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 アリゾナのチェーンソウによる惨殺事件を聞きつけた翌日には、ハーパーは「神の羊社」前に立っていた。
建物には「主の羊社」の看板がそのままだが、もちろん営業はしていない。
店舗部分の出入り口にも、警察の貼った「keepout」のテープもそのままだ。
辺りを見回し、ハーパーはワザと声に出して言った。
「こりゃあ………実にさっぱりした環境だな」
見渡す限り、人の作った建造物は「主の羊社」だけ。
他は無数のタンブル・ウィードに柱サボテン。
店の前の道路は乾き切った砂で被われ、車の走った形跡も見当たらない。
殺人現場たる「主の羊社」は、砂漠の真っただ中といった場所に建っていた。
ハーパーは車を降りると、途中のコンビニで購入した地図をボンネットの上に広げた。
(町から半マイルもないのか……)
最寄りの街から500メートルほどしか離れていないのに、世界から隔絶した感が強いのは、街との間に幾つも重なる砂丘のためだろう。
(これなら、小一時間チェーンソウを振り回したところで誰にも気づかれないな……)

いまより18日前の午後3時半ごろ、全従業員数わずか三名の地方新聞社に「『主の羊社』にて殺人事件発生」との匿名電話があった。
現場に向かった記者兼編集長兼CEOは、途中たまたま出会った知り合いの警察官に声を掛け、二人で殺人現場を発見することとなったのだ。
なお、通報電話は「主の羊社」から掛けられたものであることが判っており、所轄警察では犯人自身の可能性もあるとみているという……。

(……おそらく犯人は、此処から電話をかけたあと街には行かず、車の通りの殆ど無い郡道を北上したんだろう……)
考えごとをしながら地図を畳もうとしてうっかりボンネットに指が触れた瞬間、ハーパーは飛び上がった。
「あちっ!」
ボンネットの鉄板はサニーサイドエッグが焼けそうなほど熱い。
考えてみれば熱いのも当然。デスバレーは目と鼻の先といっていい距離だ。
帰りのことを考えて車を建物の日陰に駐車しなおすと、ハーパーはkeepoutのテープを剥がし、封鎖されていたドアを開いた。
 建物表側の店舗部分は、常識人であるハーパーの目にはかなり浮世離れした世界と見えた。
薄暗い店内の壁一面にかかった大小の十字架。日曜学校で目にした覚えのある様々な聖画。
びっしり文字の印刷された紙切れが飾られているので顔を寄せてみると、ラテン語で書かれた聖書の一ページだった。
(どこかで見たような光景だな)
ハーパーが思い出したのはまず「オーメン」、それから「キャリー」。どちらもホラー映画だ。
ショーケースの中にはアラスカで見たものとよく似たナイフもあり、聖餐用ナイフとのメモが添えられていた。
ショーケースの裏に回ると裏へとカーテンで仕切られた出入り口があり、その前の床に白いチョークで数個の丸が描かれている。
部屋が暗いので判り難いが、白い丸の中には黒く変色した血痕があるはずだ。
(おそらく犯人は客を装い店内に入った。そしてここで背中を向けた店主のホバード爺さんを後ろから……)
所轄で目にした調書には『後頭部に頭蓋骨折および脳挫傷』とあった。
一方凶器についてはただ「鈍器」と書かれただけだった。
(一撃目は此処だ。だがチェーンソウが登場するのは此処じゃない。チェーンソウが使われたのは奥の住居部分だ。だが……なんで……)

チェーンソウは重くかさばる。
だから映画やゲームの世界は別にして、凶器として使うのは無理があり過ぎるのだ。
危険度ならチェーンソウなどよりも小さな飛び出しナイフのほうが100万倍高い。
(客を装った以上、店主を襲った時、犯人はチェーンソウを持っていなかったはず。
それに犯人は、第一撃目に使った隠匿性の高い鈍器を持っていたのだから、そのままその鈍器で被害者に止めを刺すほうが簡単だ。なのに……何故?)
所轄警察の調書によると、店主のホバート爺さんは、第一撃目を受けたあと住居部分まで這って逃げた形跡があるという。
では、被害者が這っていた間、犯人は何をしていたのか?
(答えは簡単。乗って来た車に戻って、トランクからチェーンソウを出していたんだ)
ハーパーは白いチョークの丸を辿って隣室に入った。
カウンターの奥は作業室になっていて、チョークの丸は次第に大きくなりながら、部屋を横切って更に奥へと続いていた。
(頭から血を流しながら、店主は必死に居室へと這った。
目的はおそらく……電話か武器だ。
必死の努力で作業室を抜けて、なんとか居室には辿りつけたがそこで……)
いま作業室奥のドアは閉まっているが、遺体の発見時はドアストッパで開放状態だったという。
ハーパーは住居部分へと続くドアを押し開けた。
店舗部分は「オーメン」か「キャリー」の世界だったが、居室部分は「テキサス・チェーンソウ。マサカー」の世界だった。

