【ある旅人の観察日記】

ラムールの市場でカマキリを買った。
猫(猫人ではなく地球でよく見かける方の猫)程度のサイズで、しかもヒト型をしてるんで驚いたが、店主によると成人すれば2メトル超はざらだから力仕事にも向くといわれさらに驚く。
ただ、カマキリの女はイタした相手を食べる習性があるのでそっち目的には向かないとも言い添えられた。女の子だったのかと三度目の驚き。
なにやら主従を教え込むためだとかいう香水を吹き付けられ、首輪についた鎖の端を渡されると「あとは好きにしろ」というように店から放り出された。

あっさりすぎる扱いに呆然と路地に立ち尽くしていると、カマキリはついとこちらを見上げて、おもむろに肩によじのぼってきた。
別に重くもないので好きにさせていると、左肩の上を定位置と決めたらしくそこにちょこんと座したまま動きを止めた。これも香水の効果なのだろうか。
しかし、これで鎖は左肩からじゃらりと下がるかたちになってしまった。邪魔だが外すべきかどうかは難しいところだ。とりあえず数日様子をみることにした。



小腹が空いたので屋台でドネルケバブのようなものを買う。
空腹にまかせてかぶりついている間も、左肩の新しい連れは微動だにしない。こういう時のパターンとしてはいい匂いにつられて腹が鳴り打ち解ける…というものがあるが、彼女の腹の鳴る様子はなし。食事の回数が少ないとかそういうものならばいいんだが…。
ためしに今食べているドネルケバブ?の半欠けの半欠けを左肩に近づけてみる。あわせて「食べるか?」と声をかけてみるも反応なし。
ため息をつき、その一切れを口に放り込むため空中にトスした。落ちてこなかった。
左肩を見ると、彼女が掻っ攫った一切れを咀嚼するところだった。
動いてるものじゃないと食指が動かないということか?



街を歩いていると、猫人の子供が風精となにか赤いぬいぐるみのようなものをキャッチボールしていた。
なるほど、子供は友達だけでなく精霊ともこうして遊んだりするのかと観察していると、不意に左肩の彼女が翅をひろげて飛び上がり、空中でぬいぐるみを掻っ攫った。
一瞬、さっきと同じように動くものを獲物と誤認したのかと思ったが、戻ってきて再び肩に飛び乗った彼女は食いつくわけでもなくそのぬいぐるみ…赤い猿、だろうか?…をしっかと抱きしめていた。
当然、遊びを邪魔された子供と風精は口々に文句を言って返すよう要求してきたが、彼女は私の無駄な長身を盾に頑として渡すつもりはなさそうであった。
さすがに他人のおもちゃを取り上げる行為を見逃すわけにはいかないので、返すよう説得を試みたがこちらの言葉にも相変わらずだんまりを決め込まれる。そのうち子供が彼女の首から下がっている細い鎖に気づいてぐいと引っ張ってきたため、怪我をさせるわけにはいかないと反射的に引っ張り返したせいで意図せず綱引きになってしまった。
どうしたものかと困惑していると、向こうから赤い服の女の子があわてて駆けてきて、「すみません、その猿は私の物なんです。落としてしまったので探していました」と頭を下げてきた。
なんと、彼の持ち物ではなかったのか。子供の方を見ると、ばつが悪そうに鎖を離して「拾ったんだよ」と呟いた。
綱引きが終わり鎖が自由になると、彼女は女の子の前に飛び降りて赤い猿を手渡した。女の子はありがとうと感謝を述べて立ち去り、遊び道具のなくなった子供と風精もつまらなそうに舌打ちして帰っていった。

二人を見送ったあと、左肩の定位置に戻った彼女を見返す。
疑問はたくさんあったが、一つだけは言える。
彼女は「蟲人」であって、ただの「虫」ではないのだ。認識を改めなくてはならない。



