を記述した。
1877 H.Fol ヒトデの精子が卵内に侵入することを観察し、精子核がそこなわれずに卵内にはいり、雄性前核になることを報告した
E.Abbe 顕微鏡光学理論に関する重要な研究の発表を始める。
1878 W.Kuhne enzyme(酵素) という言葉をつくりだした。
1879 W.Flemming サンショウウオの尾びれ上皮の有糸分裂の研究を行い、核分裂は染色体の縦分裂と、生じた娘染色分体の娘核への移動とからなることを示した。また、chromatin(染色質) という術語をつくりだした。
1881 R.Koch 現在も用いられている細菌の純粋培養法を開発した。(1889, コッホに師事した北里柴三郎が破傷風菌の純粋培養に成功)。
1882 W.Flemming ランプブラシ染色体を発見し、mitosis(有糸分裂 ) という術語をつくりだした。
1883 E.van Beneden 回虫の一種 Ascaris (この種の染色体数は2n =4であった)の減数分裂を研究。配偶子は体細胞の染色体の半数を含み、受精によって再び体細胞染色体数に戻ることを示した。哺乳類の受精に関するL述も行った。
A.Weismann 動物の体細胞と生殖細胞の違いを指摘し、生殖細胞に起こった変化のみがそれ以降の世代に伝達されることを強調した。
A.F.W.Schimper 葉緑体が分裂可能であること、緑色植物は葉緑素を含む生物と無色の生物との共生関係からできたと提案した。
1887 A.Weismann 染色体数の周期的な減数がすべての有性生物に起こるという仮説を提出した。
1888 T.Boveri 中心粒 (centriole) を記載した。
W.Waldeyer Roux (1883) の記載したヒモ状のものに対し、染色体 (chromosome) という新語を作った。
1889 F.Galton "Natural Inheritance " を著した。集団における計量形質の定量的測定を行い、生物測定学と変異の統計学的研究の基礎をつくった。
S.Kitazato コッホに師事した北里柴三郎が破傷風菌の純粋培養に成功
1889-1890 旧アジア風邪流行、インフルエンザ菌を分離と報告されたが、実はウイルスだったことが後に判明(H2N2)。
1890 R.Altman 細胞中に"バイオブラスト"の存在を報告し、細胞内共生生物として住みつき、宿主の生命活動を担っている基本的な生物であると結論した。後に(1898年)、C.Benda によりこのオルガネラはミトコンドリアと命名された。
E.von Behring まえもって免疫した動物の血清には、免疫するのに用いた生物を特異的に殺傷する因子が含まれていることを示した。
1896 E.B.Wilson 「発生と遺伝における細胞」"The Cell in Development and Heredity" を著した。学界に大きい影響を与えたこの論文は、 Schleiden と Schwann が細胞説を提唱して以来半世紀の間に得られた細胞学に関する情報の成果をまとめたものである。
A.H.Becquerel ウランの放射能を発見。放射能の強さがウランの絶対量に比例することを確認。
1897 E.Buchner 酵母抽出液がグルコースを分解してエタノールを生成すること(アルコール発酵)を証明した。
J.J.Tomson 電子を発見.
1898 T.Boveri Parascaris equorum における染色体削減を記述した。
M.Curie & P.Curie ポロニウム、ラジウム発見
E.Rutherford ウランの放射線中にα線とβ線が存在することを発見。
1899 S.G.Navashin 種子植物の重複受精を発見し、胚乳細胞は3倍体であると結論した。
1900 H.deVries
C.Correns
E.Tschermak それぞれ独立に Mendel の論文を再発見した。de Vries と Correns は、Mendel の初期の研究に相当する交配実験を、数種の植物を用いて行い、独立に、同じ解釈に達した。Mendel の論文を読み、直ちにその重要性を認めた。 W.Bateson もロンドンの王立学会における演説で Mendel の業績の重要性を力説した。
K.Pearson カイ自乗検定法を確立した。
K.Landsteiner ヒトの血液凝集反応を発見した。
P.Ehrlich 抗原と抗体が互いに結合するのは、それらの相補的な構造によることを提案した。
1901 H. de Vries マツヨイグサOenothera の遺伝物質に突然、自然発生的に生ずる根本的な変化に対して、突然変異 (mutation) という言葉を与えた。
T. H. Montgomery 半翅類の多数の種における精子形成を研究し、減数分裂においては母方の染色体は父方の染色体とのみ対合すると結論した。
K. Landsteiner ヒトの血液型は3種類(A, B, C) に分類できると提示。C型は、後にO型とよばれるようになった。
E. von Behring 血清療法の研究に対し、ノーベル賞を受賞した。
1902 C.E. McClung 各種昆虫においては、アクセサリー染色体 をもつ精子と、もたない精子が同数つくられると報告。この余分な染色体が性を決定し、性は受精時に決定されると主張。これらは昆虫だけでなく、ヒトも含めた他の生物にも共通するとした。
T. Boveri 一倍体、二倍体、異数体のウニの胚の発生を研究し、正常発生のためには完全な染色体組が必要であり、各染色体は別々の基本的な遺伝要因を持っていると結論した。
W.S. Sutton 遺伝子どうしの独立な組合わせが減数分裂時の染色体対合によって生ずるという染色体説を提示。ある二価染色体の相同染色体のうちどちらがどちらの細胞に入るかという分離の原則は、他の二価染色体の分離とは独立に決まるので、異なる染色体に含まれる遺伝子は様々な組み合わせにより染色体毎に、独立に分布することになる。
F. Hofmeister, E. Fischer タンパク質はアミノ酸が一定のペプチド結合を繰返して、連続的に重合することにより生成されることを提唱した。
1902~09 W. Bateson 遺伝学 (genetics)、対立遺伝子 (allelomorph)、ホモ接合体 (homozygote)、ヘテロ接合体 (heterozygote)、F1(雑種第一代)、F2(雑種第二代)、上位 (epistatic) 遺伝子などの術語を導入した。
1904 A.F. Blakeslee 菌類においてヘテロミキシスを発見した。
1905 Einstein 特殊相対性理論を発表。
1906 W. Bateson, R.C. Punnett 連鎖についての最初の例をスイートピーで報告した。
1907 R.G. Harrison カエルの脊索から神経組織を取り出し体液中で培養し、神経細胞の原形質の一部が伸張して神経線維となることを観察(神経突起の伸展)。組織培養の発明となった。カレルはハリソンから培養法を習得。
E.F. Smith ある特殊な細菌 Agrobacterium tumefaciens が植物におけるクラウンゴール病の原因であることを示した。
