【蒼露公主が来る】

「本当に来られるのですか?私は今でも信じられないのですが…」
「おい!何を言っているのだ!来ると言うから突貫で治水、引河したのだぞ?!それで何も無かったとなれば誰が労と費の責任を取ると言うのだ!?」
「何を二人でぶつぶつ言っているんです?もうすぐ約束の刻、堰を開く準備をするんです?」
若人役人の証である桜花章を胸に掲げる獺人の少女は、後ろでおろおろとするばかりの大と細の鴨嘴人と鼬人の補佐役人を叱責する。
「そろそろなんです。公主様の御要望は『とっても華やかに』と言うことでした。さぁ、始めるんです」
腰に提げた硯箱の蓋が独りでに開くと一本の筆が躍り出る。
毛筆、の様に見えるそれは水。先端に墨を含むために、造形が細かいために筆に見える、水。
「印するんです、昂流(こうりゅう)! 満・干・引・留!」
運河の堰の前、墨躍字がすうっと水の中に溶け込む。
すると水はまるで寝起きの大獣の様にのっそりと塊となり堰の前からごっそりと移動するのだ。
当然、片面で水の支えがなくなった堰は轟々と音を立て派手に弾け崩れる。合わせて蓄えてあった彩鮮やかな無数の花びらが舞い散り昇る。
楽士隊が一斉に奏で始めるとまるで水もそれに合わせて踊る様に上下に隆起し流れる。
灰河の支流より延々と門市城まで引いてきた運河、その水流が待ちかねたぞ!と言わんばかりの勢いで弾け流れ込んだのである。
門市城の各所を流れる生活河に流れ混ざる水流、轟と鳴り立つ水柱。
その中より現れ出でたるは、短髪を揺らし上下する獣耳と好奇心を表すようにくるくる動くつぶらな瞳、狗人の少女。
華やかさよりも実を優先した飾り気のない灰色の衣、女性の着物であるが発する圧にはか弱さなど微塵も無い。腰に提げた剣は如何にもな儀礼用の鞘に収まっている。
「あれは誰だっ!?」
「あのお姿は灰河の主である大水精霊灰河伯の娘であらせられる蒼露公主様だ!」
大仰で如何にもわざとらしい感嘆の声ではあったが、周囲の人々の注目を集めるのには十分であった。
「良くやってくれた!門市城までの水道、大儀であった!満足である!」
蒼露公主は満面の笑みのまま、歓声に応えるようにあれやこれや剣舞を疲労したり水精霊を使役したりと更に人を集めていくのだった。



獺人はじめ三人は大延国にて治水を担う健川庁の役人であり、日々水源水流の調査から水精霊との交渉から治水工事までを執り行っている。
風の噂を聞いた蒼露公主が「大ゲ-ト祭に行きたい行きたい」と駄々をこねているのを聞きつけた庁が、若輩ながら公主と面識があり水精霊を授与されたこともある獺人トウルンに白羽の矢を立てたのである。
大河を治める大精霊の娘と言えども水精霊、やはり陸を行くのは何かと不便である。だがしかし蒼露公主の思いは強く、行けない場合はどの様な水難が起こるやも知れぬ。
一念発起したトウルンは庁をあげて河から門市城までの領に協力を取り付け、簡易的ながらも運河を引き水の通り道を作ったのである。
方々が負担した額は軽いものではなかったが、治水や安全など説得と説明の甲斐あってか納得はしてもらえたという。
成果は上々であり、歓迎を受け自身の認知度か人気を認識した蒼露公主は御満悦で門市城内の運河を進み大門祭に沸く様子を楽しんでいる。
河を行く途中で渡し舟や岸の人々から挨拶されたり、中にはわざわざ話を聞きつけ貢物を持ってくる者もいる。
受け取った物、道中屋台などから買った物はお供に連れ呼び出す大口の鯰水霊魚が飲み込み収納していく。
「楽しい楽しいぞ!今度は私の河でもこれくらいの祭りを催して欲しいなぁ」
「季節や時期によって河祭りは地域毎に色々と開かれていますのです。 今度灰河以外の河祭りも御案内するんです」
「やっぱり祭りは大きければ大きいほど良いな、うんうん!私が伯になった暁にはとっても大きな ───

河を歩き進む蒼露公主の向かう側から小舟がやってくる。
何てことはない小舟。乗っているのは質素な服装の鱗人の老婆。
蒼露公主もトウルンも何の気もなしに小舟とすれ違う。

 『水を治める者として、上に立つ者として恥ずかしくない行いを心掛けねば灰伯を継ぐなど幾百幾千年経っても無理じゃぞ』

電流が走ったかの如く全身が総毛立つ蒼露公主。
一瞬にして辺り一帯を重い水が包み込む錯覚。一呼吸も出来ない程の気勢。全身が圧し潰されるような存在感。
トウルンも何かしらを感じたらしく、辺りをくるくると見回している。
件の小舟は影も形もなくなっていた。
「何てこった…あんなとてつもない力を感じたのは初めてだ。 うーん、もう少し私も行く行くは河を治める者としての自覚を持たないと行けないかな?」
「急にどうしたんです?でもそうされたら灰河伯もお喜びになると思うんです」
これからの気構えを芯に思いつつ、今日のところは祭りを楽しむべしと蒼露公主は再び河を歩きだすのであった。


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最終更新:2019年07月08日 03:13