【灯幻郷・前編】


 2012年6月。

 大ゲート祭の期間は帰還祭と同じくらい憂鬱な時期だ。
 浮遊島郡からの心無い投棄が増えるし、祭りのために村の人も物も出払って不便になるばかり。
 大神殿や大図書館の一般開放をされたところで、地上暮らしにはあまり関係のない話だ。

 いつものように村の畑を見て回って、いつものようにおじいちゃんから将来についてどうするのか小言を言われて、いつものように森で熟れた実を拾い集めて帰ろうとした時、突然いつも吹かないような強風が吹き始め、通り抜けていった。
 さっき空の精霊を見た時はまったくそんな気配はなかったはずなのに。
 そう思っている間に、木箱に重い物を落としてぶち破ったような派手な音がした。
 まさか。

 突然の嵐は、オルニトでは当たり前の出来事だ。
 遠く離れた浮遊島郡から風に流されてくる落下物にも慣れた。
 2年前に浮遊岩の破片が落下して家が半壊した時は途方にくれたが、どうしようもないことだ。
 しかし、今朝まで家だった木片が散乱し、翼のない人間が大きな橙色の布と格闘している光景には、声にならない声が出るばかりだった。


 心地のよい風。草木のささやく音。
 まぶたに木陰のようにゆれる光がかかっている。
 全身に受けたショックがじわじわと広がって、体の感覚が戻ってくるのを感じた。

 草木を揺らす風に乗って、軽やかなメロディが聞こえてくる。
 リズムを取るように草を踏む音。

 ふとまぶたを開くと、木漏れ日の向こうの空は少し陽が傾き始めていた。
 リズミカルな足音の聞こえる方へ頭を傾ける。
 細くしなやかな黄色い鳥脚が、木々の梢が揺れるように軽やかに地を踏む。
 灰色の尾羽と黒のハーフパンツが舞い、チラと太腿を覆う羽毛を覗かせた。

 タンクトップ姿の華奢な肩から広がる翼が、ひらりと舞うたびに心地よい風が巻き起こる。
 少女の周囲を風が渦巻き、いくつもの服や本がバタバタと飛び交っていた。
 よく見ると鳥のような存在や、葉っぱのような存在、あるいは形容しがたいエネルギーの塊のような存在が群れをなし、樹上の小屋の床をぶち抜いた大穴から荷物を次々と運び出し、少女の足元に丁寧に畳んで並べられていく。

 羽と同じ色のショートボブの髪が揺れる。
 口元が何かをくちずさんでいるが、風の吹き鳴らすメロディで聞こえない。
 ふと閉じていたまぶたが開き、大きな瞳が木漏れ日で金色に煌めいた。

 水晶のように澄んだ瞳。
 金色の虹彩で一際目立つ瞳孔の引力に、意識が吸い込まれていく。
 引き込まれた視線と、瞳が放つ確かな眼差しが重なった。

 その瞬間は永遠のように感じられた。
 しかし一瞬遅れて彼女の瞳が驚きと動揺の色に変わり、舞の途中で両翼を上げたポーズのままピタリと止まった。
 周囲に吹いていた風が次第に弱まり、精霊たちが荷物をその場にストンと落として散り散りに去っていった。
「あ、あははは…」
 ばつが悪くなったのか、少女は両翼を上げたポーズのまま愛想笑いを浮かべた。

「…いつから見てました?」
 少女がおずおずと聞いてきた。
「今のってもしかして、いわゆる魔法ってやつ?」
「魔法なんて…そんな大それたものじゃありませんよ。単に風の精霊を呼び集めて、ちょっと物を運んでもらっただけです」
「歌と踊りでって事?」
「それは…その、どっちでも…別に…」
 どんどん声がちいさくなり、口ごもってしまった。
「?」
「そ、それより!体は大丈夫なんですか?一体どこから落ちてきたんですか?」
「えーっと…」
 木々の向こうの空を見回したが、さっきまでいたはずの浮遊島群が見当たらない。
「あれ、浮遊島は?」
「一番近いのはあっちですけど…」
 少女が翼で指したのはここの真上から遥か離れた明後日の空だった。
「「え、あんな遠くから!?」」

