僕は英雄になりたかった *椿

 ヒーロー、子供のころの夢だった。大人になった今僕はその夢を捨てた。あきらめたのではなく捨てさせられた。
 二十年前この世界は平和だった。いや平和という皮を全世界でかぶっていたのだ。二十年前世界になにが起きたのかを先に語っておこう。二十年前世界で恐慌が起きた。それは発展途上国だろうが先進国だろうが関係なく世界が暗雲に落ちた。
 それは僕たちの国も同じだった。技術を持つ国は我先にと発展途上国に侵攻し土地やレアメタル等の希少金属などを奪おうとしていた。その進公先にはアジアや中東などが狙われた。そして我らが日本もその技術力を駆使して攻め込もうとしていた。その矢先に中東のある国がヨーロッパ連合を打ち破った。我らが日本軍はその知らせを聞き進行を躊躇してしまった。ヨーロッパ連合は技術もありながら軍の数も最大で会ったのだ。日本軍は技術はあるが兵の数は少なかった。
 そして最大の厄介事は日本を助けに来てくれる先進国は全て遠すぎたのだ。韓国も中国もアジアの先進国はアジア連合に入りそして我が日本はヨーロッパ連合に入ったのだ。一番近い友軍でもアメリカだった。しかしアメリカは一向に助けてはくれなかった。そして十九年前ある事件が起きた。中国・韓国連合がせめてきたのだ。日本は何とか退けたがしかし、大打撃を受けた。それを打開する政策として日本が行ったのが募兵だった。
 僕はヒーローになりたかった。この戦争で功績を残し祖国のヒーローとしてあがめられたかった。僕はたくさんの敵兵を葬り、またたくさんの仲間を葬られた。自分の隊の編制は次々と変わり戦争が始まってから三年、隊に入ってから2年で僕いや、俺は中隊長になっていた。軍人に入ってくるのは変わり者が多く、俺みたいに手柄を立てて国から英雄の称号をもらうために入ったやつもいれば、金のために入ったやつもいる、また恋人を守るため、家族を守るために入ったやつもいた。
 だが、現実は厳しかった。何かを守るために入ってくる奴は半年もたたずして死んでしまう。俺らみたいに何かを得ようとして入ってくる奴のほうが生き残ってしまう。むろん俺もそうだった。しぶとく生き残っていた。そして俺は気がつけば三十のおっさんになっていた。
 そしてこの戦争に嫌気がさしてきた。殺しても殺されても人は戦地どんどん投入されてくる。しかし武器や弾薬などはどんどん枯渇してくる。それに対してアジア連合は武器の性能は低いが資源物が大量にあるためこれでもかと言うほど投入してくる。もはや勝敗は明らかだった。
 戦争開始から六年で戦争は終わった。勝敗はアジア連合軍に上がっていた。ヨーロッパ連合軍ではイギリスとアメリカが最後の最後で寝返ったためお偉いさんは誰も処刑されずにまた国も生き延びた。
 だがそれ以外の国ではひどかった。軍は縮小され、膨大な賠償金を課され、支配国から奴隷国となり、そして軍の上層部はほとんどが処刑された。どの国も抵抗する力さえ失い、供用語が中国語へと変わり、食い物も無くなりすたれていった。
 二一八六年二月十一日、俺の処刑予定日だ。何もすることが起きずただこの数カ月を呆けていた。俺の上司に当たる全ての人はもう処刑されていていない。そして次は俺だ。俺の部下は誰一人もいない。皆死んだ。同期も一人もいない。皆殺された。知り合いは誰もいない。だが、悲しくはない。それが戦争だ。負けた国は何をすることも感じることも許されないのだ。

 そして、処刑日当日俺は清潔な軍服に袖を通し、中隊長の証である腕章を付け、家を出た。最後まで日本国軍人であるために。処刑場につき、処刑場に案内された。昔ながらのギロチンだった。俺は誰の手も借りず自分で刃が落ちてくるであろうところに首を置いた。
 刃が落ちて首に当たる瞬間、


僕は英雄になりたかった


 叫んだ、今まで生きていた分を全部吐き出すように……。



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最終更新:2012年01月20日 15:45