1908 G.H. Hardy, W. Weinberg それぞれ独立に研究し、集団遺伝学におけるハーディ-ワインベルグの法則を公式化した。
1909 G.H. Shull 種トウモロコシの製造に自家受粉系統を使うことを主張。その結果実施された雑種トウモロコシ生産計画は数10億ドルの価値の食糧増産を生み出した。
F.A. Janssens 非姉妹染色分体間の交換がキアズマをつくることを示唆した。
C.C. Little マウスの同系繁殖系(現在のDBA)を作出する育種計画を提唱した。
W. Johannsen インゲンマメの自殖系を使って種子の大きさの遺伝を研究し、見かけの形質と遺伝子構成とを区別する必要から、表現型 (phenotype)、 遺伝子型 (genotype) という術語をつくった。遺伝子 (gene) という用語もつくった。
C. Correns, E. Bauer Mirabilis jalapa(オシロイバナ)、 Pelargonium zonale(ゼラニウム)のような斑入り植物を使って葉緑体異常の遺伝研究を行い、正常な葉緑体を形成できない性質は非メンデル遺伝をすることがあることを発見した。
H. Nilsson-Ehle コムギの種皮の色の量的遺伝の説明に多因子仮説を提唱した。
1910 T.H. Morgan ショウジョウバエにおいて白眼系統を発見し、その結果として伴性遺伝を発見。ショウジョウバエの遺伝学が始まった。
W. Weinberg 少数家族のデータに適用した各種の確認法を用いて、ヒトの家系データから得られるメンデル分離の期待値の修正方法を発展させた。
P. Rous ニワトリ肉腫の無細胞ろ過液の注射により、新たにおこさせることを示した。
1911 T.H. Morgan ショウジョウバエの白眼色、黄体色および小翅の遺伝子はX染色体に連関していると報告した。
W.R.B. Robertson 直翅目の一つの種の中部動原体染色体は別種の二つの端部動原体染色体に相当するかもしれないと指摘。進化の過程で二つの端部動原体染色体が融合して中部動原体染色体が生じたのであろうと結論した。発見者に敬意を表してこのような全腕融合をロバートソン融合とよぶ。
H.Noguchi スピロヘータの純培養に成功。
1912 A. Carrel 孵化卵中のニワトリ胚から血管、心臓、筋肉、ラウス肉腫、イヌの組織などを血漿で固めて培養した(懸滴培養法を確立し後に培養ビンを使った方法を開発=カレル瓶)。培養組織片の継代培養にも成功。生体から切り離した組織を移植治療に使うことを考えていた。
A. Wegener 大陸移動説を提案した。
F. Rambousek ハエの幼虫の唾腺細胞内にみられる横縞のヒモ状の物は染色体であると示唆した。
T.H. Morgan キイロショウジョウバエの雄では交差が起こらないことを示した。また伴性致死を初めて発見した。
1913 Y. Tanaka 雌ヘテロ型であるカイコガの雌では交差が起こらないことを報告した。
W.H. Bragg, W.L. Bragg X線回折法が結晶の三次元原子構造を決定するために用いられることを示した。
A.H. Sturtevant ショウジョウバエの連関概念を実験的に証明し、初めて遺伝地図をつくった。
第1次世界大戦
1914 C.B. Bridges ショウジョウバエの減数分裂における非分離現象を見出した。
C.C. Little マウスに移植された腫瘍が生着するか拒絶されるかには遺伝的な根拠があると主張した。
1915 F.W. Twort 細菌に感染するろ過性ウイルスを始めて分離した。
J.B.S. Haldane, A.D. Sprunt, N.M. Haldane 脊椎動物(マウス)における連鎖の最初の実例を記載した。
K.Yamagiwa, Ichikawa,K. タ-ルをウサギの耳に塗布して世界で初めての発癌実験に成功。「癌出来つ 意気昂然と 二歩三歩」。
1916 H.J. Muller ショウジョウバエにおいて遺伝的干渉を発見した。
1917 F. d'Herelle バクテリオファージ (bacteriophage) という名称を提唱し、ウイルス力価の検定法を開発した。
O. Winge 高等植物の進化に倍数体が果たす重要な役割を指摘した。
C.B. Bridges ショウジョウバエで初めて染色体の欠失を発見した。
ロシア10月革命、社会主義国誕生
1918 H. Spemann 胚の一部が、他の部分に刺激を与えて、形態分化を引き起こすことを示し(胚の誘導)、この領域をオーガナイザー(形成体)と命名した。
H.J. Muller ショウジョウバエにおいて平衡致死現象を発見した。
スペイン風邪大流行、5億人感染2500万人以上死亡。ウイルスはH1N1。日本2300万人感染39万人死亡。
第1次世界大戦終結
1919 T.H. Morgan キイロショウジョウバエにおいて連関群の数と染色体の単相の数 (haploid number) は同一であることを示した。
C.B. Bridges ショウジョウバエで染色体の重複を発見した。
E.Rutherford α線を窒素原子に衝突させて原子核変換を起こすことに成功。
1920 A.F. Blakeslee, J. Belling, M.E. Farnham チョウセンアサガオ (Datura stramonium) で三染色体性植物の存在を記述した。
Nikorai Vavilov
(1943:ソ連の政争に巻き込まれて獄死) 栽培植物の平行変異説
米国でラジオの民間放送が始まる
1921 F.G. Banting, C.H. Best インシュリンを分離し、その生理学的特性を研究した。
C.B. Bridges ショウジョウバエの一染色体個体 (haploid, n=4) を最初に発見した。
1922 L.V. Morgan ショウジョウバエで付着型X染色体を発見した。
A.F. Blakeslee, J. Belling, M.E. Farnham, A.D. Bergner Datura で半数体を発見した。
1923 C.B. Bridges ショウジョウバエで染色体の転座を発見した。
R. Feulgen, H. Rossenbeck DNAの存在確認に最もひろく使われる細胞化学的検定法を発表した。
T. Svedberg 超遠心機を初めて作った。
A.E. Boycott, C. Diver モノアラガイ (Limnea peregra) における殻の渦巻きの方向を支配する遅発性のメンデル遺伝を記述した。
A.H. Sturtevant モノアラガイ (Limnea peregra) の殻の渦巻きの方向は母親の遺伝子型による卵の細胞質の性状によって決定されることを示唆した。
J.K. Santos; H. Kihara, T. Ono; O. Winge Santos はElodea で、H. Kihara と T. Ono は Rumex で、O. Winge は Humulus で、これらの雌雄異株植物の性決定様式はXX-XY型であることを示した。
