東北関東大震災(原ノ町・福島県原発情報)・被災者支援情報
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南相馬市原ノ町の被災状況
南相馬市原ノ町に住む、親族ですが3月11日の東北関東大震災で南相馬市に孤立しました。
国道6号線より海側に居を構えていましたが、幸いにも津波の影響は避ける事が出来ました。
家の裏側にある桜井古墳が津波を塞き止めてくれたようです。
国道6号線を境に海側は津波にのまれたようなことが報道されていますが、幸運でした。
烏浜の目下に住んでいたおじさんや、鹿島・相馬港の近くに住んでいたおばさんは、行方不明となりましが、
原町高校の遺体安置所で遺体として発見されました。
国道6号線より海側に居を構えていましたが、幸いにも津波の影響は避ける事が出来ました。
家の裏側にある桜井古墳が津波を塞き止めてくれたようです。
国道6号線を境に海側は津波にのまれたようなことが報道されていますが、幸運でした。
烏浜の目下に住んでいたおじさんや、鹿島・相馬港の近くに住んでいたおばさんは、行方不明となりましが、
原町高校の遺体安置所で遺体として発見されました。
南相馬市原ノ町 福島第一原発半径30Km圏内へ
地震・津波に続き、福島第一原発での放射能漏れが問題となりました。
親族の死を知った、東京にいる息子・娘は遺骨を引き取るべく原ノ町へ向かいました。
余震・津波・放射能被爆の可能性があるなかでの判断であり、端から見れば懸命な判断とは言えませんでした。
親族の死を知った、東京にいる息子・娘は遺骨を引き取るべく原ノ町へ向かいました。
余震・津波・放射能被爆の可能性があるなかでの判断であり、端から見れば懸命な判断とは言えませんでした。
南相馬市原ノ町から東京へ避難経路
3月16日、食料・燃料不足、放射性物質の広がりが懸念される中、原ノ町に残された親族および東京から向かった親族を、東京へ避難させました。
燃料不足が深刻で、自動車で町まで移動することは難し状況でした。
原ノ町→東京への避難経路は以下の通りです。
原ノ町(車)→川俣高校避難所→川俣高校前(川俣町飯野町福島市自治体バス)→飯野町(福島交通)→福島(福島交通)→郡山(タクシー)→那須塩原(東北新幹線)→東京
燃料不足が深刻で、自動車で町まで移動することは難し状況でした。
原ノ町→東京への避難経路は以下の通りです。
原ノ町(車)→川俣高校避難所→川俣高校前(川俣町飯野町福島市自治体バス)→飯野町(福島交通)→福島(福島交通)→郡山(タクシー)→那須塩原(東北新幹線)→東京
福島県南相馬市原ノ町の航空写真(震災前後:震災前/震災後)
被災前の福島県南相馬市原町です。
北泉の火力発電所のやや南、新田側より南側の航空写真になります。
北泉の火力発電所のやや南、新田側より南側の航空写真になります。
被災後の福島県南相馬市原町です。
津波は新田川をつたって桜井古墳・国道6号線近くにまで達しようとしています。 海岸付近の下渋佐地区に集落がありますが、津波によってその面影はありません。
津波は新田川をつたって桜井古墳・国道6号線近くにまで達しようとしています。 海岸付近の下渋佐地区に集落がありますが、津波によってその面影はありません。