こえをきくもの 第二章 3*師走ハツヒト

「サーカスっていうのは、とっても楽しい見世物の事だよ! 手品とか、曲芸とか、ピエロの寸劇とか、ダンスとかやるんだ」
 至極楽しそうに派手な身振り手振りを交え説明する。この男、サーカスの回し者か何かだろうか。
「行って損はないと思うよ? だってこのサーカスは動物の曲芸が凄いと評判で」
 だむっ!
 ネトシルが机をぶっ叩いた音だ。同時に立ち上がっている。そして顔を上げて旅人を物凄い目つきで睨む。
「……な、なにか?」
「もう一度、言ってくれ」
「は? えーと、『行って損はない』」
「その後」
「『凄いと評判で』?」
「その前!」
「『動物の曲芸』」
 ネトシルの目の色が変わった。やや乱暴に椅子に腰を下ろし、顔を背ける。
「……こう」
「へ?」
 ネトシルが押し殺したような小さな声で何か言った。顔も赤い。
 二人に挟まれたエルガーツはもうどうしていいかわからない。とりあえず聞こえなかったから聞き返してみる。
「今、何て?」
「……行こう、サーカス」
 ネトシルは赤面したまま、もう一度言った。
「ひゃっほぅ! そぉこなくっちゃねぇ!」
 旅人は嬉し気に我が意を得たりとばかりぱちんと指を鳴らした。
 ネトシルは言うだけ言うとまた捻り麺(おかわり。特盛)をかき込む作業に戻った。
 旅人はエルガーツにずずいっと寄ると小声でぼそぼそと話し掛けてきた。
「ねねね、あの子君の彼女?」
「いや……」
 断じて違う。間違っても恐慌状態の人間に容赦なくビンタ浴びせるような奴彼女にしたくない。
「じゃあさ、僕に紹介してよ! 思ったより可愛いじゃん照れちゃったりしてさ。最初すっぱり駄目だって言ったから後から行きたいって言うの恥ずかしかったんだねー。あの顔見た? ほらほら耳まで真っ赤だよかーわいー」
「止めといた方が……いいと思う……」
 エルガーツは搾り出すようにようやくそれだけ言った。
 息が苦しい。空気が粘度を持つ感覚。背中は汗で冷たい。
 旅人は気付かないのだろうか?ネトシルから発せられる、この凄まじい怒気に。
 照れを隠す度この空気に当てられていては身が持たない。
 むしろここでこいつに押し付けてしまうのも手かと一瞬エルガーツは思った。

「さぁさ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい! 我らパキャルコサーカス団の、剣舞に手品に歌ダンス、動物達のびっくりショー! 楽しい楽しい見世物が、もうすぐ開演、始まるよォ!」
 自身もボールのように肥えたサーカス団長が玉に乗り、紙吹雪を舞い散らせながら声を張り上げる。鞭で玉や地面を叩いてバランスを取り、セリフはまるで歌うような調子だ。
 心に翼を生やして飛ばすような笛の音がする。高鳴る胸の鼓動のような太鼓の音もする。
 ざわめきに乗って膨れ上がる興奮。辺境の村の最大の娯楽。それが巡業サーカスだ。
 大人も子供も老人も、揃いに揃って顔輝かせ、楽しみ渦巻くサーカスだ。
 エルガーツはもう顔にわくわくと書いてありそうな表情をしている。ネトシルも口元に小さく「喜」くらいは書いてありそうだ。
 芝居小屋は次々と人々を飲み込んでいき、中は始まる前から興奮と熱気でごった返している。その興奮の中には、サーカス団員のも少し交じっているようだ。
 小屋に入って空いている席を探す二人に突然声がかかった。
「おーい、こっちこっちぃ!」
 見ると先程の男が手を振っていた。
「お二人さんの席も取ってあるよぉ!」
 準備が良かった。
 聞けば早くから並び、なんと開場一番に小屋に入り、いい席を取ったそうだ。
 成る程中央で前、舞台全体がよく見える席だ。舞台の幕はまだ下りている。
 旅人はニッコリとエルガーツに笑いかけた。目が『その子を僕の隣に』と言っていたが、ネトシルはエルガーツが動くより早く男から一個空けて座った。男は目に見えてがっかりした。
 仕方なくエルガーツが旅人とネトシルの間に座った。両方からちらっと睨まれ一瞬『帰っていいかな』と思ったが、チケット代が勿体ないので止めた。
 席につくと、ネトシルは幕を見据えるように視線を向けたまま、小さく言った。
「エルガーツ、もし私が自分を抑えられなくなったら、その時はお前が私を止めてくれ」
「え、それはどういう……」
 意味だ、と問おうとした時、開演を告げるラッパの音が高らかに鳴り響いた。
 静まり返るが故に、他人の息遣いや自分の鼓動が煩いような雰囲気。破る事の出来ない結界のような沈黙に包まれ、二人はそれきり口を閉ざした。
 一気にボルテージの上がる空気。息がつまりそうな密度の高い期待。緊張感。
 それが最高潮に達した時、いよいよ幕が、上がった。



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最終更新:2012年01月23日 12:50