夢術 香奈絵オープニングSS「白昼夢」

――現世時間 2014/07/05

なぜ、体育の後に授業があるのだろうかと私はいつも疑問に思う。
体力を使うから集中力は落ちるし、汗も洗えないから不衛生だ。一日の最後に体育を入れればいいのに。
「はい、じゃあそこまで、今の文章は……」
教師の声が呪文となってまどろみを誘う。私の記憶にあるなかでは、国語教師は決まって良い声をしている。
まあ、彼らも文学だのを愛しているからからこの仕事に就いたのだし、朗読も趣味の一つなんだろう。
それは結構なことなのだが、教員としては欠点にしかならない。聞いているとひどく心地よく眠れそうなのだ。
「……であって。つまりこれは作者の……」
ただでさえ、水泳で体力を使っているのだ。ちょっとぐらいいいかな、とうつらうつらと船をこぐ。
「……や。などは……」
「……群。ふた……」
「……い。あ……」
まぶたが重い。視界が歪む。教師の声が遠くなっていく。
そして、意識が暗転し。
眼前には、地下に向かう大きな階段が広がっていた。



――夢界時間 2014/07/05

「……あー、やっちゃったなあ」
意識が急にはっきりしてくる。まったく、夢の中なんだからもう少し曖昧な方が可愛げがあるというのに。
よっこいしょっと階段の一段目に腰を下ろす。今のところ、ここより先に進んだことはない。
迷うかもと念を押されてはいるし、何よりこの先に何があるかなんて興味が無い。
「しょせんは夢の世界ですものなー」
そう、夢。あくまで夢なのだ。何が起ころうと私が知ったことではないし、出来ることも無い。
ここでの時間の進みは遅い。きっと授業終わりまでには教師に起こされるだろうから、2,3時間も待てば夢もさめるだろう。
長くはあるが、待てない時間ではない。下手に動きまわって変なものに会うのも嫌だ。
「……なんか出てきたら困るなあ。あいつらは……なんかの足しに、なるかなあ」
ぎゅ、っと胸の前で祈るように手を合わせる。心臓から何かが抜け出る感触。
それが手の中に入ったのを確かめて合わせた両手をほどく。
光のもやが立ちあがり、それが消えると古びた鎧に身を包んだ三人の騎士が現れた。
「お、くずれてないし朽ちてない。夢の中だからですかね……いやー無様ですね。こんなん、もともとの目的には役にたたないのに」
力が抜けていく体を床に横たえ、視界を剣を持った騎士のものへ変更。
ぐーぱーぐーぱーと握って開いて。うん、これなら虫ぐらいなら倒せるだろう。
……少しは使えるってことは、私もまだ夢を見てんのかね。や、夢の中だし夢を見てるんだけど、そういうのじゃなくて。
「あんたらも元気そうだねー。弦もあるし槍もまっすぐだ。よかったよかった」
とりあえず確認して、やっぱり階段に腰を下ろす。
こいつらは私の分身みたいなもんだから、暇つぶしに遊んだり話したり出来ないし。あくまで護衛っすよごえー。
「……あーあ、こんなことになるなら寝なきゃよかった。早く起こしてもらえないかなあ」
首をごきごき足をぶらぶら……最近使ってなかったから、ちょっと楽しくなってきたな。
「……むう、まっしぶな体に宿るほのかな全能感。虫ぐらいなら、ストレス解消になるかもね」
立ちあがり剣を構えてフルスイング!体の動きに連動して刃はぶんと空を斬る。
上出来上出来、本物の全能には程遠いけどね。まあ役には立つ。
本物の全能感はこんなもんじゃないんだけど、上手く表現できないしあんま覚えてない。
所詮次元が違いますからなー。3次元移動も限定されてて4次元目には流されるだけなんて、不便すぎて涙が出るぜ。
2,3,4,とスイングを繰り返す。やべえ、楽しい。素振り100本でもしてれば時間も過ぎるかな。
ぶん、ぶん、ぶん。
ぶん、ぶーん、ぶん、ぶぶーん。
なんか変な音が混じってるなあ。いやな予感が背筋をなぞる。
他の二騎から警戒信号。視界をジャックするとでっかい虫さんが!
「蜂蜜酒なしで来てんじゃねーよ!」
私の文句にぐあっと口をあけて答える虫たち。こっちの事情なんかしったことじゃねえっすか。
まっとうな召喚じゃないのであちらさんもやる気まんまん。……私はやる気満々じゃないところなんて見たこと無いけど。
ま、これだけ動けるなら敵じゃないし。ちゃっちゃっと追い払いますか。
がちん、と閉じられた顎をスウェーバックで回避。やるしかないなあ、と剣を構える。他の二騎との連携もチェック。
前衛の槍が攻撃を凌ぎ、後衛の弓がダメージを蓄積。私は遊撃で奇襲したり攻撃じゃましたり周りを警戒したり、あと体を守ったり。
使ってないのに錆ついてないなー。なんか恥ずかしくなってくる。
……こうしていると、なんだかあの時のことを思い出す。
目の前の戦闘に集中するべきなんだろうけど、何故だか私はあふれ出す記憶に身をゆだねた。
あいつらに任せててもまず負けねーし。



