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13 夏の匂い
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meteor089
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13 夏の匂い
朝起きて窓を開けたら、ラベンダーの優しい香りが部屋の中まで漂って来た。
教会の周りに毎年咲く、早咲きのラベンダーが、もう花開いているのかも知れない。
私は思わず目を閉じ、香りを体中で感じようとした。
――もう、夏がそこまで来ているのね……。
バスルームで顔を洗った後、パジャマを脱いで、母さんが縫ってくれた
ノースリーブのワンピースを着てみた。
綺麗な空色のワンピースで、コットンの肌触りがひんやりしていて心地いい。
髪を結んで、部屋履きからサンダルを履き替え、一階のダイニングルームまで小走りに降りていく。
「おはよう、ゼシカ」
ダイニングルームの大きなテーブルには、母さんが席に付いて、朝食が出来上がるのを待っている。
私は「おはよう!」と言って、母さんの向かいの席に座った。
メイドたちが焼きたてのパンとスープ、そしてサラダを持ってきて、私たちの目の前に置いてくれた。
「いただきまーす」
私は小さなバケットを半分にちぎり、バターを塗って食べていた。
焼きたての温かさと香りが口の中に広がってゆく。
美味しいくって、私は思わずニコニコしてしまったわ。
ふと目の前にいる母さんを見たら、食事をせずに、ただ私を微笑んで見つめていたのよね。
「……どうしたの、母さん。食べないの?」
私の問いかけに、母さんは目を細めて答えた。
「そのワンピース、似合ってよかった、と思っていたのよ」
「ああ、これ……」
「ちょっと大人っぽいかしらって思ってたのよね……。旅に行く前のあなたは、サーベルトにちょこまかと
ついて歩いてばっかりいて……ちょっと子供っぽいところがあったから」
私はちょっとムッとしたわ。「子供っぽい」っていう言葉に反応しちゃったのよね。
母さんはスープを一口だけ口にすると、話を続けた。
「でも、旅から帰ってきたあなたは、まるで見違えたようだったわ!すっかり大人になって帰ってきて……
わがままなところがあったのに、人をきちんと思いやれるようになってたんですもの。
家のメイドたちも、すっかりあなたのことを見直したのよ」
私は母さんの話を聞きながら、サラダのトマトを一切れ、ぱくっと食べた。
「メイドたちだけじゃないわ……村の人たちがみんな噂してるのよ。
ゼシカが突然大人っぽく、女性らしくなって帰って来たから……
本当にあなたは綺麗になって帰ってきたんですもの」
母さんはサラダにドレッシングをかけながら、話し続けている。
「ねぇ……誰か好きな人でもいるの?もしそうなら、一度家に呼んで……」
「――ごちそうさま!」
私は母さんの言葉を断ち切るように、椅子から立ち上がり、口元をナプキンで拭いた。
「……兄さんのお墓と、塔の辺りの見回りに行ってきます」
そう言って母さんに背を向け、部屋を出ようとした。
すると母さんが「待って!」と立ち上がり、私の後ろまで追いかけてきたのよ。
「もしゼシカに好きな人がいないのならね……ぜひ紹介したい人がいるのよ。
今日の午後、ここへお呼びしようかと思っているの。ある国の名家のご子息でね……。
サザンビークのラグサットさんとの婚約は無くなってしまったけど、今度はあなたも納得して……」
「……母さん」
私は母さんに背を向けたままで言った。
「私……結婚なんかしないわよ」
「何言ってるの?あなたはこのアルバート家唯一の後継者なのよ!そのあなたがこの家を継がなきゃ――」
「いってきます!」
母さんの話を無理やり振り切り、私は足早に玄関へ向かった。
教会の横にあるサーベルト兄さんのお墓へ行くと、ポルクのおばあちゃんがお墓の前に立っていた。
「おはようございます!」
私がおばあちゃんの後ろから挨拶をすると、おばあちゃんは私の方へ振り向き、
皺だらけの顔をもっとしわくちゃにするように、笑顔になったわ。
「おや、ゼシカお嬢様、おはようございます」
おばあちゃんの横に立って、私は家の周りで摘んできた花をお墓の花立に挿し、
目を閉じて、おばあちゃんと一緒に祈りを捧げた。
祈りを止め、目を開けてふと隣を見ると、おばあちゃんが私をじっと見ていた。
「おばあちゃん、どうしたの?」
おばあちゃんのいつもの優しい顔のままではあったけど……妙に真剣な眼差しだったのよね。
「ゼシカお嬢様……何か……辛いことでもあるのかい?」
「……え……?」
私はおばあちゃんの突然の言葉にドキッとしてしまい、思わずおばあちゃんから目を逸らした。
「村のもんはみんなゼシカお嬢様を『綺麗になった』と言って噂しとるけど……
わたしにはゼシカお嬢様が、何かに苦しんでいるようにしか見えないのですよ」
おばあちゃんはそう言うと、少し目を伏せた。