砂埃の多い街中を歩いてあちこちじゃりじゃりするので、宿に戻ったついでに風呂に入ることにした。
幸いそれなりの宿なので小さいながらシャワーとバスタブがあり、湯温を精霊に細かく注文する手間(及びチップ)さえ惜しまなければ快適に入浴できそうだった。
入浴のために水精霊と交渉していると、左肩に座っていた彼女が急に肩から降りて、鎖の届く限界まで距離をとるとその場に座り込んだ。
もしかして風呂が…いや、水が苦手なのだろうか。まあ、濡れるとあの薄い翅が湿って飛びにくくなったり、呼吸器が虫と同じであれば湯船に腰まで浸かるだけで溺れるなんて可能性はたしかにある。ここまで明確に拒否の姿勢を見せるのは珍しいので、その意思を尊重しようと思った私は、その代わりにと濡れタオルを作って彼女に渡すことにした。
タオルを渡されると躊躇することなく丁寧に全身を拭い始めたため、彼女の文化ではこちらが主流らしい。安心して自分のバスタイムに専念することにする。
しかし、いつまでも「彼女」や「カマキリ」ではどうも収まりが悪い。が、彼女に名を訊いても果たして答えてくれるかどうか…。
翻訳加護のサービスはしっかり受けているのだから、発声器官がないなどといった問題ではなく単純に返答を拒否されているのは間違いない。さてどうしたものか。



カマキリの子を引き取って数日、何度も左肩に乗せたり降ろしたりしていたら、ジャケットの袖が破れた。
さすがに幼児程度でも人ひとりがよじのぼるのに何度も耐えられるほどの強度はなかったらしい。反省しつつ、久々の繕い物に取り組む。
ちくちくと破れた箇所を縫っていると、彼女が物陰に隠れたままちらちらとこちらを伺っているのに気づいた。それがいかにも悪戯の叱られ待ちをしている子供そのものだったので思わず噴出す。
姿や言葉云々はともかく、仕種はまったく普通の子供だ。
…さて、だとするとその普通の子供を鎖で繋いでいるというのはどうなんだろうか。

繕い物が終わると、私はちょいちょいと手招きをして彼女を近くに呼び寄せた。おっかなびっくり近づいてきた彼女の首輪から鎖を外すと、彼女はじっとこちらを見つめてきた。ああ、これはびっくりしてるんだなとなんとなく察する。
こちらの真意を測りかねる様子の彼女に、補修が終わったジャケットを着てみせる。彼女の指定席である左肩を中心に、革製の肩当などで補強した特別製である。これなら今後何度のぼられようと、そうそう破れたりちくちくしたりはするまい。
のぼってみなさい、というつもりで左肩をとんとんと指で叩いて指し示すと、彼女はいつもよりも心なし勢いよく飛び乗ってきた…気がした。



ラ・ムールゲートとなっている遺跡を見学にいきたいので、斡旋所で護衛役を雇うことにする。
引き合わされたのはいかつい見かけによらず気さくな感じの蜥蜴人の男だった。名前を尋ねるとカナヘビと名乗った。変わった名前だと思っていると、芸名みたいなもんだから深く気にするなと笑った。
道中の竜馬車の中ではおしゃべりな彼に誘われてさまざまなことを話したが、弾みで肩に乗せた彼女が話してくれない件まで口にしてしまった。
すると、カナヘビは「もしかしてそりゃあ『加護の適用外』だったんじゃないか」と言い出した。適用外? 思いもよらぬことに困惑していると、彼は詳しく話してくれた。

要は、蟲人の言語というのは他の大多数が行う音声会話とは異なる場合が多く、あまりに特殊すぎるため、マセ・バズークへ行く予定がある人、もしくは蟲人も出入りすることが多いここラ・ムールやドニー・ドニーのゲートを通る人ならばともかく、それ以外…特にいまだにマセバと少々険悪な関係にあるオルニトや、水中を嫌って蟲人が寄り付く機会の少ないミズハなどでは省略されるケースが少なくないらしい。
かく言う私は、ミズハ経由でここに来た口である。ピンポイントにアウトであった。
「なんだったら、ちょいとディセト・カリマの方に寄り道してみるってのはどうかな」
カナヘビによると、ディセト・カリマのある蟲人が失語症や音声会話ができない種族の会話補助をしてくれる「蟲」を育成しているとのことだった。それを使えば、わざわざミズハまで戻って翻訳加護の更新作業をする手間が省けそうだ。喜んでその申し出を受け入れることにした。
「ところで、この子が喋れないと何が困るんだい?」
カナヘビの問いに、私は「名前が聞けない」と答えた。彼はその日で一番大きな声で笑った。



