【旅鳥の波枕】

「昔から『旅鳥の波枕』と言っての」
 旅に出る日、おじいちゃんが言っていた。
「渡り鳥が波の上で寝られるように、旅をすれば身に付くものもあるという事じゃ」

 今日も朝が来た。
 まだ眠い顔を翼でこする。
 伸びをすると、テントの外幕にぼよんと触れた。
 荷物の向こうの寝袋はもぬけの殻。
 今日も早起き。

 テントの外は昨日の朝と違う山。
 一歩出ると木の上じゃなく、平らな地面の上にいる感覚はまだ慣れない。
 もっとも、慣れたら何かが身に付くほど違う訳じゃないけど。

 昨日と違うと言えば、あの黒い髪。
 今日も風任せの髪型が、射し込み始めた日光でうっすら茶色く見える。
 これまた見慣れない翼のない手と、鉤爪のない脚。
 誰もいない空き地の向こう、朝から元気に体操をする地球人が私に気付いた。
「よっ、おはようセニサ」
「おはようございます、須賀洋人さん」

「今日はこの辺まで行けば、明日中には次の街に着けるだろう」
 二人で蒸かした芋を頬張りつつ、地面に広げた地図を見る。
「ここ、途中で道が別れてますね」
「あの山だな」
 方位磁針を持った手が指差す先には、低い雲に覆われた山。
「こっちの細い道はあの尾根を登る道で、こっちはふもとで山を迂回する道か…」
「「尾根かなぁ…」」
 思わず顔を見合わせる。
「お、意見が合うね。やっぱり尾根を登ってみたいよね」
「え?えーっと、私は平地を長く歩くよりは上り下りする方が楽かなって…」
「そうなの?でもま、行く道は同じって事で」
 彼はそう言うと、いつものように方位磁針を振ってみせた。
 赤と銀の針はクルクル回って、正反対の方向を指し続けていた。

 テントのペグを脚で抜きながら、周囲の地面に書いた精霊除けのルーンを踏み消す。
 残りは須賀洋人さんが解体して、私が背負っているより倍は大きなバックパックに括り付けた。
「さ、出発だ」


 オルニトの街から街へ、街道沿いに歩いていく。
 伝説のバックパッカーの足跡を辿る旅。
 なんて言えば聞こえは立派だが、今のところ物語の舞台を巡る個人旅行に過ぎない。
 それも正直、地球でツチノコを探すような話だ。
 ただ、どんな旅にもその旅だけの出会いや発見がある。
 もちろん、こうして旅をしている隣にも。

 今日の街道は、ひたすら登りが続く。
 尾根に築かれた道は次第に細くなり、道の左右の森が切り立つ崖へと変わっていく。
 崖の下はおろか、行き先すらも霧に覆われて見えない。

 踏んだ石がグラついた。
「そこ、石が浮いてるから気をつけてね」
 セニサがきょとんとした顔をする。
「この辺の岩は浮遊しませんよ?」
「あーそっかこの世界じゃホントに浮くのか…」
 慎重に言葉を選んで説明する。
「えーとだな、地球では地面に埋まってなくて、踏んだり蹴ったりすると動く石を『浮いてる』って表現するんだ」
 石を踏んで揺らしていると、その横で硬く埋まった岩が突然土を振るい落として立ち上がり、ダンゴムシのような足でせかせかと歩き出した。
「えーと、地精霊ですね」
「…」

 なぜかついてきた石の精霊を連れて進んでいると、だんだん先を覆う霧が薄くなってきた。
 どちらともなく早足になり、やがて走り出す。
 セニサも風を受けないよう翼を後ろへ真っ直ぐ伸ばしたまま、前傾姿勢で走る。

 抜けた先は雲の上だった。
 来た道が雲海の下から伸び、頂上で折り返した先で再び雲海の中へ消えていく。まるで浮遊島のように。
 晴天の向こうには、今日も本物の浮遊島群が空高く浮かんでいる。
 小細工なしの神の奇跡。
 ここからはゲート島のある山と、一際高く浮かぶ王都島がよく見える。
 並んで空を見る二人に風が吹いて、彼女の柔らかな灰色の髪と羽根を揺らした。