1925 C.B. Bridges 三倍体のショウジョウバエの後代に生じる異数体の細胞学的分析を行い、性決定に対する性染色体と常染色体の関係を確立した。
A.H. Sturtevant ショウジョウバエの Bar 現象の解析を行い、位置効果を発見した。
F. Bernstein ABO式血液型が一連の対立遺伝子により決定されることを示した。
T.H. Goodspeed, R.E. Clausen タバコ(Nicotiana) の複倍数体を作出した。
ATCC(American Type Culture Colleciotn) 設立 研究用微生物の中央コレクションの必要を認めて事業開始。シカゴ・マコーミック研究所内。
日本でラジオの公共放送始まる。翌年日本放送協会設立。
1926 E.G. Anderson ショウジョウバエのX染色体の動原体は yellow 遺伝子座の反対側の末端にあると決定した。
S.S. Chetverikov ショウジョウバエの野生集団の遺伝学的解析を開始した。
J.B. Sumner 水晶体から酵素(ウレアーゼ)を初めて取り出して結晶化し、一種のタンパク質であることを示した。
A.H. Sturteveant ショウジョウバエで初めて逆位を発見した。
R.E. Clausen, T.H. Goodspeed 植物(タバコ)で一染色体(monosomics)の分析を初めて記述した。
1927 K.M. Bauer 一卵性双生児の一人からもう一人へ皮膚を移植した場合、拒絶が起こらないことを報告した。
J. Belling 非相同染色体間の相互転座は、減数分裂において環形成を引き起こすと発表した。
J. Belling 押しつぶした染色体を酢酸カーミン染色する方法を導入した。
B.O. Dodge アカパンカビの遺伝研究を開始した。
H.J. Muller ショウジョウバエでX線による人為突然変異の誘発を報告した。(1896年ベクレルによる放射線の発見)
1928 L.J. Stadler トウモロコシにおける人為突然変異の誘発について報告し、線量と変異頻度の関係が直線的であることを示した。
F. Griffith 肺炎双球菌 (pneumococci) の型変換を発見した。このことが Avery, MacLeod, McCarty (1944) の研究の基盤となった。
L.F. Randolph 植物細胞の正常染色体と過剰染色体を識別し、正常染色体をA染色体 、過剰染色体をB染色体と呼んだ。
E. Heitz 真正染色質 (euchromatin) および異質染色質 (heterochromatin) という言葉を作った。
1929 A. Fleming Penicillium 属のカビが、ある種の細菌の生育阻害物質を分泌することを報告。この抗菌性物質をペニシリンと名付けた。
C.D. Darlington キアズマの機能は、相同染色体が減数分裂後期Ⅰで互いに対極へ確実に移動できるように、減数分裂中期Ⅰのあいだ合体状態を維持するためのものであると最初に提唱した。
R.C. Tryon ラットの迷路学習能力の選抜に成功した。
ニューヨークウオール街を震源とする経済大恐慌勃発世界を巻き込む
1930 R.E. Cleland, A.F. Blakeslee 種々のマツヨイグサ Oenothera 系統で見られる遺伝子群の奇妙な伝達パターンは、平衡致死と相互転座複合体システムによることを示した。
K. Landsteiner 免疫学の研究でノーベル医学生理学賞を受賞した。
J.H.Northlop ペプシンの結晶化に成功し、ペプシンが蛋白質であることを示す。
1930-32 R.A. Fisher, J.B.S. Haldane, S. Wright 集団遺伝学の数学的基礎についての一連の本や論文を出版した。
1931 C. Stern, H.B. Creighton, B. McClintock それぞれ独自に交差の細胞学的証拠を提出した。
T. H. Montgomery 半翅類の多数の種における精子形成を研究し、減数分裂においては母方の染色体は父方の染色体とのみ対合すると結論した。
K. Landsteiner ヒトの血液型は3種類(A, B, C) に分類できると提示。C型は、後にO型とよばれるようになった。
E. von Behring 血清療法の研究に対し、ノーベル賞を受賞した。
1902 C.E. McClung 各種昆虫においては、アクセサリー染色体 をもつ精子と、もたない精子が同数つくられると報告。この余分な染色体が性を決定し、性は受精時に決定されると主張。これらは昆虫だけでなく、ヒトも含めた他の生物にも共通するとした。
T. Boveri 一倍体、二倍体、異数体のウニの胚の発生を研究し、正常発生のためには完全な染色体組が必要であり、各染色体は別々の基本的な遺伝要因を持っていると結論した。
W.S. Sutton 遺伝子どうしの独立な組合わせが減数分裂時の染色体対合によって生ずるという染色体説を提示。ある二価染色体の相同染色体のうちどちらがどちらの細胞に入るかという分離の原則は、他の二価染色体の分離とは独立に決まるので、異なる染色体に含まれる遺伝子は様々な組み合わせにより染色体毎に、独立に分布することになる。
F. Hofmeister, E. Fischer タンパク質はアミノ酸が一定のペプチド結合を繰返して、連続的に重合することにより生成されることを提唱した。
1902~09 W. Bateson 遺伝学 (genetics)、対立遺伝子 (allelomorph)、ホモ接合体 (homozygote)、ヘテロ接合体 (heterozygote)、F1(雑種第一代)、F2(雑種第二代)、上位 (epistatic) 遺伝子などの術語を導入した。
1904 A.F. Blakeslee 菌類においてヘテロミキシスを発見した。
1905 Einstein 特殊相対性理論を発表。
1906 W. Bateson, R.C. Punnett 連鎖についての最初の例をスイートピーで報告した。
1907 R.G. Harrison カエルの脊索から神経組織を取り出し体液中で培養し、神経細胞の原形質の一部が伸張して神経線維となることを観察(神経突起の伸展)。組織培養の発明となった。カレルはハリソンから培養法を習得。
E.F. Smith ある特殊な細菌 Agrobacterium tumefaciens が植物におけるクラウンゴール病の原因であることを示した。
1908 G.H. Hardy, W. Weinberg それぞれ独立に研究し、集団遺伝学におけるハーディ-ワインベルグの法則を公式化した。
1909 G.H. Shull 種トウモロコシの製造に自家受粉系統を使うことを主張。その結果実施された雑種トウモロコシ生産計画は数10億ドルの価値の食糧増産を生み出した。
F.A. Janssens 非姉妹染色分体間の交換がキアズマをつくることを示唆した。
C.C. Little マウスの同系繁殖系(現在のDBA)を作出する育種計画を提唱した。