そして兄さんのお墓の前にしゃがみこみ、お墓の前に生えていた雑草を抜き取り始めた。
「まぁ……もし何かあったら、わたしにでも相談してくだされや。
こんな婆ぁですが、何かのお役には立ちますでしょうよ」
おばあちゃんはそう言うと、顔を上げ、私に微笑んでくれた。
私もつられて笑顔になってしまう。
「……ありがとう、おばあちゃん」
私はおばあちゃんに別れを告げ、村の入り口へと向かった。
村の入り口の辺りでは、ポルクとマルクがいつものように見回りをしてくれていた。
男手が足りないこんな小さな村では、遊びの延長とはいえ、小さな子供も十分な見張り番になるのよね。
「あっ、ゼシカ姉ちゃん!」
私を見つけたマルクが声を上げた。
ポルクも私の姿を見て、マルクと一緒に私の元へと駆け寄ってきたわ。
私は二人の目線に合うようにしゃがんで、二人の頭を撫でた。
「あんたたち、今日もちゃんと見回りしておくのよ!」
私の言葉に、ポルクが顔いっぱいに笑みを広げて答えた。
「うん!ゼシカ姉ちゃんは、塔の見回り?」
「そうよ」
「最近さ、塔の周りや中にに魔物が増えてるっていうから、気をつけてよ!」
「はいはい、ありがと!」
リーザス塔までは、小走りで行くと私の足でも10分もかからず行ける距離なのよ。
私は息を切らさない程度に走って、塔の前門まで辿り着いたわ。
そして門の扉を押し上げて、塔の前庭に入った。
塔の周りの、膝丈ほどに生え揃った草むらには、色とりどりの野花が咲いていた。
ポピー、千鳥草、タンポポ、撫子に黒種草……。
ゆっくり奥へと歩みを進めていくと、サンダルを履いた素足にさらさらと草が当たり、何だかとてもくすぐったい。
そのまま塔を昇っていくと、途中ではポルクの言ってた通り、確かに少し魔物が増えていたようだった。
でも鞭で簡単に追い払える程度だったから、大したこと無いみたい……。
塔の最上階へ着くと、私はリーザス像の前へ進み出た。
リーザス像の瞳には、美しい赤い色の宝石がはめ込まれていて、太陽の光を受けてキラキラと輝いている。
この宝石は……グラン・スピネルを使わせてもらったお礼にって、
ハワードさんが村に寄付してくれたものなのよね……。
私はリーザス像に向かい、ご先祖様であるリーザス様と、
この場所で亡くなった兄さんのために祈りを捧げたわ。
お祈りを終えると、私は塔をゆっくりと降りていった。
塔を降りる時、私は前門へ向かう出口へは向わず、もう一つの出口の方へ向った。
そこから塔の裏手に出た私は、花の咲き誇る草むらの上にごろんと体を横たえた。
仰向けになった私の目の前には、雲ひとつない青空が広がっていたわ。
こんな空を見ていると、トロデーン城が復活したあの日の空――
レティスを見送りながら見上げた空を思い出しそうだった。
澄んだ青い空に、レティスとその子供の魂が、白い光の筋を二つ描いて飛んでいったあの日――。
あれは……秋の終わりのことだったのよね……。
リーザス村に帰ってきて以来、旅で使った服や道具は全て、
クローゼットの奥に仕舞い込んだままになっている。
――旅のことは、もう思い出さないように……って……。
すうーっと息を深く吸うと、撫子の甘酸っぱい匂いが私を包み込んでいく。
一輪、撫子を摘み取り、匂いを嗅いでみた。
甘い香りが体中に広がり、私は突然ゾクっと首筋に走るものを感じた。
――ククール……。
最後に別れたあの日、彼が残した感触は……まだ消えない。
時間が経てば、忘れてしまって、こんな感触もすぐに消え去ってしまうと思ってたわ。
……でも……この感触は薄れもせず、かえって強まっていくばかりで……ずっと私の心を縛り続けてる。
ククールが唇を付けた跡にあわせて、指先で首筋をそっとなぞってみる。
また首筋に稲妻のような感覚が走った。
体が、不気味なくらいに熱くなる。
私はゆっくり息を整えて、その感覚を遠ざけようとした。
すると次第に、あの日からずっと思い続けている後悔の気持ちが、心に押し寄せて来たのよ。
――あの最後の日、リーザス村の前で、どうして言えなかったの?
ただ、「一緒にいて」って一言、言えばよかったのに。
……それだけで、よかったのに……。
……彼がベルガラックにいるっていうのは判ってるんだもの、
キメラの翼を使えば、いつだって会いに行ける――最初の頃はそう思ってたわ。
でも、何の理由もなく会いに行く勇気は……私には、無かった。
……もし行ったとしても、いろいろ誘惑の多いベルガラックだもの、ククールはきっとあの町の女の人たちと
一緒にいるに違いないし、そんな彼を見てしまったら……。
そう、私は……ずっと嫉妬しているのよ。
何の衒いもなく、ククールと話したりベタベタしたり出来る女の人たち……みんなに……ね。
私は彼女たちみたいに、そういうことが……出来ない。
自分からククールを求めることを、心の中にいる別の私が必死に抑えてる――。
「アルバート家の娘として育ったこの私が、そんなはしたないことをするの?」
「大体最初に私に言い寄って来たのはククールの方でしょ?
