【古い苔石・一泊目】

 1991年1月。突然のゲート出現に、世界中が混乱した。
 当時、特に社会情勢が著しく不安定だったペルーはこの世の終わりのようだったという。
(オルニトでも大神と意思疎通のできる他の国以上に混乱したと、おじいちゃんが言っていた)
 互いにそれが何かも分からぬまま、光の柱の周囲にバリケードを築き武器を構え、警戒していた。
 そんな中、包囲網を突破して無謀にも1人の男がゲートを越えた。伝説の地球人バックパッカー、エルナンド・コラレスだ。
(この辺りで毎回須賀洋人さんの語り口に力が入る)
 手記によるとゲートを抜けてオルニト軍のゲート包囲網をも突破した彼は、まず最初に鳥人が飛べない危険地帯を陸路で抜けて追っ手を振り切り、白く高い山の頂に旗を立てたという。
 それは今もオルニトのどこかではためいているかもしれないんだ、と楽しそうに話して聞かせてくれた。
(もし本当にその人が実在して、更にこの話も嘘でなければ、だけど)


 時は流れて2012年6月。昼下がりのオルニト街道。
「ホーホケキョ?」
 聞き返すと並んで歩く灰羽の少女、セニサが丁寧に訂正する。
「いえ、古い苔石(ホー・ケキョ)です。古い(ホー)
「ホー」
苔石(ケキョ)
「ケキョ。じゃ、新しいのは何て言うんだ?」
 彼女は考え込むように翼を口に当てて、上を見た。
古い(ホー)より新しいと若し(チュン)、もっと新しいと新し(ピヨ)ですかねぇ」
「ふーん…何だか翻訳の感覚が普通の言葉と違っててな」
「今とは言語体系の違う、先オルニト語だからでしょうか?その頃からあった街なんですよ」
 その永い年月を物語るように、行く先には巨大な樹々がそびえていた。

 山のように巨大な一枚岩と、その岩の下から生えた5本の巨木。
 そこに築かれた地上の古都、『古い苔石(ホー・ケキョ)』。
 上空からその姿を見れば確かに苔生した石のようにも見えるだろう。
 セニサによれば、ゲートや王都島群にも近いこの石と緑の街は古くから物流の中継地として栄えてきた、らしい。
 そういう彼女も初めて来たのか、あちこち物珍しそうに見回している。
 地上には2、3階建ての石造りの家がぎっしりと並び、迷路のように入り組んだ道を作り出していた。
 油断すると迷子になってしまいそうだが、住んでいる鳥人はだったら飛べばいいじゃないと言わんばかりだ。
 そんな鳥人が飛び交う頭上を見上げると、ツリーハウスと木々を繋ぐ通路が数階層に渡って張り巡らされている。
 下からでは見えないが樹上も随分賑わっているようだ。


 村を出て、隣村も越えて、初めて来る街。
 建物も大きくて人も大勢いる。生まれて初めて見る種族の人もたくさん。
 当たり前の事とは分かっているけど、圧倒されて子供みたいにキョロキョロしていたら、前を行く大きなリュックにぶつかってしまった。
「わぷっ」
 突然足を止めた須賀洋人さんが、振り向いて手を上げた。
「そうそう。街に無事到着した記念に」
「は、はい」
 翼を合わせてハイタッチを交わす。それは何だか私がここまで来た事を認めてくれるようだった。
「じゃあ、次は泊まるとこだな」

 大ゲート期間ながら、地上の宿でベッドが二つ付いた部屋を取る事が出来た。
 安い素泊まりの部屋みたいだけど、テントよりも広くしっかりとした部屋だしそれに何より。
「お布団だぁー…」
 家より立派なベッドがあるだけで十分だ。寝転がったら起きたくなくなるほどの。
 ところが彼は、一息つくこともなく出かける準備をしていた。
「さてと。俺はこれから図書館に行って来るけど、君はどうする?」
「え、私も行くんじゃないですか?」
「街まで着いたし、今日はもう自由時間でいいさ。連絡は…ほい、パス」
「わわっ」
 投げ渡されたのは地球人の手のひらほどの箱。『機械』だ。
「充電しといた。街の中なら十分繋がるはず」
「うーん…」

 巨木が生えた町の中央。
 周辺地域から集まってくる農産物で毎日朝市が開かれるという根元の広場を、様々な人が行き交う。
「良かったの?」
 人々の間を縫うように歩きながら、須賀洋人さんが尋ねてきた。
「ええまあ、図書館で待ってようかなって」
 その気持ちに嘘はない。先日教わったあの『機械』を一人で使える自信がなかったのも、ちょっとあったけど。


