Oshima_1999.html

1999年3月


KSWCのメンバーは1999年3月16日~19日に大島に星空観望会をしに行きました。その体験記です。

注:この文章は、僕の視点からのみ書かれていますので、多少の書き漏らしがある可能性があります。

①16日~17日


 16日18時50分頃、新宿駅12番線。このホームの一番代々木寄りに、僕を含んだ「大島星空観望会」参加者が集結した。参加者総勢18人。これだけいればかなりの大集団だ。そのうえ、見るのは星空。従って望遠鏡や双眼鏡といった、図体がやたらにでかい機材が伴う。こんな集団が山手線に乗り込んだら大迷惑となるに決まっている。そこで、3~4人ずつに分かれて、浜松町駅に移動することにした。

 この時僕は、Gimete君とO先輩と組んだ。車内では特に問題はなかった(はず)だが、浜松町駅で迷った。出口がどっちなのかわからない。結局逆方向に行ってしまい、出口を見つけた時には、次の組が到着していた。いやはや、とんだ大ドジをこいたものだ。

 全員集合したところで暫し休憩。この時、僕は食料を買い込みに、かなり離れたデイリーストアーまで出向いた。買ったのは、確か飲み物2本(500mlのペットボトル)と、納豆巻きだったと思うが、確かなことは思い出せない。本屋にも寄ったりした。この時、暗室の帝王君が、何だか得体の知れない変な物を買っていた。見ると、「トンガラC」であった。よくこんな物を買う気になるものだ。因みに本人の感想は「不味い」だったと記憶する。

 その後、全員で竹芝桟橋に移動した。さっき寄ったばかりのデイリーストアーを見ながら(無駄なことをしたものだ)待合室へ。この途中、殿様先輩の「ドラム缶発言」が出た(部員紹介参照)。ここで乗船手続きをするわけだが、この時僕は最悪の事態に気づいた。

「生徒証がない!」

とは言ったものの、事前に取ってあった学割証のおかげで、何とか割引がついた。この時の学割は、学生証か、学割証を出せばよい、というものであった。そのためか、学割証を持っていながら、生徒証を出す人もいた。恐らく次の合宿に回すのであろう。ここでも食料を補給。

 何とか手続きを済ませ、いよいよ乗船だ。僕らは当然?2等船室に入る。2等ではあるが、何とか寛げた。だが、天井から吊るしてあった団体名を表記した紙を見ると、何と「○○○○様(白色Y星人本名)」。これには笑った。しかし、この後、さらなる驚きがあろうとは、この時点では知る由もなかった。

 荷物を船室に置いてから、僕達は甲板へ出た。吹く風が少し寒かった。他の客と同様、僕達もかなり興奮していた。夜景を撮る人、暴れ回る?人、物思いに耽る人……。船出前という場面は、人を興奮させるらしい。もっとも、病み上がりの白色Y星人君のように、さっさと寝てしまう人もいたが。因みに僕は、「夜景撮影組」であった。

<a href="oshima/oshima1.jpg"><img src="oshima/oshima1.jpg"
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 そして22時0分、「さるびあ丸」は、大島に向けて、出航した。それほど感動はしなかった。これが世界一周するような船であったなら、話は別だったかもしれない。しかし、今乗っているのは、紛れもなく東京都大島町へ向かっている。竹芝桟橋も東京都。そのうえ、風呂などという贅沢な物は存在しない(つまり、豪華でない)。大して感動しないのもある意味当然かもしれなかった。

 しかし、夜景には感動した。特にレインボーブリッジの下をくぐる時が、よかった。いつもとは違う視点から眺めた橋は、巨大であった。ついでながら、僕の母がレインボーブリッジの名付け親の一人なので、この橋には特別な思い入れがあった。それだけに尚更よかった。

 船は羽田沖らしき場所で一旦停まった。夜風が強くなってきた。しかし、夜明けは遠い。そして、部員のテンションもだいぶ下がってきた。そうこうしているうちに、日付が変わった。僕も激しい睡魔に襲われた。