 地精霊が作ってくれた盛り土へ腰掛けて、空を見上げると誰かが悠々と飛んでいた。
 私たちを追い越して、あっという間に次の街まで着いてしまうのだろう。
「ほら、食べなよ」
 ぼんやりと空を見ていたら、透明な紙で包装された黒い練り物が差し出された。
「あ、はい」
 須賀洋人さんは高カロリーな食べ物をこまめに出してくる。
 これもきっとそう。
「どうかした?」
「いえ、何だか旅に出てから食べてばっかりな気がして…」
 昔、本で読んだマリアンヌ様の気持ちが、少しだけ分かるような気がした。
どうしてこんなにお腹が減るのでしょうか…?
「普段とは全然違う運動をしてるだろうからね」
 何の気もなしに出た一文に、冷静な分析が返ってきた。「それに」と、いたずらっぽい笑顔で続ける。
「空腹を感じてから食べてたら、またシャリバテを起こしちゃうぞ」
「うー…」
 そうして口にした練り物は意外とつるっとした食感だけど、やっぱり高カロリーな甘さが口いっぱいに広がる。
 疲れた状態で食べるそれは、悔しいほどにおいしかった。
 包みには大きな地球文字。
「これ、何て書いてあるんですか?」
「んー?『スティック羊羹』だね」
 スティックヨーカン。食べすぎには気を付けなきゃ。


 今度は山を下りていく。
 盛り土に埋まった石の精霊は、それっきり動こうとしなかった。
 セニサに言わせれば「地精霊ですから」だそうだ。
 下りが終わって、尾根を迂回する石造りの街道に合流する頃には、再び森林の中だった。
 右手の崖伝いに続く道を歩いていると、左手の斜面の下からバシャバシャという音が聞こえてきた。
「水の音?」
「そういえば、そんな気も…」
 ちょうど街道の脇から斜面を下る、獣道があった。
「確かめてみるか」
「えー…」

 子供の頃、興味を持ったUMAはネッシーとスカイフィッシュだった。
 その時は知らなかったが、当時すでに有力な証拠は大体否定されており、今では異世界に絡めた説がたまに挙げられる程度だ。
 今やUFOと宇宙人ですら突発的に発生した小ゲートと異世界人だったのではないか、なんて説がある。
 それはそれで夢がないと思う。

 空に嵐神が住まい、大地が宙に浮くオルニト。
 そこでは生き物たちが地球からは想像も付かない進化を遂げていた。
 今も獣道を横切るウサギが崖から飛び出し、翼のように伸びた耳で対岸へ滑空していった。
 その川面を、何かが波を立てて遡上する。
 水面を割いて姿を現したのは、首長竜だった。
 続いて、水面からトンボのように透明な羽根を付けた魚の群れが飛び出した。
 弧を描きながら飛び回る魚に、長い首が俊敏にしなって食らいかかり、数匹を捕えた。
「ネッシーがスカイフィッシュを食う、か…」
「え?」
「いや何でもない」
 ここでは淡水魚だからと言って川にいるとは限らない。だから山魚と呼んでいたのだろう。
 そしてあの首長竜。胴体だけで地球人ほどもあるトカゲが、首だけ数m長くなったようなアンバランスな姿をしていた。
 空飛ぶ魚を食べるためか。
「あのトカゲって、この間食べた…?」
「いえ、ああいうのを食べるとは聞かないですね」
「ふーん…」
 オルニトではタンパク源として蜥蜴類が重宝されている。
 食用に飼う事もあるというが、この種は食べる部位が少ないとか。
「よし、あのスカイフィッシュを捕まえよう」
「え、あの風見魚(ティエンペス)の事ですか?でも食料はまだ十分ありますよ?」
「なくなってからじゃ遅いし、それに毎日決まった食事じゃ飽きちゃうだろ。よし、今日はスカイフィッシュのムニエルだ!」
「は、はい」