「本当に…すまんかった!」
 土下座で謝ると、彼女は慌てた様子を見せた。
「い、いいですよ。そんなうずくまらなくても」
「しかしそういうわけには」
 お金を出そうとしたが、それも止められた。
「いいんです。世の中、どうにもならない事だってありますから」
「わざとやった訳じゃないって事ぐらいは、分かりますよ」
 そういって彼女は弱い笑みを見せた。それは寛大というより、諦念の混じった表情だった。
「そうか…ならまずは何か手伝わせてくれないか?助けてもらった恩を返さなくては」
「そんな気にしなくても…じゃあ、荷物を運ぶのを手伝ってもらえますか?」
「任せてくれ。っと、俺は須賀洋人。地球の日本から来た」
 手を差し出すと、彼女は少し面食らった顔で翼を出すか脚を出すか迷うような仕草をした。
「…えっと、セニサです」
 そう言って、おずおずと出してきた脚と握手した。


 木の葉より鮮やかなグリーンの服に、ケープのようにかかったパラシュートというオレンジの布。
 風精霊でも地球人が物珍しいのか、笛で呼び直した精霊たちは家から荷物を運び出す合間に地球人さんの服や黒っぽい髪を揺らして遊んでいる。
「日本?えーっと、ミズハミシマにゲートがある国ですよね?」
「そうそう。ミズハミシマのゲートがある国」
 風精霊が集めた荷物を、その人は手袋をした手で操るロープでてきぱきとまとめていく。
 大ゲート祭のゲート経由で来たということか。
 期間中は大ゲートを通じて別の大ゲートへ行くことが出来るが、期間が終わった瞬間、その場で強制的に元来たゲートへ転移してしまう。
 逆に言えば帰路の心配がないので無茶をする観光客もいるとか、聞いたことがあった。
「何でオルニトなんかに来たんですか?」
「おっ、よく聞いてくれたな」
 待ってましたといわんばかりに一冊の本を取り出した。表紙に地球語らしき文字が毒々しい色使いで書かれている。
 『異世界バックパッカーの伝説~世界で初めてゲートを渡った11人~』と、自信満々にタイトルを読み上げた。
「今から21年前、地球各地に出現したゲートから初めて異世界へ渡ったバックパッカーたちの伝説を集めた本なんだ」
「へ、へええ…」
 まるで、掴みどころのない風の噂が本になったかのようだ。
 「子供のころから好きな本でさ。いつか自分でその舞台を見て回りたいと思ってたんだ」
 本を片手に饒舌に語りながら、相変わらず荷物を手早くまとめていく。
「で、このオルニトへ最初に来たのがエルナンドというバックパッカーで」
 全く聞いたこともない名前。
 ゲートが出現したのは生まれる前の事だから村の大人の噂話しか知らないが、そんな類の話は全く聞いたことがなかった。
 風精霊が背中のパラシュートを引っ張って遊んでいるのも構わず続ける。
「異世界で空を飛び、空中大陸の記録を残した冒険家、エルナンド・コラレス。空飛ぶ鳥人世界に挑んだ男はイカロスか?はたまた異世界に文明をもたらしたプロメテウスか?なーんて…」
 話を聞いているだけでも人を雲に巻くような文章で、嘘か本当か…そんな本である事は伝わってきた。
 私もそういう本を読んではドキドキしていた頃があったな、なんて思い出す。
 でも。
「凄いですね」
「だろ?しかもこの11人には実は共通点が…」
「いえ、そっちじゃなくて」
「え」
「須賀洋人さんがそうやって本のために冒険できる事が、凄いなーって」
「そう?」
「私には、きっと出来ませんから」
「…」
 いつの間にか彼はこちらの顔をじっと見ていた。何だか喋りすぎてしまった。
「す、すいません。変な事言っちゃって。それより長老様の所に行きましょうか」
 感謝の音色を軽く奏でると、風精霊たちは満足して帰ってくれた。