――夢界時間 2010/07/05


眼前に迫る顎を頭を下げてかわし、走りだす。
私の頭をかみそこねた虫のような生き物は、その直後に大きくのけぞる。
左目の端を“意志”と共有、虫の頭に槍がささっている事を確認し、そのまま地面にたたきつけさせる。
突進する私を挟み込むように左右から虫が飛んでくる。視線はずらさず、剣を右側に振り落す。硬質なものが潰れる感触。
左目に映した“練達”の視界を使って“勝利”の照準を合わせるのは成功だ。今の私なら出来るとは思っていたが、それでも内心胸をなでおろす。
左側の虫は“練達”の矢に羽を貫かれ、地面を這っている。“意志”の槍で止めを刺す。
地面にこぼした黄金の蜂蜜酒を舐めようと舌を伸ばしたまま虫は絶命した。
最初は視界を埋め尽くすほど居た虫も、随分と少なくなった。
私たちの顔に笑みがこぼれる――といっても栄光の三騎士 “勝利”“意志”“練達”は兜が顔の様なものだから表情は変化しないのだが――
戦える!神格すら持たない末端生物とは言え、古の存在と戦えている!
喜びを噛みしめていると、衝撃とともにはきもどしそうになった。
がしゃがしゃと音を立てて地面を転がる。隙を突かれ虫に体当たりをされた。地面に打ち付けられた私に、さらに追撃をかけようと虫が飛んでくる。
片手で剣を振る。虫はわずかに体をそらす。当たらない。今度こそ止めを刺してやると鋭い牙を広げ。
待ち受けたように飛んできた矢が虫の眼球に吸い込まれる。かちかち、と牙をならすと、虫は大地に体をこすりつけ私の目の前に落ちた。
私は起き上がり剣を構え直す。そうだ、こんなところで喜んでいてはいけない。
目標はあくまで外なる神々に対抗しうる力を得ること――来年やってくる滅びを止めること。
こんな奴ら、簡単に倒さねばいけないのだ。
迫りくる虫に向かって剣を振り下ろす。刃は吸い込まれるように虫の頭へ――

―――ゴォォォォッ!

突然の暴風。あわてて体を低くし、飛ばされることを防ぐ。
飛んでいる虫たちは風にあおられ、まともに動きが取れないようだ。めちゃくちゃに羽をはばたかせながら風の中を流されている。
虫たちの向こう側から、風にのって数本のロープのようなものが流されてくる。
虫たちはより激しく羽を動かすが、暴風の前には無駄な抵抗だ。流されてきたロープは虫の体に絡みつき、今度は風の流れに逆らい虫を引きずり込んでいく。
突如現れた風を纏う触手の怪物。中心の見えない巨大な竜巻の中に無数の触手が流れているような姿のそれは、捕まえた虫を竜巻の奥へと引っぱっる。
ごりごり、ごりごり と中心に寄るに従い虫の体は――あたかも咀嚼するかのように削られ――ペースト状になりそのまま消えた。
感じたのは恐怖、そして嫌悪。
虫のような生き物はまだ地球上の生物で例えることが出来た。だが、この巨大なものは最早生物とも思えない。
体が震える……今はまだ、竜巻は虫の様な生き物を引きずりこむのに夢中だ。
つまり。

奇襲のチャンスだ!

恐怖を感じる、嫌悪を感じる。それは正常な反応だ。
なら、その感情を判断の糧とすればいい。もとより“不屈”たる私にあきらめることなどあり得ない。
「お前も喰って……私はもっと“練達”する!」
剣と槍で風を裂き割り、内部へと矢を打ちこむ。
一瞬、風が弱まる。
追撃のために矢をつがえるのと、激しさを増した風が叩きつけられるのはほぼ同時だった。



――夢界時間 2010/08/13

――追い詰めたぞぉoO ニンゲェエェeeennnン!