 オルニトといえば図書館。
 地球で読んだ旅行記でも目にするくらい、オルニトの図書館は有名だ。
 ハピカトルのもたらす恩恵と災厄への畏怖か、あるいは鳥人自身の儚き記憶を残すためか。
 大図書館に限らず小さな村でも誰かしらが記録を残しているという、記録熱心な国風に起因しているようだ。
「そういえば、セニサの所も?」
「はい、主におじい…長老様が。私も手伝いで少し」
 彼女と出会ったあの日、小さな家から何冊もの本が出てきたのを思い出した。
 これほど大きな街の図書館なら、ゲート出現当時の地理情報も期待できそうだ。

 『古い苔石』の図書館は、街の地盤たる巨石を螺旋状にくりぬいた地下空間にあった。
 どんな不思議な事が起こるかと身構えていたが、ここはそんな事はないらしい。
 目に見える限りは精霊も殆どいない、静かな場所だった。
 ただ、どうにも要領を得ない並びをしていた。
 ある程度は分類されているかと思いきや、同じような種類の本が飛び飛びに置かれていたりする。
 そこで一旦上に戻って、カウンターに聞くことにした。

「島喰みの 波をたたえて 満る棚 今年は三重に 並びゐるかな」
 カウンターにいた鶯人の司書が朗々と唄い続ける。
「つまり?」
 隣にいる小柄な目白人のお手伝いさんに小声で尋ねる。
「シマハミスサノタツミノミコト、龍神の伝説を集めた棚が3つ並んでるって意味ですね」
 淀みなく唄い続ける。彼は上から本の並びを唄にして覚えているのだという。
 それがなぜか五七五のスタイルで翻訳されて伝わってくる。
「…途中からってお願いできないの?」
「今日は書庫整理の司書さんがお休みでして。史料研究の司書さんは端から順番に唄って思い出すしかないんで」
 お手伝いの彼女も自分の担当しているエリアの事しか知らないらしい。
「そうか…」
「浮遊島 浮きつ流れつ こぞに描く…」
 唄は続く。

「食える薬草、どれが美味そう、今年早々、増えて候…」
 ワンフロア分終わって、唄の翻訳がラップ調になったあたりで諦めてもう一度自力で探すことにした。
 再び下へ向かう途中にセニサがいた。
 棚の見出しに目をやると、じわりと字幕が出てくる。
「エリスタリア?」
 彼女は棚から趾で引っ張り出した本を翼に乗せ、見るともなくパラパラとめくっては戻していた。
「話は読んだことあるのが多いんですけど。挿絵…とかないかなーって」
「挿絵?」
「ええ、ユミルム妃の」
「ユミ…何だって?」
「エリスタリア、夏の国を統べるエルフの女王様です。でもユミルム様の絵ってほとんど描かれた事がないらしくって。私も今まで見たことないんですよ」
「有名そうな人なのに、そんな事もあるのか」
「美しすぎて簡単には絵に出来ないんです、きっと。見た目に関してはですね…」
 咳払い。
 薄暗い館内の向こう、ひっつめ頭にお堅い眼鏡をかけた女性がこちらをジロリと見ていた。
「あ…これはどうも」
「す、すいません…」
 後ろでコツコツと石段を降りる靴音が遠のいていく。
「もしあるならって思ったんですけど…ここにもなさそうで」
 閉館時間を告げる鐘の音。
「また明日、だな」

ユミルム様の涙が止まった頃、荒野は豊かな森へと姿を変えていた…とても美しいお話だと思いませんか?」
「うーん、美しいっていうか、人間臭いっていうか…」
 巨大な木の幹を取り巻く、木造の螺旋階段。今は地上から3、4階ほどの高さ。
「そこがいいんですよ、エリスタリアを、建国され、何千年という時を、超えて今も生きるハイエルフの王様と女王様に、そういう、人間的なドラマがあるっていうのが、はぁ、素敵だなって…はぁ、はぁ」
「大丈夫かー?」
 山の上の街の、更にその上に張り巡らされたツリーハウスの最上層。
 そこでは樹と樹を繋ぐ大きな橋の上にオープンテラスの席を広げた酒場が賑わっていた。
 店に近づくと、客席の間を文字通り飛び回っていた燕人のウェイターがすぐにやって来る。
「申し訳ございません、ただいま満席でございまして」
「あちゃー」
 街で一番目立つ場所だから予想できた事だが、ここまで登ってへとへとのセニサには堪えたようだ。
「そ、そんな…」
 その場に座り込んでしまった彼女を見かねてか、店に戻ろうとしたウェイターが再び嘴を開く。
「…相席でよろしければ、すぐにご案内できますが」
 何となく含みのある言い方だった。

