火の精霊が今日もかまどで懸命に燃え滾る。
大延国からはるばる呼び寄せられた宮廷料理人の豚人は、全身に玉の汗を浮かべながら大きな鍋で炒飯を作っていた。
この厨房では自分も含めて20人からの料理人が右に左に忙しげに動き回っている。
料理人の素性は延国人もいればミズハミシマの蜥蜴人、ドワーフやホビットたちもおり、狗人ばかりの城内でこれだけ多彩な種族の顔ぶれが見られる場所は他にない。
前任者の料理長はエリューシンの都から遥々呼び寄せられたホビットだったが、仕事を引き継がせるにあたって、一見して朴訥な印象の男が豚人には念をこめるようにこう諭したものだ。
「よろしいですか、延国のお方。
このところ姫様はますます食べ盛りで、もはや私では三食に毎度のおやつのメニューをろくに用意できなくなりつつあります。
少なくともオードブルからメインディッシュまでは大皿で十食をご用意いたし、たっぷりの肉か魚料理をメインにスープを多めになさるのが宜しいでしょう。
もちろんデザートもお忘れになってはいけません。
皿を一度に出さないのは、適度に波状攻撃をすることで姫様の食欲をなんとか誤魔化すためにございます。
食材は随時ラ・ムールから大量に取り寄せておりますが、かの国の商人たちは最近ますます食べ物の値段を吊り上げて予定通りに船が来なくなることもしばしば。
間違いなくオストモス(東イストモス)の野蛮人たちといざこざがあったのでございましょう。
ですから時々は肉が足りなくなることもありましょうが、領民の方々は私たちに比べれば食うや食わずの生活をしておられますので、彼らに牛や豚を差し出させる余裕はまずありません。
例外は西の森の狩人たちで、あの者たちの評判はよくありませんが、山鳥はもちろん、蜂蜜に林檎や大なまずや河蟹なども取引できますから賢くスケジュールを組んで下さいませ。
私も若い頃は気難しいエルフの貴人に料理の腕を振るったものですが、野菜の鮮度にうるさいあの方々も姫様ほどに文句は言われませなんだ。
いえ、姫様も宮廷料理の味には慣れ親しんでいらっしゃいますが、他の貴族の方々と違ってあからさまな美食家というわけでは御座いませんから、味のことに関してはそれほど気を遣いすぎる必要もありますまい。
ですが、よいですか、とにかく量を用意しなければあの底なし胃袋を満足せしめることはかないませんぞ。」
小さい体をすっかり消耗させて故国へと帰っていったホビットの言葉は、嘘でも誇張でもない。
「二番皿のリャンガーコーテーはまだ焼きあがらないあるか?急ぐある!アイヤー、どしたあるか!?また鍋の火力が落ちてきたあるよ」
さっきからかまどで燃え続けていた火精の調子が目に見えて疲弊してきたのを見て、豚人は黒葡萄のようなつぶらな瞳を瞬かせた。
丸い体をかがみこませてかまどを覗き込むと、もうひと頑張りもう少しの辛抱だと必死に火の精霊を囃し立てる。
厨房に、筆頭侍女のポルスレーヌが澄まし顔で入ってくる。
白磁のような毛並みも華やかな狗人の淑女は、いよいよ姫様のお食事の時間が間近に迫ったことを知らせるベルをちりんちりんと鳴らした。
「配膳準備を急ぐある!違う、新入り、その料理はそっちね!冷めない様に早くするある!」
厨房の煙突からもくもくと吐き出される煙は、近郊の畑でカブを引き抜いている狗人の農夫には長閑な光景に感じられた。
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「まだですの?わたくし、……その、さっきからおなかが減って減ってたまらないのですが。」
人馬族ケンタウロスに合わせて外国の建築家に設計させられた宮廷の食堂は、無骨な城壁の内庭で燦然と花開くパビリオンである。
古代の神殿を思わせる大理石の柱には蔦が絡みつき、食堂から見渡せる緑豊かな中庭では白亜の聖人たちが活き活きとポーズを取っている。
花と燭台に彩られた長テーブルの上座にて、王姫マリアンヌはそんな美しい光景に心を奪われるよりも、今日のご飯はなんだろうという本能的で切ない思いに囚われ続けていた。
“敬虔なるマリアンヌ”としても知られる彼女はイストモス王家の血を継ぐ王位継承者で、遅かれ早かれ西イストモスを背負って立つ指導者となるべき星の元に生まれている。
