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死海文書リスト(その他)


 死海文書の中で、聖書の正典、偽典以外にこの教団が所有していた文書とは、次のように分類される。教団の規定集、律法の解釈、終末観を内容とする文書、聖書解釈、擬似聖書文学、詩文集、典礼文書、天文学・暦法・占星術関連文書、それに青銅の巻物。教団の性格を知るために重要なもの20を選んで紹介する(この他のものについては、このサイトでは割愛とする)。

A 教団の規定集


B 律法の解釈


C 終末観を内容とする文書


D 聖書の解釈


E 擬似聖書文書


F 詩文集


G 典礼文書


A.教団の規定集

 1.教団規定

 第1洞窟で最初に発見された写本のひとつで、それが壷に入れられていたことからその所有者であるクムランの共同体にとって重要なものであったと考えられる。この共同体の性格と思想を知るために基礎的な文書。その書き始めに欠損があって、本書は当初、 "The Manual of Discipline"「宗規要覧」 と命名された。あとで第4洞窟から本書の写しが発見され、その欠損も読めるようになり、今日へブライ語で、セレク・ハヤハド(共同体の規則)と言われる。ハヤハドを教団と訳し、セレクを規定と訳し、あわせて「教団規定」と呼ばれる。本書のあとに付随してあった2つの小冊子の1つ、セレク・ハエダーが、「会衆規定」と翻訳されている。比較的に保存状態はよく、第1洞窟出土の本書はまもなく公表され、広く知られるようになった。第4洞窟から本書の写しが10、第5洞窟から1つ入手されたが、すべて断片である。その全体は必ずしも論理的に構成されてはいないが、大きく第1-4欄と第5-11欄に分けることができる。第1-4欄では、まず序文でこの教団が目指すこと、つぎにその入会にあたって行なわれる誓約と誓約更新の儀式について、2つの霊の教えが言われる。第5-11欄では、新しい序文でこの教団が目指すこと、入会の誓約と志願者の調査、共同生活のための諸規則および罰則、教団設立の趣旨、賛美が言われる。この教団が産みだした最古の著作の一つ。 紀元前100-75年に写されたもので、原本はその最も古い部分で前2世紀中頃までさかのぼる。
 この写本のほかに短い2つの文書が一緒に保存されていた。その最初は2欄だけで、会衆規定と呼ばれる文書で、ここで終末的展望の中で共同体は会衆と呼ばれ、その会衆に属する者について、また共同の食事について述べている。もう1つは祝祷集で、祝福の言葉を集めたものだが、欠損が多い。

 2.ダマスコ文書

 特異な文書で、死海文書発見以前に、すでに19世紀末にカイロのユダヤ教会堂跡のゲニザで聖書断片などに混じって発見されていた。ゲニザとは使いふるされた聖なる文書を焼かずに保存する倉庫のこと。クムラン第4、5、6洞窟から本書の写本断片が出土し、死海文書とみなされることとなった。これら洞窟で発見されたのは、あくまで断片であり、その全体像はカイロで入手されたものによってしかわからない。
 本書は「ユダの地から出ていってダマスコの地に留まったイスラエルの捕らわれの民」のことに触れ、「ダマスコの地で新しい契約に入ったすべての人々」に向かって書かれている。それゆえ『ダマスコ文書』と呼ばれる。内容は、前半(I-VIII+XIX-XX)が説教調の訓戒であ。その中でイスラエルの民が神と結んだ契約に忠実であったかどうか、振り返る。民は不忠実であったが、神は先祖への愛と忠実を守って、「残りのもの」を生かしておいてくださった。それが自分たちのこととする。その始めにはこの教団の歴史的起源を示唆している。後半(IX-XVI)は、安息日規定など律法の諸規定を具体的にいかに守るべきか、ハラハーといわれる律法の実践的解釈を提示する。