バックステップした“勝利”の背中が“意志”“練達”とぶつかり、私は自分の失策を知った。
急いで離れようとした。だが、足の裏から伝わってくる熱の方が早い。
遅い、と私の行動をあざけ笑うかのように噴き出してくる灼熱の風。足の踏み場を無くした三騎士はなすすべもなく炎の渦に飲み込まれた。

――我が星!鯨の大口!星火の牢獄にして拷問具の原型の召喚!ニンゲンにiIiは耐えられまいィiiiiイiiiii!

炎の塊から頭痛のするテレパシーが送られてくる。反論の一つでもしてやりたいが、炎が空気を焼くので声が出ない。
痛みはない。痛覚なんて不便なシグナルにはもう頼って居ない。ただ冷静に、騎士が受けた損傷を分析する。
熱による損傷はそれほどない。随分前に戦った花弁を持つ炎の塊との経験から、鎧の対外環境耐性は上がっている。
ならばなぜ反撃が出来ないのかというと、主に熱風と爆風のせいだ。
大気組成が地球のものと異なるのか、温度差による気流の発生と爆発が頻繁に起こるのが厄介だ。
騎士はどれも人間サイズ。鎧と一体化しているとはいえ体重は200kgも無い。爆風に煽られるだけで満足な戦闘が行えなくなってしまう。
じりじりと、太陽に迫る高温に鎧がダメージを受け始める。中身がシェイクされてどろどろになるのが早いか、鎧が燃えつき黒こげになるのが先か。

――肉体と物理法則に縛られた下等生物がァaA、よォぉoくも我が眷属を狩ってくれたなあ。
  その報いIi 受けeてeもらおうゥUu!

炎の渦は激しさを増す。私はなすすべもなく煽られる。
ここで終わってしまうのだろうか。せっかく、旧支配者にたどり着いたのに。炎精の最強の一柱と戦えるようになったのに。
相手は規格外だ。そもそも今までの実体を持つものたちと違って、実体のない熱エネルギーの塊だ。
あいつの言うように、肉体で炎の塊に致命傷を与える手段はなく、物理法則に縛られている以上爆風の壁を超えることはできない。
鎧が、薄くなる。
手足が、動かない。

――おと0o0なしくなったな あきiIiらめたか それとも死んだかァアあaA?

ぐちゃ、と“意志”の足がちぎれる。断面からでた血が焦げ付き肌に赤黒い染みを作る。
熱で“練達”の鎧に穴が開く。むき出しになった体はボコボコと泡立ち煙を上げる。

――まだ生きているかa しかAAし、時間の問題のようだな

“勝利”の――私の兜がはがれる。あるはずのない痛みが私の顔をなで、思わずうめき声を上げる。

――苦しiIめ 苦しめェE 

苦痛を前に
心が

――もう終わりだア

折れ

――あきらめろォオォ




わけ

あるかぁ!

――!なんnNnだ?

炎の中で動ける体を作る。
肉体の再構成はアブホースに食われたとき経験している。精神の再構築はクトゥルーに発狂させられかけた時にやった。
右手を振る。
ヤマンソ戦の応用、鎧に付加した環境耐性を外界に適用する。
いや、耐性では足りない。

――バAaaAカなAAAA!?フォウマルハウトNoO大気があァ?!

環境などに左右されない。環境を無効化する。
私の足は大地に立つ、私の口は空気を吸う。だれがお前たちのフィールドで戦ってやるものか。
剣を振りかぶる。分かっている、刃で炎は斬れない。そもそも、刃は炎で燃え尽きている。
だけど……今の私になら出来る。

――Gugii!?

飴を絡め取るように、エネルギーを吸い取る。
外界に影響を与えられるということは、なんらかのエネルギーを持っているということ。
それさえ失わせられれば倒すことはできる!

――Gya!■★△◎ωφ!!!

“練達”の矢には環境無効を付与。私の故郷に存在しえない奴の体は打ち消される。
“意志”の槍は無尽に炎を斬りつくす。都合の悪い法則は無視する。それぐらいの傲慢さが無いとこのクラス相手には戦えない。

――@#<>P!RTYI#――GiGi 貴さマ、ナニもノだAAAAAA!