 船室に入ると、寝ている部員が結構いた。迂闊に音は立てられないから、場所取りは慎重に行わねばならなかった。何とか一人分のスペースを確保し、床に就いた。1時30分頃だったと思う。しかし、その後も寝付けない部員が出たり入ったりで(但し、壁はない)、暫く眠れなかった。寝ながら、こんな事を考えた。

「隣で寝ているの、誰?」


②17~18日



 旅先であまり眠れない。この僕の嫌な癖はこの時も出た。目覚めたのは午前4時。3時間も寝ていない。そのくせ目が妙に冴えていたのは、興奮からだろうか。

 甲板に出る。人はまばらであった。というより、無人に近かった。他の部員が数名いた。そろってテンションがやや高い。僕と同じように、眠れなくなったのだろうか。進行方向に向かって左側に、大島の島影がぼんやり見えた。港の明かりも目に飛び込んできた。

 船は、停まっていた。外洋に出たせいか、揺れる。甲板には他に人は上がってこない。1人になると、波だけが騒がしい。漁火は見えない。とにかく、辺りは静寂に包まれていた。しかし、僕達の間では確かこんな事が話題になっていた。

「船室に知らないおばさんが寝ている」

 そして、6時。船は、大島は岡田港に入った。みんなが起きて、下船準備をしている間、そのおばさんは、自分が部屋を間違えているとは知らずに、ぼんやりしていた。どうも大島では降りないらしい。僕達の存在を気にも止めていない風であった。だからと言って、「ここは僕達の船室だ」と言うのは憚られた。どうせすぐ降りるのだから。

 港に立つ。辺りは未だ夜の雰囲気だ。しかし、空は少しずつ白み始めていた。専門用語で言えば、「薄明」ということになろうか。未だ暗い中で、船の明かりだけがやけに目立つ。吹いてくる風は寒いが、爽やかだった。起きたばかりだからか、荷物が妙に重かった。宿からの車が出迎えに来ていた。

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僕達が投宿したのは、「けんじ」と言う民宿だった。僕も数々の民宿に泊まったが、ここが最も広かったと思う。そして、全体的に窓が多いせいか、明るい。そんな民宿に、まずは荷物を運び込み、朝食までの間、暇ができた。その間、部員それぞれが、思い思いの時間を過ごす。

 僕はと言うと、砂浜に出た。宿からすぐ近く、「砂の浜」の名が付いていた。夏に備えてか、駐車場やトイレがあった。砂浜に下りると、砂の黒さに驚いた。恐らく火山灰か、その他火山関連の成分でできたのであろう。実際、砂を持ち帰って磁石を近づけたら、砂粒の殆どがくっついた。このことが、その砂には鉄分が多いことを何よりも如実に示していた。

 一旦宿に帰り、また来た。この時は白色Y星人君とAOmori先輩を伴い、岩場へ入った。思ったより険しい。これらも三原山の噴火の産物なのであろう。奥の奥の奥まで入ったところで、朝食の時間を考え、引き返した。遠く、利島が見えていた。帰り道もやっぱり険しかった。それだけでなく、別の道を伝って帰った結果、予想以上に歩いてしまった。観望前に体力を消費するのは出来るだけ避けたかったのだが……。

 しかし朝食後、僕はまた体力を消耗する行動に出た。三原山登山である。

<img src="oshima/oshima5.jpg" align="right" hspace="0"
width="321" height="221"> 

 同行者はT橋君、暗室の帝王君、O先輩、Level E.先輩、殿様先輩。まずはバスを待つ。大島のバスは、停留所以外の場所でも、タクシーのように止まってくれる。もっとも、定期観光バスの場合は話は別だが。


 元町港に到着。そこから御神火茶屋までのバスが出ているので、迷わず乗車。このバスは定期観光バスだ。よって(?)、終点までノンストップで走破する。だが、なんとまあ、このバスにはガイドさんがいない。定期観光バスにガイドさんが乗るほうがおかしいのかどうかは知らないが、観光案内は全部テープによった。そのテープを聞いて、「あんこ娘」の「あんこ」とは、本当は「姉」を意味するものだということなどを勉強した(はず)。また、そのテープには、3曲ほどの歌が収録されていた。勿論大島の文化や風土に根ざしたものだが、似たような歌を同じ人が歌うだけに、3曲も聞かされると、飽きる。