 先を行く少女が山の斜面を斜めにひょいひょいと登っていく。
 地球でも普段から高山に住まう者たちは高山での活動に長けているが、足元の悪い火山質の岩場をこともなげに登れるのは細く無駄のない筋肉を付け、地面をしっかりと掴むことの出来る鳥脚のおかげだろうか。
 そんなことを考えながら彼女の後を追っている内に、山の中腹にある長老の家へたどり着いた。
 木の上ではなく山肌に半分埋まったような家だが、入り口は平坦な地面からは崖を数メートル登る必要があった。
 入り口の四角い木枠にはすだれだけ備え付けられていて、すだれをめくった中はやはり半分が横穴同然だった。
「長老様、いらっしゃいますか?」
 セニサが横穴の中へ声をかけたが、誰もいる気配はない。
「あれ、この時間にいないなんて」
 振り返って山の下を見ると、森の中にぽつぽつと小屋の屋根が埋もれているのが見えた。
「長老様ー?」
 セニサの後ろから中を覗き込んだが、薄暗い室内に人の気配はない。
「呼んだかの?」
「わぁっ!?」
「!?」
 いつの間にか小柄な老鳥人がすぐ真後ろに立っていた。全く気配を感じなかった。
「びっくりさせないで下さいよ、おじ…長老様」
「ほっほ、すまんすまん。おや、そちらは?」
「はい、こちら地球から来た旅人さんで…」
「須賀洋人です」
「ほう、冒険者とな」
 長老様がずいと顔を近寄せて、茶色に白の混じった羽毛の中から意外に鋭い瞳がまじまじと見つめてきた。
「ええ、まあ、そんなところで」
「いやー、よく来られましたな。今日はもう遅いからうちで休んでいきなさい」
 にっこり笑って握手、ではなく胸元に片翼を添えて歓迎のお辞儀をしてくれた。
 その胸元には色とりどりの羽根を繋げた首飾りがかかっていた。
「セニサ、今日は伝統料理の山鍋でおもてなしじゃ」

 セニサが戸口に立ってパンパイプのように木筒を束ねた楽器を構える。
 さっき風精霊を呼び集めたその笛で低い音色を奏でると、今度は火の玉が寄ってきた。
 火精霊はひらりひらりと誘導されて、入り口近くの低いかまどに灯った。
「ほっほっほ、それで浮遊島からこの子の家まで落ちてきたと」
「いやーあそこで急に竜巻が起こるなんて思わなくて」
「浮遊島から落ちるなんて笑い事じゃないですよ…」
 鍋に放り込んだ赤い果実をへらで潰して、スープを作っている。
 笛を火吹き竹のようにしてふうっと音色を吹き込むと、火精霊が一層燃え上がった。
「現地ガイドを雇うのは地上からにしようと、浮遊島から地上までのガイドをケチろうとしたのが間違いだったなぁ」
 スープの香りと湯気を嗅ぐだけでじとっとした汗が出てくる。
 野菜と一緒に更にスパイスが投入された。翌日は恐ろしいことになりそうだ。
「それで、彼女の家はどう弁償したら?」
「弁償してもらおうにも、建て直してもらおうにも、この時期はゲート祭の屋台や何やらで木材が出払っててのう…祭が終わるまでは無理でしょうな」
「そうなの?あんなに木が生い茂ってるのに」
 森の中に住み、樹の上に家を建てる彼らにしてみれば、樹を簡単に切る事は出来ないということらしい。
「随分こだわりますのう。よく言うじゃろう、作った物はいつか壊れると」
 鳥脚で白いコーンを掴んで、真珠のように丸々とした粒を一気にそぎ落としていたセニサも言った。
「そうですよ、あんなの大した家じゃありませんから。せっかくの大ゲート祭期間をこんな何もない村に留まろうとしなくても…」
「冒険者として、旅先でした事には責任を持ちたいんだ。それに何より『帰る家があってこそ、人は冒険に出られる』」
「ほぅ」
「なーんて今のもエルナンドの言葉だと言われてて。俺も人の家を大事にしたいなって」
「ほっほっほ」
 すでに溶岩湖のように赤く煮えたぎるスープに、これまた何かスパイスで漬け込んで真っ赤な干し肉が投入された。
 鍋をかけた火を大きな翼で扇いでいるが、羽根に燃え移ってもおかしくない位置だ。
「あのー、羽根が火に当たってるけど大丈夫なの?」
 そう言われるとそういえば、なんて顔をした。
「なぜか燃えにくかったりするんですよ、私の羽根」
「そうは言っても羽根や翼は鳥人にとって誇り。むやみに…」
「汚れることをしたり、他人に触らせたりしてはいけない、でしょう?長老様」
 そう言いながらセニサは翼で鍋を抱えて、ちゃぶ台のような食卓へどんと置いた。
「いいんですよー、どうせ自慢の翼じゃありませんから」
 そこまで言った所でこちらを見て、コホンと咳払いをした。
「えーっと、山間部料理の山鍋です。ホントは山魚の干し肉を使うんですけど今日はないんで…トカゲ肉です」
 席に着いたセニサが翼でやたら長い匙を持ったが、今度は止めなかった。
「いつもなら注意するんですが…手人の方々と食事をする時は手を使うのがマナーですからのう。ではいただくとしようか」
 二人とも翼で器と匙を器用に持って食べ始めた。羽根の中に小さな手があるようだが、こちらからは見えない。
 長老はどう見ても辛そうなスープを口にしても、変わらず涼しい顔をしている。
 セニサもハフハフ言いながらもたまらないという表情で食べていた。
 湯気か汗か、金色の目の下にあるアイブラックのようなものが湿り、浅黒く焼けた顔がわずかに紅潮している。
「い、いただきまーす」
 口に入れる前から肌を刺激してきそうな熱々のスープを口に入れると、果実の酸味と辛味のマッチしたスープに、煮込んだ野菜のうま味とピリッとしたスパイスの辛味が効いて、いやもう辛い。
 辛い辛い。舌を焼き尽くすようだ。
「ゲホッゲホッ!」
 むせ込んだ勢いで鼻の奥に入り込んだスープが、今度は粘膜を焼き尽くすように刺激する。
「……!!」
「す、須賀洋人さん!?」
 セニサがおろおろと声をかける。長老はほっほっほと笑っていた。
「地球人には辛くしすぎたんじゃよ」
「え、ええ!?」
 結局、何かのミルクを混ぜてもらって何とか食べられるようになった。