B 律法の解釈

 3.第4洞窟出土ミクツァト・マアセ・ハトラ

 律法の各規定を具体的にいかに実行すればいいのか、解釈したものをハラハーという。これは前述のダマスコ文書などにも含まれているが、本書はそのハラハーについて論争相手に「わたしたちは」と言って、自分たちの解釈を主張するところに特徴がある。これは、前75―50年に写されたものだが、原本は教団初期に遡るもので、その創設者が書いた手紙ではないかと言われる。結びにミクツァト・マアセ・ハトラとあり、これが本書の題名とされている。ミクツァトは「幾つかの」のあと、マアセ・ハトラは「律法の法規」と訳されているが、これは「律法の行い」とも訳すことができるが、むしろこう訳すべきだという学者もいる。そうすると、これはパウロがよく言う「律法の実行」のヘブライ語にあたる。
 本書はきわめて小さな断片からなる6つの断片群で、120行ほどが解読可能である。そのはじめに暦が書かれており、これは彼らが重視する太陽暦である。そのあと本体があり、ここでは律法の規定の解釈が並び、その解釈は、西暦2世紀末に書きとめられたミシュナの中で、ファリサイ派の解釈に対して、サドカイ派が取った、いっそう厳しい立場を主張する。したがって、この文書が明らかになることにより、クムラン教団はサドカイ派だったのではないかという説や、彼らがエッセネ派であったとしても律法の解釈に限ってはサドカイ派の立場を取っているとか、従来のエッセネ派説にも修正を迫った。

C 終末観を内容とする文書

 4.戦闘規定(=戦いの書)

 最初の言葉から、「光の子らと闇の子らとの戦い」と呼ばれる。この言葉の前が欠損しており、その息子ヤディンはそれを「これは、規定の書である」と補った。そこから本書の書名は「光の子らと闇の子らの戦いの規定の書」ではなかったかという。この教団が終末に来る最終戦争において守るべき規定を内容とする。
 この巻物は2.90mあり、19欄からなる。各欄に17-18行に文字が書かれているが、底辺に欠損があって、ここに幾つの行があったかは不明。おそらく5-6行あったものと想定して読まなければならない。
 まず第1欄に終末の最終戦争の要約がある。それは光の子らと闇の子らの戦いであるが、光の子らとは、聖なる者たち、つまり天の御使いたち、それにレビの子ら、ユダの子ら、ベニヤミンの子らのことで、ここに自分たちも含まれると考えている。その彼らは荒れ野の捕囚民とも自覚している。闇の子らとは、ベリアル、つまり悪の天使長とその軍団と、エドム、モアブ、アンモン、ペリシテ、アッシリアのキティム、エジプトにおけるキティム、北の諸王、ヤフェト、アッシリア、キティムと言われる。これらはイスラエルの伝統的な敵対民族であり、それが象徴的な意味で用いられているが、これで実際に何が意味されているのかは、謎である。戦いは捕囚民が各地からエルサレムの荒れ野に帰ってくるときに始まる。つづいてその最終段階、つまりキティム壊滅の日のこと、そのあと欠損部が大きくて推察するしかないが、闇の子らの壊滅が言われていたのであろう。
 第2-9欄で最終戦争のための準備、つまり軍隊の編成と戦術について述べられる。最終戦争は40年間続くとして、最初の6年のことが書かれていたらしいが、それは欠損部で言われていたものと思われる。第2欄の始めにその40年の最初の安息年について述べる。安息年には戦いはしないで、組織的に神への典礼奉仕に従事する。残りの33年間でも戦いをしない安息年を除くと、戦うのは29年となる。その間に、いかに軍隊を編成し、最後の敵キティムを打倒するまで戦いを展開させるかについて述べる。続いてラッパについての規定、軍旗についての規定、盾についての規定、戦闘態勢と武装についての規定と続く。その中で部隊編成、武装つまり盾、槍、短剣、歩兵隊と騎兵隊の戦列、戦闘員の条件と具体的に指示した上で、戦闘における祭司とレビ人の任務と部隊編成を変更するときの規定を書く。このように戦いにあって指導的役割を果すのが祭司のラッパなのである。
 第10-14欄では、戦いにおける祈りが書かれ、戦いの前に祭司が行う激励、勝利のときに指導者たちが与える祝福、勝利の後の祈り、つまり感謝の典礼が言われる。光の子らが勝利することを確信し、そのときの祈りまで予め作成しておくという彼らの終末観にあらためて驚かされる。第17-19欄で、第1欄の最終戦争が言われる。
 本書は、天界と下界を巻き込んだ最終戦争に対して教団の会員を備えさせようとする。教団を具体的に軍隊組織として描く本文書は、古代においてほかに類例がない。。その作成年代はヘロデ大王時代か。第4洞窟から本書の6つの写しと類似文書の1つの断片が出土している。