斬った
斬った
斬りつけた!
最早たき火ほどの大きさしか保てなくなった炎の神が私に問うてくる。
なんと答えようか、少し考える。
思いついた答えは一つ。なら、これしかないんだろう。

「救世主――2012年、来る滅びを打ち倒す……人類の英雄だ!」

――2012?滅び?救世?…………!xtu!!?貴様あaaaの混沌に乗せらr

叩きつけた剣が炎神の最後の一片を吸いつくす。
そして……炎の神は、私の前から姿を消した。
胸の底から歓喜がわき出てくる。外なる神の一柱に勝ったのだ。
足から力が抜けそうになるが、そんな暇はない。ここで止まるわけにはいかない。
滅びがこのレベルであってくれるとは限らない。もっと上、もっと悪意のある。たとえば

「まったく。あいつはなんでも私の所為にしたがる。本当に参るなあ」

突然、背後からの声。振り返るのは間に合わない。
意識を“練達”に移し声の主へと矢を射る。

「おっと……しかし、これはいかにも私がやりそうなことではある。
が、希望崎に居る私の顕現と君はあったことも無い……どういうことだろうね?」

気配が消え、離れた場所に現れる。視界に移る姿は一定しない。人間のようであり、もっと強大でも、矮小でもありそうである。
こいつは――!

「ロキや煙る鏡の好みではないし……歌う犬辺りは好きそうだが、あいつはめっきり力を失っている……となると。
ふむ、にわかに信じがたいがもっと上のわたs」

言葉を遮る槍、矢、剣の三重奏。せまる暴力を声の主は時空転移でかわそうとする。
それはさせない。物理法則を叩きつけて相手を縛る。が、束縛は斬られかわされる。
こいつとの長期戦は得策ではない。ましてやあまり喋らせるのは絶対に避けなければならない。
クトゥグアに並ぶ四元素最強、土の一柱。幽閉されていない唯一の旧支配者。史上最悪のトリックスター

「せっかちだなあ。まあ、事情が事情だ……私が対処してあげよう。英雄さん」

這い寄る混沌は無貌で笑う。
ナイアーラルトテップとの戦いの幕が斬って落とされた。



――夢界時間 2014/07/05


ほっと、虫の攻撃をかわし剣を叩きこむ。なんで黄金の蜂蜜酒も無いのにこんなに集まってくるんだか。
記憶の中と違ってあんな無体な力は出せないけれど、それでも慣れてきたのかじょじょに動きが良くなっているのが分かる。
虫の顎を剣で受け止め、よっと蹴りあげる。
私の頭より少し上まではじきとばされた虫の体に矢が刺さる。
ぐっとこころの中でガッツポーズ。今の私も中々やるじゃん、これなら案外……

そこまで考えたところで、記憶の蓋に指がかかり。
あっと、思った時にはもう、中身があふれ出していた。



――夢界時間 -8978569/11/26

『くjhに;「q2tfgy。@;「・4わsrくvjのmp』

奴の発するテレパシーが呪詛のように私の体を砕いていく。
言葉は分からないが意味は体に叩きつけられる。存在の否定、生命への冒涜、あたかもそれはフルートの音のように私の体を単調に消していく。
再構成では間に合わない。飛翔が遅れることに舌打ちしつつ新たな私を構築する。

『6ゆjm、0-おkjんb』

奴はそちらも消そうとしてくるが、それはさせない。壊れていく方の体を矢に変え奴に打ち込む。
抹消の矢となった体は星々を消しつつ奴へと向かう。
もしかしたら、今消した星にも生き物が居たのかもしれない。
そう思うと心がチクリと痛んだが、私はそれを意図的に無視する。
この宇宙に存在する理不尽と消滅、それらすべての元凶は目の前で白痴の如く暴れる神によるものなのだ。
たとえ一つや二つの星が壊れても、こいつを倒した方が最終的にはこの世界のためになる。
そう思い込んで罪悪感をかき消す。
矢が奴の体に刺さる。矢に込められた概念は抹消。存在も非存在も消去する絶対の攻撃。
上手いところに矢が刺さったのか。奴は身じろぎし呪詛を中断する。その隙に、私はより過去へと時間軸を飛翔する。
今の私なら、わざわざ新しい体を作り直したりしなくても消滅の因果程度なら打ち消すことが出来る。
だが、惑星の存在する時間上で戦うとさっきみたいに星を消してしまうかもしれない。
それを防ぐために、最短時空間上を走って星の存在しない宇宙の果てを目指す。

『90ういおghふぃぽh8g6ちぃg』

奴が何事かを唱えると、空間の連続性が失われた。
一瞬道に迷いそうになるが、強引に元の法則を引き寄せて宇宙の果てへ飛ぶ。
幾つかの銀河が余波を受け崩れる。また、少しの罪悪感。でも、こいつで最後だから。
悪意の塊のごとき万物の王、アザトースを倒せば私はきっとどんな悲劇にだって打ち勝てるようになるし、この世界で悲劇が起こることも無くなる。
だから、今だけは――!