それなのになんで私から彼を追いかけなきゃいけないの?」って……。
そういうのをプライドって言うなら……バカバカしいわよね。
本当は彼女たちのように、ククールを追いかけ、しがみついて、離れたくないくせに……笑っちゃうわ。
だから、いつか彼の方から会いに来てくれるかもしれない――
そんな勝手な期待を抱いたりしたりもしたのよ。
でも、それは結局、私の都合のいい思い込みに過ぎなかった。
そんな風に、ただ物思いに耽って過ごすだけの毎日――。
そしたら、いつのまにか、夏が巡って来ようとしている……のね。
今、私に起こっているのは……彼にずっと会えずにいる、っていうことだけよ。ほんとにそれだけ。
たったそれだけのこと……じゃない?
それなのに……こんなにも……苦しい。
教会の周りに毎年咲く、早咲きのラベンダーが、もう花開いているのかも知れない。
私は思わず目を閉じ、香りを体中で感じようとした。
――もう、夏がそこまで来ているのね……。
バスルームで顔を洗った後、パジャマを脱いで、母さんが縫ってくれた
ノースリーブのワンピースを着てみた。
綺麗な空色のワンピースで、コットンの肌触りがひんやりしていて心地いい。
髪を結んで、部屋履きからサンダルを履き替え、一階のダイニングルームまで小走りに降りていく。
「おはよう、ゼシカ」
ダイニングルームの大きなテーブルには、母さんが席に付いて、朝食が出来上がるのを待っている。
私は「おはよう!」と言って、母さんの向かいの席に座った。
メイドたちが焼きたてのパンとスープ、そしてサラダを持ってきて、私たちの目の前に置いてくれた。
「いただきまーす」
私は小さなバケットを半分にちぎり、バターを塗って食べていた。
焼きたての温かさと香りが口の中に広がってゆく。
美味しいくって、私は思わずニコニコしてしまったわ。
ふと目の前にいる母さんを見たら、食事をせずに、ただ私を微笑んで見つめていたのよね。
「……どうしたの、母さん。食べないの?」
私の問いかけに、母さんは目を細めて答えた。
「そのワンピース、似合ってよかった、と思っていたのよ」
「ああ、これ……」
「ちょっと大人っぽいかしらって思ってたのよね……。旅に行く前のあなたは、サーベルトにちょこまかと
ついて歩いてばっかりいて……ちょっと子供っぽいところがあったから」
私はちょっとムッとしたわ。「子供っぽい」っていう言葉に反応しちゃったのよね。
母さんはスープを一口だけ口にすると、話を続けた。
「でも、旅から帰ってきたあなたは、まるで見違えたようだったわ!すっかり大人になって帰ってきて……
わがままなところがあったのに、人をきちんと思いやれるようになってたんですもの。
家のメイドたちも、すっかりあなたのことを見直したのよ」
私は母さんの話を聞きながら、サラダのトマトを一切れ、ぱくっと食べた。
「メイドたちだけじゃないわ……村の人たちがみんな噂してるのよ。
ゼシカが突然大人っぽく、女性らしくなって帰って来たから……
本当にあなたは綺麗になって帰ってきたんですもの」
母さんはサラダにドレッシングをかけながら、話し続けている。
「ねぇ……誰か好きな人でもいるの?もしそうなら、一度家に呼んで……」
「――ごちそうさま!」
私は母さんの言葉を断ち切るように、椅子から立ち上がり、口元をナプキンで拭いた。
「……兄さんのお墓と、塔の辺りの見回りに行ってきます」
そう言って母さんに背を向け、部屋を出ようとした。
すると母さんが「待って!」と立ち上がり、私の後ろまで追いかけてきたのよ。
「もしゼシカに好きな人がいないのならね……ぜひ紹介したい人がいるのよ。
今日の午後、ここへお呼びしようかと思っているの。ある国の名家のご子息でね……。
サザンビークのラグサットさんとの婚約は無くなってしまったけど、今度はあなたも納得して……」
「……母さん」
私は母さんに背を向けたままで言った。
「私……結婚なんかしないわよ」
「何言ってるの?あなたはこのアルバート家唯一の後継者なのよ!そのあなたがこの家を継がなきゃ――」
「いってきます!」
母さんの話を無理やり振り切り、私は足早に玄関へ向かった。
教会の横にあるサーベルト兄さんのお墓へ行くと、ポルクのおばあちゃんがお墓の前に立っていた。
「おはようございます!」
私がおばあちゃんの後ろから挨拶をすると、おばあちゃんは私の方へ振り向き、
皺だらけの顔をもっとしわくちゃにするように、笑顔になったわ。
「おや、ゼシカお嬢様、おはようございます」
おばあちゃんの横に立って、私は家の周りで摘んできた花をお墓の花立に挿し、
目を閉じて、おばあちゃんと一緒に祈りを捧げた。
祈りを止め、目を開けてふと隣を見ると、おばあちゃんが私をじっと見ていた。
「おばあちゃん、どうしたの?」
おばあちゃんのいつもの優しい顔のままではあったけど……妙に真剣な眼差しだったのよね。
「ゼシカお嬢様……何か……辛いことでもあるのかい?」
「……え……?」
私はおばあちゃんの突然の言葉にドキッとしてしまい、思わずおばあちゃんから目を逸らした。
「村のもんはみんなゼシカお嬢様を『綺麗になった』と言って噂しとるけど……