 5.新都エルサレム文書

 これはアラマイ語の文書で「新都エルサレムの記述」(Description de la Jérusalem Nouvelle)と呼ばれる。その書体から、前1世紀後半から西暦1世紀前半に写されたものと推定される(Puech,La croyance)。戦闘規定第1欄で終末の最終戦争のときに滅ぼされるキティムの名があることによって、終末の新都エルサレムを描いていることも確かめられた。その発想はエゼキエル書40-48(エゼキエルの律法)から得ている。ただし、この文書は、小断片ばかりで、その本来の文書がいかなる構成になっていたか、明らかではないが、著者が幻の中で一人の人によって町の外壁の長さを測りながら案内されたことが言われ、これを手がかりとして読み始めると、おおよそその内容の検討がつく。外壁を一周したあと、著者は町の内部に案内され、居住区や空き地、家、道路、広場などを見てまわるが、その描写はきわめて現実離れしている。これは新しいエルサレムを描写したものとされる。
 キルベト・クムランに移ってきた人々から見れば、エルサレムの神殿では伝統的な太陽暦でなく、ギリシアの陰暦を採用して律法に背く祝祭が行なわれているので、その祭儀は汚れたものとなっている。彼らはそのエルサレムと決別して荒れ野にやってきた。しかし、彼らはエルサレムの神殿への思いは断ち切れず、終末の新しい神殿を待望し、それを後述する『神殿の巻物』も書きあらわしているが、その神殿がある都そのものについても、終末の新しいエルサレムを夢見ていた。この新しいエルサレムへの待望は、新約聖書の黙示録にもある。

 6.詩華集

 詩華集は美しい詩を集めたものということなら、この命名は適切ではない。どういう考えで聖書の抜粋が集められたかとなると、それは終末の日の出来事にある。それゆえ、ヤディンは1959年に、これを終末のミドラシュと名づけた。ダビデ王家からメシアが出ることを預言し、詩編2もメシア預言として受けとめられていたので、当時のメシア待望観を知る上で、貴重な資料である。
 メシアは王として、その国、その国の守護神の神殿、その神殿がある都と切り離しては考えられない。国と神殿と都がセットで考えられていた。それゆえ、死海文書中のほかのメシア預言も含めて、「神殿の巻物」(後述)と「新都エルサレム文書」(前述)、それに神の国について述べるダニエル書関連の文書も一まとめとして、その中に位置づけて解釈する必要がある。
 なお、ミドラシュとは、聖書の本文の中に自分たちへの神のメッセージがあるはずだと「追求して」(ヘブライ語動詞「ダラシュ」)、行なう解釈のこと(後述)。

 7.証言集

 終末のときに到来するであろう人物について旧約聖書が証言する引用が集められているので、証言集と命名された。
 当時のユダヤには、終末のときに到来する人物として、サマリア人が待望していたモーセのような預言者と並んで、王なるメシアと祭司なるメシアという二人のメシアへの期待があったことが、死海文書によってはじめて明らかになった。この待望観がここで再確認され、またそのため根拠とされていた聖書の箇所も明らかなった。これがイエス時代のユダヤ人のもとにあったメシア観であり、イエスをメシア、つまりキりストとする新約聖書とは、いかなる共通点があるのか、いかなる相違点があるのか、判断するために重要な資料が得られたことになる。
 また証言集のような文書がキリスト教の初期にあったことが、教父文献(バルナバ書簡やキプリアヌスの著作)によって知られていたが、それがすでにイエス時代以前にあったことがわかった。これも新しく得られた知識である。またそれに伴い、新約聖書の著者が旧約聖書を引用するとき、その著者が暗記していたものを引用することもあろうが、それだけでは説明されないことがある。そのような場合、会堂に保管されている大きな聖書の巻物から引用するには困難が予想される。そこで証言集のような聖書本文の抜粋集があって、これを利用したのではないかと、研究されている。

 8.第4洞窟出土メシアの黙示

  第4洞窟出土の「メシアの黙示」と題される断片は、前1世紀前半の筆写で、断片2 iiiの第2行目でマラキ書3:24aを短縮して引用する。そのあと、メシアである王の到来とその支配(「王笏」)を前にしての大地の歓喜をいう。しかし、それに先立つ断片2 ii+4の第5-14行目で、メシア時代に主なる神が実現してくださる恵みを列挙する。それはイザヤ書35:6-8; 61:1-2;詩編146:7-99から取られている。