 案内された見晴らしの良い外側の席に、その先客はいた。
 例えるなら桃の花。
 ピンクブロンドの艶っぽい長髪から気高く尖った耳が伸びている。
 振り返ると透き通るほど白い肌に翡翠色の瞳。
 ゆったりとした生成り色のワンピースの上から、柔らかなニットのボレロを羽織ったエルフだ。
「あらぁ~?お客さぁん?」
 それもへべれけの。
「お飲み物はいかがされますか?」
「私と同じの二つ!」
 すかさずエルフが答えた。
「えぇ!?」
「あー、俺はこの人と同じのを。こっちは…」
「わ、私はお茶を…」
「何ぃ~、私の酒は飲めないと?」
「まあまあ、この子はまだ未成年なんで」
「ふぅーん、貴方たちそんなに歳違うの?…4つぅ?何だ誤差じゃない誤差」
 そうくだを巻く彼女も少し年上くらいにしか見えないが、総じて長い時を生きるエルフの年齢は見た目では分からないものだ。

「こちら豆酒でございます」
 彼女がジョッキで飲んでいるのと同じ飴色の酒が、お猪口ほどの小さなお椀で出てきた。
 これは間違いなくキツイ。
「はいじゃあ…あれ、貴方たち名前は?」
「俺は須賀洋人。地球の日本から来た」
「えーと、セニサです」
「私はフィナよ。それじゃあ今日は須賀洋人君とセニサちゃんに出会った記念飲みということで、カンパーイ」
「お、おう。カンパーイ」
「か、かんぱーい」
 促されて煽った一口は甘く重たく、クラっとくる。


 須賀洋人さんがあれこれ頼んだ料理がテーブル一杯に運ばれてきた。
「地球人ってよく食べるのねー」
「移動中はどうしても食材が限られるから、こういう所で生野菜とかしっかり取っとかないとな」
「えっと、良ければフィナさんもどうですか?」
「大丈夫大丈夫、今日はミネラル取ってるから。ほら」
 そう言って置いてあった小皿を持ち上げる。
「それって、ただの塩じゃ…」
「ジョークジョーク。エリスタリアジョーク」
「あ、あはは」

「貴方たちアレでしょ、あのー、そうそう、バックパッカーってやつでしょ?今流行りの」
「え?えーと私は別にただの現地ガイドで…」
「私もね、昔エリスタリアからここまで旅して来たのよー」
「エリスタリアからオルニトまで?結構な長旅では」
 旅と聞いて須賀洋人さんが食い付く。
「そうよー、エルフたるもの運命の相手を見つけ出せーって感じでね」
 エルフはエリスタリアの主神、世界樹が自ら生み出された植物系種族の1つだ。
 しかし彼らはむしろ積極的に国を出て、本能的に他の種族を求める。それが生みの親である世界樹からの使命だという。
 神様から直接使命がもらえるなんて、私には想像も付かない感覚だ。

 いつの間にか話はエリスタリアを出て、ドニー・ドニーへ移っていた。
「ところがそのオーガの船乗り、いざ身を固める話になったら、やっぱりもうしばらく先にしないかーとか日和ってきて…」
「ははーん、男としては旅の途中だから軽く考えてた訳か」
「そーなのよー、もー情けないの何のって感じで」
 フィナさんが丸椅子から背もたれを探すように、後ろの手すりに寄っ掛かった。
 須賀洋人さんもよくやる仕草だ。尾羽を立てて座る必要がないからなのか、背もたれがある椅子を好んで使う。
 やっぱり地球人とエルフの方が近い種族なのかな。
 なんて思っていたら、手すりが軋むほど寄りかかって空中へ身を乗り出していた。
「あのー、あんまり身を乗り出すと危ないですよ…」
「あー大丈夫よ、こんくらいじゃ壊れないから」
「そ、そうですか」
「それでねぇ、今度はもっと実直な男がいいと思って…」


 立派な船と不甲斐ない男を次々に乗り換えながら、フィナの旅物語はオルニトへ辿り着いた。
「だからねぇ、エルフってのはねぇ」
 しかし、とうとう話がループし始めた。
 もはや机に突っ伏した頭を持ち上げる事もままならない。
「おーい、大丈夫かい?」
「このくらい…何てことないわよ…ヘイ、ウェイター」
 ウェイターは慣れた様子で彼女の肩を掴むと、そのまま地上へスーッと降りてしまった。