わたしにはゼシカお嬢様が、何かに苦しんでいるようにしか見えないのですよ」
おばあちゃんはそう言うと、少し目を伏せた。
そして兄さんのお墓の前にしゃがみこみ、お墓の前に生えていた雑草を抜き取り始めた。
「まぁ……もし何かあったら、わたしにでも相談してくだされや。
こんな婆ぁですが、何かのお役には立ちますでしょうよ」
おばあちゃんはそう言うと、顔を上げ、私に微笑んでくれた。
私もつられて笑顔になってしまう。
「……ありがとう、おばあちゃん」
私はおばあちゃんに別れを告げ、村の入り口へと向かった。
村の入り口の辺りでは、ポルクとマルクがいつものように見回りをしてくれていた。
男手が足りないこんな小さな村では、遊びの延長とはいえ、小さな子供も十分な見張り番になるのよね。
「あっ、ゼシカ姉ちゃん!」
私を見つけたマルクが声を上げた。
ポルクも私の姿を見て、マルクと一緒に私の元へと駆け寄ってきたわ。
私は二人の目線に合うようにしゃがんで、二人の頭を撫でた。
「あんたたち、今日もちゃんと見回りしておくのよ!」
私の言葉に、ポルクが顔いっぱいに笑みを広げて答えた。
「うん!ゼシカ姉ちゃんは、塔の見回り?」
「そうよ」
「最近さ、塔の周りや中にに魔物が増えてるっていうから、気をつけてよ!」
「はいはい、ありがと!」
リーザス塔までは、小走りで行くと私の足でも10分もかからず行ける距離なのよ。
私は息を切らさない程度に走って、塔の前門まで辿り着いたわ。
そして門の扉を押し上げて、塔の前庭に入った。
塔の周りの、膝丈ほどに生え揃った草むらには、色とりどりの野花が咲いていた。
ポピー、千鳥草、タンポポ、撫子に黒種草……。
ゆっくり奥へと歩みを進めていくと、サンダルを履いた素足にさらさらと草が当たり、何だかとてもくすぐったい。
そのまま塔を昇っていくと、途中ではポルクの言ってた通り、確かに少し魔物が増えていたようだった。
でも鞭で簡単に追い払える程度だったから、大したこと無いみたい……。
塔の最上階へ着くと、私はリーザス像の前へ進み出た。
リーザス像の瞳には、美しい赤い色の宝石がはめ込まれていて、太陽の光を受けてキラキラと輝いている。
この宝石は……グラン・スピネルを使わせてもらったお礼にって、
ハワードさんが村に寄付してくれたものなのよね……。
私はリーザス像に向かい、ご先祖様であるリーザス様と、
この場所で亡くなった兄さんのために祈りを捧げたわ。
お祈りを終えると、私は塔をゆっくりと降りていった。
塔を降りる時、私は前門へ向かう出口へは向わず、もう一つの出口の方へ向った。
そこから塔の裏手に出た私は、花の咲き誇る草むらの上にごろんと体を横たえた。
仰向けになった私の目の前には、雲ひとつない青空が広がっていたわ。
こんな空を見ていると、トロデーン城が復活したあの日の空――
レティスを見送りながら見上げた空を思い出しそうだった。
澄んだ青い空に、レティスとその子供の魂が、白い光の筋を二つ描いて飛んでいったあの日――。
あれは……秋の終わりのことだったのよね……。
リーザス村に帰ってきて以来、旅で使った服や道具は全て、
クローゼットの奥に仕舞い込んだままになっている。
――旅のことは、もう思い出さないように……って……。
すうーっと息を深く吸うと、撫子の甘酸っぱい匂いが私を包み込んでいく。
一輪、撫子を摘み取り、匂いを嗅いでみた。
甘い香りが体中に広がり、私は突然ゾクっと首筋に走るものを感じた。
――ククール……。
最後に別れたあの日、彼が残した感触は……まだ消えない。
時間が経てば、忘れてしまって、こんな感触もすぐに消え去ってしまうと思ってたわ。
……でも……この感触は薄れもせず、かえって強まっていくばかりで……ずっと私の心を縛り続けてる。
ククールが唇を付けた跡にあわせて、指先で首筋をそっとなぞってみる。
また首筋に稲妻のような感覚が走った。
体が、不気味なくらいに熱くなる。
私はゆっくり息を整えて、その感覚を遠ざけようとした。
すると次第に、あの日からずっと思い続けている後悔の気持ちが、心に押し寄せて来たのよ。
――あの最後の日、リーザス村の前で、どうして言えなかったの?
ただ、「一緒にいて」って一言、言えばよかったのに。
……それだけで、よかったのに……。
……彼がベルガラックにいるっていうのは判ってるんだもの、
キメラの翼を使えば、いつだって会いに行ける――最初の頃はそう思ってたわ。
でも、何の理由もなく会いに行く勇気は……私には、無かった。
……もし行ったとしても、いろいろ誘惑の多いベルガラックだもの、ククールはきっとあの町の女の人たちと
一緒にいるに違いないし、そんな彼を見てしまったら……。
そう、私は……ずっと嫉妬しているのよ。
何の衒いもなく、ククールと話したりベタベタしたり出来る女の人たち……みんなに……ね。
私は彼女たちみたいに、そういうことが……出来ない。
自分からククールを求めることを、心の中にいる別の私が必死に抑えてる――。
「アルバート家の娘として育ったこの私が、そんなはしたないことをするの?」
「大体最初に私に言い寄って来たのはククールの方でしょ?
