ツーリストpage3


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パトカー前で待っていたのはゴーントという男だった。
制服警官たちから警部とか部長といった役職付きでなく、ただミスター・ゴーントと呼ばれていたので警察官ではない。
OSICあたりの人間か?ともかく諜報機関くさいというのがハーパーのカンだった。
「さーてお立会い…」
香具師の口上のように言うと、ゴーントは邸宅の玄関を開いた。
がっしりした樫材のドアを開くと玄関ホールになっていて……ドアから3メートルと離れていない箇所にチョークで描いた人型があった。
「生で見たかっただろうが、オレの耳に入ったときにゃ搬送されたあとだった。生で見たきゃ検死官事務所に行ってくれ」
「ありがとうゴーント。恩にきるよ」
「ふん!これはこのあいだの借りを返しただけだ」
「いや、このあいだのヤツはモントリオールの借りを……」
ベックマンとゴーントの貸し借りは清算不能なほど込み入っているらしい。
「ねえキミ…」
ハーパーは脇にいた制服警官に尋ねた。
「事件は何時頃に?」
「それはほぼ特定できています」
制服警官の答えは明快だった。
トロント市警の調べによると、昨夜の午後7時半ごろ隣家の主婦がバンという破裂音を耳にしていた。
炸裂音は一発だけだったので、主婦は車のバックファイヤーだったのだと思い込んでいたという。
「破裂音がしてから二三分で車が走り去ったそうです」
「車はどっちへ?」
「それが……判らないそうです。慌てて逃げるというんじゃなく、普通に走り出す感じだったので気にも留めなかったと」
「被害者はジョン・カーモディ。映画のプロデューサーだ。犯人は、たぶん新作の出資希望者だとでも偽って訪問したんだろう」
耳元の声に気がつくと、ハーパーのすぐ横にゴーントが立っていた。
「この家はこの町で映画を撮るときだけ暮らす借家だが、訪問者は少なくなかったそうだ」
映画プロデュサーであれば、役者やスタッフから出資者にマスコミと出入りもさぞや多かっただろう。
その中に死神が混じっていたとしても、見分けられるはずもない。
「次回作は……なんたらオブ・ザ・デッドだそうだ。『プロデューサー・オブ・ザ・デッド』に改題せにゃならんだろうな」
悪趣味な軽口に思わず閉口してゴーントから視線を外したとき、床の隅に重なった何枚かの色鮮やかな紙切れにハーパーは気づいた。
「あれは?」
「あの紙か?観光案内のパンフレットだ」
ハーパーはその一枚を拾いあげた。白いギリシャ風の廃墟が青空を背景に聳え立つ写真が掲載されていた。
「……トラヤヌス神殿?」
「トルコの観光地だ。ポストにでも入ってたのをここに持ち込んであったんだろ。さあて次は市警本部で死体様との御対面だ」

