刑法の基本原則

刑法第一部/4月11日/刑法の基本原則(京都大学法学部安田拓人教授授業レジュメを一部編集したものです)
【参考文献】
  • 佐伯仁志「刑法の基礎理論」法学教室283号(平16)/佐伯仁志「罪刑法定主義」法学教室284号(平16)/安田拓人「判例の不利益変更と遡及処罰の禁止」大野古稀『刑事法学の潮流と展望』(平12・世界思想社)

刑法とは何か?

◇刑法:犯罪と刑罰の関係を規定した法 犯罪:刑罰を科せられる行為
 刑罰:刑法9条規定のもの
第九条  死刑、懲役、禁錮、罰金、拘留及び科料を主刑とし、没収を付加刑とする。
 →債務不履行や不倫などは民法上違法でも犯罪ではない
  • 狭義(狭い意味で)の刑法:刑法典
 広義(広い意味で)の刑法:犯罪と刑罰について規定した全ての法
  会社法960条の特別背任罪、児童買春・児童ポルノ処罰法、ストーカー規制法→特別刑法

◇刑法・刑罰の峻厳性(犯人の生命・自由・財産を奪ういわば劇薬)
  • 道徳や倫理、職場・学校や地域社会による統制→道徳・倫理とは違い、刑法は内面には踏み込まず、行為として表に現れたものに制裁を加える(行為原則
 民事法(損害賠償など)・行政法(過料など)による規制
 →これで間に合わないときに最後に登場するのが刑法
  謙抑主義と補充性、ultima ratio(最後の手段)としての刑法
 →刑法には二次規範性があるから、民法で適法とされているものを刑法が違法とするようなことはあってはならない

◇国家の法益保護義務・刑法に対する国民の期待の増加
  • 法益(生命や財産など法的に保護されるべき利益)保護は国家の存立の重要な正統化根拠
 →刑法はその重要な手段
  再犯の危険性に対する保安処分がないなどわが国の刑事司法制度が不備な部分も
  • 被害者・遺族の処罰感情とそれに共感する国民の声(世論)が立法・司法に影響
 →体感治安の悪化と平成16年の重大犯罪に関する法定刑の加重
  自動車の人身事故に対する危険運転致死傷罪等の新設など
 ←立法・司法の基盤となるべきなのは国民の「生」の処罰感情なのか?

◆基本的な考え方(学派の対立・旧派と新派)
◇犯罪とは?→井田の本読んで追記
a旧派・客観主義:犯罪者は自由な意思決定により犯罪を行うもの
         →犯罪行為・結果の害悪性に着目
b新派・主観主義:犯罪者は素質や環境に決定されて犯罪を行うもの
         →犯人の性格の危険性に着目

◇刑罰は何のために科すのか?
応報刑論:刑罰は犯罪行為に及んだから科せられるもの(報いとして)
目的刑論:刑罰は犯罪をふたたび行わないように科せられるもの(犯罪の予防が目的)
 一般予防論:刑罰は潜在的な犯罪者(=国民一般)を犯罪から遠ざけようとするもの
  消極的一般予防論(威嚇予防論):刑罰の予告による威嚇により犯罪を予防→得より損のほうが大きくなる
  積極的一般予防論(規範予防論):処罰により国民の規範意識を維持・強化することによって犯罪を予防(犯罪は“悪いもの”という意識)
 特別予防論:刑罰はその行為者が再び犯罪行為に及ばないようにしようとするもの
  処遇による行為者人格の改善/処遇による当該行為者の威嚇/隔離による再犯防止

◇旧派と新派
b新派=特別予防論:行為者の危険な性格(再犯の危険性)の改善のために処罰する
  ↑
 この考えを徹底すると・・・犯罪の重さと性格の危険性は必ずしも比例しないので罪刑均衡を確保できなくなるのでは?
a旧派:応報刑論の範囲で予防を考慮(相対的応報刑論)←多数
 あれだけのことをしたからにはこれだけの処罰を=応報刑論が枠を決める
 刑罰は犯罪予防効果があるからこそ認められる =その枠内で予防を考慮する

  • 何が刑罰を究極的に正当化するのか?
①予防目的の達成のためには必要だが応報(より厳密には責任刑)の観点から正当化できない刑罰を科せるか?
 科せないとする見解が支配的
 ∵行為者の責任を超えて予防の目的達成のために行為者の人格を手段化するのは不当
  責任刑の観点を離れると罪刑均衡が確保できなくなる
②応報の観点からは妥当だが予防の観点からは不必要な刑罰を科せるか?
a科せない(多数):応報刑(責任刑)はあくまで上限を画する機能だけ
 刑罰はあくまで犯罪予防という目的達成に必要な限度でしか正当化されない
  ↑
 戦争犯罪など再犯の危険性が考えにくい重大犯罪を不処罰としてよいか?
 現在の科学の水準でそうした刑罰の量を決定できるのか?
b科せる(少数):応報刑(責任刑)はそれ自体として正当
 国家の実力独占の代償措置としての復讐感情宥和の必要性(西原)
 なお最近のドイツにおける「応報刑論のルネサンス」については
 飯島暢「最近のドイツにおける規範的な応報刑論の展開」香川法学26巻3=4号(平19)など参照