それなのになんで私から彼を追いかけなきゃいけないの?」って……。
そういうのをプライドって言うなら……バカバカしいわよね。
本当は彼女たちのように、ククールを追いかけ、しがみついて、離れたくないくせに……笑っちゃうわ。
だから、いつか彼の方から会いに来てくれるかもしれない――
そんな勝手な期待を抱いたりしたりもしたのよ。
でも、それは結局、私の都合のいい思い込みに過ぎなかった。
そんな風に、ただ物思いに耽って過ごすだけの毎日――。
そしたら、いつのまにか、夏が巡って来ようとしている……のね。
今、私に起こっているのは……彼にずっと会えずにいる、っていうことだけよ。ほんとにそれだけ。
たったそれだけのこと……じゃない?
それなのに……こんなにも……苦しい。
こめかみに、水滴が流れ落ちるような感覚があった。私は知らないうちに、泣いていた。
「ゼシカねーーーちゃああーーん!!」
突然ポルクの叫び声が聞こえ、私はびっくりして体を起こした。
涙を急いで手で拭い、塔の前門まで走って行くと、ポルクが焦ったように駆けて来た。
「ど、どうしたの?ポルク……」
私が尋ねると、ポルクはぜいぜい息を切らしながら答えた。
「とろ……トロなんとかっていうお城から……ゼシカ姉ちゃんに用が……あるって人が……来たんだよ!」
「……え?」
それってきっと……トロデーン城のことよね?
私はポルクと一緒にリーザス村まで急いで帰り、家に戻ると、
玄関にいたメイドがほっとしたような顔で私を迎えた。
「お、お嬢様!急いでお二階へ!北にあるトロデーン城から、国王陛下の使いの方がいらしてますよ!」
私はポルクへいつもの見回りに戻るように伝え、メイドに案内されながら階段を駆け上った。
二階へ行くと、兵士の格好をした初老の男性がお客様用の椅子に座り、
その向かい合わせにある椅子に母さんが座っていた。
私はその男性に挨拶をして、母さんの隣の椅子に腰掛けた。
その人は、私宛にトロデ王からの手紙を預かって来ていたのよ。
――ミーティア姫様がサザンビーク王国のチャゴス王子と、近々サヴェッラ大聖堂で結婚式を挙げること。
教会までの道のりの警護を、私たち旅の仲間にお願いしたいこと。
その警護が、近衛隊長に昇進したエイトの初仕事であること……。
手紙にはそういったことが達筆な字で書かれていて、数枚のキメラの翼が添えられていた。
手紙を読み終えた私に、トロデ王の使いの人はうやうやしく言った。
「陛下と旅をご一緒された、他のお二人からは既にご協力いただけるとのお返事を頂いております。
ゼシカ様からも出来れば今お返事を伺い、国王陛下にお知らせしたいと思っておりますので……」
他の二人……ヤンガスとククール……。
ククールに……会える……?
私は自分の鼓動が、飛び跳ねるみたいに高鳴っていくのを感じていた。
使いの人に返事も出来ず、ただトロデ王からの手紙をぎゅっと握り締めている私を見て、
母さんが突然口を開いた。
「……行ってみたらどう?あの旅から戻ってきてから、あなたはずっと暗い顔をしているものだから、
私も少し不安だったのよ。旅をご一緒したみなさんに、久々に会って来たら?
国王陛下も王女様も、待ち望んでいらっしゃるご様子よ?」
「……でも、私がいないと、この村の警備も大変だし……」
私は思いつきの言い訳を口にした。すると母さんは、まるでそれを見透かしたかのように、クスッと笑った。
「それなら心配要らないわ。ほら、午後からあなたに会いに来る男性――
テオドールさんとおっしゃるんだけど…… その方にあなたのいない間、
この村の見回りやいろんなことをお願いしてもいいと思っているのよ。……どうかしら?」
そんな母さんの言葉に諭されながらも、私はまだ迷っていたわ。
会いたい人に会えるチャンスだっていうのに、「会いたくない」って叫んでる自分が、心の隅にいる――。
ククールに会えないだけで、こんなに打ちのめされている自分を……彼に見せたくなかった。
「どう……いたしますか?」
使いの人は、私を急かすように問いかけて来た。
母さんは私の肩に手を置き、静かに囁いた。
「気分転換……と思えばいいのよ。陛下や王女様には失礼かも知れないけど……」
母さんの言葉に、私はこくんと頷いた。
私はやっとの思いで使いの人へ顔を向け、返事をした。
「……分かりました。トロデ王……国王陛下に、協力させていただくと伝えてください」
◇
夕方も近くなったその日の午後に、例のテオドールという男がやって来た。
……何なの、こいつ?
ラグサットといい、こいつといい、母さんの男の人を見る目って……どうなっちゃってんの?
私より少し身長が高いぐらいで、ガリガリのやせっぽっちで、
顔は……サザンビークのチャゴス王子よりは少しマシ……いいえ、どっこいどっこい……だし。
服のセンスもラグサットに負けず劣らずでアレだし……。
一応年齢は20歳だって言うけど……どう見てもヤンガスよりもずーっと年上に見える……。
そいつはうちの玄関で私に会うなり、いきなり私の右手を取って片膝を付いた。
「はじめまして、ゼシカさん!オークニスの町長の息子のテオドールと申します!