W. Johannsen インゲンマメの自殖系を使って種子の大きさの遺伝を研究し、見かけの形質と遺伝子構成とを区別する必要から、表現型 (phenotype)、 遺伝子型 (genotype) という術語をつくった。遺伝子 (gene) という用語もつくった。
C. Correns, E. Bauer Mirabilis jalapa(オシロイバナ)、 Pelargonium zonale(ゼラニウム)のような斑入り植物を使って葉緑体異常の遺伝研究を行い、正常な葉緑体を形成できない性質は非メンデル遺伝をすることがあることを発見した。
H. Nilsson-Ehle コムギの種皮の色の量的遺伝の説明に多因子仮説を提唱した。
1910 T.H. Morgan ショウジョウバエにおいて白眼系統を発見し、その結果として伴性遺伝を発見。ショウジョウバエの遺伝学が始まった。
W. Weinberg 少数家族のデータに適用した各種の確認法を用いて、ヒトの家系データから得られるメンデル分離の期待値の修正方法を発展させた。
P. Rous ニワトリ肉腫の無細胞ろ過液の注射により、新たにおこさせることを示した。
1911 T.H. Morgan ショウジョウバエの白眼色、黄体色および小翅の遺伝子はX染色体に連関していると報告した。
W.R.B. Robertson 直翅目の一つの種の中部動原体染色体は別種の二つの端部動原体染色体に相当するかもしれないと指摘。進化の過程で二つの端部動原体染色体が融合して中部動原体染色体が生じたのであろうと結論した。発見者に敬意を表してこのような全腕融合をロバートソン融合とよぶ。
H.Noguchi スピロヘータの純培養に成功。
1912 A. Carrel 孵化卵中のニワトリ胚から血管、心臓、筋肉、ラウス肉腫、イヌの組織などを血漿で固めて培養した(懸滴培養法を確立し後に培養ビンを使った方法を開発=カレル瓶)。培養組織片の継代培養にも成功。生体から切り離した組織を移植治療に使うことを考えていた。
A. Wegener 大陸移動説を提案した。
F. Rambousek ハエの幼虫の唾腺細胞内にみられる横縞のヒモ状の物は染色体であると示唆した。
T.H. Morgan キイロショウジョウバエの雄では交差が起こらないことを示した。また伴性致死を初めて発見した。
1913 Y. Tanaka 雌ヘテロ型であるカイコガの雌では交差が起こらないことを報告した。
W.H. Bragg, W.L. Bragg X線回折法が結晶の三次元原子構造を決定するために用いられることを示した。
A.H. Sturtevant ショウジョウバエの連関概念を実験的に証明し、初めて遺伝地図をつくった。
第1次世界大戦
1914 C.B. Bridges ショウジョウバエの減数分裂における非分離現象を見出した。
C.C. Little マウスに移植された腫瘍が生着するか拒絶されるかには遺伝的な根拠があると主張した。
1915 F.W. Twort 細菌に感染するろ過性ウイルスを始めて分離した。
J.B.S. Haldane, A.D. Sprunt, N.M. Haldane 脊椎動物(マウス)における連鎖の最初の実例を記載した。
K.Yamagiwa, Ichikawa,K. タ-ルをウサギの耳に塗布して世界で初めての発癌実験に成功。「癌出来つ 意気昂然と 二歩三歩」。
1916 H.J. Muller ショウジョウバエにおいて遺伝的干渉を発見した。
1917 F. d'Herelle バクテリオファージ (bacteriophage) という名称を提唱し、ウイルス力価の検定法を開発した。
O. Winge 高等植物の進化に倍数体が果たす重要な役割を指摘した。
C.B. Bridges ショウジョウバエで初めて染色体の欠失を発見した。
ロシア10月革命、社会主義国誕生
1918 H. Spemann 胚の一部が、他の部分に刺激を与えて、形態分化を引き起こすことを示し(胚の誘導)、この領域をオーガナイザー(形成体)と命名した。
H.J. Muller ショウジョウバエにおいて平衡致死現象を発見した。
スペイン風邪大流行、5億人感染2500万人以上死亡。ウイルスはH1N1。日本2300万人感染39万人死亡。
第1次世界大戦終結
1919 T.H. Morgan キイロショウジョウバエにおいて連関群の数と染色体の単相の数 (haploid number) は同一であることを示した。
C.B. Bridges ショウジョウバエで染色体の重複を発見した。
E.Rutherford α線を窒素原子に衝突させて原子核変換を起こすことに成功。
1920 A.F. Blakeslee, J. Belling, M.E. Farnham チョウセンアサガオ (Datura stramonium) で三染色体性植物の存在を記述した。
Nikorai Vavilov
(1943:ソ連の政争に巻き込まれて獄死) 栽培植物の平行変異説
米国でラジオの民間放送が始まる
1921 F.G. Banting, C.H. Best インシュリンを分離し、その生理学的特性を研究した。
C.B. Bridges ショウジョウバエの一染色体個体 (haploid, n=4) を最初に発見した。
1922 L.V. Morgan ショウジョウバエで付着型X染色体を発見した。
A.F. Blakeslee, J. Belling, M.E. Farnham, A.D. Bergner Datura で半数体を発見した。
1923 C.B. Bridges ショウジョウバエで染色体の転座を発見した。
R. Feulgen, H. Rossenbeck DNAの存在確認に最もひろく使われる細胞化学的検定法を発表した。
T. Svedberg 超遠心機を初めて作った。
A.E. Boycott, C. Diver モノアラガイ (Limnea peregra) における殻の渦巻きの方向を支配する遅発性のメンデル遺伝を記述した。
A.H. Sturtevant モノアラガイ (Limnea peregra) の殻の渦巻きの方向は母親の遺伝子型による卵の細胞質の性状によって決定されることを示唆した。
J.K. Santos; H. Kihara, T. Ono; O. Winge Santos はElodea で、H. Kihara と T. Ono は Rumex で、O. Winge は Humulus で、これらの雌雄異株植物の性決定様式はXX-XY型であることを示した。
1925 C.B. Bridges 三倍体のショウジョウバエの後代に生じる異数体の細胞学的分析を行い、性決定に対する性染色体と常染色体の関係を確立した。
A.H. Sturtevant ショウジョウバエの Bar 現象の解析を行い、位置効果を発見した。
F. Bernstein ABO式血液型が一連の対立遺伝子により決定されることを示した。
T.H. Goodspeed, R.E. Clausen タバコ(Nicotiana) の複倍数体を作出した。
ATCC(American Type Culture Colleciotn) 設立 研究用微生物の中央コレクションの必要を認めて事業開始。シカゴ・マコーミック研究所内。
日本でラジオの公共放送始まる。翌年日本放送協会設立。
