先輩・殺人


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 先輩が笑っているところなんて、今まで一度も見たことがなかった。
 だけど確かにあの日、僕は先輩の笑顔を窓の向こうに、見たんだ。
 時がその歩みを緩めたように、ゆっくりと地面に堕ちて行く先輩を、僕は見たんだ。
 その顔は、とてもとても嬉しそうな、哀しそうな、笑顔だった。


「ねえ、君、人を殺したいと思った事、あるかい?」
 秋が深まり葉は色を染め、夕焼けが美しく紅く放課後の屋上を染めている。そんな風景に似つかわしくない会話だった。
 僕は答えに窮した。先輩の笑顔に見とれていたのと、その笑顔から発せられる質問のギャップに驚いたからである。
「さあ……そこまで人を恨んだこと、無いですから」
「ふうん、君は優しいんだね」「……そうですか?」「そうさ、私なんか毎日殺しているよ、頭の中で」
 先輩は、よく解らない人だった。
 決して残酷な性格というわけでもない。クラスでは温和な表情を見せ誰に対しても等しく優しい、そう先輩自身から聞いている。しかし、僕と二人っきりで会話する時だけは、冗談とも本心ともつかない毒を吐くことがあった。
 彼女は、本当に人を殺したことが、あるのだろうか。
「ねえ、先輩」「うん?」「事件……知ってますよね?」「うん、あれは私がやった」
 思わず先輩を見ると、水平線の遠くを見やりながら儚げな表情を浮かべていた。
「嘘、ですよね……?」
「嘘、ね。この世界で、いったい何が本当だと、いったい何が嘘だと、そう決められるだろうか。君は考えたことはあるかい?」
 先輩が一瞬、哀しそうな表情を見せた。僕にはそれが、最近世間を賑わせている連続殺人犯に向けているように思えた。
「よく、わからないです」
「じゃあ、こう言い換えよう。物事が本当か、嘘か、は何を基準として判断するのだろう。これでどうだい?」
 どうしてこんな事を訊くのだろう。意地悪そうに口元を歪めて笑う先輩を見ながら思う。
「目の前で起こる物事が全て、じゃないですかね」
「ふうん……すると君は、他人の目を介して伝わる情報は嘘である、とも言っているわけだね」
 先輩は、僕に対しては、全然優しくない。それは、愛情の裏返しなのかもしれないけど。
「君、そんな目をしていると他人に嫌われるよ」
「からかってるのは先輩の方じゃないですか」
「そんなことないさ、私は本当の事しか言っていない」
 そう言ってふふっと口元を吊り上げる。
「実際、私も嘘だと思いたいね」