 15分後、ハーパーとベックマンは、トロント市警の検死官事務所の薬臭い死体安置所で、ジョン・カーモディとの会見を果たしていた。
「検死官の報告だと入射角は下からおよそ45度だそうだ」とゴーント。
「そりゃ驚きだな。まさかヒップシューティングってことか?」とベックマン。
ハーパーがまとめた。
「かなりの腕だ。……だけど、プロじゃない。多分趣味のシューターだね」
カーモディーの遺体は、定規で測ったように両目の真ん中を射抜かれていた。
FBIや犯罪組織の処刑人でも、眉間に一発だけという撃ち方は普通しない。
人間の骨は堅いと同時に柔らかくもあり意外と丈夫なのだ。
とくに頭蓋骨は、357マグナム級の弾でも角度によっては貫通できない。
拳銃などとは比べ物にならないエネルギーを持つ軍用ライフルで撃たれても、運良く死なずに済むケースすらある。
ヘッドシューティングをバンバン決めて、バッタバッタと敵を撃ち殺す……なんていうのは素人の幻想に過ぎない。
確実に射殺するなら骨に守られていない腹に連射。
それこそ、ハーパーがかつてクワンティコで習った射殺法だ。
「なあゴーント、遺体のどこかに他の傷は無かったかい?」
「検死報告にあるとおりだ。眉間の銃創一発だけさ」
「……そんなバカな」
ゴーントの答えに納得いかないハーパーは自ら遺体を調べてみた。
遺体は検視後のため全裸のままだったが、彼の捜すものは遺体の何処からも見出せなかった。
ハーパーが途方に暮れた様子で手を止めると、壁にもたれ眺めていたゴーントがきりだした。
「ところでハーパーくん。トムから聞いたんだが……あんたらは被害者に文字を残すシリアルキラーが存在するって考えてるんだろ?」
「ああそうだ」
発見直後の現場写真に目を通しながらハーパーは答えた。
「……アリゾナじゃチェーンソウが凶器で文字は『C』。アラスカだとアリゾナの現場から持ち出されたナイフが凶器で文字は『K』。
この事件じゃアラスカの現場から持ち出された拳銃が凶器だから文字はガンの『G』かハンドガンの『H』、あるいはシングルアクションアーミーで『S』の文字があるはずなんだ」
「なあゴーント……」
いらつき気味のハーパーの邪魔にならないよう、ベックマンがさりげなく口を挟んだ。
「………銃の方は間違いないんだよな?」
「間違いない。シリンダー内に残っていた未発射の実包からオマエの送ってよこしたジュディスとかいう女の指紋が出た」
「それならこの事件はアリゾナから連続した鎖の輪のひとつに間違いないはずだ」
「いや、そう短絡的に決めつけるのは危険だぞトム。問題の銃は殺人よりもっと前に紛失していたのかもしれないじゃないか?」
ベックマンが腕組みして眉を寄せると、カナダ人の大男はハーパーとベックマンの考えに対する本格的な攻撃を開始した。
「それにだ、トム。オレにゃこの殺人が同一犯による連続殺人だとはとても思えんのだ」

ゴーントはベックマンに指を二本立ててみせた。

「オレがこのカーモディー殺しを連続殺人の輪の一つだと思わん理由。その第一は……」
ゴーントが二本指のうち人差し指を折った。
「……犯行パターンの問題だ。犯行にパターンのある連続殺人犯の場合、パターンは犯人の性向そのものだ。そう簡単にゃ変わったりせんはずだな?しかしこの殺人にはまず『文字』が無い。
それに射殺後直ちに犯人が殺人現場を立ち去ってる以上、現場から何かを持ち出す時間的余裕があったとも思えん。つまりパターンが二つも崩れている。それから次に……」
中指も折ると両手を広げてゴーントは言った。
「犯行エリアが広すぎる。北はアラスカから南はアリゾナってことは、北米全土を縦断してるってことだろ?だが、ここまで守備範囲の広いシリアルキラーがいたか?
まるで渡り鳥か旅人だ。
普通のシリアルキラーどもは、大抵車で移動可能な範囲で獲物を調達する。
それにこれだけ広範囲じゃ獲物の選択だって難しい。それともこの旅人は行き当たりばったりに人を殺すのか?」
「いや……行き当たりばったりじゃあないね」
ゴーントの厳しい指摘を受けながらも、ベックマンに動じる様子は無かった。
「ハーパーくんは『文字』を凶器の名前と結びつけているが、オレは被害者の属性とも関係しているんじゃないかと思ってる」
ハーパーとゴーントが同時に声を返した。
「被害者の属性?」
「アラスカのジュディス・ソーンダーズはアル中だったんだ。つまり、キッチンドリンカー(Kichindrinker)だったのさ」
ベックマンはハーパーとは違った角度から事件にアプローチを試みていた。
「犯人は明らかに宗教的な意図をもって獲物を選んでいるように感じる。
アラスカの事件は酒に溺れる不信心者。アリゾナの事件は、たぶん人を殺していながら聖具を売ったことが糾弾の対象になった。カーモディー殺しは……彼がプロデュースした映画の内容に問題があったんじゃないかな?」
今度はゴーントが左右の眉を寄せた。
「キャノニストのC、キッチンドリンカーのKというわけか?それならカーモディーは??」
「プロデューサーのP。シングル・アクション・アーミーの別名はなんて言うか知ってるよな、ゴーント?」
口をぐっと「へ」の字にしてゴーントは答えた。
「……ピースメーカー(Peace maker)だ」
しばし黙り込んだあと、ゴーントはベックマンとハーパーに言った。
「……判った。オレの方でもアンタらの考えに沿う形で旅人探しに協力するとしよう」

