オルニト、図書館、三階、とある区画、一人のバックパッカーが歩いている。
本棚はやけに高く、棚と棚との間は広い。
古本のあの特有の匂いが鼻をかすかにくすぐる。
ひどく暗く、本棚の輪郭がぼんやりと見えるだけ。
その例外の一つはバックパッカーの周辺、そこは明るく照らされていた。
バックパッカーの斜め上、本棚の縁、そこをうねうねと進む、光るカタツムリの功績であった。
正体は、光の精。明かりになってくれとの頼みに応じたのだろう。
なぜカタツムリの姿をとっているかは、彼の精霊のみぞ知るところだが。
バックパッカーは、ゆったりと歩いていた。
視線は本棚に、時折に背表紙に触れて。
目的があるようには見えなかった。何となく図書館を楽しんでいるのだろう。
だらだらと歩いていたバックパッカーは、ふと歩みを止める。
視線の先には緑色の本があった。
鮮やかな緑色に目を惹かれ、バックパッカーは手を伸ばす。
伸ばすが位置が高く、微妙なところで取れない。
棚に手をかけ、背伸びし、もう少しなのだが、もう少しのところで取れないのだ。
そんなとき急に、
グンッと、バックパッカーの視点が高くなる。
悪戦苦闘していたのが嘘のように、簡単に手に取れていた。
そして、スッと元の高さに戻った。
石畳の床が一時的に盛り上がっていたためであった。
精霊のやったことかと、バックパッカーは周りを見渡すが誰もいない。
ただ不思議と懐かしい匂いがあたりに漂っていた。
その感覚に、バックパッカーは土の精がいたことを悟る。
「シャイな精霊ってのもいるのか……?」
気を取り直し、
手に持った本に、バックパッカーは視線を落とす。
やたらと凝った装丁であり、甘い匂いを纏っていた。
バックパッカーは胡坐をかき、石畳の冷たさを感じながら、本を開いた。
――Diomarは????妹?faciem但involutapetalis湯美瑠大神
搶斷嘴唇しUncontrollably劇Ymrm驚訝清醒ましめ
然而小蕾将に散らんとす――
眩暈。
バックパッカーが感じたのはそれだ。
理解しがたい文字列が元気よく躍っていた。
古い古い文であり、翻訳の加護の及ぶところではないようだ。
「一々面倒だな、もうちょっとくらいサービスして欲しいんだけど」
バックパッカーは呟きながら、懐からなにやら取り出した。
「これも照らしてくれ」
手には一枚の折り紙があった。光の精に照らされ、鮮やかに赤い。
ありがとうと、バックパッカーが告げる。
『どういたしまして』と、光の精が返した。
そして、しばらくの時間が流れ、
石畳の上には一匹の恐竜が雄雄しく立っていた。
出来は十分だと、バックパッカーは満足げにしている。
光の精も興味深そうに眼を伸ばしていた。――眼で認識している訳ではない。単なる光の精の趣味だ。
「うまくいってくれよ…」
拍手を一つ打って恐竜を放り投げた。
ギュンッと小さな旋風起こり恐竜が掻き消える。
頭の中に風が吹いたかのような感覚を、バックパッカーは感じた。
視線を本に落としてみる。そこにあったのは、
――しかし花びらに包まれ眠る妹ユミルムの寝顔に恋に落ちてしまったディオマーは
抑えきれず唇を奪ってしまい、驚いたユミルムが目を覚まし
その弾みでまだ小さな蕾は散ってしまう ――
「読める、読める。
さっきは面倒だとも言ったが、やっぱり便利だなあ」
なるほどと一度呟いたあと、バックパッカーは無言であり続け、
パラリ、パラリとの音だけが染み渡るように響いていった。
読み、読み、折り、読み、
肩が凝って首を回し、腕時計を見る、
随分と時が過ぎていたことにバックパッカーは気付いたようだ。
そろそろ宿に戻ろうかとバックパッカーは思った。
読んでいた本を戻し、中央の吹き抜けまで歩いていく。
少し迷いながらも、吹き抜けへと無事にたどり着いた。
吹き抜けの辺りは、光の精がふわふわと何体も浮いていて、ほんのりと明るかった。
照明になってくれていた光の精に礼を言うと、
光の精は『またね』と告げて、ぬめぬめと這いずり去っていく、
そしてバックパッカーから見えなくなったあたりで、勢いよく飛んでいった。
最初から飛んでいけばいいのだが、あの精霊なりに何かこだわりがあったのだろうか。
さて、ここは四階だが階段も梯子もない。
ついでに、バックパッカーに翼なんてありはしない。