1926 E.G. Anderson ショウジョウバエのX染色体の動原体は yellow 遺伝子座の反対側の末端にあると決定した。
S.S. Chetverikov ショウジョウバエの野生集団の遺伝学的解析を開始した。
J.B. Sumner 水晶体から酵素(ウレアーゼ)を初めて取り出して結晶化し、一種のタンパク質であることを示した。
A.H. Sturteveant ショウジョウバエで初めて逆位を発見した。
R.E. Clausen, T.H. Goodspeed 植物(タバコ)で一染色体(monosomics)の分析を初めて記述した。
1927 K.M. Bauer 一卵性双生児の一人からもう一人へ皮膚を移植した場合、拒絶が起こらないことを報告した。
J. Belling 非相同染色体間の相互転座は、減数分裂において環形成を引き起こすと発表した。
J. Belling 押しつぶした染色体を酢酸カーミン染色する方法を導入した。
B.O. Dodge アカパンカビの遺伝研究を開始した。
H.J. Muller ショウジョウバエでX線による人為突然変異の誘発を報告した。(1896年ベクレルによる放射線の発見)
1928 L.J. Stadler トウモロコシにおける人為突然変異の誘発について報告し、線量と変異頻度の関係が直線的であることを示した。
F. Griffith 肺炎双球菌 (pneumococci) の型変換を発見した。このことが Avery, MacLeod, McCarty (1944) の研究の基盤となった。
L.F. Randolph 植物細胞の正常染色体と過剰染色体を識別し、正常染色体をA染色体 、過剰染色体をB染色体と呼んだ。
E. Heitz 真正染色質 (euchromatin) および異質染色質 (heterochromatin) という言葉を作った。
1929 A. Fleming Penicillium 属のカビが、ある種の細菌の生育阻害物質を分泌することを報告。この抗菌性物質をペニシリンと名付けた。
C.D. Darlington キアズマの機能は、相同染色体が減数分裂後期Ⅰで互いに対極へ確実に移動できるように、減数分裂中期Ⅰのあいだ合体状態を維持するためのものであると最初に提唱した。
R.C. Tryon ラットの迷路学習能力の選抜に成功した。
ニューヨークウオール街を震源とする経済大恐慌勃発世界を巻き込む
1930 R.E. Cleland, A.F. Blakeslee 種々のマツヨイグサ Oenothera 系統で見られる遺伝子群の奇妙な伝達パターンは、平衡致死と相互転座複合体システムによることを示した。
K. Landsteiner 免疫学の研究でノーベル医学生理学賞を受賞した。
J.H.Northlop ペプシンの結晶化に成功し、ペプシンが蛋白質であることを示す。
1930-32 R.A. Fisher, J.B.S. Haldane, S. Wright 集団遺伝学の数学的基礎についての一連の本や論文を出版した。
1931 C. Stern, H.B. Creighton, B. McClintock それぞれ独自に交差の細胞学的証拠を提出した。
C.D. Darlington キアズマが染色体の切断なしに二価染色体の末端に移動することを示唆した。これはキアズマの末端化と言われるが、現在ではある生物種のみにみられる現象であることが判っている。
B. McClintock トウモロコシにおいて染色体断片が逆向きになると、ヘテロ個体では太糸期(pacytene)に逆位対合がしばしば現れることを明らかにした。
1932 M. Knoll, E. Ruska 現代の電子顕微鏡の原型を考案した。
1933 T.S. Painter ショウジョウバエの唾腺染色体についての細胞遺伝学的研究を開始した。
H. Hashimoto カイコガの性決定の、染色体による支配の問題を解決した。
A.W.K. Tiselius 電気泳動によって電荷を持つ分子を分離する装置を考案した。
B. McClintock 動原体を挟まない逆位をもつヘテロ個体で、逆位ループ内に一回だけの交換が起こると、無動原体と二動原体の染色分体を生ずることをトウモロコシで示した。
T.H. Morgan 遺伝子理論を発展させた功績によりノーベル賞を受賞。
? 始めてインフルエンザウイルスA型を分離(B型は1940年、C型は1949年に分離)。
世界大恐慌からの回復を狙ってニューディ-ル政策を開始。米国は公共事業投資を行った。
1934 M. Schlesinger ある種のバクテリオファージはDNAとタンパク質から成ると報告した。
P.L'Heritier, G. Teissier 何世代も集団で飼育したキイロショウジョウバエの集団から有害な遺伝子が消失することを実験的に示した。
H. Bauer ハエ幼虫の唾腺細胞の巨大染色体は多糸性染色体であると提唱した。
Lysenko 獲得形質の遺伝と品種改良についての学説を発表する(後に否定される)。
1935 J.B.S. Haldane ヒトの遺伝子について自然突然変異率を初めて計算した。
E. Klenk テイ-サックス病患者の脳に蓄積する糖脂質をガングリオシドと同定した。
F. Zernicke 位相差顕微鏡の原理を記載した。
G.W. Beadle, B. Ephrussi, A. Kuhn, A. Butenandt ショウジョウバエとコナマダラメイガ (Ephestia) の眼の色素形成に関する遺伝生化学研究を完成した。
W.M. Stanley タバコモザイクウイルスの単離と結晶化に成功した。
C.B. Bridges キイロショウジョウバエの唾腺染色体地図を発表した。
H. Spemann 胚誘導に関する研究によりノーベル賞を受賞。
1936 J.J. Bittner マウスの乳ガンは母乳を通じてウイルス様因子によって伝達されることを示唆した。
A.H. Sturtevant, T. Dobzhansky 染色体系統樹の構築に逆位を利用する方法を初めて発表した。
C. Stern ショウジョウバエの体細胞における乗換えを発見した。
R. Scott-Moncrieff 植物色素の遺伝を総説。この研究の大部分は John Innes Horticultural Institute の英国の遺伝学者らによって行われた。彼らはフラボノイドやカロテノイド色素の化学変化をひきおこす遺伝子置換個体を作出した。
1937 T. Dobzhansky 進化遺伝学の歴史的著作「遺伝および種の起源」 Genetics and the Origin of Species を出版した。
A.F. Blakeslee, A.G. Avery コルヒチンによる倍数体作成を報告した。
T.M. Sonneborn ゾウリムシにおける交配型を発見した。
F.C. Bawden, N.W. Pirie タバコモザイクウイルスは少量 (約5%) のRNAを含むタンパク質であると報告した。
P.A. Gorer 実験用マウスで組織適合性抗原を初めて発見した。