 そうこうしているうちに、御神火茶屋に到着。ここからは徒歩。最初のうちはカルデラ内を歩くので、道は殆ど平坦だ。所々に気休めばかりの避難所がある。途中、溶岩に埋もれた旧道を見た。割れ目噴火の火口にも近く、三原山の力を目の当たりにするようだった。

 暫くカルデラを歩いた。が、その先の坂はかなりきつかった。舗装されているところを見ると、車も入ってくるらしい。所々に標識が立つ。その内容は、「大変きつい坂です。手摺りをご利用下さい」、「足元には十分ご注意下さい」、「このあたりで一休みしませんか。素晴らしい眺めです」などなど。

 頂上に着く。試験休みを使って来たので、この日は平日。人はまばらである。ここまで来るのにも結構体力を使ったが、無謀にも今度は御鉢巡りを始めた。

 道は岩と砂。今までのようには歩けない。そのうえかなりの坂が続く。かなり疲れた。が、ある所からの眺めはよかった。眼下には真っ黒な砂漠が広がっていた。溶岩流がはっきり確認できた。しかし、雲が多いせいか、海は少々見えにくい。

 また歩き始める。火口から蒸気が立ち上る。風が強い。柵は貧弱そのものである。実に歩きにくい。そんな時、路傍に設置されているスピーカーがこんな事を言った。

「大島町役場より、地域振興券の……」

 そんなことが続いて、何とか御鉢巡り終了。だが、まだ僕達の勢いは止まらない。次は火口展望台へ向かった。舗装路なうえ、平坦なので、歩くのにさしたる苦労はない。で、いざ着いてみると、思ったほど火口は見えなかった。山は穏やかだった。ここで集合写真を撮る。

 御神火茶屋に戻って、さあ昼飯だ!と言いたいところであったが、誰も食べようとしない。皆、食欲がなくなったのだろうか。かく言う僕自身、食べたのは明日葉の胡麻和え一皿。どちらかと言えば、土産のほうに興味が向いているらしく、数名が土産物屋に入っていった。

下山のバスは、車内の雰囲気と言い、大きさと言い、歌が流れることと言い、行きと大した変わりはなかった。が、下ろされたのは元町港ではなく岡田港。そこで、一旦元町港に出た。乗るべきバス(波浮、間伏方面に向かうバス)がここからしか発着していないからだ。おかげで、かなりの交通費を取られる羽目になった。全て合計して確か3000円くらいだったと思う。

午後だいぶ経って、宿に到着。不思議なくらい疲れを感じなかった。その後、夕食、観望準備と進んで行った。この時の事はあまり記憶にない。

そして、夜。20時ごろだっただろうか。空には多少雲がかかっていたが、とりあえずは観望開始となった。機材のセッティングも終わって、初めに僕は何をしたか?ほかならぬ写真撮影であった。この夜に撮ったのは、しし座・ふたご座・北斗七星・うしかい座・スピカ・おとめ座・てんびん座・こと座・かんむり座・ヘルクレス座・火星・さそり座・ラスアルハゲ(へびつかい座)とラスアルゲティ(ヘルクレス座)・りょうけん座・かみのけ座・いて座であった。枚数はかなり多いと思う。しかし、これだけの写真を撮るのは、結構大変だった。

というのも、僕はカメラの使い方を教える立場にあったからだ(A君なども)。この合宿では、星の写真は初めてという人が2人いた。一人はTさんで、買ったばかりだというニコンのFM10でもって北斗七星などを撮っていた。もう一人はTさんだった。こちらはキヤノンのFXを引っ提げて、こと座などの撮影に精を出していた。2人とも時々僕のところへ質問や手伝いを頼みに来る。おかげで、かなり時間が潰れた。とはいえ、それほど大きな失敗はなかったので、一安心。ただ、時々やってくる車のヘッドライトには弱った。

空の雲は18日2時ごろまでにはすっかり晴れていたと思う。おかげで、東京都内とは思えない星空を楽しむことができた。が、朝が近くなるにつれ、だんだん飽きてきた。たまに流星が出たりすると、一瞬興奮するのだが、その間がなんとも退屈なのだ。時々宿に戻った。夜間の出入りがOKなので、大きな音さえ立てなければ旅館内でもかなり寛げる。幸いにして自販機もある。食料も買い込んである。観望に疲れたら、いくらでも休めた。