 現調と死体見分のあと、トロントはゴーントに任せてベックマンとハーパーはいったんそれぞれの縄張りに戻ることになった。
だが……ベックマンがいままさに機中の人になろうとしたとき、突然彼の携帯が着信音を奏でた。
曲は「チューブラーベルズ」。
ゴーントからの着信だった。

ハーパーがトロント空港でゴーントからの着信を耳にする、ほんの30分ほどまえ……。

「一応」映画女優のニッキィ・スローンは宿泊先の安宿でスタジオからの連絡を待っていた。
「……そうなの。そうなのよぉ。プロデューサーがね、どっかのアホにぃ撃ち殺されちゃったのよ」
………
「もちろんよ。せっかく主演をゲットできたってのにぃ………もっちろんよぉ、中止よ、中止!……ってゆうかぁ、もう終わりよねぇこの映画。ま、一応指示待ちってことなんだけどぉ………え?映画のタイトル?」
………
明らかに会話しているのだが聞えてくるのはニッキィの声だけ。
他に聞えるのは、外の道路を走る車の走行音。
どこかの部屋で見ているテレビ番組の笑い声。
それから……階段を上がってくるカツカツという足音。
……それだけだ。
話し相手の声は聞えない。
「……なんたらオブ・ザ・デッド?!誰よぉ!?そんな変なタイトル教えたのぉ!そりゃあのプロデューサー、そんな頭悪そうな映画っきゃ作んないけどぉ……」
……足音は階段を登り切って廊下にはいった。
「……タイトルはねぇ……このまえ教えたでしょ?アタシよぉ、アタシの名前!思い出したぁ??」
ブーッ……短く一回、すこし間をあけてブッブーと二回。
「……あれぇ?誰か来たぁ?ちょっと待っててぇー」
ニッキィは受話器を枕元に置いて、ドア口に向かった。
覗き窓から相手の様子を確認すると、相手の抱えた撮影スタジオのロゴの印刷されたクラフト封筒が真っ先に目に入った。
「あ!待ってください。すぐ開けます」
待っていた連絡だと思ったニッキィは、慌ててチェーンを外すとキーを外してドアを開けた。
「お待ちして……」
お待ちしていましたと、最後まで言い終えることはできなかった。
無粋なナイフが、白い細首を深く大きく掻き切ったのだ。

「被害者はニッキィ・スローン。カーモディーのプロデュースしてた次回作の主演予定だった女優だ」
連絡を受け空港から急遽駆け付けたハーパーの足元に転がっているのは、「女優」という言葉の不似合いな、極々ありふれた田舎娘だった。
死体を挟んで向こう側にはゴーントが、例によって壁にもたれて立っている。
「殺されたとき電話中だったんで、電話相手の男が異常に気付いてすぐさま警察に連絡したんだ。
その連絡先がトロント市警だったら、あるいは犯人を捕まえられたのかもしれんが……」
「……そうか、電話相手は湖の向こう側だったんだな」
「ウィスコンシン州警察は、トロント市警に連絡しろと言ったきりだったとさ」
ゴーントの口調は吐き捨てんばかりだった。
ニッキィの電話相手がトロント市警に連絡するまであいだに犯人は一連の作業を終え、悠々と現場を立ち去ってしまっていたのだ。
「この娘の喉を裂いた凶器は、カーモディーがお守り代わりにいつもベルトに下げてたナイフだそうだ。もちろん射殺されたときも身につけてただろう」
犯人は、カーモディーを射殺したその場で、被害者の身に着けていた「お守り」のナイフを奪っていったのだ。
「ただのナイフじゃないですね。アーミーナイフです」
死体の傍らに投げ捨てられた血まみれのナイフの上にハーパーは屈みこんだ。
「……そうでなきゃAになりません……」
「ついでに言うとアクトレス(Actress)のAってわけだな」
女優の喉は、不自然なカーブを描いて切り裂かれていた。
キャンバスが狭かったので、さすがの旅人も苦労したようだ。
ニッキィ・スローンの喉の傷は、無理すれば小文字の「a」に見えなくもなかった。
そのとき、ハーパーの携帯が再び着信音を奏でた!
『………ハーパーくんかい?オレだよ。ベックマンだ』
ゴーントから連絡受けたベックマンは現場には来ずに、ニッキィ・スローンの電話相手のところに向かったのだ。
『詳しいことはそっちに戻って話すが……ニッキィのボーイ・フレンドが言うにはな、殺される直前、ニッキィは自分が主役を演るはずだった映画のタイトルのことを話してたんだそうだ』
「主演を演るはずだった映画って……カーモディーがプロデュースしてた映画ですか?でもそれにいったいどんな意味が??」
『アラスカでのことを覚えているかいハーパーくん。君はあのとき、ジュディスの名前の謂れを話してくれたよね?』
「ああ……ええ、たしかそんなこともありましたね。でも……」
『聞いてくれハーパーくん。ニッキィのボーイフレンドが言ったんだよ。ニッキィの名前がそのまま映画のタイトルなんだって』
「ニッキィの名前が映画のタイトルと同じ?それはいったい……」
そして次の瞬間、大声でハーパーが叫んだ!
「そうか!そうだったのか!」