E. Chatton 細菌と藍藻を含む生物のグループを原核生物 (prokaryotes) と名づけ、その他すべての生物を真核生物(eukaryotes) と名づけて、両者の間には根本的な違いがあることを述べた。
1938 B. McClintock 染色体の架橋-切断-融合-架橋サイクルについて記述した。
T.M. Sonneborn ゾウリムシのキラー因子を発見した。
T.M. Sonneborn ゾウリムシのキラー因子を発見した。
M.M. Rhoades トウモロコシで突然変異誘発遺伝子 Dt を記述した。
米国:薬物安全性試験についての法制度確立。前年(1937年)スルファニルアミド事件による107名の死亡を得て安全性試験の必要性が認識された。
第2次世界大戦
1939 E.L. Ellis, M. Delbruck 現代のファージ研究の端緒となる大腸菌ファージの増殖に関する研究を行った。彼らは、一段成長実験法 を考案し、ファージが細菌に吸着したのち、潜伏期間中に細菌内で増殖し、最後にその子孫が一気に細菌から放出されることを示した(CalTec)。(レナート・ダルベッコもこの研究グループに参加していた)。
P. Levine, R.E. Stetson 父親由来の新しい血液型をもつ胎児によって母親が免疫されることを発見。この抗原は後に、新生児溶血性疾患の原因であるヒトRh式血液型によって同定された。
A.W.K. Tiselius, E.A. Kabat 抗体は血清のγグロブリンに属することを示した。
E. Knapp, H. Schreiber Sphaerocarpus donnelli に突然変異をひきおこす紫外線の効力は核酸の吸収スペクトルに一致することを示した。
1940 H.W. Florey, E. Chain ら ペニシリンの抽出と精製に成功した。
W.R.Earle マウスから最初の細胞株,L細胞,を樹立した(最初の連続培養可能な細胞株)。
1941 G.W. Beadle, E.L. Tatum アカパンカビの生化学的遺伝学に関する古典的研究を出版し、一遺伝子一酵素説を発表した。
J. Branchet, T. Caspersson おのおの独立に、RNAは核小体と細胞質に局在し、細胞のRNA量はタンパク質合成能力と直接的に関係しているという結論に達した。
A.H. Coons, H.J. Creech, R.N. Jones 免疫蛍光法を開発し、細胞上で抗体に反応する特殊な部位の存在を示した。
K. Mather ポリジーン (polygene) という用語をつくり、いろいろな生物で見られるポリジーン形質について述べた。
1942 R. Schoenheimer The Dynamic State of Body Constituents を出版し、代謝の研究に同位体標識化合物の利用を記載。細胞内における有機化合物の代謝プールと代謝回転の概念を導入した。
S.E. Luria, T.F. Anderson 細菌ウイルスの電子顕微鏡写真を初めて発表した。T2 は多角形の頭部と尾を持っていた。
G.D. Snell 移植の拒絶反応に関わる遺伝子を研究するため、高度に同系交配を繰返した系統(近交系)の開発を開始した。
1943 A. Claude リボソームを単離した。
S.E. Luria, M. Delbruck 細菌遺伝学の研究を始め、細菌に自然突然変異が起こることを明らかにした。
? 発育鶏卵を使って初めてA,B型インフルエンザのワクチンを作成した。
1944 O.T.Avery, C.M.MacLeod, M.McCarty 肺炎双球菌の形質転換の原理を記述した。タンパク質ではなくDNAが遺伝する性質をもつ化学的物質であることを示唆した。
1945 R.R. Humphrey サンショウウオ(両生類)の雌はヘテロ配偶子をもつことを示した。
M.J.D. White Animal Cytology and Evolutionを出版。動物の進化と細胞遺伝学における進歩をまとめた初めての研究論文である。
S.E. Luria 細菌ウイルスに突然変異が生じることを示した。
E.B. Lewis ショウジョウバエにおいて、位置効果を記述した。
A. Fleming, E.B. Chain, H.W. Florey ペニシリンの発見、精製およびその化学的性質の解明によりノーベル賞を受賞した。
第2次世界大戦終結
1946 A. Claude 遠心分離パターンの違いを利用した細胞分画法を導入し、各分画を生化学的に調べる方法を確立した。
M. Delbruck, W.T. Bailey, A.D. Hershey バクテリオファージの遺伝的組換えを証明した。
J. Lederberg, E.L. Tatum 細菌の遺伝的組換えを証明した。
J.A. Rapoport ショウジョウバエでホルムアルデヒドが突然変異誘発効果をもつと証明した。
H.J. Muller, J.B. Sumner, W.M. Stanley ノーベル賞が H.J. Muller の放射線遺伝学への貢献、 J.B. Sumnerの酵素の結晶化、W.M. Stanley のウイルスの純化と化学的性質に関する研究に対して授与された。
インフルエンザ、イタリア風邪欧州で流行(H1N1型)
1947 ニュールンベルグ綱領
ルイセンコ学説日本に紹介
1948 A. Boivin, R. Vendrely, C.Vendrely 生物の各種細胞において半数体セットの染色体当たりのDNA量は一定であることを示した。
K.K. Sanford, W.R. Earle, G.D.Likely 最初の継代可能なマウスL細胞株からサブクローン 929 の分離に成功 (NCTC clone 929, L929)。95継代後にL929をクローニング。
H.K. Mitchell, J. Lein アカパンカビでトリプトファンシンセターゼが欠けている突然変異株を発見。この発見は一遺伝子一酵素仮説の最初の直接的証拠となった。
P.A. Gorer, S. Lyman, G.D.Snell マウスの主要な組織適合性抗原の遺伝子座が第17染色体上にあることを発見し、H-2と命名した。
H.J. Muller 遺伝子量補正 (dosage compensation) という用語をつくった。
J. Lederberg, N. Zinder; B.D. Davis 生化学的に欠損のある細菌の突然変異体を単離するために、それぞれ独立に、ペニシリン選択法を開発した。
J. Clausen, D.D. Keck, W.M. Hiesey カリフォルニア州シエラネバダの垂直トランセクト(標本採取地)に生育している草本の生態型を分析し、その遺伝構造を記述した。
G.D. Snell 組織適合性遺伝子 (histocompatibility gene) という用語を導入し、移植の受け入れ、拒否の法則を組織的にまとめた。
Lysenko ルイセンコ学説がソ連生物学会の公式見解として承認された(春化処理・獲得形質の遺伝)。政治による学問の歪曲。
WHOロンドンにインフルエンザセンターを設立。後に各国に支部を置いて流行と分離ウイルウの情報交換を行う。