……いやぁ、光栄だなぁ……あなたのようなボン、キュッ……じゃなく、
あなたのような馨しいほどの美しく聡明な方にお会い出来るなんて……。今夜は眠れそうにありませんよ!」
――一生寝ずに過ごしたら?……っていう言葉が喉のすぐそこまで出かかったけど……必死で我慢したわ。
とりあえず気持ち悪かったから、すぐにそいつから手を離したわよ!
後ろを振り向くと、母さんがニコニコ顔で私を見ていた。
「ゼシカねーーーちゃああーーん!!」
突然ポルクの叫び声が聞こえ、私はびっくりして体を起こした。
涙を急いで手で拭い、塔の前門まで走って行くと、ポルクが焦ったように駆けて来た。
「ど、どうしたの?ポルク……」
私が尋ねると、ポルクはぜいぜい息を切らしながら答えた。
「とろ……トロなんとかっていうお城から……ゼシカ姉ちゃんに用が……あるって人が……来たんだよ!」
「……え?」
それってきっと……トロデーン城のことよね?
私はポルクと一緒にリーザス村まで急いで帰り、家に戻ると、
玄関にいたメイドがほっとしたような顔で私を迎えた。
「お、お嬢様!急いでお二階へ!北にあるトロデーン城から、国王陛下の使いの方がいらしてますよ!」
私はポルクへいつもの見回りに戻るように伝え、メイドに案内されながら階段を駆け上った。
二階へ行くと、兵士の格好をした初老の男性がお客様用の椅子に座り、
その向かい合わせにある椅子に母さんが座っていた。
私はその男性に挨拶をして、母さんの隣の椅子に腰掛けた。
その人は、私宛にトロデ王からの手紙を預かって来ていたのよ。
――ミーティア姫様がサザンビーク王国のチャゴス王子と、近々サヴェッラ大聖堂で結婚式を挙げること。
教会までの道のりの警護を、私たち旅の仲間にお願いしたいこと。
その警護が、近衛隊長に昇進したエイトの初仕事であること……。
手紙にはそういったことが達筆な字で書かれていて、数枚のキメラの翼が添えられていた。
手紙を読み終えた私に、トロデ王の使いの人はうやうやしく言った。
「陛下と旅をご一緒された、他のお二人からは既にご協力いただけるとのお返事を頂いております。
ゼシカ様からも出来れば今お返事を伺い、国王陛下にお知らせしたいと思っておりますので……」
他の二人……ヤンガスとククール……。
ククールに……会える……?
私は自分の鼓動が、飛び跳ねるみたいに高鳴っていくのを感じていた。
使いの人に返事も出来ず、ただトロデ王からの手紙をぎゅっと握り締めている私を見て、
母さんが突然口を開いた。
「……行ってみたらどう?あの旅から戻ってきてから、あなたはずっと暗い顔をしているものだから、
私も少し不安だったのよ。旅をご一緒したみなさんに、久々に会って来たら?
国王陛下も王女様も、待ち望んでいらっしゃるご様子よ?」
「……でも、私がいないと、この村の警備も大変だし……」
私は思いつきの言い訳を口にした。すると母さんは、まるでそれを見透かしたかのように、クスッと笑った。
「それなら心配要らないわ。ほら、午後からあなたに会いに来る男性――
テオドールさんとおっしゃるんだけど…… その方にあなたのいない間、
この村の見回りやいろんなことをお願いしてもいいと思っているのよ。……どうかしら?」
そんな母さんの言葉に諭されながらも、私はまだ迷っていたわ。
会いたい人に会えるチャンスだっていうのに、「会いたくない」って叫んでる自分が、心の隅にいる――。
ククールに会えないだけで、こんなに打ちのめされている自分を……彼に見せたくなかった。
「どう……いたしますか?」
使いの人は、私を急かすように問いかけて来た。
母さんは私の肩に手を置き、静かに囁いた。
「気分転換……と思えばいいのよ。陛下や王女様には失礼かも知れないけど……」
母さんの言葉に、私はこくんと頷いた。
私はやっとの思いで使いの人へ顔を向け、返事をした。
「……分かりました。トロデ王……国王陛下に、協力させていただくと伝えてください」
◇
夕方も近くなったその日の午後に、例のテオドールという男がやって来た。
……何なの、こいつ?
ラグサットといい、こいつといい、母さんの男の人を見る目って……どうなっちゃってんの?
私より少し身長が高いぐらいで、ガリガリのやせっぽっちで、
顔は……サザンビークのチャゴス王子よりは少しマシ……いいえ、どっこいどっこい……だし。
服のセンスもラグサットに負けず劣らずでアレだし……。
一応年齢は20歳だって言うけど……どう見てもヤンガスよりもずーっと年上に見える……。
そいつはうちの玄関で私に会うなり、いきなり私の右手を取って片膝を付いた。
「はじめまして、ゼシカさん!オークニスの町長の息子のテオドールと申します!
……いやぁ、光栄だなぁ……あなたのようなボン、キュッ……じゃなく、
あなたのような馨しいほどの美しく聡明な方にお会い出来るなんて……。今夜は眠れそうにありませんよ!」
――一生寝ずに過ごしたら?……っていう言葉が喉のすぐそこまで出かかったけど……必死で我慢したわ。
とりあえず気持ち悪かったから、すぐにそいつから手を離したわよ!