「と言ったものの、空中に餌を垂らして釣れるものじゃないよな」
 オルニトクビナガオオトカゲ(仮)は川下へ姿を消した。
 滅多に川から出ないし、積極的に人を襲う事はないそうだが、喧嘩を売って無事に済む相手でもないだろう。
「そうですねえ」
 川に石を投げ込むと、魚が一匹飛び出して、くるくると宙を舞う。
「あの魚はどこまで飛んでいくんだろうなあ」
 辺りを探るように飛び続ける。
「魚ですから、いずれまた水に戻るんでしょうけど…」
 もう一個石を投げ込む。再び水面が揺れると、いっそう高く飛んでいった。
「…そっか」
「うん?」
「あの魚、水の流れや乱れを感じ取っているのかも。水の精霊を使って、静かな水面を作ればあるいは…」
 そう言うと彼女は分厚いノートを片翼に、趾で持った木の棒を使って、その場に魔方陣のような模様を描いていく。
 舞うような動きで描き始めに到達し、均整の取れた円形のルーン回路が完成した。

 次に取り出したのはオルニトハープ。
 P字型の木製胴体に金属弦を張ったシルエットはギターやリュートのようだが、ネックに当たる部分に弦はない。
 翼で楽器の振動を吸収せずに持ったり、地面に突き立てるための、持ち手が付いた竪琴なのだ。
 椅子代わりに貸したリュックに脚を組んで腰掛け、片翼で体の側面にさらりと構える。

 宙に浮いた方の趾で弦を軽く撫でると、ポロン、ポロンと素朴な音がした。
 耳を傾けるように目を伏せ、軽快なストロークで奏で始める。
 一振りでそれぞれの爪が弦を弾く音は、清流できらめく日の光のように華やかだった。
 髪を揺らして微かに口ずさみながら、流れる川のリズムに寄せていく。
 精霊の姿は見えないが、まるで川の流れもこちらへ耳を傾けるように寄ってきた。

 川が聞き入るようになったところで、突然セニサが力強い音を投げかける。
 呼応するように川の水が持ち上がって、飛沫状の水精霊がやって来た。
 彼女の足元に描かれたルーンに気付くと、ぶるんと震えて流れ込む。
 魔方陣より二回りは大きな水の幕が出来上がり、森の景色を鮮やかに映していた。
「おおー…」
 思わず拍手。
「えーっと、どうでしょう?」
 くるくると宙を回っていた魚が静かな水の気配を感じてか、反転して飛んできた。
 真っ直ぐ飛んでくるので、そのままタモ網でキャッチする。
「よし、これで行こう」

 ナイロンのジャケットを脱ぎ、裸足になって手足をまくる。
 木にかけたロープで崖から川へ降りる。異世界でも、山を流れる水は冷たい。
 清流の中、泳ぐ魚の群れが見えた。
「そらそら!逃げろ逃げろ」
 川の魚を走り回って崖の方へ追い立てる。
 地球の魚なら岩の下にでも追い込んで手づかみできるのだが、追い立てた魚達は水面から鮮やかに飛び出していった。
「行ったぞセニサ!」


 渡された網を片脚に待ち構えていると、崖を乗り越えて山魚の群れが飛び込んできた。
「え、えーい!」
 見事に空振り。
 泳げないほど薄い水面に飛び込んだ魚たちはビチビチとのた打ち回っている。
 ところが高く跳ね上がると、再び風に乗って逃げてしまった。
「あ、あぁー…!」
 このままではせっかく須賀洋人さんが集めた魚が逃げてしまう。
 どうしよう。
 流星のランスチャージ。
 ふと頭を駆けたのは西イストモスを統べる騎士王、マリアンヌ様の秘技。
 ケンタウロスの騎士が槍を構えるように、翼で網を持って両脚で踏ん張る。
「やぁーっ!」
 思い切って地面を踏み込む。


 辺りの魚は軒並み飛んでいった。残りは飛ばない魚のようだ。
「おーい、どうだー?」
「んん~~!!」
 一体何が何やら。
 その時、足元の水面が揺れた。
 振り返る。
 巨大な蜥蜴の頭が水面高く持ち上がって、こちらを見下ろしていた。
 この大きさだと、ノコギリのように並ぶ歯もよく見える。
 川の魚をあらかたこっちへ誘導したからか?それとも自分が餌に認識されたか?
「まあ、待て」
 頭を大きく振りかぶる。
「話せば分かる…!」
 長い首から振り下ろされる獰猛な竜の顎。
 間一髪、横に倒れこんで避ける。
 水に足をとられながら、ロープへ猛ダッシュ。
「へへっ、じゃあなっ!」
 ロープを手に崖を登って戻る。蜥蜴も深追いはしてこなかった。