――夢界時間 星々が生まれるよりも、無限に近い有限時間だけ前



――音も、光も、時間も
すべてが尽き果てた宇宙の果てに、私と……傷だらけの奴が浮いていた。
感覚も、思考もろくに出来ないくせに、奴は哀願するようなテレパシーを送ってくる。
……確かに、私の目的は自分の世界を救えるだけの力を得ることだ。奴を殺す必要はない。
だが――
消滅の概念を振り下ろす。また少し小さくなったそれは冒涜のような叫びをあげる。
許せるものか
許せるものか
許せる ものか !
こいつに弄ばれて消える星があった。こいつを倒すために、消えた星があった!
例え私の世界でなくとも、こんな生命をあざ笑う神など残していられるものか――!
そして、もう銀河よりも小さくなったそれに、私は剣を

突然、何もない空間からナニモノかが現れ

万物の王を、むしゃむしゃと食べ始めた。

事態に思考速度がついていかない。私はただ呆然とアザトースが食べられている光景を見ていた。
……知らない敵が出てきただけだったら、まだ理解が追いついた。
私が知らないだけで、万物の王たるアザトースより上位の存在がいただけだから。
だが、目の前に出てきたのは。
見覚えのある“虫の様な生き物”だった。
混乱におぼれそうになる思考を無理矢理立て直す。こいつがナニモノかは重要ではない。
重要なのは、アザトースより上位の存在がいることだ。
どんな滅びにも立ち向かえる力を得るために、私は目の前にいる存在に斬りかかった。



――夢界時間 ΑαΖψΞⅢ±∝〒……(限定四次元において表現する方法は存在しない)

通り道にあった幾つかの並行世界が消滅する。わらわらと悲鳴を上げて逃げだした創造神が潰れる。
私は軽く舌打ちする。邪魔だ。
「おやおや、いいのかい?また犠牲が出るよ」
「お前らを放っておいた方が犠牲は多くなる」
相手の軽口を斬って捨てる。
そもそも、創造神という連中はどうしても好きになれない。自分の管理できる範囲で世界を作り出して、その中で偉そうにして。
箱庭で全能をきどって何になるのか、といら立ちを覚えながら、敵に対し攻撃を打ち込む。
「ははは、また強くなった。これはもう、ここの私ではダメかもしれないなあ」
「……当たり前だ。私は負けない」
もう何度目になるかも分からないナイアーラトテップとの戦い。
最初の頃と違いこいつと会話をしているのは、虚言の中に参考になる真実が混ぜられているからだ。
たぶん、こいつも、今まで戦ってきた神々も本体ではない。
こいつらは無限に空間と時間を超越した最果てに存在している。
いままであってきたこいつらは、会えた、という時点ですでに定義された空間に存在するらしい。
そして定義された空間には必ず+1次元が存在する。ということはより上位の空間があり、こいつらの存在はそのもっと上にいるということだ。
「んー。正しくはないけど間違ってもいないね。で、どうするの?まさか∞の果てにたどりつくなんて言わないよね」
「……」
奴の問いかけに攻撃で答える。奴の体が半分概念死する。捕えた!
だが、奴はそんなことを意に返さず、私に嘲笑をかけてくる。
「え?本当に!?本当に無限の果てにたどりつく気でいるの?ばっかだなあ」
殺す。殺す。殺す。
どれだけ殺そうと奴のあざけりは止まらない。
「人間の身で!無限を通り抜けられると思っているんだ!君のその“不屈の意志”と“無限の練達”と“絶対の勝利”程度で!?」
「たかだかその程度の矮小な存在が、果てのない果てにたどりつく!」
「滑稽だ!憐憫さえ覚える!その辺にいる生まれたての末端神ですら分かることが君には分からないのか」
「自分の行為をかえりみることさえできない癖に!おのれには火の粉がふりかからn」
―――消しさった。
奴の虚言をそのまま受け止めるなんて愚行は行わない。
私はただ、信じるだけだ。無限に練達しつづければ、いつか宇宙の果てに存在する神にも勝てると。
一息つく。経験的に、次はシュブ=ニグラスやヨグソトースあたり。本物の外なる神ではないとはいえ、今の私には強大な相手だ。
……なんだ?感じたことのないざわつきが肌をなでる。
違和感の正体を探す……おかしい、認識の範囲が狭まっている。
チェック。不具合無し。リスタート。認識の範囲がさらに狭まる。
チェック。不具合無し。リスタート。チェック。不具合無し。リスタート。
どういうことだ!何が起こっている。
ついに平行世界二つ分ほどまで認識できない範囲が近づいてきている。
なんだこれは!何が起こっている!?
まるで意味が分からない。何かに攻撃されているなら“意志”と“練達”で“勝利”できる!
だが、これは攻撃ではない。
まるで辺り前のように認識が狭まり、なんでもないように嫌な予感を感じ――