1949 M.M. Green, K.C. Green ショウジョウバエの lozenge 座は三つの遺伝子座に分割されることを示した。
A. Kelner 酵母において紫外線障害が可視光により回復することを発見し、光回復と呼んだ。
J.V. Neel 鎌形赤血球貧血症が常染色体性の劣性遺伝物質として単純なメンデル遺伝をすることを遺伝的に証拠立てた。
1950 B. McClintock トウモロコシの転移因子のAc系とDs系を発見した。
E. Chargaff 核酸の構造研究の基礎をつくった。DNAについてアデニンとチミングループの数は常に同数であり、グアニンとシトシングループも同様であることを証明した。これらの発見は Watson と Crick に、DNAはAとT、およびGとCの間が水素結合によって結ばれ二つのポリヌクレオチド鎖が向き合っていることを示唆した。
A. Lwoff, A. Gutman Bacillus megatherium の溶原株を研究し、細菌は非感染型のウイルスを隠し持っていること、それが新しいファージを形成する能力を宿主に与えることを示した。この非感染型のファージにプロファージという語を与えた。Lwoff は L. Siminovitch, N. Kjeldgaard らとともにプロファージが紫外線照射により感染型ウイルスを生ずることを示した。
E. M. Lederberg 大腸菌の初めてのウイルス性エピソーム、λファージを発見した。
H. Latta, J.F. Hartmann 超薄切片作成にガラスナイフの使用を導入した。
http://cellbank.nibio.go.jp/visitercenter/documents/history-0103.html
B. McClintock トウモロコシにおいて染色体断片が逆向きになると、ヘテロ個体では太糸期(pacytene)に逆位対合がしばしば現れることを明らかにした。
1932 M. Knoll, E. Ruska 現代の電子顕微鏡の原型を考案した。
1933 T.S. Painter ショウジョウバエの唾腺染色体についての細胞遺伝学的研究を開始した。
H. Hashimoto カイコガの性決定の、染色体による支配の問題を解決した。
A.W.K. Tiselius 電気泳動によって電荷を持つ分子を分離する装置を考案した。
B. McClintock 動原体を挟まない逆位をもつヘテロ個体で、逆位ループ内に一回だけの交換が起こると、無動原体と二動原体の染色分体を生ずることをトウモロコシで示した。
T.H. Morgan 遺伝子理論を発展させた功績によりノーベル賞を受賞。
? 始めてインフルエンザウイルスA型を分離(B型は1940年、C型は1949年に分離)。
世界大恐慌からの回復を狙ってニューディ-ル政策を開始。米国は公共事業投資を行った。
1934 M. Schlesinger ある種のバクテリオファージはDNAとタンパク質から成ると報告した。
P.L'Heritier, G. Teissier 何世代も集団で飼育したキイロショウジョウバエの集団から有害な遺伝子が消失することを実験的に示した。
H. Bauer ハエ幼虫の唾腺細胞の巨大染色体は多糸性染色体であると提唱した。
Lysenko 獲得形質の遺伝と品種改良についての学説を発表する(後に否定される)。
1935 J.B.S. Haldane ヒトの遺伝子について自然突然変異率を初めて計算した。
E. Klenk テイ-サックス病患者の脳に蓄積する糖脂質をガングリオシドと同定した。
F. Zernicke 位相差顕微鏡の原理を記載した。
G.W. Beadle, B. Ephrussi, A. Kuhn, A. Butenandt ショウジョウバエとコナマダラメイガ (Ephestia) の眼の色素形成に関する遺伝生化学研究を完成した。
W.M. Stanley タバコモザイクウイルスの単離と結晶化に成功した。
C.B. Bridges キイロショウジョウバエの唾腺染色体地図を発表した。
H. Spemann 胚誘導に関する研究によりノーベル賞を受賞。
1936 J.J. Bittner マウスの乳ガンは母乳を通じてウイルス様因子によって伝達されることを示唆した。
A.H. Sturtevant, T. Dobzhansky 染色体系統樹の構築に逆位を利用する方法を初めて発表した。
C. Stern ショウジョウバエの体細胞における乗換えを発見した。
R. Scott-Moncrieff 植物色素の遺伝を総説。この研究の大部分は John Innes Horticultural Institute の英国の遺伝学者らによって行われた。彼らはフラボノイドやカロテノイド色素の化学変化をひきおこす遺伝子置換個体を作出した。
1937 T. Dobzhansky 進化遺伝学の歴史的著作「遺伝および種の起源」 Genetics and the Origin of Species を出版した。
A.F. Blakeslee, A.G. Avery コルヒチンによる倍数体作成を報告した。
T.M. Sonneborn ゾウリムシにおける交配型を発見した。
F.C. Bawden, N.W. Pirie タバコモザイクウイルスは少量 (約5%) のRNAを含むタンパク質であると報告した。
P.A. Gorer 実験用マウスで組織適合性抗原を初めて発見した。
E. Chatton 細菌と藍藻を含む生物のグループを原核生物 (prokaryotes) と名づけ、その他すべての生物を真核生物(eukaryotes) と名づけて、両者の間には根本的な違いがあることを述べた。
1938 B. McClintock 染色体の架橋-切断-融合-架橋サイクルについて記述した。
T.M. Sonneborn ゾウリムシのキラー因子を発見した。
T.M. Sonneborn ゾウリムシのキラー因子を発見した。
M.M. Rhoades トウモロコシで突然変異誘発遺伝子 Dt を記述した。
米国:薬物安全性試験についての法制度確立。前年(1937年)スルファニルアミド事件による107名の死亡を得て安全性試験の必要性が認識された。
第2次世界大戦
1939 E.L. Ellis, M. Delbruck 現代のファージ研究の端緒となる大腸菌ファージの増殖に関する研究を行った。彼らは、一段成長実験法 を考案し、ファージが細菌に吸着したのち、潜伏期間中に細菌内で増殖し、最後にその子孫が一気に細菌から放出されることを示した(CalTec)。(レナート・ダルベッコもこの研究グループに参加していた)。
P. Levine, R.E. Stetson 父親由来の新しい血液型をもつ胎児によって母親が免疫されることを発見。この抗原は後に、新生児溶血性疾患の原因であるヒトRh式血液型によって同定された。
A.W.K. Tiselius, E.A. Kabat 抗体は血清のγグロブリンに属することを示した。
E. Knapp, H. Schreiber Sphaerocarpus donnelli に突然変異をひきおこす紫外線の効力は核酸の吸収スペクトルに一致することを示した。
