非常階段


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 カンカンカンカンカンカンカン――カンカンカンカンカンカンカン――

 外の非常階段を駆け下りる音が耳奥に鋭く響く。
 普段、慣れ親しんでいない音。経験したことのない音。
 まるで、日常から追い立てられるように。自分の席を強引に奪われるように。
 逃げても逃げても、両脚からへばりついて離れない。
 早くこの音から脱したい。地に足をつけたい。日常に戻りたい。
 だからもっと早く降りなきゃ。
 薄く残る夕陽の欠片は、この場所まで手を伸ばしてはくれない。
 足元がおぼろげになり、まるで目の前の闇を蹴り飛ばしているようだ。
 たぶん頭に血が回っていないんだろう。いきなり激しく運動したせいだ。私、貧血気味なのに。残業忙しくて夕御飯もロクに食べてないし。
 場違いなほど的外れな思考は、混乱を紛らわすための本能的な処置だろう。ある意味、現実逃避のそれと等しい。
 そんなことはわかっている。だけど――
 こんな現実、信じられるわけがない。認められるわけがない。理解できるわけがない。
 つい先ほど録画した脳内映像を再生する。
 床に散らばる書類。机に埋まる上司の頭。血。アーミーナイフ。セーラー服。そして、天狗。
 全ての情景がフィクション性を帯びている。言わば、非現実。非常階段。異常現象。非日常。
 アレは、誰だ? 急激な運動によって空白に満たされかけた頭が、自らに疑問を投げかける。セーラー服を着ているってことは、学生? しかし、一般的普遍的な女学生は屈強な男でも手に余る大きさのアーミーナイフを軽々しくぶん回すものか? あんな華奢な手が、成人男性の首根っ子を真っ二つに弾き飛ばすことができるか? そもそもアレは、こんな高層階のビルに一体どうやって侵入した? 
 一つだけ、解ったことがある。
 ここは、私がさっきまで生きていた世界とは、違う場所だ。
 ランチタイムの一時に同僚と休日の予定を話し合ったり、使えない上司から残業のおこぼれをもらって一人愚痴ったり、仕事が終わって自宅に帰ったあとのビールの味を夢想しながら夕暮れ時のオフィスで一人残業に励んだり、そんな日常とはかけ離れたところで、私は階段を駆け下りている。