【常冬に星降るジングルベル】

 精霊の力か、ハピカトルの奇跡か、異世界の常か。
 身を切るような冷たさの風が容赦なく吹き付ける。
 眼下の遥か先まで続く断崖絶壁を、上からロープで下っていく。
 下から上へ流れていく岩肌の途中で萎びた葉を見つけ、ロープを繰る手を止めた。

 風になびく萎びた葉を掴み、コルクから栓抜きを取るようにゆっくりねじる。
 固い土の中から出てくるのは、螺旋状に捻じれた白い根。
「ぬぬぬぬ…」
 すでに二本折れて、綺麗に引き抜いた一本を風精霊の戯れに持っていかれた。
 これ以上は無駄にできない。
 ずるりずるりと意外に細く長く続いた根が、とうとう先端まで綺麗に出てきた。
「っはぁー…」
 溜めていた息を吐き出す。
 かじかむ指で、固い岩肌から綺麗に引き抜くのはなかなか骨が折れる。
 だがこの根が捻じれていれば捻じれているほど良いとされ、途中で千切れていれば商品価値は大きく下がるという。

 腰から下げた袋に入れた時、トランシーバーから呼び出し音が鳴った。
 日によっては電波が不通になる異世界だが、今日は感度良好。
「須賀洋人さん、セニサです。…えーっと、大丈夫ですか?どうぞ」
 トランシーバーの向こうからたどたどしい連絡が聞こえた。
 見上げると、崖の縁からセニサが心配そうに覗きこむのが小さく見えた。
「こちら須賀洋人、これから戻る。アウト」
 おそらく根がここまで育つには長い時間が掛かるだろう。むやみに採る訳にいかない。
 というか正直、指が限界だった。
 岩肌の隙間に指をかけて、降りてきた壁を登っていく。

 分厚い雪化粧で覆われた崖の上。命綱を結んだ大きな針葉樹の根元で、セニサが湯を沸かしていた。
 今日は赤ずきんのように真っ赤なショートケープを羽織って、指抜きの黒い靴下を履いている。
「お疲れ様です、どうぞ」
 差し出された温かな豆茶を受け取ると、冷え切った顔や指に急速に神経が戻ってくる。
「はー、助かった。これを次の街で買い取ってもらえば、少しは旅費の足しになるかな?」
「高級食材の螺根(らこん)が取れるなんて…凄いです」
「手付かずだったよ。この辺の空は飛ぶのは危ないし、螺根のためだけにここまで歩いて来るのは割に合わないんだろうな」
「それでも採るのは大変だったんじゃないですか?私は何も手伝えなかったから…」
「ここで命綱を守ってくれてた。だから安心してこれだけ取れたんだ」
 えへへと笑うその顔は、寒さのせいか少し赤かった。


「にしても、こんな時期に雪山登山とはな」
 須賀洋人さんが周囲の青々と生い茂った風景を見ながら感嘆していた。
 確かに周囲と比べても、決して高い山ではない。
 にも関わらずここは年中冷たい空気が吹き溜まり、雪が降り積もる常冬の山。
 精霊の流れか、ハピカトルの気まぐれか。理由は誰も知らないが、時々こうして季節を忘れた場所がある。
「オルニトですから…でも確かに、まるで魔女ディアマンテがいるみたいですね」
「魔女?」
イストモスのお話に出てくる、川をも凍らす冬山の魔女ですよ」
「それは恐ろしいな」
「そうですね、いなくて良かった…」

「良かったと思ってしまったのです」
 旅の途中、主人トールスが出会ったエルフの御嬢さんと親しくなる様子に女性従者ウーフはやきもきしていた。
 村を離れる日、「それでは私はまた一人」と彼女が言えば、若き騎士はかぶりをふった。
 ウーフはドキリとした。まさか。
「こんなに素敵な家族がいるではありませぬか」
 そう。彼女の足元には何人もの精霊が踊りを踊っておったそうだ。
 そう続けた主人の言葉に安堵したと同時に、そんな自分を恥じたウーフが、星神に懺悔するように自らの胸中を告白する。
 そんな台詞を、不意に思い出す。
「どうかした?」
「えっ?…ああいえ、いなくて良かったです」

「そ、それより地球はどうなんですか?何か冬の話とか」
「地球の冬の話かー」
 彼は座ったまま寄りかかった大きな樹を見上げる。
「この針葉樹、クリスマスツリーを思い出すな」
「クルス…マスク?」
「クリスマス。地球のお祝い事で、年末になるとこういう樹に光り物を飾り付けるんだよ。ツリーどころか、辺り一帯を電気の光で飾ったりしてさ」
「街を光で…なんだか凄いですね」
 どれだけ複雑なルーンと、大規模な精霊寄せが要ることだろう。
「そうだ、やってみるかクリスマス」
「え?」


「ハイヨー、シルバー!」
 カウボーイの投げ縄の要領で木の頂上にロープの輪をかける。
 ロープを持ったまま、ぐるぐると木の周りを大きく円を描いて走り回り、螺旋状に巻き付けた。
 ロープの端を雪に埋めると、周囲の真っ白なキャンバスにセニサがルーン回路を描いていく。
「てっぺんに金色の大きな飾りがあって、周囲は色とりどりの光が一定間隔だから…」
 複雑なルーン回路を、いつも通りすらすらと描き上げていく。
「相変わらず鮮やかに書くもんだな」
「全部ルーンで書かなくても、こういう風にロープをかけてここを通ってくださいと書けば、伝わるんですよ。それより問題は光精霊ですけど…」
 空っ風の吹く山の中腹に、光る物は何もない。日が当たればキラキラと光る雪面も、この曇り空の下では薄い灰色。