父王時代より忠誠を誓っていた諸侯や騎士団の結束はいまだに堅く、まだ正式に王位にはついていない彼女を、歴戦の勇士たちは表裏で支え続けている。
その可愛らしい容姿とは裏腹に戦場での精悍なる戦いぶりは並の武人たちを圧倒し、西の諸侯はもちろん、反目する東イストモスの族長やハーン達からも求婚の申し出が絶えない。
この間などは東イストモスで皇帝を自称する暴虐の大ハーン、スヴォーロフから、我が五人目の妻になれという申し出の書簡がついに届けられたというが、侍女たちの粋なはからいで手紙はあえなくかまどの燃えさしになったという噂である。
そんな彼女ではあったが、今は(そしていつも通り)国を顧みる余裕がないくらいにとてもお腹がすいていた。
「ほらほら姫様、もう少しの辛抱ですからお行儀よくしてくださいませ。」
辛抱強い主人が飼い犬に待ての訓練でも施すような調子で、侍女たちが姫君をなだめる。
「あうううう…、お腹のせいかしら、なんだか気分まで悲しくもなってきます。
ねえポルスレーヌ、わたくし今日はブレソール卿の館にお招きされまして、ジャガイモなる異国の植物の栽培を勧められたのですけれど、途中で領民の方々の暮らしぶりを目にして胸が痛みました。
畑に向かう人々の痩せ細り、腰は曲がり…どうして他の国々と違って、イストモスの土地には大した恵みがないのでしょうか。」
「東の方やラ・ムールには、作物のまったく育たないもっと荒れた土地もございます。
彼らは皆、羊に草を食ませて連れ歩いているのです。
草が食い尽くされ、蹄で土が固められれば移住するしかありません。」
「それはわかっています。私の先祖が安住の地を求めて、この土地にやって来たことも。
でも…でも、エリスタリアの秋の国などは、年中作物が豊作の夢のような土地と聞いております。
せめて少しでも、領民の方々の暮らしが楽になれば…」
「姫様…」
領民の苦しみについて深く思い悩まれる姫君のようすに、普段は表情を変えぬポルスレーヌの尻尾もへたりとスカートの後ろで垂れ下がる。
イストモスの土地は西東に広大ではあっても、気候はおおむね冷涼で土地の地力は弱く、作物は南の国々ほど満足には育たない。
この国の領地を別々に統治する貴族たちは実りを領民から吸い上げ、また戦争で得た財宝などはまずは諸外国から食料や武器を輸入するために使ってしまうため、下々の民にはなかなか金が回らない。
騎士道国家たる栄光の陰で、イストモスの領民たちは長らく苦しんでいた。
果たして何と声をかけたものかと筆頭侍女が思い悩んでいると、姫君は何かに行き当たったような表情でぽつりと呟いた。
「…ポルスレーヌ。」
「はい。」
「どうしてこんなにお腹が減るのでしょうか…?」
「人と馬、二つ分のお体ですもの。
ケンタウロスの殿方の中にはもっと食べられる方もいらっしゃいます。
姫様は成長期ですし毎日領地を駆け回っていらっしゃいますもの、食が進むのは健康な証でございます。」
「ううっ、小食な貴方がたが羨ましい…ケンタウロスに生まれた我が身を呪いますわ!!」
「わたくしどもも殿方はよくお食べになりますが。それとも。食べるのやめます?」
「食べます!!」
毅然と開き直ったように答える騎士姫。
ふと、中庭で舞い遊ぶピクシーのような風の精たちが、美味しそうなにおいを引き連れて食堂に入ってくる。
風の乙女たちはくるくるとマリアンヌの頭の上を回ると、くすくすと笑いながらまたどこかに行ってしまう。
馬のおなかのあたりがますます切なくなる思いで、マリアンヌ姫は料理の到着を待った。
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いよいよその時がやってきた。
まるで聖遺物を運び込む聖職者たちの列のように、給仕の召使たちが列を成して料理を食堂に運びこんでくる。
「お待たせいたしました姫様!お食事のご用意ができました。
本日のメニューは大延風満漢全席イストモス風、前菜は焼き茹で揚げのダンプリング三連星、酢豚、イストモス蟹のスープにエスカルゴ、メインディッシュは子羊の香草焼きにヒラメのソテー!