ディセト・カリマに到着した。
ここはラ・ムール最大の歓楽街にして、西の三国境界に程近い陸の貿易拠点でもある。
「街のほとんどにエルフの息がかかってるんで嫌うやつはほんと毛嫌いすんだが、住むには案外いい街だぜ」とはカナヘビの談である。接している国境のひとつはエリスタリアの冬の国なのだから、エルフの影響力が強まるのは仕方のない側面があるのだろうか。
自分の売られていた場所よりもさらに賑やかな街の雰囲気に、左肩の上でカマキリの少女がきょろきょろとせわしなく街の風景を見渡す。道中での一度の脱皮を終えて、その体は少しだけ大きくなっていた。今でも正直ぎりぎりなので、あと一度脱皮したらもう肩には乗らないだろうと思うと、少し寂しい心持がした。



「例の蟲の件で異人の旅人さんには刺激的過ぎる場所に行ってくるから、寄り道した分の物資を買い足しするなりしてちょいとだけ待っててくれ」と言い残して、カナヘビは怪しい裏通りへと消えた。
この街のアングラな部分が関わる代物だったのかとその蟲の安全性に少々不安を抱くが、道中話した感じではいかにも人のよさそうな男という印象だったこともあり、ひとまず信じて任せることにする。

やっておくべきことを一通り済ませ、待ち合わせの宿の食堂で少女と遅めの昼食をとっていると、不意に聴き覚えのある旋律が耳をくすぐった。
思わず振り向くと、食堂の一角に設えられたステージでハーピーの少女が歌声を披露していた。見た印象だけでいえばいかにも異世界らしい光景なのだが、歌っているのが数年前に地球で流行った曲というだけで随分な違和感を感じるものなのだなと、素晴らしい歌声を堪能しつつもしみじみと思う。
『常連の客に異人がいて、その彼から教わったらしい』
すぐ隣からそう声をかけられる。慌てて向き直ると、知らないうちに隣席にダークエルフの女性が座っていた。顔や腕などに刺青が目立つ、何らかの祭司の出の人なのだろうか。
『不躾でごめんなさい、貴方が蟲を買いにきた異人さん?』
警戒する少女をなだめながら頷いて、すぐに違和感を覚える。その女性の口は動いていなかったのだ。
声の発生源を精査して、私は女性の胸元にブローチのように張り付く「それ」に気づいた。
『そう、これが貴方の探している蟲』
スズムシのように硬い翅を擦り合わせ、拳大の甲蟲が声を発した。



褐色の肌に刺青を刻み、人語を奏でる蟲を連れたその女性はウルと名乗った。
彼女によると、いま「お喋り蟲」の成虫は在庫を切らしており、数日で羽化できるほどの蛹もないという。勿論彼女から譲り受けるというのも論外だろう。
肩を落とす私と少女に、ウルさんは『流石に収穫なしで帰らせるのも可哀相だから、ちょっとだけ使わせてあげる』と申し出て下さった。いいのだろうかと尋ねると、ウルさんは『心配したケースじゃなさそうだから』といって、彼女が来た本当の理由をちょっとだけ口にした。
彼女によると、「お喋り蟲」は少々後ろ暗い目的のため作られた蟲で、会話補助はその副産物にすぎないのだという。そのため、この蟲をよからぬ目的のために買い求めに来たならばそれ相応の対処をしなければならなかった…らしい。
ちなみにカナヘビがこの場に来なかったのは、「お喋り蟲」のことを軽々しくよそ者に話した件で「えらい人」にお説教されてるからだという。『厳重注意ですませるみたいだから安心して』と言ってはくれたが、テーブルの下の足が震えた。