後ろを振り向くと、母さんがニコニコ顔で私を見ていた。
「テオドールさん。突然の申し出で申し訳ありませんが、先程お願いした話――ゼシカが旅に出てしまう間、
村のことをよろしくお願いしますわね」
母さんがご自慢のマダムスマイルでテオドールに言うと、テオドールはすくっと立ち上がり、突然叫び始めた。
「ゼシカさん!あなたのいない間、この村はもう無事も当然です!
何故なら……僕のあなたへの愛がこの村を守るからですよ!!!僕に任せて下さい!!!!!」
――任せてらんないわよ……。
子供だけど、ポルクやマルクの方がよっぽど役に立ちそうじゃない……。
その夜、そいつと一緒に家で夕食を摂ったんだけど……あの顔見てると、食欲が無くなっちゃったのよね。
私はそそくさとダイニングルームを抜け出し、夜風に当たるために、カーディガンを羽織って外へ出た。
家から村の中心に続く緩やかな下り坂をゆっくり降りて、水路に架かる小さな橋を渡ると、
ポルクのおばあちゃんが一人、畑の横に立っていた。
私が走り寄っていくと、おばあちゃんは私に気づき、驚いた顔をして言った。
「ゼシカお嬢様……どうしたかね?こんな時間に……。
確か……遠い大陸の国から、お嬢様のお婿さん候補が来てるんじゃなかったかね?」
私はちょっと肩を竦めて、答えた。
「……何か嫌になっちゃって……食事抜け出して来ちゃった」
「そりゃあ……大変なことで……」
おばあちゃんはやれやれ、という顔をして首を横に振った。
おばあちゃんは地面に何か草のようなものを積み上げていて、それを紐で結わいていたわ。
その横で、私は後ろに手を組んで、地面にあった小石をこつんと蹴飛ばした。
「ねぇ、おばあちゃん……私、また旅に出ることになったの。
今度はそんなに長い期間じゃないんだけど……ね」
「おお、そうでしたか!ゼシカお嬢様はこんな小さな村でじっとしているよりも、
外で元気に動かれる方が向いておりますよ!」
おばあちゃんは地面から顔を上げて微笑んでくれたけど、私の顔を見るなり、
心配そうな顔に変わってしまった。
「――どうなさった?浮かない顔をして……」
私は空に手を伸ばし、背伸びをゆっくりとした。上を見上げると、半分欠けた月がぽっかりと浮かんでいる。
「……今度の旅でね、久々に会いたい人に会えるかも知れないんだけど……
会いたいのに、いざ会えるとなると……何だか会いたくなくなっちゃたりするのよ……。変よね?」
その私の言葉を聞くと、おばあちゃんは突然、ケラケラと笑い出した。
そして曲がった腰をピンと伸ばし、私の顔をじっと見つめた。
「それは……ゼシカお嬢様が格好つけている証拠でしょうよ」
「……え……?」
私はおばあちゃんの答えに驚いてしまった。
――格好つけてる?私が?
村のことをよろしくお願いしますわね」
母さんがご自慢のマダムスマイルでテオドールに言うと、テオドールはすくっと立ち上がり、突然叫び始めた。
「ゼシカさん!あなたのいない間、この村はもう無事も当然です!
何故なら……僕のあなたへの愛がこの村を守るからですよ!!!僕に任せて下さい!!!!!」
――任せてらんないわよ……。
子供だけど、ポルクやマルクの方がよっぽど役に立ちそうじゃない……。
その夜、そいつと一緒に家で夕食を摂ったんだけど……あの顔見てると、食欲が無くなっちゃったのよね。
私はそそくさとダイニングルームを抜け出し、夜風に当たるために、カーディガンを羽織って外へ出た。
家から村の中心に続く緩やかな下り坂をゆっくり降りて、水路に架かる小さな橋を渡ると、
ポルクのおばあちゃんが一人、畑の横に立っていた。
私が走り寄っていくと、おばあちゃんは私に気づき、驚いた顔をして言った。
「ゼシカお嬢様……どうしたかね?こんな時間に……。
確か……遠い大陸の国から、お嬢様のお婿さん候補が来てるんじゃなかったかね?」
私はちょっと肩を竦めて、答えた。
「……何か嫌になっちゃって……食事抜け出して来ちゃった」
「そりゃあ……大変なことで……」
おばあちゃんはやれやれ、という顔をして首を横に振った。
おばあちゃんは地面に何か草のようなものを積み上げていて、それを紐で結わいていたわ。
その横で、私は後ろに手を組んで、地面にあった小石をこつんと蹴飛ばした。
「ねぇ、おばあちゃん……私、また旅に出ることになったの。
今度はそんなに長い期間じゃないんだけど……ね」
「おお、そうでしたか!ゼシカお嬢様はこんな小さな村でじっとしているよりも、
外で元気に動かれる方が向いておりますよ!」
おばあちゃんは地面から顔を上げて微笑んでくれたけど、私の顔を見るなり、
心配そうな顔に変わってしまった。
「――どうなさった?浮かない顔をして……」
私は空に手を伸ばし、背伸びをゆっくりとした。上を見上げると、半分欠けた月がぽっかりと浮かんでいる。
「……今度の旅でね、久々に会いたい人に会えるかも知れないんだけど……
会いたいのに、いざ会えるとなると……何だか会いたくなくなっちゃたりするのよ……。変よね?」
その私の言葉を聞くと、おばあちゃんは突然、ケラケラと笑い出した。
そして曲がった腰をピンと伸ばし、私の顔をじっと見つめた。
「それは……ゼシカお嬢様が格好つけている証拠でしょうよ」
「……え……?」
私はおばあちゃんの答えに驚いてしまった。
――格好つけてる?私が?