「セニサ!大丈…何してんの」
 戻るとセニサは地面にべったりと倒れこんで、体と翼で水面を押さえ込んでいた。
「いえ、あの、ほら、魚が逃げちゃうから…」
 地面の跡を見る限り、木の根に引っ掛かって転んだようだ。
 体の下の魚を回収して、引っ張り起こす。
「あーあ、翼も服もドロドロだ。川で洗ってきなよ」
「うぅ、はい…」
「っと、その前に。よくやった。ありがとう」
「…はい!」
 ハイタッチを交わす。
 ベチャッ。
「あっ…」
「…」

 日が傾き始めた、街道近くの空き地。
 火精霊や地精霊除けを張ったテントから離れて焚き火をする。
「で、憧れのマリアンヌ様の、星神への篤い信仰心が成せるその技を、出そうとしたと?」
「うぅ~…」
 セニサはこういう時、両翼で髪をわしゃわしゃさせる。
「もういいじゃないですかー…」
「まあまあ、それで魚が捕まったんだから」
 切って開いた魚の身は驚くほど透明だった。
 飛んでいる間も水を保つためか。

 塩で念入りに水分を取ったが、小麦粉を付けて焼き始めるとまた水が出て、ムニエルはベチョベチョになってしまった。
「こ、これはこれで十分おいしいですよ?」
「いいや、ムニエルってのはもっとこう、外はカリカリ中はふっくらって感じでさ…」
「じゃあ、次を楽しみにしてますね」
「ああ、約束だ」
 残りは二人で串に刺して塩焼きにしてしまった。
 水分が飛ぶまで良く焼いたら1/3ほどに縮んだが、泥臭さもなく淡白な味をしていた。
 骨も柔らかくそのままいける。


 夜になれば、この国からも星座になったイストモスの英雄達が見える。
「ところがその写真は作り物だと撮影者本人が告白し、最近の調査では湖に巨大生物の隠れる場所はないって結果が出たんだ」
 そんな星々の輝きが増す中で、地球の話が繰り広げられる。
 彼は茶色い粉を入れたカップにお湯を注いで、いつもの『コーヒー』を作っていた。
「じゃあ地球にはいないんですか?ああいう蜥蜴」
「確かに蛇のアナコンダとかはあれくらい大きくなるけど…俺は太古の恐竜が実は生きていたっていうのがロマンあってだな」
 真っ暗な水面が、瞬く星を映して揺らめく。
 手の中に凝縮された星空はいつまでも見ていたいと思えた。
「どうかした?あ、もしかしてコーヒー飲みたい?」
「え?ああいえ、それは別に」
 あの味はまだ理解できないけど、いつかは分かる日が来るのだろうか。


 火に照らされたセニサの頭がうつらうつらとし始めた。
 水をかけてもまだ燻る火を、近くにいた毛玉のような闇精霊に消してもらう。
 暗がりを求めてか、闇精霊はそのままテントの中に付いて来た。

「明日は何があるかな」
 自分の翼に包まれるように丸くなってから、毛布をかけたセニサが答える。
「何もなければいいですけど」
 寝床を仕切る荷物の上に陣取った闇精霊が口を開けたような姿で、吸収した熱をじんわりと吐き出した。
「きっと、何かあるさ」
「あはは」
 オルニトのどこかの街道。
 夜が更けていく。



 イラストは本作を基にとしあきが描いてくれた物を使わせて頂きました。改めてありがとうございました。

  • とても自然体な旅風景いいなぁ。特別な手段を講じずとも異世界が広がるのとマリアンヌの話がいい味出てた -- (名無しさん) 2017-10-10 16:44:19
  • 精霊と異世界生物いいね楽しい -- (名無しさん) 2017-10-11 22:46:05
  • ふと思った異世界の自然は食べれないものと食べれるものの割合はどんな感じなんだろうと -- (名無しさん) 2017-11-09 08:23:43
名前:
コメント:

すべてのコメントを見る

タグ:

k
+ タグ編集
  • タグ:
  • k

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2018年11月13日 23:59
添付ファイル