人目を避けるため宿の借り部屋に場所を移し、『これで圧縮なしの表層思考が聴けるはず』といって蟷螂人の少女にいよいよ蟲が取り付けられた。
何かに戸惑うようなわずかなノイズの後、ようやく“少女の声”が語りだした。というより、積もり積もった思いをすべて吐き出すようにまくしたてた。
全部を記述すると紙面がそれだけで埋まってしまうので要約すると、「オオキナヒト(多分私のことだ)、拾ってくれてありがとう」「どこそこで食べたあれがとてもおいしかった(これまで一緒にした食事すべてを覚えていた!)」「オオキナヒト、大好き(ウルさんに「よかったね」というように微笑まれ私は耳まで赤くなった)」と、大体そんな内容で占められていた。
そして、言葉の端々に一人称として登場する「トゥーロ」というのが、おそらく彼女の名前で間違いなさそうだった。
話したいことをみんな吐き出して「あとね、えっとね」ばかりが続くようになったところで、私はトゥーロの頭をそっと撫でて感謝の言葉を伝えた。
もう十分だ、あとはちゃんと翻訳加護の更新をして今後は本人の口から聞こう。



ウルさんが蟲を手に去ってから半時ほどして、ようやくカナヘビが宿に帰ってきた。
「えらい人」によほどこってり絞られたらしく、別れた時とは別人のようにやつれた姿に同情心を覚えるが、本来ならばアングラの領域に首を突っ込んでこうして生還できただけで信じられないほどの温情判決であろう。
積極的に関わろうとは断固として思わないが、私は裏路地に転がる死体(エルフの怖い噂になぞらえるなら樹木の肥料か?)の仲間入りをせずに済んだ件についての「えらい人」の温情に感謝した。

護衛役が憔悴して役に立たないのではおちおち出発もできないので、滞在期間を一日か二日延ばしてカナヘビに臨時休養を与え、英気を養ってもらうことにした。
言いたいことを伝えられてもう何を気にすることもなくべったりになってしまったトゥーロを連れ、ディセト・カリマの明るい表通りを散策する。なんだか歳の離れた妹か姪でも出来たようでなんとも面映い。
ただ今回、屋台の匂いには食いつくように反応をするトゥーロが、珍しく反応を示さないことがあった。
視線の先を追うと、猫人の親子が手を繋ぎ笑顔で歩いていた。
ちらちらと自分の捕脚(カマ)と親子の手を見比べる気配もあり、なんとも欲求が分かりやすい。
次の脱皮までに、トゥーロと握手しても大丈夫なグローブを準備するべきのようだ。



「予防接種、ですか」
ディセト・カリマ滞在中、トゥーロを預けている臨時託児所の養護教諭的な役割を担っているというエルフの女性に呼び出され、私はそんな相談というか報告を受けた。
「はいぃー。蟷螂人の場合は少々心配なモノもありますのでぇー、出来るときにしておくのがいいかと思いますよぉー」
妙に間延びした口調のエルフさんだと思う。
「心配なモノ、というと」
「いろいろありますけどぉー、いちばんは狂化蟲ですかねぇー」
狂化蟲。以前関わった“お喋り蟲”に比べると、なにやら物騒な響きのモノが出てきた。
「蟷螂人というのはぁー、マセバ本国でも切り込み役を任せられることが多かったそうなんですねぇー。それでぇー、精神の昂揚にぃー、神経伝達の強化ぁー、逆に痛覚を鈍化させるなどの役割を持った寄生虫を作ってぇー、戦場に出る蟷螂人に投与してたらしいんですぅー」
ほんとうにすごく物騒だった。
「今はぁー、各コロニー間の協定もあって廃止された措置なんですけどぉー、野生化したものが細々と宿主を渡り歩いてたりぃー、そういうのを非合法組織なんかが拾って使うこともあるのでぇー、いまだに根絶には至ってないわけですよー」
「はぁ…」
「基本的にぃー、感染者の体液に接触しないかぎりはそうそう感染することはないんですけどぉー、なにぶんこういう街ですしぃー、何か起こってからでは遅いと思いますのでー。予防接種とは言いますけどぉー、つまりは狂化蟲の寄生を防ぐ別の寄生虫をー、人為的に寄生させるという形になりますぅー。あ、勿論健康に悪影響はありませんからー」

