地域文化の形成
約一万年前、最後の氷河期が終わり、地球の気候や地形は現在とほぼ同じになった。
このころ、
磨製石器がつくりだされ、人々は石斧で森林を切り開き、洞窟を出て、平地に小屋を立てて住むようになった。
一部では土器も作られ、穀物の採集と調理法も改善された。このような時代を
新石器時代と呼ぶ。(→
旧石器時代)
このころ、狩猟採集漁撈から家畜飼育や、農耕への転換が起こった。
それは食料獲得経済から食料生産経済への飛躍であり、そのためこれを食料生産革命と呼ぶこともある。
農耕の開始地域には諸説あり、メソポタミア地方で最初の農耕が始まったというのが定説であったが、
今日では、中国の長江流域でそれ以前から農耕が行われていたことが明らかになっており、農耕の起源については議論がある。
また、農耕がある地域で始まり、それが他地域に伝播したという一元論と、農耕が各地域で独立多発的に始まったとする多元論との対立も見られる。
さて、農耕の開始によって、生産物が増大すると、人口が増加した。そして、人々の間には階級や、私有財産が発生するようになった。
また各地域間で物資の交換が繰り広げられるようになるとともに、商人や職人があらわれ、交易の拠点には都市が生まれた。
都市は周辺の集落を支配下におさめて、都市国家に成長していった。
都市が生まれたころには、青銅器が使用されるようになった。祭祀や財政・会計事務のために文字も発達した。
このようにして文明は誕生したのである。
ティグリス・ユーフラテス川流域の沖積平野(メソポタミア)[現在のイラク]は、雨が少なく乾燥しているものの、
大河に恵まれたために、灌漑農業にもとづく村落文化が発達していた。→
注1
前3000年頃になると、
シュメール人が多くの都市国家を築いた。都市では、神殿を中心とした神権政治が行われていた。
シュメール人の文化は後世に大きな影響を残した。彼らは
暦(
太陰暦、後に太陰太陽暦)や、
六十進法による時間や方位の区分などを発達させた。
文字は
楔形文字がつくられ、
オリエント世界の多くの文字の原型となった。
印章も使用された。「旧約聖書」の「ノアの箱舟」の原型となった
ギルガメシュ物語のような文芸作品もあった。
前2400年頃、セム語系の
アッカド人は
サルゴン1世に率いられてシュメール人の都市国家を征服し、周辺地域も含めた広大な地域に覇権を振るった。
その後、シュメール人の都市国家が独立を回復するが、セム語系の
アムル人が前19世紀頃、
バビロンを都とする、
古バビロニア王国を建てた。
この王国の
ハンムラビ王は、各地の法慣習を集体成して、
ハンムラビ法典を発布した。
注1
地理的考察
この地域は弱い冬雨の期間だけ短い草が生えるステップ気候であり、そこに存在したのが、冬成長し、春に実をつけ、夏枯れる冬麦であった。
草の多くは夏に成長するので、麦に対抗出来る雑草は少なく、麦の栽培は困難ではなかったと考えられている。
参考
最終更新:2011年03月30日 00:51