さらに肉のプリンに、サラダはエリスタリアン、お口直しに汁なしラーメンと黄金炒飯!
デザートはマンゴープリンパフェ三段重ねに御座います。」
まるで宴会のように贅を尽くした料理が次々と並べられる様は、壮観ではあった。
皿の一つ一つがメインディッシュなのではないかとこんもりと盛られた料理の数々。
イストモスの素朴な宮廷料理と、大延国の洗練された料理が縦横無尽に絡み合う。
豚人の腕は確かなだけでなく、また創意工夫にも富んでいた。
「ワインはいつも通り、春の国から取り寄せた最高級のものでございます。」
給仕の説明に、姫殿下は目を夜空の星のように潤ませる。
「まあ、なんと美味しそうなのでしょう。
星神テミランよ、今日この日の糧をお与えくださり感謝いたします。
貴方の力は星々の平原にあまねく行き渡り、その叡智と栄光は燃える星々と等しく永遠です。
願わくば星の子たちが末永く繁栄と共にあらんことを……。」
お祈りの途中で口の端から垂れてきたよだれでお召し物が汚れぬように、姫君の胸元には侍女がサッとナプキンをかけるのだった。
「本当に、新しい料理人の方の料理のトレビアンですばらしいこと!
もしかしてこんなに美味しいものを食べるからお腹がすいてたまらないのかしら?
では、いただきます…!!」
何かを決意したような、とても真剣な表情で食器を手に取るマリアンヌ。
あまり欲のない彼女だったけれど、食事に関してはこの瞬間をどれほど待ち望んだことか。
ぱくぱくぱくぱくもぐもぐもぐもぐ…!!
まさしく生の喜びがそこにあった。
完璧なマナーでナイフとフォークを操るさまは、剣の達人を思わせる無駄のない動き。
大皿料理は次々と平らげられて、皿をねぶっている様子もないのに真っ白になって積み上げられていく。
一番端で立ち控えていた新入りの侍女は、あれだけの料理が姫様の可愛らしい細身の体の一体どこに入っていくのか…と思い悩んでいた。
“エルフによく似た”上半身はお腹の部分に一切の膨らみもなく、おそらく食べられたものは全て馬の体のほうに入っていくのであろうが、もしや食べた傍から…?
