建物の中に入ってすぐ、トレーンさんに声をかけられた。なぜか眼鏡のつるが少し曲がっていて、おでこの端に青い色のシップが貼ってある。マーウィがああまたか、と楽しそうに言った。
「基地を回り終わったら、事務室に行ってほしいって。移る予定だった星が襲撃されて、しばらく移動できそうにないから、どこかの部隊に所属しとくのはどうかって」
トレーンさんは、私に意味ありげな目配せをした。
「里菜は当分オルキーランについて教わる事になる。ただでさえいきなりまだ中学生の女の子が現れたってのに、オルキーラン研究家の所にしょっちゅう行ってる、なんてなったら怪しまれるだろ。だから周りと同化して、注目の目は減らしとくべきだってことじゃないかな」
大斗がアルタたちに分からないよう、日本語で説明してくれた。さすが大斗、なるほど納得。
「案内は大体済んだから、行ってもらっていいよ。また夕食の時呼びに行くよ」
アルタがそう言って、私たちはトレーンさんについて三人と別れた。
「まずホ、シ、ザ、キさんは地上部基地守備隊がいいんじゃないかって。この基地はクロリアの中でも見つかりにくい所だから動員されにくいだろうし、さっきのミラって人が地上部の別の隊所属だから、訓練も一緒にやる事が多いよ」
トレーンさんが歩きながら電子手帳にじっと目を落とした。名前を言いづらそうに発音している。
「あの、その前にそのシップは」
私が聞こうとした時、ガツンと嫌な音がして、トレーンさんが出っ張った柱に激突した。そのままうずくまって、シップをしている辺りを押さえる。
「そういうことかあ」
大斗が笑いを含めながらつぶやいて、私はどういう顔をしたらいいのか迷っていた。
早々と申請を終えて、大斗より一足先に事務室を出た。ロータス指揮官のもう一つの提案――トレーンさんから、オルキーランについて学ぶためだ。
アラルの政策で、地球ではオルキーランについて全くと言っていいほど情報がなかった。
地球ほどではないにしろ、他の星でもさりげない情報統制が加えられていて、手に入る知識は少なくなる一方らしい。クロリアは情報収集に努力してるけど、元々オルキーランが秘密主義だったこともあって、おおざっぱなものしか手に入らない。
そこで、オルキーラン本人が学ぶなら、少しでも専門的にやっている人から話を聞くべきだろうって訳。
トレーンさんの研究室は、思ったよりきちんとしていた。パソコン(大斗がうらやましそうに見ていた)が二台と、天井まであるスチールの戸棚や本棚。どの棚もデータファイルや本で一杯だ。少し手前に応接用のイス二脚と机。それでほとんどのスペースが埋まってる。
座って待っていると、トレーンさんがノートパソコンや古そうな本を抱えて戻ってきた。
「まず物は相談なんだけど、これって読める?」
そう言って本のページを開いて、差し出してきた。印刷された記号がきれいに並んでいる。何か見覚えがあるような。
ぴんときて、私はクラルを取り出して、引き抜いてみた。やっぱり、同じ記号が並んでいる。
「これ、オルキーランが使っていた文字なんだ。オラケラって呼ばれてる」
目を輝かせてこっちを見てくるトレーンさん。私はクラルを机に置くと、一度深呼吸して、聞いた。
「トレーンさんは、読めるんですか?」
「読めないの?」
「残念ながら、私には……」
「全然?」
「全く。一文字も」
トレーンさんが、目に見えて肩を落とした。期待してたんだけどな、とぼそぼそ言った。
私にはどうしようもないんだけど、何だか申し訳ない。
「で、手がかりはないんですか?」
黙ってしまったトレーンさんに、私は先を促した。
「これがオルキーランの使っていた文字で、彼らが使っていた言語を表しているらしいことは分かってるんだ。でも、その言語を使ってたのは彼らだけだったから、今その言葉が分かる人はいない。解読以前の問題かな」
そう言って、トレーンさんがクラルを手に取った。そこに彫られた文字を指でなぞる。
「クラルにはオラケラの全ての文字が刻まれている。クラルによってその順番や字数は違っていて、何か誓いの文とか、格言の抜粋とかじゃないかって考えられている。オルキーランが超能力を使うときに利用していたみたいだから、文字そのものに意味や力があるんじゃないかっていうのもある」
私は夢の事を思い出した。オルキーランが能力を使うとき、文字が光ってたよね。
それを言うと、トレーンさんは顔をほころばせた。
「じゃあやっぱり文字に力が込められているのかな。そうするとクラルが痛っ!」
急にトレーンさんがクラルを机に取り落とした。指を押さえて、顔をゆがめている。指の先から血が浮き出ていた。
「ホセサキさん、洗面所の棚から青いチューブを取ってきてもらえるかな」
私は慌てて洗面所に走っていって、トレーンさんにチューブを手渡した。
傷口に、チューブから出した透明なジェルを塗りつけると、血はすぐに止まった。
「ごめん、切れ味を確かめようとしたら間違えちゃって」
トレーンさんが苦笑いしながら、クラルについた血をティッシュできれいにふき取って、私に返した。私は元通りに鞘に戻して、膝に置いた。トレーンさんといると、いつケガするかって、こっちまではらはらしてくる。
部屋に戻ると、先に帰ってきていた大斗がベッドに座って制服を広げていた。藍色でポケットの多い、作業服にも似た服だ。
「俺、戦闘機乗ってみようと思うんだ」
どこに入ったか聞いてみると、制服の袖をつまみながら、楽しそうに答えてくれた。
「情報部じゃなくて? 大斗なら絶対そっちだと思った」
私も守備隊の服を広げながら行った。これは礼服で、白と銀色を基調にしている。大斗が腕組みしながら笑顔で言う。
「ハッキングは俺の趣味なの! それに人に言われたものをはいはいって調べるなんて面白くねえしな」
パソコン苦手な私には、よく分からない。
「マーウィとアルタもそこ入ってるらしいしさ。それに言ったろ? 俺は戦闘機操縦がやりたくてついて来たんだって。操縦してみて、やっぱ勘が当たったなって思ったな。思った通り、ハッキングの次に面白い!」
船酔いしてた私には、よく分からない。
「お、ドアホンの音だ。アルタたち夕飯に誘いに来たな」
疲れ気味の私には、ってちょっと待った! 置いてくな!
私はドアが閉まる前にと、急いで後を追った。
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最終更新:2012年01月20日 16:26