かつては各戦場での目的にあわせ調整して投与されていたものが、野生化した折に変異した結果、現在も残っている変異種の感染者は狂化蟲の感染を拡げる目的のために死ぬまで血みどろの殺戮を繰り広げるそうだ。なるほど、狂化蟲とはよくいったものである。
私も当然トゥーロにそんな最期を遂げさせたくはないので、予防接種の件を即承諾した。

「はい、ちくっとしますよぉー」
エルフ先生が不意打ち気味の素晴らしい手際で注射を終え、私はびっくりして硬直したままのトゥーロを抱えて診療所を出た。
じたばた暴れなかったのにはほっとしたが、十分経ってもかたまったままなので流石に心配になってきた。
今日はなにか美味しいものを食べさせてあげようと思う。



翻訳加護の更新自体はラムールゲートでも可能とわかり、休養したカナヘビと合流した私は当初の予定通りゲート遺跡へと向かった。
道中、ふたたびトゥーロに脱皮の兆候がみられたが、今回は以前とは何かが違っていた。前より苦しそうな様子のトゥーロに私はディセトへ引き返すことを提案したが、当のトゥーロが私の袖を掴んで「必要ない」というように首を振るのでそれ以上は主張できなくなってしまった。
心配事を抱えながらも竜馬車は目的地に到達し、ゲート接触の手続きが済む頃にはトゥーロも馬車の中で羽化の準備にかかろうとしていた。
一刻も早く更新を済ませトゥーロのそばにいたいという焦燥感にかられながら、私はラムールゲートへと身を投じた。

ゲート内の神域、神霊の窓口で何処からか湧き出した書類にサインをし、神霊がぽんぽんといくつか判子を捺すと更新作業はあっさり終わった。
ゲート内の時間の流れは一定ではない。急いでゲート遺跡を飛び出して馬車に向かうと、無事羽化を終えたらしく小学生くらいの体躯になったトゥーロが私の名を呼びながら飛びついてきた。
ようやく彼女自身の口から言葉が聴けるようになり安堵するのもつかの間、私はいつもながら異世界の不思議に驚愕することとなった。
彼女の捕脚の関節部から、まるで当然のように手が生えていたのだ。甲殻に覆われているし、指の数は片手四本ずつと少々変わっているが、紛れもなく人間的な手指である。
「オオキナヒトと手を繋ぎたいと思ってたから丁度良かった」とはトゥーロの言葉である。…蟲人は願望で成長過程が可変でもするのだろうか。

彼女のため新調したグローブは、結局一度も出番のないままお蔵入りとなった。



最近、トゥーロが私に肌を隠すようになった。先日体を拭いているところにうっかり踏み込んでしまった時など、悲鳴をあげられるという初めての経験をした。
さらに、以前はスモックや大きめのTシャツなどで十分といった感じだったが、姿が大きくなって心もそれにつられたのか最近はいっぱしにおしゃれをしたがるようになってきた。
さて、そうなると男親というものは無力である。当然ながらカナヘビも女の子の服など皆目わからない口であった。
どうやら、ふたたびディセトを訪れる理由が出来てしまったようだ。



ほくほく顔の商人、スキップするトゥーロ、そしてため息をつく男二人。
「…女の服ってなんでこんな高いんだろうな」
私の懐具合が自分の報酬に跳ね返ってくるカナヘビが同情したように言った。
しかし、見栄えがそこそこよくてリボン一つ解けば袖口が大きく開ける(つまり鎌が使えるようになる)服という随分と偏ったチョイスなのに、仕立て直しで即座に対応してくれるとはなかなかの店だった。店内にミシンもあったが、地球からの輸入品だろうか?

トゥーロはこれまで鎌を使って物を掴んできただけに、手を使った作業にはまだまだ慣れが必要そうだ。
形容するのは難しいが、幼児がフォークとスプーンでの食事から箸での食事に切り替える程度には大変だろう。このへんは根気強く教えるしかない。
とはいえ、本人は私と手をつなげるだけでとても幸せそうである。実際私も悪い気分ではない…カナヘビににやにや見られることさえ我慢すればだが。