 9.メルキゼデク文書

 第11洞窟出土のこの写本断片は、レビ25章、申命記15章、イザヤ61章の聖書本文を解釈しながら終末について述べる中で、メルキゼデクに言及する。メルキゼデクは、旧約聖書ではサレムの王兼祭司として創世記14:18―21; 詩110:4に出るが、ここではそれとはまったく異なる人物像で現れる。第10のヨベルの年、つまり最後のヨベルの年は聖書では負債の免除の年であるが、これを終末の解放の年と理解し、その解放者として天上の勢力の統帥がメルキゼデクと言われる。彼は、光の将軍とも言われる天使長ミカエルのように考えられている。このように彼は闇の将軍、ベリアルとその軍隊と対決する。このメルキゼデクは最後のヨベルの年に、敵対勢力に神の裁きの復讐を行い、最終的勝利をもたらす。
 これは新約のヘブライ人への手紙7:2-17に出るメルキゼデクを理解するために新たな光となる。

 10.「神の子」文書ないしアラマイ語の黙示

 本文書は、大きさ14・1×8・8センチで、葉書ほどである。2欄あって、1欄に9行あり、1行は平均30-32文字である。言語はアラマイ語である。第1欄の右側に破損があるが、第2欄はほぼ完全に読める。本文書が注目を集めたのは、ここに「神の子」、「いと高きおかたの子」という表現が出るからで、死海文書中に神の子のことが言われていると言って、話題になった。また「大いなる」、「永遠の支配」という表現もあって、天使ガブリエルがおとめマリアに告げた言葉(ルカ1:32-35)と類似する。問題はその神の子で何が言われているのかにあるが、それは2サム7や詩編2で父と子の関係で言われる、神に対するその王であるメシアのことらしい。本書は、その用語からダニエル書と同系統の文書であることは確かである。

 11.ナボニドスの祈り

 前述の「神の子」文書と同系統。主人公はナボニドスで、これは新バビロニア帝国最後の王として既にアッカド語の粘土版文書によって知られていたが、本文書発表と同じ年にハランで発見された石碑にも言われているのがわかった。この事実も関心を引いたが、むしろ本文書の主題がダニエル書にもあるので特に注目された。本文書の主題は病いにかかって7年間追放されたナボニドスが、あるユダヤ人の介入により至高なる神によって回復したという。ダニエル書ではこの主人公が新バビロニア帝国の創設者ネブカドネツァルに代わるが、この王が見た夢をダニエルが解釈し、そのとおり王は病いとなり、バビロンを離れ、7年間過ぎ、そこで真の神に祈ると、病いを癒されたという物語(ダニエル3:1-33; 4:1-34)となっている。このようにダニエル書の資料につながるような文書が得られたわけで、ダニエル書の解釈に新たな光となった。

