こえをきくもの 4*師走ハツヒト

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 いなくなった羊がさっきまでいた所に、影が差していた。
 影はだんだん丈を増す。
「あ、いたいた! 良かった、まだ村の中にいてくれて」
「お前か。先程、酒場にいた人間だな」
 女は振り返りもせず答えた。
 今まで話した人間の中で、ただ一人聞いた時の目付きが違った。
 何かの確信を得たような、はっきりした目付きだった。
「オレはエルガーツ。さっきの話、詳しく聞かせてくれ」
 女はその言葉を聞いて立ち上がり、真っ直ぐにエルガーツを見つめて微笑む。力強く。
 ――ご覧、仔羊。お前の言う通り、人間は愚かだけれど。私は獣になりきれない人間で、どちらからも異端だけど。
 お前達を救う為に、私はあえて人間になるよ。愚かな人間を諦めないよ。
 だからお前達も、どうか私に、人間にチャンスをくれ。
「有難う。そう、言ってくれて」
「私はネトシル」
 赤い髪の女はそう名乗った。風に躍る長い三編みはやはり尻尾のようだ。
「エルガーツ、と言ったな。宜しく」
 少し緩めた笑みで手を差し出す。女の手にしては無骨だ。指はしっかりとして細くなく、関節が浮いている。うっすらとした傷痕も多い。
 握手すると、握り返された力は強かった。
「宜しく。オレ今一匹狼になって、次の旅の目的と仲間探してたから丁度良かったんだ」
 獣が服を来て人間の皮を被って歩いているこの女の前以外で、これ程にも一匹狼がただの比喩だと強く感じた事はない。
 目の前の女は余りにもそのものだった。
「早速で悪いけど、ラーグノムを救うってどういう事だ?」
 エルガーツがそう聞くと、ネトシルは僅かに眼を伏せた。が、すぐに意を決したように面を上げ、真っ直ぐにエルガーツを見る。
「……その前に、信じてもらわなければいけない事がある。
私は、動物の声が聞ける」
「え!? 嘘だろ!?」
 思わず返した言葉に、ネトシルの目尻にいきなり涙が溢れ始めた。
「……有難う」
「は?」
 真っ向から否定した自分は、けなされこそすれ礼を言われる筋合いはない。エルガーツは軽く混乱した。
「今まで生きて来たが、疑われたのは初めてだ! 有難う!!」
「はあっ!?」
 意味不明に果てなく近いその台詞をなんとか理解すると混乱は暈にランクアップし たが、どこか頭の片隅で、彼女の『動物の声が聞こえる』発言をあっさり容認した自分がいた。
 だってこの人、獣っぽいし。
 それでも自分が否定したのは、ある程度傭兵稼業で世慣れしている自負があったからだ。
 両手を握ってぶんぶん振りそうなのを押し止め、
「だぁっ! だからそれで? 何でそれがラーグノムと繋がるんだよ!?」
 ネトシルは我に帰り、ぱっと手を離した。
「あ、すまない。私は、動物の声は聞ける。しかし、ラーグノムの声は……」
 ぎゅっと眉を寄せた。苦しそうに声が低まる。
「……聞こえないことは、ない。でも彼らのは、言葉じゃない」
 ネトシルはさらにここで一度言葉を切った。もう声は搾り出すような調子だった。
「悲鳴、だ」
「悲鳴?」
 エルガーツはネトシルの様子と言葉に訝るように返した。
「悲鳴だ。言葉とはとても言い難い、感情をそのまま声にして叫ぶような物だ」
 怒りと、悲しみ。痛みと苦しみ。
 こんな混ぜ物の姿にした、どちらつかずの姿にした、人間に対する、恨み。怨み。憾み。
 彼らの声は、彼女の頭の中に今も反響している。強烈で凄絶な負の感情の塊。
 ネトシルの声はそれを彼らの代わりに吐き出すようだった。



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