ハーパーはトロント市警本部の会議室でウィスコンシンからトンボ帰りしたベックマンと再合流を果たした。
「お疲れ様です」
「いや、この仕事長いからね。この手の移動はもう慣れっこだよ」
二人がろくに挨拶も交わさぬうちに、難しい顔をしてゴーントも戻って来た。
「やあトム。いいところに来たな。こっちは今しがた検査がおわったところだ」
「で、ゴーントさん。結果はどうでした?」
「……君の読みどおりだったよ、ハーパーくん。どうやらオレの負けだな」
「なあゴーント、調査とか言ってるのは例のパンフレットを調べたんだね?カーモディーの指紋は無かったんだろ?」
もうギブアップだ、というようにゴーントが両手を上げた。
「なんだトム。アンタも全部判ってるみたいじゃないか。判ってないのはオレだけか。もったいぶらねえでさっさと教えろ」
ハーパーとベックマンは、しばし譲り合うように視線を交わしていたが、やがて年かさのベックマンが「それじゃオレが……」と話しはじめた。
「きっかけはね、ニッキィ・スローンの名前の意味だったんだ」
「ハーパーくんも『そうだ』とか『判った』とか騒いでたが、ニッキィー・スローンはニッキィ・スローンだろ?他にどんな意味があるっていうんだ??」
ベックマンは会議室のホワイトボードにマーカーペンでNikki・Sloanと書き込んだ。
「ニッキー・スローン。殺された女優の名だ。これをこう書くと……」
ベックマンは、こんどは女優の名前の下に、発音こそ似通っているが全く別の言葉を書き添えた。
「Nicky・Throne……ニッキー・スローンだ。発音的には似ているが、しかしその意味は……」
「……悪魔の王座……そうか!」
ゴーントにもやっと納得がいったようだった。
「ニックとかディックは『悪魔』の別称だ。そしてスローンは王座か、なるほどな……だが待てよトム!それとあの旅行パンフレットとどういう関係があるんだ?」
「それはオレなんかに聞くよりも、携帯電話かパソコンで検索した方が速いな。試しに『トラヤヌス神殿』で検索してみろよ、ゴーント」
「…ちょっと待ってくれよ」とゴーントは携帯を取り出すと、パンフレットを見ながら一文字づつ入力していった。
「……さてと結果は……」
ゴーントは上着のポケットから老眼鏡を取り出すと、携帯の表示を読み上げた。
「やれやれ年はとりたくねえな……トラヤヌス神殿。ローマ帝国の属州ペルガモンに建てられた……」
「判っただろ?ゴーント。ペルガモン(Pergamon)。つまりPだよ」
「ま、まってくれよトム。たしかにPが出て来るにゃあ出て来るが……」
「いや、これで正解なんだよ。だってペルガモンは『サタンの王座のある場所』なんだから」
「サ、サタンの王座だと!?…トム、おまえいったい何を言い出す……」
だが、「……言いだすつもりだ?」と言い終える前にゴーントの口から言葉が途切れた。
そして二三秒の空白のあと、ゴーントの口から全く別の言葉が飛び出した。
「そうか!オレにも判ったぞ!答えは『ヨハネの黙示録』だな!!」



