こえをきくもの 3*師走ハツヒト

「……はぁ?」
 真っ先に声を上げたのは童顔髭面だ。
「お前、頭おかしいのかよ? ラーグノムつったらアレ、あのやたら襲い掛かってくる狂った獣だろ?」
 女は僅かに顔色を変えた。怒りで。眦はさらに吊り上がる。
「……そうだ」
「で、そのラーグノムを救うって? 俺達を襲うそいつらを? 馬鹿じゃねーの、そんな事して何になんだよ。何の得があんだよ。救うだァ? 寝言は夜に言えよ」
 ひらひらと手を振って嘲笑い、髭面は蔑んだ視線を送った。
 女は一瞬で頬を紅く染め、
「お前らには……お前らには、彼らの気持ちがわからないから、そんな事が言えるんだ!!」
 言うなり駆け出してまた出て行った。
「な、なんだったんだ……」
 店主は食器を磨くのを再開した。にしてもこの店主、余程物を磨くのが好きらしい。
「ラーグノムを救う……か」
 消し炭色の髪の男が呟く。声にはまるで意味不明な魔法の呪文を聞いた時のような、不可解そうな響きがあった。
 ふと、エルガーツと呼ばれた少年が立ち上がった。
 殆ど手をつけていない果実酒の代を置き、二人に笑顔を向けて、一気にまくしたてる。
「あのさ、ここまで一緒に仕事してくれてありがとう。お疲れさんでした。オレ、行くよ。また会ったら、そんときは宜しくな」
「もう行くのか? 今回限りのつもりで組んだが、これからも一緒でもいいんだぞ?」
 傷のある男が顔を上げ尋ねる。
「なんだよ、あのキ印女に惚れでもしたのかよー?」
 髭面がニヤニヤと聞いた。さっきの不機嫌そうな表情はどこへやらだ。
「ち、違うって! ただ、さっきのラーグノムを救うってのが気になって……じゃあな!」
 エルガーツは慌ただしく出ていった。
 残された二人と店主。髭面は行儀悪く椅子の背を抱えた。
「行っちまったか……お前とじゃ仕事にありつけねェな」
「髭剃れよ」
「ヤだよ俺童顔だもん」
 二人は顔を見合わせ溜息をついた。
 置物の木像を磨く手を止め、店主は呟く。
「あー、今手伝い欲しいんだよな二人くらい。お前らここで働かねぇか?」

 その頃先程の女はと言うと。
「……またやってしまった……」
 膝を抱えて落ち込んでいた。
 村の外れの牧草地。羊の鳴く声が果てもなくのどかだ。
 さっき、店を出た勢いでここまで走って来てしまったのだ。
「今度こそ、話を聞いて貰うまで耐えるつもりだったのに……!」
 拳を握り締めドンと草原に打ち降ろす。深くえぐれた。
「やはり、私には人間の助けを借りるなど無理なのか? いや、無理ではない筈だ。私も人間なのだし。しかし、私は……」
 もうこの問いと答を何度繰り返しただろう。五つの村を回り、先程の酒場と同じ会話を五度した。
『ラーグノムを救いたい』
 この言葉を発すれば誰もが眉をひそめ、理解出来ない物を見る目で見た。酷い場合はさっきのようにはっきりと嘲笑われた。
『寝言は夜に言えよ』
 寝言などではない。私は真剣だ。なのにどうして私は話すら聞いてもらえないのだろう。
 わからない。人間の心は聞こえない。
「人間など……人間などいなければ……」
 群れからはぐれた羊が寄って来て、めぇと鳴いた。手を伸ばし、その顔を撫でてやる。
「大丈夫……私は諦めないさ。お前達の仲間の、私だけが出来る事だからな」
 羊が再び鳴いて、名残惜し気に、足早に去っていく。


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最終更新:2012年01月20日 15:31