さて、楽しいラ・ムール観光もそろそろ終わりが近づいていた。
帰路は港町まで川下りし、さらにそこからミズハ行きの定期便に乗船と船旅続きである。
砂漠の中を試練の神の威光に炙られながら歩く心配こそないものの、私には船中考えるべき難題が存在した。
大河を下る船の上、退屈にこっくりこっくりしていたトゥーロが私の膝にもたれて寝息を立て始めるのを確認すると、流れ行く川岸の景色を眺めていたカナヘビがぽつりと切り出した。
「で、兄ちゃん。帰るにしても嬢ちゃんはどうするつもりなんだ?」
この聡い護衛役には、私の悩みもお見通しであった。
「俺はまあ、このまま港に着いたらそこで契約満了でおさらばだから口出す筋合いでもないんだけどよ。見たところ、毎日べったりの嬢ちゃんを兄ちゃんも憎からずっつうか、そのままポイするには情が移りすぎてるみたいに見えるんでな」
まったくその通りだった。
「まあ、兄ちゃんは時たまヘンな金持ち異人がやる、金が続くかぎり奴隷を買い集めて『これでもう自由だー』とかいって放り出して路頭に迷わすような無責任野郎じゃなさそうだし、悩むのはちゃんと嬢ちゃんの将来を考えてるってこったしな。じっくり悩んで、決めてやってくれや」
カナヘビの笑みに無言で頷いて返す。
決めるべきは、もう腹に決まっていた。ただ、私はそのための手続きその他をよく知らず、何より独身であったから。さて、どうしたものか。



帰国した私は、紆余曲折あり神戸ポートアイランドへ引越しすることになった。
トゥーロと一緒に暮らすためには、この出島に移住するのが現状ベストの選択となる。養子縁組など解決すべき問題は残ってるが、その間トゥーロを放って置くわけにもいかない。
幸い、彼女を学校に通わせる目処もつきそうだった。取り寄せた十津那学園初等部の願書に目を通しながら、私はほっと息をつく。
「オトーサン、こっちのお部屋は片付いたよ」
一服しようとコーヒーを淹れていると、割烹着のトゥーロが荷物の整理を終えて居間に戻ってきた。
ゲート審査の時に神様に吹き込まれでもしたのか、帰国以来私のことを「オオキナヒト」ではなく「オトーサン」と呼ぶようになり、以前以上にくすぐったい雰囲気に私はひそかに身悶えている。


  • トロ子がどんどん女の子っぽくなっていく・・・! -- (名無しさん) 2012-10-30 20:12:16
  • スレで話にあがっていたので拝見しました。蟲人のトゥーロの成長描写が濃くて微笑ましいのと異種族という関係を考えさせられました -- (としあき) 2012-12-31 03:59:15
  • 成長が読んで実感できる作品は次が楽しみになる -- (名無しさん) 2013-02-08 00:50:36
  • 見た目、風呂、食事と意外と人間と同じ生活をするための相違点が多いんだなと実感 -- (名無しさん) 2013-05-03 20:25:47
  • カナヘビさんはかなり世話焼きなお人好しで、裏表なく地で生きている人っぽい印象。 トゥーロの脱皮(言葉が使えるようになる)までの大きな人との触れ合いが心温まる -- (名無しさん) 2013-05-24 14:27:48
  • 意外と手間のかかる衛生問題。蟲人の本能と注射にガクブルするトロ子がツボ -- (とっしー) 2013-10-03 23:23:50
  • はじまりが物としてからということに何の疑問もない立場から心と触れ合うことで変わっていく。しかし変わることが後に本人にとって幸せなのかどうか…今はただ見守りたい -- (としあき) 2014-01-10 21:00:51
  • 異種族と触れ合う中でどんどん相手への意識が変わっていく様子が微笑ましいですね。様々な人物との邂逅もいいアクセントになっているのとトゥーロの成長の進み具合と仕草が絶妙なまでに重なっているのがすばらしいです -- (名無しさん) 2015-02-23 17:48:26
  • 本能のままの動物のような状態から人として接することでの変化がなんとも心くすぐる。道中も丁寧に他キャラ -- (名無しさん) 2017-03-18 18:09:37
  • と接しているのもいい雰囲気 -- (名無しさん) 2017-03-18 18:09:57
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最終更新:2013年10月02日 23:06