が、宿と観測地の間の道は、街灯がない。光害の点ではそっちの方が寧ろ好都合なのだが、いざ歩くとなるとかなりの勇気が必要だった。本当に真っ暗なのだ。

午前2時過ぎ。さそり座がその全容を現した。待ってましたとばかりにカメラ持ちが一斉にファインダーをさそり座に合わせた。たちまち追尾撮影の「席」は埋まってしまい、僕はまずは固定撮影に回った。追尾撮影はそれからかなり経ってからになった。いて座が出た時も同じような状態になった。

そして、夜明け。もう、見慣れたシーンだ。従って、大した感動もなかった。そうして、無感動のまま?、1回目の観望は終わった。昼の風景が、星を隠していった。


③18日~19日




確か寝たのは午前8~9時頃。で、起きたのが午後1時過ぎだっただろうか。寝場所は押入れの中だった。

起きてみると、大貧民をやっている人が数名。寝ている人がこれまた数名。外出中がまた数名。静かだった。いつもの騒がしさが嘘のようだった。

それから暫くして、僕は、Level E.先輩・W先輩・のりたま先輩にくっついて、火山博物館に出向いた。

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width="331" height="227">

いざ着いてみると、想像以上に立派な玄関があった。まるで宮殿。傍らには読売新聞社が使った火口探険用のゴンドラが置いてあった。大きな玄関と、ちっぽけなゴンドラ。これがまた意外とよく合っていた。

中には人はそんなにいなかった。おかげで、ゆっくり、落ち着いた気分で見学できた。火山弾・世界の火山分布・大島の火山灰の地層・噴火の様子のVTR……。その中で、最も興味を引いたのは、「世界の火山」だった。そこには、例えばキラウエアについて、その位置・性質などがこまごまと述べられていた。火山を表す英語の「volcano」の語源が、ブルカノという火山であることも知った。

ところで、僕はこの時、英語のある教材で、火山がしょっちゅう出てきたのを思い出していた。その中には、ベスビオ火山と、サントリーニ火山が出ていた。ベスビオはともかく、サントリーニについて、その教材の中では「サントリン島」となっていた。ところが、この博物館では、あくまでもサントリーニなのである。また、以前見た世界地図では、「サントリン」なる島はどこにもなく、かわりに「テラ島」の名が与えられていた。この博物館も「テラ島」の名を使っていた。これらを総合して達した結論は、「テラ島にあるサントリーニ火山の英語名がサントリン」ではないか、ということだった。勿論、テラ島の別名がサントリンであるという可能性もあるが。帰ってきたのは午後4時をかなり過ぎた頃だった。

ここで、僕達が博物館にいた頃の、殿様先輩・I先輩・I君・K君の行動について記しておかなければならない。彼らは、僕達が博物館へ行くバスを待っている時に外に出てきて、海へ向かっていった。そこで、K君を砂に半分埋めたり、ぼんやり海を眺めたり、波をかぶったりしていたようだ。写真や伝聞でしか知らないことなので、確かなことはわからないが、殿様先輩が異様に子供っぽくなっていたのは確かだ。

一気に時間を飛ばして、夜8時頃。空はだいぶ曇っていた。それでも、とりあえず観望開始。しかし、明るい星しか見えず、実につまらない。都会と変わらない。やがてさらに曇り、19日0時頃までには全く見えなくなった。どころか、さらに何時間か経つと、雨まで降り出した。こうなったら、もう雑談で一晩過ごすしかない。観測地に一人残して(交代あり)、他は宿に戻った。

ここで威力を発揮した?のが、のりたま先輩の毒舌だった。そのおかげで、2時頃までものすごくテンションの高い状態が続いた。もっとも、全員聞いていたわけではなかった。1年では、僕とA君しか聞いていなかった。と言うより、他は寝ていたり、観測地にいたりと、かなりバラバラだった。「毒舌リスナー」は、僕を含めて6人くらいだった。

さらに時が経って4時。そとは曇り時々雨。もう観望は無理という判断が下った。しかし、相変わらず観測地と宿を僕達は往復していた。観測地へ遊びに行くために。そして、いいかげん疲れた僕と白色Y星人君とO先輩その他はさっさと寝てしまった。しかし、その間に、起きていた人々は、「Natural High」(<a href="#NH">用語解説</a>参照)になっていた。砂浜に「I LOVE YOU」と書いたり、とんでもなくふざけた写真を撮ったり……。それはもう、興奮の坩堝だった!?