D 聖書の解釈

 12.神殿の巻物

 その内容の大半が神殿とその神殿がある都についてであるから、ヤディンは「神殿の巻物」(The Temple Scroll)と命名した。
 この巻物の特徴は、その著者がその著作を神によってモーセに与えられた律法であると信じていること、ないし信じさせようとしていることである。それは、神が第1人称で語ったものとして書くことに現れている。聖書の中で、神が第3人称で出るところも、第1人称に変えている。たとえば、民数記30:2以下で、「人が主に誓願をする・・・」とあるのを、主なる神が言ったことばとして「人がわたしに誓願をする・・・」と変えている。このような文体で、聖書に加えた掟のところも書かれる。それはまたその著者が神の名を書くときに角張った聖4文字を用いることにも表れている。このようにその著者は自分が書くものを、モーセが言ったものとしてではなく、神が直接モーセに語ったものとして書く。このようにこの巻物は、新しい律法(トーラ)と考えられていたのではないかと考える者もいる。しかし、本書がほかの死海文書の中で創世記や申命記のように引用されることはないので、そうではなさそう。
 内容として神殿が最重要の主題で、出エジプト記第35章以下の文体で、いかに神殿を建造すべきかを書く。かつてダビデはその子ソロモンに神殿の設計図を手渡したとあるが(1歴代誌28:11-19)、これが失われているので、著者はこれを補おうとしたことが考えられる。ただし、著者はソロモンの神殿(1王6:1-38)、エゼキエル書の神殿(エゼ40-48)、捕囚期以後の第2神殿から題材を選び、新しい神殿の構想を提示しようとしている。この神殿は厳密な意味では終末のときに神が与えてくださる神殿とは異なり、その前にイスラエルが建てなければならないものと考えているようである。
 本書の序文では、読める文字は僅かだが、シナイ契約の更新が言われる(1-2欄)。本論ではまずいかに神殿とその備品を作成すべきかを述べる(3-47欄)が、祭壇を言うところに来ると、そこで捧げられる献げ物について(13-17欄)、続いて祝祭日について(17-29欄)述べ、そのあとまた神殿の主題に戻って、その境内の建物について指示を与える(30-45欄)。その祝祭日は、太陽暦にしたがって行なうべきものとする。
 そのあと神殿がある都の聖性をいう(45-47欄)。つぎに主要な主題として律法の解釈がある(48-66欄)。これは律法のそれぞれの規定をいかに守るべきかの指示で、これはハラハーと言われる。ここに出るその解釈は、この教団の考えるところによるもので、ミシュナにあるハラハーより厳しい。このように人も聖なるものとなるようにとの心遣いを示す。清浄に関する法規(48-50欄)、訴訟法(51と56欄)、祭儀上の法規(51-53)、偶像崇拝に対して(54-55欄)、王に関する法規(56-59欄)、祭司とレビ人のための規定(60:1-15)、占い、預言、偽の預言、偽誓(60:16-61:12)、軍規(61欄)、流血の罪からの国土の保護(63:2-9)、家族法について(63:10-64:6)、極刑(64:7-13)、人権を守るための規定(64:13-66:11)、近親相姦の禁令(66:11-17)と続く。

 13.第1洞窟出土ハバクク書注解

 本書にしばしば言われる「キッティム」が作成時期を知るための手がかりであるが、これはローマのことである。そうすると前63年のローマによるエルサレム占領がその作成時期を判断する目安となる。これがそのローマによるシリア・パレスティナ支配が始まる以前か、以後かは意見が分かれる。
 本書の内容は旧約聖書中の預言書の一つ、ハバクク書の注解である。第1欄の始めにハバクク書1:2の引用があり、そこから同書2:20まで、1つないし2つ、3つの引用を書いては、その引用について注解を挟んでいくという様式で書かれている。このように連続注解となっている。同様の様式で、ほかの預言書および詩編の注解も見つかっているが、ハバクク書注解の保存状態が最もよい。
 その注解は、ペシェル(ペシャリームはその複数)と言われる。ペシェルとは、現在行われているような注解ではなく、クムラン教団独特の注解である。その前提となっているのが、彼らの歴史観と聖書観である。歴史観について言えば、この世界に起こる出来事はすべて神の計画によって起こっているということ。この神の計画は、ラズ(rz)と言われる。これは、地上の人間には隠されていて、秘義である。したって、ラズは「(神の)計画」とも、「秘義」とも訳される。神はその計画をご自分が選んだ特定の人物に示された。その人物が預言者であり、彼らが書き残したのが預言書で、その中に自分たちの時代や近未来の出来事が予め示されているのではないかと考え、その言葉の意味を追求した。彼らは預言者が「後の時代」と言ったその時代に生きており、身近に起こったことの中に預言者によって告げられた言葉の意味していることがあるのではないかと考えた。このような信念をもって預言書を解釈した。他方、聖書観については、彼らの時代になると、旧約聖書の中でモーセ五書のほか、預言書も聖書としてほぼ正典として確立していた。したがって、預言書が新たに作成される時代は過ぎて、預言書を解釈する時代が来ているという信念があった。このように彼らの預言書注解の中には、彼らの近過去、同時代に起こった出来事への示唆がなされている。
 彼らの歴史に起こった出来事への示唆があるとはいえ、これを独特の表現で言い表そうとする。登場する集団も人物も実名ではなく、偽名で示される。それは「ユダの家」、「キッティム」、「(正)義の教師」、「悪徳祭司」、「偽りの人」、「アブサロムの家」などという。したがって、それらがそれぞれ誰を指しているのか、議論されることとなった。
 その中で特に注目されるのが「(正)義の教師」で、これはこの教団の創設にかかわる人物ではないかと目される。この人物がだれのことか、その特定をめぐって議論が続けられてきた。本書にはこの人物と対立するものとして「悪徳祭司」や「偽りの人」が登場する。それゆえ、これらの偽名でだれのことが言われているのかも、共に考慮しなければならない。このように本書はクムラン教団発生の謎を解く鍵を秘めた文書である。