 セニサが翼で持った鈴を鳴らすのに合わせて、手に持ったヘッドライトを点滅させる。
「ジングルベール、ジングルベール…って、ここじゃ通じないか」
「でも、楽しそうな歌なのは分かりますよ」
 日が暮れるまで二人で光精霊を呼び続けた。集まったのは7、8体ほどの光精霊。
 セニサの合図でルーン回路からロープを伝って昇っていく。寒さのせいか、皆どこか動きが鈍い。
 先頭の光精霊が木のてっぺんに鎮座し、残りの精霊がロープ上に一定間隔で並ぶと、蛍のようにぼうっと明滅し始めた。
「わあ、これがクリスマスツリー…」
 星もない寒空の下で、ぽつんと光る樹は余計寂しく見えた。
「…クリスマスツリーにはちょっと物足りないな」
「しょうがないですよ。光精霊や火精霊の苦手な場所でしょうから」


「来てくれただけでもありがたい、か。今日が本当にクリスマスだったら、サンタさんにお願いできたんだけどなあ」
「サンタさん?誰ですか?」
「地球のクリスマスの夜はな、サンタクロースって真っ白な髭のお爺さんが空飛ぶトナカイのソリに乗って、世界中の子供達が寝ている間にプレゼントを配って回るんだ」
「ああ、いつもみたいな伝説の存在」
「いやいやサンタさんは本物だぞ。俺も子供の頃はプレゼントを貰ったし」
「そうなんですか?」
「会った事はないけど、いつの間にか枕元にプレゼントが置かれててな。朝起きて、それを見つける瞬間がワクワクでさ…」
 とんでもない落し物か嵐ばかりくれるハピカトルに比べて、なんと親切な神様だろうか。
「でも、私だってもうそんな子供じゃありませんからきっとサンタさんは…」
 その時上空を何かが通り過ぎて、一陣の風が吹いた。

 山の上に舞い降りたのは、新雪のように純白のグリフォン
 長く美しい毛並みがゆらゆらと逆立っている。
 乾燥した上空を飛んでいたのか、よく見ると静電気状態の光精霊を大量に引き連れていた。
 ギラギラと輝く金色の瞳でこちらを見据えていたが、突然頭を振り上げて真っ白な胸を膨らませる。
 ふと前脚で体と対照的に黒焦げになった何かの肉を掴んでいる事に気が付いた。
「伏せろ!」
 言うより速く、肩と頭を掴まれる。
「え…きゃあ!?」
 雪の中に押し倒された瞬間、鋭い咆哮と雷鳴が炸裂した。


 轟音が鳴り止み、静まり返る。
 大きな針葉樹の保護範囲にいたおかげか、とにかく感電はしなかった。
 雪に顔を埋めたまま様子を伺っていたが、やがて手で押さえた頭がじたばた揺れだした。
「「ぷはっ!」」
 雪のように舞う光。
 顔を上げると、エネルギーを放出した光精霊が穏やかな明かりとなって、辺り一面に降り注いでいた。
「わぁぁ…」
 今度はセニサが子供のように金色の目を輝かせて、無邪気に鈴を振る。
 弾む音色に応えて降り注ぐ星々は瞬き、光精霊に満ちたクリスマスツリーは眩しい虹色の光を放った。
 野生で育ったグリフォンが人に馴れる事はない。いつの間にか白い羽根だけを残して、静かに山頂へ姿を消した。


「この世界でも、サンタさんは来てくれるもんだな」
「あれはグリフォンで、サンタさんじゃありま…」
 降り注ぐ星の中、振り返ると真っ白な髭面。
 倒れこんだ時雪をいっぱい付けた地球人の顔が、ノームみたいになっていた。
「ふふっ…本当ですね」
「え、何?」
 きょとんとした顔を、翼で優しく払う。
 この世界に騎士トールスや魔女ディアマンテはいないけれども。
「私に素敵な冒険をくれた、季節外れのサンタさんがいます」
 雪を取ったサンタクロースの顔は、少しだけ赤かった。


トールスとウーフについてリンク先と異なる伝承パターンの本から引用しているため、一部表現の異なる箇所がございます。
ご了承ください。

  • 毎回ピックアップする異世界要素や題材が秀逸。二人の男女関係とまでいかないような微妙な距離感はやはり種族が違うから? -- (名無しさん) 2017-12-29 00:25:34
  • 疲労しきった心のまま読んだらあまりのむずがゆさに身悶えたわ。しっかり旅している感あっていいね -- (名無しさん) 2017-12-30 00:14:09
  • 感想頂いた皆様ありがとうございます。意識して書いた距離感を感じ取って頂けるのは嬉しい限りです。色々な要因があっての距離感だと思いますが、種族・世界の違いが思わぬ影響を与えているのかもしれませんね -- (書いた人) 2018-05-06 18:00:10
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最終更新:2018年11月14日 00:00