1940 H.W. Florey, E. Chain ら ペニシリンの抽出と精製に成功した。
W.R.Earle マウスから最初の細胞株,L細胞,を樹立した(最初の連続培養可能な細胞株)。
1941 G.W. Beadle, E.L. Tatum アカパンカビの生化学的遺伝学に関する古典的研究を出版し、一遺伝子一酵素説を発表した。
J. Branchet, T. Caspersson おのおの独立に、RNAは核小体と細胞質に局在し、細胞のRNA量はタンパク質合成能力と直接的に関係しているという結論に達した。
A.H. Coons, H.J. Creech, R.N. Jones 免疫蛍光法を開発し、細胞上で抗体に反応する特殊な部位の存在を示した。
K. Mather ポリジーン (polygene) という用語をつくり、いろいろな生物で見られるポリジーン形質について述べた。
1942 R. Schoenheimer The Dynamic State of Body Constituents を出版し、代謝の研究に同位体標識化合物の利用を記載。細胞内における有機化合物の代謝プールと代謝回転の概念を導入した。
S.E. Luria, T.F. Anderson 細菌ウイルスの電子顕微鏡写真を初めて発表した。T2 は多角形の頭部と尾を持っていた。
G.D. Snell 移植の拒絶反応に関わる遺伝子を研究するため、高度に同系交配を繰返した系統(近交系)の開発を開始した。
1943 A. Claude リボソームを単離した。
S.E. Luria, M. Delbruck 細菌遺伝学の研究を始め、細菌に自然突然変異が起こることを明らかにした。
? 発育鶏卵を使って初めてA,B型インフルエンザのワクチンを作成した。
1944 O.T.Avery, C.M.MacLeod, M.McCarty 肺炎双球菌の形質転換の原理を記述した。タンパク質ではなくDNAが遺伝する性質をもつ化学的物質であることを示唆した。
1945 R.R. Humphrey サンショウウオ(両生類)の雌はヘテロ配偶子をもつことを示した。
M.J.D. White Animal Cytology and Evolutionを出版。動物の進化と細胞遺伝学における進歩をまとめた初めての研究論文である。
S.E. Luria 細菌ウイルスに突然変異が生じることを示した。
E.B. Lewis ショウジョウバエにおいて、位置効果を記述した。
A. Fleming, E.B. Chain, H.W. Florey ペニシリンの発見、精製およびその化学的性質の解明によりノーベル賞を受賞した。
第2次世界大戦終結
1946 A. Claude 遠心分離パターンの違いを利用した細胞分画法を導入し、各分画を生化学的に調べる方法を確立した。
M. Delbruck, W.T. Bailey, A.D. Hershey バクテリオファージの遺伝的組換えを証明した。
J. Lederberg, E.L. Tatum 細菌の遺伝的組換えを証明した。
J.A. Rapoport ショウジョウバエでホルムアルデヒドが突然変異誘発効果をもつと証明した。
H.J. Muller, J.B. Sumner, W.M. Stanley ノーベル賞が H.J. Muller の放射線遺伝学への貢献、 J.B. Sumnerの酵素の結晶化、W.M. Stanley のウイルスの純化と化学的性質に関する研究に対して授与された。
インフルエンザ、イタリア風邪欧州で流行(H1N1型)
1947 ニュールンベルグ綱領
ルイセンコ学説日本に紹介
1948 A. Boivin, R. Vendrely, C.Vendrely 生物の各種細胞において半数体セットの染色体当たりのDNA量は一定であることを示した。
K.K. Sanford, W.R. Earle, G.D.Likely 最初の継代可能なマウスL細胞株からサブクローン 929 の分離に成功 (NCTC clone 929, L929)。95継代後にL929をクローニング。
H.K. Mitchell, J. Lein アカパンカビでトリプトファンシンセターゼが欠けている突然変異株を発見。この発見は一遺伝子一酵素仮説の最初の直接的証拠となった。
P.A. Gorer, S. Lyman, G.D.Snell マウスの主要な組織適合性抗原の遺伝子座が第17染色体上にあることを発見し、H-2と命名した。
H.J. Muller 遺伝子量補正 (dosage compensation) という用語をつくった。
J. Lederberg, N. Zinder; B.D. Davis 生化学的に欠損のある細菌の突然変異体を単離するために、それぞれ独立に、ペニシリン選択法を開発した。
J. Clausen, D.D. Keck, W.M. Hiesey カリフォルニア州シエラネバダの垂直トランセクト(標本採取地)に生育している草本の生態型を分析し、その遺伝構造を記述した。
G.D. Snell 組織適合性遺伝子 (histocompatibility gene) という用語を導入し、移植の受け入れ、拒否の法則を組織的にまとめた。
Lysenko ルイセンコ学説がソ連生物学会の公式見解として承認された(春化処理・獲得形質の遺伝)。政治による学問の歪曲。
WHOロンドンにインフルエンザセンターを設立。後に各国に支部を置いて流行と分離ウイルウの情報交換を行う。
1949 M.M. Green, K.C. Green ショウジョウバエの lozenge 座は三つの遺伝子座に分割されることを示した。
A. Kelner 酵母において紫外線障害が可視光により回復することを発見し、光回復と呼んだ。
J.V. Neel 鎌形赤血球貧血症が常染色体性の劣性遺伝物質として単純なメンデル遺伝をすることを遺伝的に証拠立てた。
1950 B. McClintock トウモロコシの転移因子のAc系とDs系を発見した。
E. Chargaff 核酸の構造研究の基礎をつくった。DNAについてアデニンとチミングループの数は常に同数であり、グアニンとシトシングループも同様であることを証明した。これらの発見は Watson と Crick に、DNAはAとT、およびGとCの間が水素結合によって結ばれ二つのポリヌクレオチド鎖が向き合っていることを示唆した。
A. Lwoff, A. Gutman Bacillus megatherium の溶原株を研究し、細菌は非感染型のウイルスを隠し持っていること、それが新しいファージを形成する能力を宿主に与えることを示した。この非感染型のファージにプロファージという語を与えた。Lwoff は L. Siminovitch, N. Kjeldgaard らとともにプロファージが紫外線照射により感染型ウイルスを生ずることを示した。
E. M. Lederberg 大腸菌の初めてのウイルス性エピソーム、λファージを発見した。
H. Latta, J.F. Hartmann 超薄切片作成にガラスナイフの使用を導入した。
http://cellbank.nibio.go.jp/visitercenter/documents/history-0103.html