 14.第4洞窟出土ナホム書注解

 ナホム書は、12小預言書のひとつで、アッシリアの都ニネベの陥落を告げるものとして前7世紀の終わりに書かれたもの。このナホム書の解釈(ペシェル)を書いているのが本書である。それゆえ、そこには、彼らの時代に起こった出来事への示唆がある。しかも、本書によって、ヤワンがギリシアおよびその影響下のヘレニズム諸国のこと、キティムがローマのことであることが、明らかになった。またデメトリオスとかアンティオコスとか、歴史的人物の実名が出ているところもある。前者はセレウコス王朝のデメトリオス3世エウカイロス(在位、前95-88年)、後者はアンティオコス4世エピファネス(在位、前175-164年)、また「怒りのライオン」とはアレキサンドロス・ヤンナイオス(在位、前103-76年)であるが、F・ヨセフスが『ユダヤ古代誌』の中で言及するこの大祭司兼王によるファリサイ派虐殺に触れるところもあって、歴史の資料としての価値が高い。

 15.第4洞窟出土詩篇注解A

 本詩編注解は4欄からなり、その各欄が27行からなり、全部で108行からなっている。それに断片11と断片12は第五欄で詩編45の2節の解釈を続けるものらしく、また断片13は詩編60の8-9節の引用とその解釈らしい。
 本詩編注解が取り上げる詩編37はアルファベット詩で、1節、2節、3節へと、各節の最初の用語がヘブライ語のアルファベットの順番で始まるよう技巧がこらせてある。従って、各節ごとに論理的つながりはない。しかし、一貫して正しく貧しい人の運命と悪人の運命について述べている。正しく貧しい人が悪人によって苦しめられ、その悪人が栄えていて、神の正義の支配がないかに見える現実であるが、悪人はまもなく断たれ、正しく貧しい人が地を受け継ぐことになると言われる。この詩編の注解者は、その悪人を教団の敵、特に「悪徳祭司」と「偽りの人」の中に見、正しく貧しい人を教団の設立者である正義の教師とその追随者である自分たちのことだとする。このように本詩編注解はペシェルであるが、具体的な歴史事件への示唆はほとんどない。ただ教団が激しい内部抗争中にあり、異邦勢力の到来も意識し、時代の転換期にあって終末観も持っていたことが読み取れる。ナホム書注解と同じようにファリサイ派、サドカイ派との抗争とそれが絡んだ抗争に触れているようなので、その著作はナホム書注解と同じ時代か、前63年のローマによるエルサレム占領は述べられていないので、ナホム注解より少し前に書かれたものかもしれない。

 16.第4洞窟出土イザヤ書注解 

 他に第1洞窟からミカ書註解、ゼファニヤ書註解、詩編注解、第3洞窟からイザヤ書注解、第4洞窟からイザヤ書註解が5つ、ホセア書注解が2つ、ミカ書注解、ゼファニヤ注解、もう1つの詩編注解、第5洞窟からマラキ書注解が入手された。そのほとんどがきわめて小さな断片で、なかにはその文書の内容がほとんと特定できないものもある。
 その中で写本断片の数が最も多い第4洞窟出土のイザヤ書注解について指摘しておく。内容的に注目されるのは、イザヤ書注解Aで、ここではメシア預言として有名なイザヤ11:1-9の引用が含まれ、それは「ダビデの若枝」のことだと解釈している。このようにダビデの子孫からメシアが出るという彼らの待望観を表している。