罪刑法定主義・犯罪と刑罰は法律で定められていなければならず、しかも、犯罪が行われる前に決められていなければならない(憲法31条および39条)

第三十一条  何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。
第三十九条  何人も、実行の時に適法であつた行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない。


法律主義:犯罪と刑罰は法律で定められていなければならない
民主主義的側面:どんな行為がどのような重さで処罰されるのかは国民が代表者である
 議会を通じて自ら決めるべきでそれ以上の不利益を国家から被らされてはならない
 →処罰範囲・程度を縮小・軽減する方向であれば刑罰法規から外れることが許される
立法権による司法権のコントロール →処罰範囲・程度を縮小・軽減する方向でも刑罰法規から外れてはならない
  裁判官の裁量を制約すべく犯罪類型を細かく分けて法定刑の幅も小さくすべき

※命令(行政機関の出すもの)により刑罰法規の内容が決められてもよいか?
 法律で余り細かいところまで規定するのでは社会の変化に対応できない
 刑罰法規の内容を行政機関に完全に委ねたのでは法律主義の原則に反する
  ↓
 法律による具体的・特定的な委任があればよい(憲法73条6号但書)
  判例2:最判昭49・11・6刑集28・9・393(猿払事件)
   国公法102条1項:人事院規則で定める政治的行為をしてはならない
  →公務員の政治的中立性を損なうおそれのある行動類型に属する政治的行為を具体的に定めることの委任があった(?)

※条例(地方議会が制定するもの)により刑罰法規の内容が決められてもよいか?
 地方自治法14条1・3項:普通地方公共団体には法令に反しない限りその事務に関して
 条例制定権があり法令に特別の定めがある場合を除いて罰則を設けることができる
 余りに包括的に罰則の制定を委ねていて法律主義に違反するのでは?
  ↓
 地方議会により制定されるから民主主義的要請を満足している(最判昭37・5・30刑集16・5・577(判例3))
 地方自治法14条1項が制定できる事項を14条3項が法定刑の範囲を限定している
 もっとも当時の規定と比べると現在の規定では制定できる事項に関する具体的な規定がなくなっていることに注意

事後法の禁止・遡及処罰の禁止:犯罪と刑罰は犯罪が行われる前に決められていなければならない
  • 自由主義的側面:不意打ち処罰を防止し国民の行動の自由を確保する(多数)
  ↑
 違法だが刑罰を科せられない行為に出る行動の自由をなぜ保護する必要があるのか?
 →民主主義的側面あるいは刑罰法規の予防効果から説明すべきでは?
  • 法律が遡及的に適用されることはないから実際には殆ど問題にならない

※判例の不利益変更と遡及処罰の禁止
 行為当時の判例によれば無罪となるべき場合に、行為者に不利益に変更された判例を適用して処罰することは、遡及処罰の禁止原則に反しないか?
【判例】
  • 判例11:最判平8・11・18刑集50・10・745(岩教組事件)
《事案》
 地方公務員による争議行為のあおり
  昭44:処罰範囲を限定(二重の絞り論)  不可罰
  昭48:処罰範囲を拡張(国家公務員) 可罰的?
   地方公務員である被告人の本件行為
  昭51:処罰範囲を拡張(地方公務員)   可罰的
《判旨》
 遡及処罰の禁止は判例には適用されない
 判例に対する信頼は違法性の錯誤論により保護(河合裁判官の補足意見)
【学説】
a遡及処罰の禁止原則を適用(大塚、福田など多数)
  • 刑法の規定は抽象的で簡略な表現で、どういう行為が処罰されるかは実際には判例によって明らかになるから、それを信頼して行為した者は保護されるべき
 →判例変更を将来にわたって宣言しつつ当該事案には適用しない
  ↑
 判例の行為規範性・判例に対する信頼の要保護性は法律のそれと同等ではないのでは?
  明確性の原則と類推解釈禁止による処罰範囲の認識可能性は法律が十分に保証
  判例の不利益変更は法律の文言から認識可能な範囲内でのこと
 →判例の不利益変更は法律の遡及的適用の場合ほど国民の自由を侵害しない
b遡及処罰の禁止原則を不適用(中森、町野など有力)
 わが国では判例は法源ではなく、処罰範囲は刑罰法規の示す枠により決まる
  →判例を信じた行為者は違法性の錯誤論(自分の行為が違法だと認識できなかった行為者には責任非難が不可能とする枠組み)で救済すればよい(河合裁判官の補足意見)