…ベックマンの声は低く静かだったが、とてもよく通る声だった。
「『ヨハネの黙示録』は、初期キリスト教の七つの教会に宛てて書いた書簡という体裁をとっているんだよ。
その七つの教会の一つが『ペルガモン』で、メッセージの内容は『サタンの王座の場所で忠実に証している』云々というものなんだ」
「つまりカーモディー殺しとスローン殺しは、事実上二件で一組ってわけか」
「そうだよジョン。だからこそ、同じトロントで連続して犯行に及んだんだね。ここで問題になるのが二つの点だ。一つは、ニッキー・スローン殺しの現場から持ち去られた物は何か?ということ。犯人は必ず何かを持ち去っているはずなんだ」
「そっちはオレが市警の連中に指示する。ただ、殺された女優の部屋には撮影スタジオから持ち出されたものもあるようなんだ。
……ホラー映画だったんだから凶器に使えそうなものはゴロゴロしてたはずだしな」
「それから、もっと大事なのが残されたアルファベットの意味だ」
ベックマンはホワイトボードにアルファベットを、事件の発生順に書きあげた。
「……アリゾナの『c』、アラスカの『k』、トロントの『P』と『a』。次のアルファベットが判れば、旅人の次の獲物をある程度絞り込むことができるんだが……」
ホワイトボードを三人で睨みつけること数秒………。
「……まいった」
真っ先にギブアップしたのはやはりゴーントだった。
「……こういう謎々まがいの仕事は苦手だ。オレは失礼して、市警の連中と一緒に『失せ物探し』で協力させてもらうよ。じゃあな……」
あばよと手を振ってゴーントが会議室を出ていった。
「……ハーパーくん」
FBI捜査官二人きりになると、ベックマンは切りだした。
「……もうそろそろFBI全体で動きだすべき時だと、オレは思う」
それはハーパーも考えていたことだった。
だが……
ハーパーはついこのあいだ、ロスのコーヒースタンドで出会ったウォレスと名乗る大男の言葉を思い出していた。

『……警察をはじめとする既存の捜査機関も、犯罪の変化に対応できなくなっているということなのです』

(……まさにウォレスの指摘したような犯罪だ)
僅かの間にアメリカを南北に縦断したばかりか、隣国カナダにまで足を伸ばして手早く二人を血祭りにあげた。
ゴーントが言うところの『旅人』は、ウォレスが指摘するところの超広域・超高速型のハイパー犯罪者だ。
(こんな犯罪者に、FBIの既存組織で対応しきれるんだろうか?)
「……それにハーパーくん」
ハーパーの思考を断ち切るように、ベックマンが声のボリュームを上げた。
「オレがなにより怖いのは、『旅人』が単なる殺人だけで終えるつもりだとは思えないことなんだ」
「……単なる殺人では終わらない?それはトム、いったいどういう意味なんですか?」
「『旅人』の残すアルファベットには小文字が使われている。
つまり単発の文字でなく、何らかの文章か単語を構成しているんだとオレには思えるんだ。だとすれば……その文章ないし単語が完結するとき……」
ベックマンの声が、友達に何かの秘密を打ち明けるときのように、低く低くなった。
「……なんというか、なにか特別な、とびきり邪悪なイベント的殺人が用意されているような、そんな気がしてならないんだよ」