“「自分の行為をかえりみることさえできない癖に!おのれには火の粉がふりかからn」”

はた、と、ナイアーラトテップの虚言が頭によぎる。
まさか、まさかこれは。今まで私がやってきたことと同じ。
果てしなく上位次元から振りかかってきた。誰かと誰かの戦闘の余波、なのか。
認識はどんどん狭まる。なら、私の不具合でないことも納得がいく。認識できない部分は既に滅ぼされているのだ。
だが、どうしろというのだ。悪意のないとばっちりで滅ぶなんて!勝利以前の問題、とどきもしない最果てからの飛び火で滅ぶなんて!
無限に近い時間を戦い続けたのに、まだ果てしなく、無限に上位の存在があるなんて!
そいつらの移動――いや、身じろぎ一つで世界が滅ぶ可能性があるなんて!
ならば、ならば私は――

――何に勝てばいいんだ !!




そうして

私の

心が

折れ

……

………



――夢界時間 2014/07/05

「うわああああああああ!!」
叫び声をあげて私は絶望を振り払う!そうだ。無限の果てなんて身に余る願いだったんだ!それは分かってる、分かってる!
なのに鎧はどんどん朽ちていく。体が動かなくなり、槍が折れ、弦が切れる。
そんなことはどうでもいい!無限なんてのぞまない!今は目の前の脅威を払いたい!それだけなのに!
虫がぎちぎちと勝利の叫びを上げる。見れば、武器も鎧も失った“意志”が両断され地面に転がっていた。
“練達”の矢を打とうとするが飛んでこない。視界を移せない。どうなったか見るのが怖い。
目の前には虫の牙。恐怖のまま追い払おうと、錆びた剣を叩きつける。
剣は、虫の頭をとらえ。
ごきりと、嫌な音をたて。
折れた。
そして、虫は、
大きなアギトで、私の事を。
私は、逃げることもできず。ただ、ただ、恐怖の叫びを。



「起きろ!」

――現世時間 2014/07/05

「起きろ!夢術」
ごちん!と出席表で頭を叩かれ、私は目を覚ました。
何が起こっているのか分からないままきょろきょろと左右を見回す。見知った教室。見知ったクラスメートの顔。
「暑いのは分かるがなあ、授業を効かないで損をするのはお前なんだぞ!そもそも……」
先生のお説教が耳を素通りする。
私は、戻ってこれたのだ。
きーんこーんかーんこーん
「おっと、もう終りか。じゃあ、ここまで」
れー。と日直の間抜けな掛け声に合わせて礼をする。少し落ち着いてきたが汗がびっしょりだ。
「かーなえ」
「あ……さっちゃん」
「どったの?香奈絵が居眠りなんて珍しいね?」
「あー、うん……」
まだ、現実感を持てない頭のままでさっちゃんと話をする。
そうだ。あの時私は、無限の前に負けたのだ。
……それも当然だ。人間としての心をもったまま、無限なんて意味の分からないものに勝てるわけがない。
「まだぼーっとして、そんなに疲れてるの?」
「やーそうじゃなくて……」
だから、私は救世主になることを止めたのだ。意味の分からないものを相手にして自己犠牲なんてばかばかしい。
どうせなにかに踏みにじられるなら、それまでを楽しもうって。
……我ながら、有意義なことを学んだと思う。それだけで、夢界で修業した価値があったというものだ。
そしてもう一つ。今回夢界に行って新たに学んだことがある。
「香奈絵?そのノート大丈夫?ぐしょぐしょだよ。それに、顔にも」
ひらいていたノートに突っ伏して寝ていたようだ。文字がにじんで見えなくなっている。
ノートのことはあきらめて、私は自分のほっぺたを拭う。
ハンカチには、ほっぺについていたインクが着く。
「さっちゃん」
「ん?」
「授業中に、寝ちゃだめだね」


モヒカンザコの朝は長い

 午前四時三十分。
 モヒカンザコ1208号は自慢のモヒカンをセットするために、必ず太陽が昇る前に起床する。手慣れた様子で見事なモヒカンをセットした。整髪料やワックス等は使用していない。
 ここでのモヒカンのセットが甘いと、バイクを飛ばしたときに自慢のモヒカンが崩れてしまうため、最低三十分はかける。寝癖が酷い時は一時間以上かかってしまう。モヒカンザコにとってモヒカンとはアイデンティティであるので、モヒカンは絶対に崩れてはいけないのだ。
 それ故、彼はモヒカンのセットにはいつも慎重なのだ。