不敬な疑問を思い浮かべる彼女の尻尾を、いつの間にか後ろにいたポルスレーヌがぎゅうと摘んだ。
「わうっ!?」
「あまり姫さまをじろじろと眺めないように。白目が目立ちますわよ。」
「すっ、すみません…!」
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「ごちそうさまでした!!」
からっと料理を平らげたマリアンヌは、とても満足した表情でテーブルから立ち上がる。
「ポルスレーヌ、いつか民にもこんな料理をお腹一杯食べさせてあげたいものですね。」
「星神さまの導きがあれば、きっと不可能ではありません。そうそう、もうすぐ祭りの季節が近づいてまいりましたけれど、今年はカボチャが豊作だと聞いておりますよ。」
「まあ、本当ですか?ねぇポルスレーヌ、わたくし考えがありますの。恒例の宴の催しですけど、今年は近くの領民の方々もお招きして…」
喋りだすマリアンヌの口元を、母親代わりの侍女はやさしくナプキンで拭う。
騎士姫殿下の食べっぷりを柱の陰からこっそりと覗き込んでいた豚人は知らぬうちに自分が笑顔を浮かべているのに気づいた。
かつて腕を振るっていた大延飯店でさえあんなに美味しそうに食べる客を見たことがない。
料理人としてそれなりに報われた心持ちで厨房へと引き返そうとしていると、蹄の音が聞こえた。
「これは、ブレソール殿!先日はご紹介にあずかり…」
蹄音の主は白いサーコートが鮮やかなケンタウロスの偉丈夫で、名は誠実なるブレソール。
イストモスでは数少ない諸外国の事情にも明るい領主である。
豚人にはよくわからない麒麟にも似た生き物の紋章のついた盾を馬の背中に背負っている。
金髪と涼やかな印象の顔を持つこの男は、見た目どおりの耳に心地よい穏やかな声で言った。
「そう恐縮なさらずに、料理人どの。やはり貴方を招いたのは正解だったようですね」
「はいっ!大延国の面子にかけて、姫様に腕を振るわせていただきました。
前任者のホビット殿はえらくお疲れのようでしたが、やはりエルフとケンタウロスの方々では食べる量が違います。
私どもの料理なら、きっと姫様にもご満足いただけるものと思っております。」
拳と掌を打ち合わせて礼をする豚人に、貴公子然とした態度のケンタウロスは微笑む。
「私たちは長年、戦場では粥のような腹にたまるだけの料理を食べてきましたから、民にも贅沢を禁じて粗食を強いてきたものです。
ですが自粛し、耐えしのぐだけでは何も変えることはできません。
神々の門は開き、新しい時代はすぐそこまでやってきている。
イストモスが強国であり続けるためには、姫さまにはなんとしても我が国の食糧事情を改善する意思を持っていただかねば。」
「そちらの事情はよくわかりませんが、私の料理が役に立てるのであれば喜んでお仕えいたします。」
「貴方にはどうか、その優れた調理技術を私たちの国の料理人に伝えてやってほしい。
貴方がたがいらっしゃるまで、彼らは香辛料の扱いもろくに知りませんでした。
ラ・ムール人には生肉食いのケンタウロスなどとあだ名されたのがいい証拠。
たとえ手に入るのが一塊の肉だけであっても、それを美味しく調理できるか否かが士気に関わってくるのです。」
「なるほど、食の楽しみを伝えるためあらば最善を尽くしましょうとも。」
「期待しておりますよ、チョウ・パカイ殿。」
以降、イストモスの食糧事情はさておき、その台所は急速に発展していくこととなる。
のちの時代にイストモス料理と呼ばれる文化が華やかに花開いたのは、まさにこの瞬間であったかもしれない。
- 流石に姫ともなると厨房の規模も凄い事になるようで…活気に燃える様子が楽しい。 身体構造によるケンタのエンゲル係数えらいこと化の説得力は大きい -- (名無しさん) 2012-04-04 00:23:39
- 姫として優雅ながらも大食らいというキャラが素晴らしいですね。のほほんとしているようで民のことも考えているようでもし国を動かす立場になれば豊かな食事を掲げてよき姫王になれそうですね -- (名無しさん) 2013-05-18 17:24:14
- ブレソールの武だけではない人柄に西イストがマリアンヌだけが治めている国ではないのだなと実感した -- (名無しさん) 2014-02-04 00:10:36
- 異種族間で起こり得る最大の生活問題は体格差による食事量とその確保なのではなかろうか -- (名無しさん) 2018-11-11 12:59:03
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最終更新:2013年03月30日 13:06