FBI本体を動かすべくベックマンが上層部への働きかけを開始したころ……。

「やあ、アナタならもう一度来ると思ってましたよ。……どうぞ、座ってください」
サンベルト・ロレンツォは、医局内の食堂でニューヨーク市警のソフィア・プリスキンとの再会見をはたしていた。
「こんどはお1人で?」
…ロレンツォの問いには答えず、ソフィアは勧められた席に腰を下ろすと下げてきた紙手提げを二人の間のテーブルに置いた。
「……ドクター・ロレンゾに手持ちのカードを晒してもらうためには、私の手の内を晒さねばならないのでしょう……」
「手持ちのカード?」
「ドクター・ロレンゾ。アナタがルービン事件の現場で発見した『何か』のことです」
「…ん?私が見つけた『何か』ってのは、いったいなんのことです?」
「とぼけないでください。先日私がドクターをお訪ねしたとき、ドクターは私とグルック刑事をテストされましたね。結果は落第だったようですが……」
「……つまり……追試を受けたいということですか?」
それには答えず、ソフィアは手提げの中からA4サイズの一枚の紙きれをとりだした。
「これが私のカードです」
ソフィアは紙をロレンツォの方に滑らせた。
「実物を携帯で撮影して、パソコンからプリントアウトしました。実物は、新聞片面ぐらいの大きさです」
ロレンツォが紙を表に返すと……光のもとに晒されたのは異様な絵だった。
若い女と銀の盆か大皿にのった男の首……。
窓から差し入る光が絵の周りだけ避けて通っているようにも見える。
「御覧の絵は、ニューヨークのホテルでデルハイルが射殺された部屋に掛けられていたものです」
「これはまた……よくこんな絵をホテルは飾りましたね」
「グルック刑事もそう言いました。しかし、この絵はホテル側で飾ったものではありません。もともと掛っていた絵はありふれた果物の生物画だったんです」
「ホテルが掛けたものではない?……ではデルハイル自身が?」
「デルハイルでもありませんでした。殺された当日、朝昼晩の食事を部屋に運んだ客室係二人の証言では、絵は静物画のままたったそうです」
「……ということはつまり……」
「絵を掛けたのは犯人だと我々は考えました。そして「斬首」の絵を残した意味は、デルハイル殺しが「処刑」か「報復」であるという表明だと考えていたのです」
「なるほど……それでルービン老が死んだ時、アナタ方はそれが『処刑』または『報復』
の第二幕だと、そうお考えになられたんですね」
「しかし残念ですがそれは二つの意味でハズレでした」
「二つの意味と、おっしゃいますと?」
「ルービン老殺しは、表面的には事故死の体裁をとっています。しかし処刑や報復であれば、それが殺人であることを隠しません。むしろ逆に大声で喧伝するのが普通です。そしてもう一つは……」
無表情を通すソフィアの唇の端が、微かに引き締まる……。
「第二幕ではなかった。私は、ルービン殺しは第四幕だったと考えています」

「だ、第四幕!?」
さすがのロレンツォもソフィアの言葉に色を失った。
「では、二幕目と三幕目は?」
「二幕目はバーモント州サウスバーリントンで書評家のダン・アイアンズが撲殺された事件です」
「バーモントだって?ここタラハシーよりはまだニューヨークに近いが、しかし……何故バーモントの事件とニューヨークのデルハイル事件との繋がりが判明したんですか?」
「それは……私の同僚、グルック刑事のお手柄です。彼はデルハイル殺しの現場に残されていた指紋の照会を他の州警に依頼しました。
もちろんホテル従業員などの指紋は予め除いておき、正体の判別しない不明指紋のみ照会するのですが、グルックはそこで大きなミスを犯しました。
デルハイル自身の指紋を除き忘れたのです」
「はあ……なるほど。それでヒットしたんですね?デルハイルの指紋で」
ソフィアは極めて小さく頷いた。
「マッケンジーを撲殺するのに使われた象牙製の置物から、デルハイルの指紋が検出されました。アイアンズを殺した凶器は、デルハイルの持ち物だったんです」
「……そこでアナタは、今度はアイアンズの……」
「はい。アイアンズの指紋で各州警に照会してみました。すると、サウスダコタのスーフォールズで医師のマービン・レイノルズが殺された事件の凶器から、断片的にですがアイアンズの指紋が出ました」
「つまり……レイノルズを殺した凶器はアイアンズのものだった」
「出入りしていた者の話だと、殺人現場となった書斎で使われていたドアストッパーだそうです」
「……ドクター……ド・クター……ドアストッパー……ド・アストッパー……」
「ド」の部分を区切って歌うように発音すると、ロレンツォはかすかに首をかしげた。
そして、考えを仕切り直すようにいったん天井を見上げてから、改めてロレンツォは尋ねた。
「……それで、ルービンのバスタブに放り込まれた電気ヒーターから、サウスダコタの被害者の指紋が出たんですか?」
ソフィアは無表情な顔を一度だけ横にふった。
「診察室にあったはずのヒーターが確かに無くなっているそうで、型式もこちらの事件のものとよく似たものというところまでは判りました。しかし誰のものと判別できる指紋は検出されていないそうです」
「そうでしょうねえ、風呂の湯の中に落ちたから……」
ロレンツォが黙り込むのと同時に、彼の長い優美な指が、ギターでも弾くように複雑な動きを見せた。
そしてまた天井を見上げ、そして、ロレンツォの視線はソフィアの顔へと戻って来た。
「……なるほど。あなたの手の中のカード、確かに拝見させていただきました。それでは、私も自分のカードをテーブルに晒すとしましょう」
「ちょっと待っていてください」と言い置いて席を立ったロレンツォは、数分ほどしてから、様々な色で印刷された数枚の紙切れを手に戻ってきた。
「これは、私がルービン老の家を調べに行った時、殺人現場となった寝室で見つけたものです」
ロレンツォがソフィアの前に並べた紙切れ。
「……これは、いったい…」
無表情を通していたソフィアの弓のように弧を描いた眉が、ハッキリと動いた。
ロレンツォが見せた紙切れのど真ん中には、青空を背景に聳える白い廃墟が鮮やかに印刷されていた。
「観光案内のパンフレットですよ。トルコのエフェスにあるアルテミス神殿の廃墟です」