 午前五時〇〇分。
 モヒカンザコ1208号は、朝食をとるために自慢のバイク(便宜上バイクと呼んでいるが、実際は原チャリである。以下バイクと呼ぶことにする)で買出しに出かける。とはいうものの、こんな朝早くに開いているスーパーは無いため、いつもコンビニで買ったものを食べている。モヒカンザコは、料理などしないのだ。
 また、彼はアルバイトなどをしていないため、金は大抵は現地調達で済ませている。現地調達というのは隠語で、いわゆるカツアゲである。深夜帯にコンビニへ行けばわらわらとたむろしているクソガキ共がいるのはご存知だろうが、そいつらを自慢の火炎放射器で消毒し、財布を奪っているのである。
 こういうクソガキ共は大抵自分より弱いやつから金を奪っているので、そこら辺のヤツから奪うより彼らから奪ったほうが効率がいいのだ。さらに、こういうクソガキの親は大概親子揃ってクソ野郎なので自らの子供に大金を与えている可能性が高い。
 そう言った理由から、彼らはいかにも弱そうな奴からは金を奪わない。

 ただ、モヒカンザコ1208号の懐にはいつもクソガキどもから奪った金が大量にあるため、最近は現地調達は必要ないのだ。
「ヒャッハー! お茶と弁当をよこせー!」
「580円になります」
 580円きっかりを差し出す。モヒカンザコ1208号は、意外とこういう所はきっちり差し出す。間違っても、火炎放射器で強盗なんてしない。モヒカンザコなのに。
「ヒャッハー! また来るぜー!」
「ありがとうございましたー」
 モヒカンザコ1208号がコンビニへ買出しに行くのはいつものことなので、店員の対応も慣れたものとなっている。モヒカンザコになって初めて来たときは店員は恐怖でガタガタ震えながら怯えていたが、それももう昔のこととなった。
 自慢のバイクに跨り、自分の家に帰っていく。モヒカンザコの一日はまだまだ続く。

 午前五時三十分。
 モヒカンザコ1208号は家に帰ると弁当を食べ始めた。包みはきっちり破る。しかし、箸は使わず素手で食べるのが彼のトレンドである。それならパンを買ったほうがましかも知れないが、彼のトレンドなので仕方ない。
 無論、手など洗わない。そんな時間など必要無いからだ。衛生観念の希薄なモヒカンザコは、そのようなことに時間をかけない。
 と言ってしまえば聞こえはよいが、実際は水道代や電気代を払ってくれる者がいないので、水や電気が使えないのだ。
 彼がモヒカンザコ化して以来、彼の両親は家を逃げ出した。だから、家には誰もいない。周りの人間も、彼が魔人化したと思い込んでいるので、基本的に彼を知らないものは彼に恐怖しているのだ(無論例外はいるものの)。
 だがそれでも上手いこと暮らせているのは、モヒカンザコの適応能力ゆえだろう。世紀末になっても生き残れるのだ、この程度で生き残れないわけがない。
 水が使えないなら使えないまま生きる。故に、モヒカンザコはモヒカンザコなのだ。

 午前六時〇〇分。
 弁当を食べ終わると、彼は登校するための準備を始めた。モヒカンザコの知能で通える学校はとても少ないが、彼は魔人扱いされているので希望崎学園に通っている。金も知能もないのに、なぜ希望崎学園に通えるのか、その理由は極秘事項となっている。

 無駄にでかいかばんを背負ってバイクに跨ると、彼は決まってこう叫ぶ。
「ヒャッハー! 登校だーっ!」
 そして今日も、モヒカンザコ1208号の長い一日が始まる。

続く

無題(灰色熊とペウレカムイ)

希望崎高校中庭の密林を二匹の熊が走っていた。
先を行くのは灰色熊、少し離れて追いかけるのがヒグマ。
どちらも東京都には自生していない動物のはずである。
更に不思議なことに、ヒグマの方は後ろ足のみで疾走している。
希望崎の密林では野生生物も独自の進化を遂げているのであろうか?いやそうではない。
これはヒグマの皮を被った人間であった。
しかし間違えたのも無理からぬこと
2メートルを超える長身はそれを覆う毛皮によってさらに一回り膨れ上がり、鬱蒼と茂る藪の中を事もなげに疾駆するその動きもまた人間離れしたものがあった。
その男――ペウレカムイは前方を逃走する灰色熊との距離を着実に縮めていた。