◇類推解釈の禁止
  • 類推解釈:刑罰法規の定める枠に含まれていない事実が、その枠内に含まれている事実と実質的・価値的に同等であることを理由に処罰を認める解釈法
 →罪刑法定主義(法律主義)に反するので許されない
  (vg(verbi gratia=例)l.,目的論的解釈:当該規定の目的・趣旨から意味内容を確定→最も重視される解釈法だが刑法ではこの解釈の帰結に類推解釈の禁止がかかるということ)
  • 拡張解釈:通常の日常用語の範囲を超えて刑罰法規の文言を拡張的に解釈することにより、日常用語によったのでは処罰範囲に含まれない事実を処罰する解釈法
 →文言の「可能な意味」の範囲内では許される

【判例】(論理としては拡張解釈だが類推解釈の疑いがあるものも)
①大判明36・5・21刑録9・874:電気泥棒は窃盗罪にあたる(旧刑法時代の判例)
 財物を「動かすことも管理することもできる物」と拡張解釈し電気をこれに含めた
  ⇔物とは有体物(固体+液体+気体)で、電気は有体物ではないから、窃盗罪は成立しない(ドイツ)
②判例6(大判昭15・8・22刑集19・540):ガソリンカーは「汽車」である
 鉄道線路上を運転し多数の貨客を運輸する陸上交通機関として同じで違うのは動力だけ
 →結論的には「汽車」に含まれるとするが論理は明らかに類推解釈
③判例8(最判平8・2・8刑集50・2・221):捕獲しようとする行為は当時の鳥獣保護法の「捕獲」に該当する
 →同法の規定の中に「捕獲=捕獲行為」だと考えないと不合理な規定があるので、辛うじて許容できる(?)
④最判昭51・4・30刑集30・3・453:コピーは「(公)文書」である」
⑤最決平13・7・16刑集55・5・317:わいせつ画像データを記憶・蔵置させたコンピュータのハードディスクは「わいせつ物」である

◆実体的デュー・プロセスの原理(英米法の影響)
◇明確性の原則:刑罰法規は明確に規定されていなければならない(理論的には法律主義の一内容として理解する方が妥当だがここでは沿革を重視してここで説明)
 →その法律の条文から処罰される行為が類型として読み取れることが必要
 →そうでなければ処罰範囲が裁判官の恣意的判断で決まり実質的に法律主義に反する
【判例】
  • 判例13:最判昭50・9・10刑集29・8・489(徳島市公安条例事件)
 「交通秩序を維持すること」を罰する条例は明確性の原則に反しないか?
 →あいまい不明確ゆえに刑罰法規が憲法31条違反となりうることを肯定
   「通常の判断能力を有する一般人の理解において、具体的場合に当該行為がその適用   
を受けるかどうかの判断を可能ならしめるような基準が読みとれるか」で判断

◇刑罰法規の適正
①内容の適正
  • 憲法の人権保障規定に反する内容を含んだ刑罰法規はそれ自体として憲法違反
  • 処罰の必要性・合理的根拠がない場合、無害な行為を罰する場合も内容的に不適正
  • 規制目的に照らして過度に広範ではいけない
  ↓

合憲的限定解釈:解釈により処罰範囲を合憲的な範囲に限定

 判例17:最判昭60・10・23刑集39・6・413(福岡県青少年保護育成条例事件)
 「淫行又はわいせつの行為」を禁じる条例では広すぎないか?
 →不当な手段を用いた場合、自己の性欲満足の対象とした場合にのみに限定すれば合憲
  →こうした解釈が明確性の原則を満たす必要がある(判例14(前掲最判昭和60・10・  
23)はこのことを確認)
  →判例21:最判平19・9・18刑集61・6・601(広島市暴走族追放条例事件)は同条例
に置かれた暴走族の定義と異なる解釈で、一般人の理解に適わないのでは?
  • 判例18:最判昭35・1・27刑集27・3・265
 HS式無熱高周波療法を実施して「あん摩師、はり師、きゅう師および柔道整復師法」 の医業類似行為禁止規定に違反したとして起訴された事案
 →人の健康に害を及ぼすおそれのある行為に限って処罰すべきだと判示

②罪刑の均衡
  • 最判昭49・11・6刑集28・9・393
 →罪刑均衡の観点から著しく不合理ならば違憲となることを昇任
  • 最判昭48・4・4刑集27・3・265(尊属殺人罪違憲判決)
 旧200条の尊属殺人罪の法定刑は死刑・無期懲役だけで、法律上の減軽を1回(68条)、 酌量減軽を1回しても(67条、71条)、3年半の懲役となり(68条)、どんな情状でも 執行猶予がつかず実刑になってしまう(25条)のは不合理な差別で憲法14条違反
 →実質的には罪刑均衡の原則に配慮したものでは?
最終更新:2011年06月09日 19:20