 「あ……」
パンフレットに手を伸ばしかけたソフィアにロレンツォは言った。
「一応手荒には扱わないでくれませんか?それ、本物ですから」
「ド、ドクター・ロレンゾ!あなたは証拠品を現場から勝手に持ち出したんですか!」
「かたいこと言わないでください。うっかり誰かに捨てられでもしたら適わないから、私が保管してただけですよ。さて……」
ロレンツォはソフィアの持ってきた絵の写しと、自分の持ち出した観光案内とを並べてみせた。
「プリスキン刑事、この二つには共通する要素があるんですが……何か判りますか?」
一方は、女と銀の盆と盆の上に載った男の首、もう一方は青空に聳える白い柱……。
一方は絵、一方は写真。
しかし、絵画も古代ギリシャも、およそ古典に関する知識はソフィアの得意範疇には含まれていない。
しばらくじっと眺めていると、ロレンツォが席を立ちテーブルを回って傍らに立った。
「プリスキン刑事の持ってきた絵は、『洗礼者ヨハネの斬首』。書いたのは、『光と影の巨匠』にして『オランダ最高の大画家』レンブラントです。ほら…見てください」
ロレンツォは絵の写しを光がもっとよく当たる場所に動かした。
「……光の中にあるのに、絵の周りだけ闇を感じませんか?そう、まるで光がこの絵を避けてるみたいに……これこそレンブラントが『光と影の巨匠』と呼ばれる所以なんです」
ロレンツォは美術の教師かあるいは画商なみに絵画の知識をもっているようだ。
一方、ソフィアがレンブラントについて知っているのは、子供のころ見た日本製アニメで、主人公の少年が見たがっていた絵の作者ということぐらいだ。
「レンブラントというと『夜警』が有名ですが、宗教画もたくさん描いてるんです。例えば………」
「ちょっと待ってください」
放っておくと果てしなく脱線しそうな危険を感じ、ソフィアはただちに軌道修正を図った。
「美術談義ならあとで伺います。それより本筋を先におっしゃってください!」
「いや、これは失敬失敬……」
黒髪の結い目の緩みを直すような仕草をすると、ロレンツォはようやく核心について切りだした。
「私が見つけた旅行案内はトルコのエフェス……いまでこそイスラム圏ですが、かつてはローマ帝国の一部でありキリスト教会もあった場所です」
「…ドクター・ロレンゾ!私は本筋を先にと…」
しかしロレンツォは、今度は話を止めなかった。
「……エフェス(Efes)は、ローマ帝国の時代にはエフェソス(Ephesos)sと呼ばれ黎明期キリスト教の教会もあった。洗礼者ヨハネは有名な『黙示録』の中でこのエフェスの教会について『偽りを退けたが、愛から離れた』と記しています……」