二頭(こう数えるのが適切であろう)が向かう先には希望崎学園の新校舎があった。
人から逃げる灰色熊が人のいる方に向かうのは如何にも不自然なように思えるが、これは彼女がれっきとした飼育動物だったからである。名をすてふぁにーという。
普段は飼育檻でおとなしく飼われていた彼女だったが、ある日の夕刻、何故か扉が開いているのを発見した。
飼育委員を含め、学内の生徒はとっくに帰宅している時間だったため、ちょっと自由というものを謳歌してみようかしらとばかりに飛び出してみたのも無理からぬことであろう。
つい18時間ほど前のことであった。
それがまだ自由を楽しみきらぬうちにもうこのような凶悪な追っ手に追跡される羽目になるとは、こんなことならば逃げ出すのではなかったとすれふぁにーも後悔しているところであろう。
それほどペウレカムイの追跡は激しいものであった。
間違いなく殺す気である。
野生の勘と呼べるほどの物を持たないすてふぁにーにもそれはわかった。

一刻も早く飼育委員に保護してもらいたい一心ですてふぁにーは走りに走った。
そしてついに薮が途切れ、視界が開けた。校舎までもうあと少し。
逃げ切ったかと思ったとき、開けたのは前方だけではなかった事に気づいた。
足元もさっぱりしたものである。前足は空を掻いていた。そこはペウレカムイの仕掛けた落とし穴であった。
頭から転がるように落ちた。
大した深さではなかったが、体勢を立て直そうと動かす四肢に何かが絡まり付き、徐々に身動きすることもできなくなる。
熟練の猟師の巧妙なる罠であった。

穴の上から見下ろすペウレカムイは、会心の笑みを漏らし、右手に持つ大鉈を振り上げた。
体重を載せて振り下ろされた鉈は、しかし獲物に当たる直前で静止した。
横から現れた何者かが凄い力でペウレカムイの腕を掴んでいる。
「野生動物?」「他にも居た?」「違う」「自分に存在を気づかせずに接近できる動物など居るはずがない」「凄い力だ」「デカい」「腕を掴まれた」「振りほどけるか」「腕は諦め」「切断しろ」「どうやって」
刹那の瞬間にペウレカムイの脳内を様々な思いが駆け巡った。

ペウレカムイの腕を掴んでいたのは、生徒会のアンドロイド。ユーフォリアだった。
死すら覚悟したペウレカムイの緊張が一瞬緩み、背筋を大量の汗が流れた。

「――何のつもりだ?」
だがその咄嗟の動揺を少しも見せずに、冷静に威圧する。

「そこまでです。無益な殺生は止めてもらいましょう」
対するユーフォリアも毅然とした表情で堂々と視線を返してくる。

無言の睨み合いは続いた。
そもそもペウレカムイの側には道理がない。
すてふぁにーの脱走も元を辿れば番長Gの小細工であった。
生徒会の下についている飼育委員が灰色熊を戦力として提供することを探りだした番長Gが、先手を打って熊を逃し、人でも物でも危害を加えるのを待ってから生徒会に殺処分を申し付ける腹であったのだ。
だが予想に反し単に中庭に逃げただけのすれふぁにーに対し、ペウレカムイは独断で狩りを始めた。

現在目の前のすてふぁにーは見事捕獲されており、何ら罪を犯していない彼女を殺す必要などどこにもなかった。だからユーフォリアの言い分が一方的に正しい。
それに加えて、先ほどから掴まれている右腕が少しも動かせなずペウレカムイの身体は完全に抑えつけられた状態である。
これは剛力を誇っていたペウレカムイの自尊心を大いに傷つけることであった。だから相手が正しくても引くわけには行かない。

「離さんか!機械風情が失礼な」
苛立ちをぶつけるように怒鳴りつける。だがユーフォリアはまさに機械の冷静さで言い返す。
「できません。武器を手放してください」
「貴様、人間の命令に逆らう気か?」
「『ロボット三原則第2条。ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない』。ですが、続きがあります。『ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない』。そして第1条はこうです。『ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。』」
「――何?」
ペウレカムイは呆気に取られた。言っている意味が分からない。いや、言葉の意味は確かにわかるのだが、この状況に合致する発言とは思えなかった。
「つまり、私はあなたがこの熊に危害を加えるのを見逃すことは出来ません」
「…ふ、ふはっ。何をぬかしたこのポンコツ。人間と熊の区別もつかんのか」
「同じことです。私には人間も動物も」
ユーフォリアの眼光に宿る強い意志に、ペウレカムイはついに屈した。
手放した鉈はユーフォリアによって即座に掴まれ、同時にペウレカムイの手は解放された。
「感謝します」
丁寧な仕草で深々と頭を下げるユーフォリアには一瞥もくれず、ペウレカムイは立ち去った。捨て台詞を残して。
「山の神の名にかけてこの借りは必ず返す。ハルマゲドンでな」

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最終更新:2011年07月26日 05:08