おばあちゃんはまたゆっくりと腰を曲げて、地面に積まれたものを触りながら言った。
「会いたい人に会えるのであれば、素直に会えばよろしい。せっかく会えるのに会いたくないというのは……
相手の人に自分の全てを見せていないからではないですかね?せっかく会えるのでしたら、
お嬢様のその『会いたくない』という気持ちも含めて、全てその人に曝け出して来るのがいいでしょうな」
――私の気持ちの……全てを……曝け出す……。
おばあちゃんの言葉は、私の頭の中で響き渡っていた。
私に……出来るかしら?
ククールに私の思いを――全て……伝えられる?
私はじっと、その場に立ち尽くしていたわ。
少し冷たい夜風が吹いてきて、私の結わいた髪の束を揺らした。
「――そうじゃ、これをお嬢様に……」
そう言いながら、おばあちゃんは地面に積み上げてたものを少し分けて、私に手渡した。
すると爽やかな香りが、私の周りをふわっと包み込んだ。
「これ……ラベンダー?」
「そうですよ。今晩のお風呂に入れようかと、たくさん摘んでおったところなのです。
ラベンダーの香りは、心を落ち着かせてくれるもんと、昔から言われておりますからねぇ」
私は手にしたラベンダーの束を、そっと鼻先に持っていった。
毎年夏には嗅ぐ香りなのに、何だか今年はいつもと違うように感じる。
私を優しく慰めてくれているような、そんな感じに……。
香りを感じるままに心を委ねていると、香りがまるで魔法のように私の心の中に入って来て、
強張った気持ちを解きほぐしていくような気がした。
すると突然、頭の中に、楽しかった思い出が蘇って来たのよ。
みんなで笑って、旅をしていたあの頃の思い出――。
馬になってしまっていたミーティア姫を、いつも優しく気遣っていたエイト。
トロデ王と本当の親子みたいにいつも口喧嘩していたヤンガス。
そして……私を優しく見つめていたククール……。
――会いたいよ……ククール……。
私の体から、ふっと無駄な力が抜けていった。
私はラベンダーの束に顔を埋めてみる。
「夏の……匂いね……」
そう言うと、おばあちゃんはうんうんと頷きながら答えた。
「そうですよ。――お嬢様が旅立たれる時には、もう夏がやって来てるでしょうな」
「会いたい人に会えるのであれば、素直に会えばよろしい。せっかく会えるのに会いたくないというのは……
相手の人に自分の全てを見せていないからではないですかね?せっかく会えるのでしたら、
お嬢様のその『会いたくない』という気持ちも含めて、全てその人に曝け出して来るのがいいでしょうな」
――私の気持ちの……全てを……曝け出す……。
おばあちゃんの言葉は、私の頭の中で響き渡っていた。
私に……出来るかしら?
ククールに私の思いを――全て……伝えられる?
私はじっと、その場に立ち尽くしていたわ。
少し冷たい夜風が吹いてきて、私の結わいた髪の束を揺らした。
「――そうじゃ、これをお嬢様に……」
そう言いながら、おばあちゃんは地面に積み上げてたものを少し分けて、私に手渡した。
すると爽やかな香りが、私の周りをふわっと包み込んだ。
「これ……ラベンダー?」
「そうですよ。今晩のお風呂に入れようかと、たくさん摘んでおったところなのです。
ラベンダーの香りは、心を落ち着かせてくれるもんと、昔から言われておりますからねぇ」
私は手にしたラベンダーの束を、そっと鼻先に持っていった。
毎年夏には嗅ぐ香りなのに、何だか今年はいつもと違うように感じる。
私を優しく慰めてくれているような、そんな感じに……。
香りを感じるままに心を委ねていると、香りがまるで魔法のように私の心の中に入って来て、
強張った気持ちを解きほぐしていくような気がした。
すると突然、頭の中に、楽しかった思い出が蘇って来たのよ。
みんなで笑って、旅をしていたあの頃の思い出――。
馬になってしまっていたミーティア姫を、いつも優しく気遣っていたエイト。
トロデ王と本当の親子みたいにいつも口喧嘩していたヤンガス。
そして……私を優しく見つめていたククール……。
――会いたいよ……ククール……。
私の体から、ふっと無駄な力が抜けていった。
私はラベンダーの束に顔を埋めてみる。
「夏の……匂いね……」
そう言うと、おばあちゃんはうんうんと頷きながら答えた。
「そうですよ。――お嬢様が旅立たれる時には、もう夏がやって来てるでしょうな」
――そうね、彼に会える頃には、もう夏は始まっているかも知れない……。
そう思いながら、私はもう一度、夏の訪れを感じる香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
そう思いながら、私はもう一度、夏の訪れを感じる香りを胸いっぱいに吸い込んだ。