E 擬似聖書文書

 17.第1洞窟出土外典創世記

 はじめは本文書の性格も明らかではなく、『外典ラメク書』とか『ラメクの黙示』と呼ばれたが、やがて聖書の創世記に基づいて、これを自由にアラマイ語に訳したものであることがわかり、最終的には『外典創世記』と呼ばれることとなった。その書体からこの写本は前25年頃から西暦25年頃に写されたと推定され、その作成は前1世紀と考えられる。内容的に、これは創世記第1-15章についての一種のミドラシュのハッガダー、つまりその意味を求めつつ、再解釈し、再話したもの。
 クムラン教団の聖書研究の基本的姿勢はまず「律法を追い求めること」にあった。それにまた預言書研究としてペシェルがあった。律法とはモーセ五書のことで、そこには神のメッセージがモーセをとおして与えられ、神の霊を受けて書きとめられている。その書の中に自分たちに向けられた神のメッセージを追い求めることを重視した。この動詞はヘブライ語でダラシュという。ここから名詞のミドラシュという用語が来る。このミドラシュこそ、当時のユダヤ教徒の聖書解釈であった。律法の中でも律法の各規定を今、ここでいかに守るべきかの神の意志を追い求めたものとしてハラハーがある。他方、律法にある物語にその神の意志を追い求めて再話したものをハッガダーという。

F 詩文集

 18.第1洞窟出土感謝の詩篇

 第1洞窟で最初に発見された7つの巻物の一つで、これは壷の中には入れられておらず、劣悪な状態で入手された。それは皮革紙を束ねた2つの塊りで、スケニク教授が丹念にほぐしにかかった。最初の塊は3葉の皮革紙からなっており、それぞれに4欄に文字が書かれていた。もう一つの塊からは6欄、および小さな写本断片が得られた。
 本文書は詩編と似ており、およそ13回「主よ、わたしはあなたを賛美します」('wdkh 'dwny)で始まるので、Hodayot(賛美ないし感謝)の詩編と言われる。日本語では「感謝の詩編」と訳されてきた。
 作者は大いなる苦悩の中にあったが救い出されたことがあり、それをもとに神を賛美し、あるいは感謝している。個人の嘆きの詩編の特徴も備えているが、教訓的な意図も見られる詩編である。本書は、その作者が詩編など聖書に深く通じており、これにどれほど生かされていたかを示している。これはまた死海文書の中で最も重い宗教性を含みもつ宗教詩ではないかと思う。
 写本は紀元前100ー80年頃のものであるが、その書体から写した人は独りではなさそうである。その作者も複数であったようで、その最初の作者が作成した詩に次の作者がさらに詩を加えていったようである。「わたし」と言って自分のことを述べるその最初の作者はこの教団の創設にかかわった正義の教師かもしれない。

G 典礼文書

 19.光るものの言葉

 『光るものの言葉』(DBRY HM'RWT)という文字が、断片8の裏にあり、これが本書の表題であることがわかった。「言葉」は祈りの言葉の意味であろう。「光るもの」とは、創世記1:14から取られ、週日の一日を意味するものと思われる。このように実際に本文書には週の第1日から第6日まで、それぞれの日に唱えられる祈りが書かれている。ただし、欠損部が多く、各週日に唱える祈りとして読める部分にはばらつきがある。幾つかの写本断片から、日曜日は天地と人間の創造とこの人間の罪を想起する日、水曜日は恵みとしての律法を想起する日、金曜日は犯した罪を認めて赦しを願う日、安息日は特に神を賛美する日としていたのではないかと思われる。

 20.安息日のいけにえの賛歌

 年間13ある安息日毎に用いるためのもの、つまり太陽暦によると、年間安息日が52あるが、本書の写本断片群はその始めの13の安息日用の賛歌である。そのそれぞれの賛歌は「安息日のいけにえのための賛歌」ということばで始まるので、これが本書の題名となっている。またこの賛歌は天使の賛歌であり、天上の神殿における天使なる祭司の安息日礼拝を表現しているので、「天使的典礼」(the Angelic Liturgy)とも言われる。これは、彼らが地上で行なう典礼を、天上で行なわれる典礼と心を一つにして行なっていたことを示す。典礼のこの性格は、キリスト教の典礼にも受け継がれ、特にそれは東方教会の典礼に残っているが、西方の現在のラテン典礼にもまったくなくなってはいない。天上の典礼と心を合わせて、この地上の典礼を繰り返し行うことにより、信仰共同体は共同体として聖化され、五官では感じられなくても自然に神秘体験の道に入っていく。典礼によって養われた神秘主義をあらためて考えさせてくれる。
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