そうこうしているうちに夜は明け、部員の殆どが眠りについた。しかし、それも束の間、帰る時は刻々と迫っていた。

出発の時がやって来た。それは確か午前9時頃ではなかったかと思う。帰りの船が出るのは元町港。この船で、一旦熱海に出ることになっていた。

<a href="oshima/oshima1.jpg"><img src="oshima/oshima3.jpg"
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宿の主人(「けんじさん」と呼ばれていた)の車で元町港へ向かう。そこから眺められた物……地層切断面、砂の浜、海、そして観測地。全てが僕達を見送っているかのようだった。そして、外は雨。全てが寂しく感じられた。心なしか外が灰色に見えた。(僕達を元町港まで送って下さったけんじさんに、この場を借りて厚くお礼申し上げます。ありがとうございました)


元町港に着いたのが10時頃。僕達の乗った船が出たのはその30分後だったと思う。集合写真を撮った後、デッキに出て、沢山の思い出を作ってくれた伊豆大島がどんどん遠ざかって行くのを、僕は眺めていた。他の人は、寝たり、談笑したり、感傷的になったり……。僕は3番目。今までになく感傷的になっていた。何故船に乗ると、こんな気分になるのだろうか。他の交通機関では味わえない何かがあった。


相変わらず雨が降っていた。水平線は霞んで見えない。イヤホンから「終わりなき旅」が流れていた。哲学的な話になるが、「終わりなき旅」の真っ只中に僕達がいるような気がしてきた。「閉ざされたドアの向こうに新しい何かが待って」いる。それは決して「いいことばかりではない」。しかし、そのドアを開けて、また新しい人生の旅が幕を開ける。そこで、また僕達は、人間として成長する。するとまた、新しい扉が現れる。そしてまたそれを開けて、また違った人生の旅に出る。そして、僕達もそんな「終わりなき旅」の中で生きている。こんな事を考えた。ここまで変なことを考えてしまうのも、船旅のせいだろうか。


12時過ぎ。雨に煙る熱海の街が見えてきた。船から下りた後、とりあえずタクシーで熱海駅へ。そこで解散となった。この後、うなぎ屋に行く人、そのまま帰る人、行動は自由になった。卒業生は全員うなぎ屋に入った。しかし、僕とK君は、駅前のマクドナルドに入ってしまった。おかげで、うなぎ屋に行けなくなってしまった。仮に行っても、僕の体が許さない。


13時30分頃だったろうか。僕とAOmori先輩、Tさん、Tさん、Sさんは帰途に就いた。うなぎ屋にはまだかなりの人が残っている。すでに解散していたからその辺は問題にはならないが、寂しかった。さよならも言わずに別れたのが少し辛かった。帰りは東海道線と小田急線を使った。途中、小田急の秦野のあたりで思わぬ混雑に見舞われながらも、何とか帰りつくことが出来た。他の4人とは新百合ヶ丘で別れた。

こうして、1999年大島星空観望会は終わりを告げた。卒業生を送る目的で挙行された観望会にしては、あまりにも呆気ない幕切れだった。

*

参加者一覧(敬称略)


98年組……T 天然パーマン  白色Y星人 h/2π S 暗室の帝王 T Gimite  K
97年組……AOmori
96年組……ひとくん まる のりたま Level E. 上様 オレにまかせろ! W 
特別参加(?)……殿様(1995年組)>

番外:用語解説

「Natural High」…外気温が室内の気温より低く、且つ空が曇るなどの理由で、明らかに星空の観望に向いていない時、日頃のストレスやゲームなどのきっかけにより、人間(地学部員)の脳内細胞が狂い、通常のテンションがハイになる以上の実力を出す現象。

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最終更新:2022年06月25日 22:25
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