「それで、地球人さんはオルニトの地上へ来て何をするつもりだったんですかな?」
 そう聞かれた須賀洋人さんはほおばっていたパールコーンを一気に飲み込んで口を開いた。
「エルナンドの記録の中でも現在のオルニトの地理情報と一致した、信憑性の高い記述がいくつかあって…」
 何やらびっしり書き込まれたオルニト全域地図を広げて見せた。
「ほほぉ」
「地上に着いたらどこか近くの大きい街で情報を集めて、一番近い場所から回ろうと思ってたんだ」
 おじいちゃんが地図上の『古い苔石』があるあたりを指した。
「それなら、この街に行かれてはいかがかな?ここから村を一つ越えたところにあって、地上では古くからある街の一つじゃから、何かの記録があるかもしれませんぞ」
「なるほど」
「隣の村までは村の者を一人、道案内に付けましょう」
「それはありがたいが、なぜここまで親切に?急にやってきて、村に迷惑をかけたというのに」
 彼が不思議がって聞くと、おじいちゃんはいつものように翼で天を仰いだ。
「空から吹かれて来たものは全てハピカトルのお導き。こうして貴方が来た事はハピカトルの思し召しであり、貴方はハピカトルの御遣いでもある、という訳ですじゃ」
「へー」
 つられて須賀洋人さんも上を見る。仰いだ先に空はなく、光精霊を宿した鈴がチリンと揺れた。
 ハピカトルの意思なんて理由になってないといつも思うが、地球の人はその言葉に納得してしまったようだ。
「それに、これくらいの事オルニトでは日常茶飯事じゃよ」
 それは間違いない。


 夕食の片付けも終わり、外は満天の星空にあふれていた。
 星空であることは地球と変わらないが、星の並びは全く異なっているだけで随分と印象が変わる。
 ふと山の上を見ると、何か光る物の群れがちらちらと動いていた。
 空に浮かぶ星ではなく、山頂近くで光っているように見える。
「どうかしましたか?」
 セニサが天井にかけていた光る鈴を持って出てきた。
「いや、あの光ってるの何だろうなーって」
「あれですか?うーん、光精霊か何かじゃないですか?」
 音が出ないように翼で抑えながら鈴を振ると、宿っていた光精霊が出て行った。
「風が強い夜はああやってたまにチカチカ光ってますけど、ちゃんと確かめたことはないですねぇ…」
「誰も知らないの?」
「昔からああでしたから…それに普通、夜中に飛ぶ人はいませんし」
「それもそうか」

 翌朝、村へ降りてみると地球人がやってきたという事はすっかり村中に知れ渡っていた。
 セニサはお喋りな風精霊が広めたのだろうと苦笑いして言った。


  • バイタリティがあるのが前提だけど不思議な旅行記が現実で実際に体験できる可能性のある世界で人間は地球の枠には収まらなくなりそう -- (名無しさん) 2017-06-11 21:37:12
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最終更新:2020年08月31日 01:28