 追い掛けて木の幹に作られた螺旋階段で地上まで降りると、彼女がさっきの真下で座り込んでいた。
「にゃははは」
「置いていく訳にも…」
「いかないよな」


 須賀洋人さんがフィナさんを軽々と背負って、エリス産の発光果実を付ける街灯樹に照らされた路地を進む。
「そこをぉー右にぃー、左ぃ」
「え?どっちだ」
 いつの間にか来ていた光精霊達が、コロコロと笑うように鳴る。
「ミギだよミギ」
「ヒダリヒダリ」
「まったく…」
 そう言うとずり落ち気味なフィナさんを背負い直す。
「だからぁー…あら、貴方意外といい体してるわね」
「今度は何だい」
 肩に手を乗せていたフィナさんが抱きつくように体重をかけて、艶やかな髪を扇情的にかき上げると、彼の耳元で囁いた。
「私と運命、味見してみない?」
 長い髪に遮られて、須賀洋人さんがどんな顔をしたのかは見えなかった。
「わわわ…」
「何よ、せっかくからかったのにこっちの方がいい反応するじゃないのよう」
 今度は身を乗り出して、私に抱きついてきた。花のような甘い香りが広がる。
「ひゃあ!?」
「あら、ちょっと貴女もなかなかイケてるんじゃない、このこのー」
「おーい、あんまり暴れないでくれー」
 ぐいぐい来るフィナさんと、長い髪が揺れる度に漂う香りに、何だかくらくらしてきた。
「うぅ~…」


 そうこうしている内に入り組んだ路地の奥、アパートみたいな古びた建物の一室へ案内された。
 光精霊に照らされた部屋は乱雑に積み重なった本と色とりどりの鉢植えに占領され、かろうじてベッドが使える状態だった。
「貴方たち『風穴亭』に泊まってるんでしょう?遠いんだから泊まっていきなさいよ。ほら、ベッドも一つあ…ぐぇぇぇっぷ」
「まーまー、気持ちだけ受け取るんで」
 しばらく悪酔いして絡んでいたが、ようやくベッドに収まって眠りに就いた。
 静かに寝ていれば、さっきの花びらに包まれ眠るユミルム妃の話を思い起こすほどに美しい。
 こちらが冷静になるほどアルコールの入り混じった香りを振りまいているが。
「…宿、どっちでしょうか?」
「来た道は覚えてるから、まずはさっきの木の根元まで戻るか」
 部屋から出ようとした時、ベッドの方から声がした。
「『風穴亭』なら…表の右手を青い家に突き当るまで行って…そこから左に曲がりなさい…」
「は、はい」

 言われた通りに入り組んだ路地を進むと、すんなり宿まで戻ることが出来た。
「ふー…」
 酔いか思わぬ疲れか、ベッドに腰掛けたら思わずため息が出た。
「お疲れ様です。でも、素敵な人でしたね」
 セニサも隣のベッドに腰掛ける。
「ああ、まあね」
「…そうですよね。髪もまっすぐだし、肌も白いし」
 翼で自分の前髪に触れながら、彼女はポツリとそうつぶやいた。
「そうだな、でも俺はどっちかっていうと…」
 静かな寝息。
 よほど疲れたのか、こっちのユミルム妃はうっすら白目を剥いて口も半開きのまま、その場で仰向けになっていた。
「あーあ」
 慣れない環境での毎日。無理もない。よく頑張ってるくらいだ。
 ベッドの真ん中へ移し、横から頭を持ち上げて枕を敷こうとした時だった。
 こちらへごろんと寝返りを打って、親指が彼女の頬にある黒い模様に触れた。
 普段はスポーツ選手が日除けに目の下を黒く塗るアイブラックのようにしか見えないが、本人はそれを嘴だと言っていた。
 上から下へ撫でると、確かに黒曜石のように硬質な感触。
 柔らかな頬と対照的に滑らかな指触りは、手離せなくなる不思議な力があった。
「んひゅふふふぅ…」
 思わず手を離す。
 唇をむにゃむにゃとさせて、くすぐったげな笑みを浮かべていた。
 嘴なのだから、唇に触れていたようなものか。
 幸い起きたわけではないようだ。
 そう思う自分も、他人の事を言えないな。
 あらためて毛布をかけたら寝てしまう事にした。


 本シリーズのリンク付で引用する演出は、勝手ながら今回引用させていただいた【図書館で精霊と】を参考にしております。
 改めてこの場を借りてお礼を言わせていただきます。素敵な作品をありがとうございました。

  • イレヴンズゲートネタを満遍なく取り入れての構成は毎度素晴らしい。大ゲート発生当時の出来事はもっとどんどん作ってもいいと思う。キャラの雰囲気と背景を感じさせる言葉のやり取りは読み魅入る -- (名無しさん) 2018-05-06 19:56:23
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最終更新:2018年11月13日 23:59