よって、バックパッカーは風の精を捜さねばならなかった。
幸いなことに、苦労なく居場所は知れた。
先ほどから、図書館に不釣合いなカレーの匂いが感じられた。
バックパッカーは確信する、風の精がいると。
なぜか。そう、ここ近辺の風の精の中でカレーの匂いが流行している。
この国にはカレーはない。どうせ地球人の仕業なんだろう。
風情がないので、バックパッカーはあまり気に入っていないが。
補足すると、水と、火の精は花の匂い。
そして土の精は一昨日から醤油の匂いを漂わせていた。
土の精の匂いも地球人の仕業に違いないが、これは全力で称えようとバックパッカーは決めている。
それまでは血の匂いを纏っていて、物騒で仕方がなかったのだ。
閑話休題。
風精霊を見つけたと、喜色をあらわに振り向いたバックパッカーであったが、
姿を見た瞬間、うひょう!と叫んでしまった。
その風の精の外見はとにかく奇抜、各種南国フルーツと鰻を適当に合体させたような、
なんというか、とにかく奇抜であった。
ついでに加えると、ヴォンヴォンと低音を響かせていた。意図は分からない。
バックパッカーは精霊について真面目に考えることの不毛さを悟っていた。
よって、よくわからないことはスルーして、下に降りたいとだけ伝えた。
すると精霊は、頭部?のパイナップル?から突起?を一本伸ばして高速振動させた。
何かを伝えようとしているらしい。
もうすこし分かりやすくと、バックパッカーは頼み込んだ。
精霊は何を思ったのだろうか、
胴体?の各果物じみた部位から様々な色の突起を伸ばし、ゆっくりと波打たせた。
バックパッカーは即座に諦めた。
精霊との付き合いで最も大切なことは、切り替えの速さだと信じている。
すぐさま回れ右とバックパッカーは精霊から逃げ出した。
しかし、精霊にまわりこまれた。
偶然かちあったと思い、向きを変えるも、またもや回りこまれる。
少し考えて、バックパッカーは一つの案を思いついた。
注意を逸らして、そのうちにダッシュしよう。
そう決めると鞄から金色の折り紙を取り出し、紙飛行機を折る。
そして明後日の方向に、ていやっと紙飛行機を飛ばした。
光の精に照らされ、きらきらと紙飛行機が飛んでいく。
心惹かれたのか、それの後をついて精霊も飛んでいく。
精霊が紙飛行機を追いかけて行ったので、これ幸いにと走り逃げる。
が、失敗した。体が浮遊し、地を蹴って進むことが許されない。
あわわと慌てていると、急に体が尋常じゃない速度で吹っ飛ぶ。
ふくろうの司書の近くを掠め、悲鳴交じりの怒声が耳を打つ。
減速なしに外へと飛び出すバックパッカー。扉は勝手に開き、閉まった。
風圧も加速度も感じずにバックパッカーは飛行している。
誰かの悲鳴をドップラー効果と共に置き去りに、
街を縦横無尽に飛び回るバックパッカー。
そして急停止。ふわりと落下。
停止した思考が再始動。
なんだこれー!と思いっきりバックパッカーは叫ぶ。と同時に開いていた窓が閉まった。
まわりを見渡してみると、宿の自分の部屋だった。
ためいきを一つ。
今日は疲れたと、バックパッカーはもう寝ることにした。
そうして何故か部屋の片隅にいた闇の精に消光を頼み、
毛布に包まり、眠りに就いたのだった。完。
- 世にも不思議な図書館。 精霊のバリエーションの豊富さと自然に他国の歴史を見せ上手さを感じた。 文字や言語が多く題目にあがるだけに異世界の文献の様式なども気になる -- (名無しさん) 2012-08-25 14:38:14
- 仕掛けの多い図書館と言うだけでワクワクする。 読めない本ほど読みたくなる不思議 -- (名無しさん) 2012-10-30 17:48:29
- 読めないページや精霊の見せ方が異世界らしくてどんなものか思わず想像しました。最後の大どんでん移動のファンタジックさのオチも楽しいですね -- (ROM) 2013-03-01 21:53:22
- ほんのり柔らかい精霊との接し方にわむ。不思議な文字の理解の仕方も面白い -- (名無しさん) 2017-04-11 18:39:58
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最終更新:2011年10月17日 12:33