壁と言わず天井と言わず、黒い血痕が飛び散っているのは、回転する刃によって巻きあげられたせいだ。
壁の十字架、なにかの賞状、それから幾枚かの写真……壁にかかっていたものは皆等しく血の洗礼を受けていた。
その真ん中に、チョークで描かれた人型が半ば消えかけていた。
右手を伸ばした先には古い形の電話器。
しかし店主の指が受話器に届くより早く、チェーンソウが唸りを上げて獲物の背中に叩きつけられたのだ。
(犯人は被害者の背中に二度、首筋に一度の計三度、チェーンソウを振るっている。いずれの一撃でも十分以上に致命傷たりうるものだ。だが……)
「……いったい何故だ?」
ハーパーは自問の末尾を思わず声にしていた。
彼の経験ではあり得ない犯罪だった。
チェーンソウは凶器としては使い難い。しかし殺人後なら、ある特定の用途で愛用者がいる。
……死体をバラバラにすることだ。
バラバラにした上で、どこかに「埋める」、「運び出す」、あるいは「食べる」。
犯罪者にとってのチェーンソウとは、そういう用途で使われるのだ。
だが、この犯人は凶器としては使い難いチェーンソウを凶器として使い、死体をバラバラにはしなかった。
「もっと他に理由があったはずなんだ。チェーンソウで殺さなきゃならない理由が!」
怒ったような声で自問を続けながら、手がかりを求めてハーパーは居室内を見まわした。
「間違いない!きっと同じヤツだ!アラスカでは拳銃を持っているクセにナイフで殺した。
ここでは、鈍器を持っていたはずなのにチェーンソウで殺した。必ず意味があったはずなんだ!チェーンソウで殺す意味が!!)
檻に閉じ込められた猛獣のように、ハーパーは狭い殺人現場の中を何度も何度も歩きまわった。
(どんな意味なんだ?チェーンソウ、C-H-A-I-N-S-A-W、どんな意味なんだ!?)
店舗部分が聖具で埋め尽くされていたのに対し、居室部分では店主の人生が表れていた。
中でも最も目につくのは、20代から30代にかけてのものだった。
この時期、店主のホバード爺さんは、陸軍の砲兵大隊に所属していたらしい。
オリーブドラブの巨砲を背景にして、上半身裸に泥塗れの姿でシャベル片手に笑う写真。
痩せた黄色人種と覆い被さるように肩を組む写真はベトナムだろう。
これも遠景に巨大な砲身が写っている。
そして後半生、ホバード爺さんは人殺しの人生を反省したのか、聖書への傾倒を深めたらしい。
入りなおしたらしい大学の卒業証書は「神学部」から発行されていた。
(大砲(CANNON)から聖典(CANON)へ……か)
カノンからカノンへ。
人殺しから救済へ。
だが、老人の悔い改めた人生は、凶悪な殺人者によって無惨に断ち切られた。
そう考えると、ハーパーの両手が思わず拳の形になってくる。
(だめだ!怒りに心を曇らせるな!怒りは理性を濁らせる!だめだ!落ちつけ!!)
怒りを静まらせようと、ハーパーは視線を血まみれの写真から無理矢理引き剥がして足元へと落とした。
足元には小机がひっくり返っており、その脇の床には古い電話器が置いてあった。
ひっくり返る前、電話器は小机の上にあったのだろう。
当然、小机が倒れたとき電話器も床に放り出されたはずなのに、受話器までちゃんと本体の上に置いてあるのは、電話器が床に落ちたあと誰かが受話器を本体の上に置いたからだ。
その「誰か」とはもちろん「匿名の通報者」であり犯人自身だろう。
(……ん?待てよ??)
……そのときハーパーは、このアリゾナの事件とアラスカの事件に大きな違いがあることに気がついた!
(犯人は、こっちの事件では殺人発生を通報した。なのに何故、アラスカでは事件を通報しなかったんだ!?)

事務所にハーパーが入って行くと、若い警官が愛想よく立ちあがった。
「やあハーパーさん。お戻りですか」
ハーパーが最初に電話をかけたときにも同じように愛想よく応対してくれたウォードという警官だ。
「お貸しした鍵なら、そのデスクの上にでも……」
「ありがとう。ここでいいかい?……ところでねウォードくん、事件の関係ファイルなんだけど、もう一度見せてくれないかい?」
「別にかまいませんけど……」
微妙に口ごもりながら、警官は事務所奥の様子を窺うような素振りをみせた。
(上司があまり協力的じゃないってことか)
……よくある話だ。
同じ捜査機関といっても、所轄警察は地方所属。FBIは連邦所属だ。
捜査権横取りの反発も根強く、FBI登場を快く思わない地方警察は別に珍しいことでもない。
(この若い警官に迷惑かけるのは本意じゃないなぁ……)
さてどうしようかと、ハーパーが思案かけたとき……事務所奥からプレーリードッグの泣き声のような声がすっ飛んできた。
「あれー?誰かお客さんですかー?ひょっとしてハーパーさん帰って来たとかーーー??」
ウォードの返事も待たずに奥から小柄な……プレーリードッグ……ではなく、プレーリードッグのような女性が飛び出してきた。
「あーーーっ!その顔、見たことありますーー!やっぱりハーパーさんですねー!」
ハーパーの前に立つと、目線がずいぶん低い。
身長は5フィートそこそこだろう。
童顔のせいもあって若く見えるが、顎と頸のラインがティーンエイジャーではない。
手を見ればそれなりの年齢、おそらく20代後半だろう。
若く見えるのは、たぶん身長とどこか東洋系を感じさせる顔立ちのせいだ。
「あの私……」
プレーリードッグはニコニコ笑いながら右手を差し出した。
「……キャリー、キャリー・グリーンっていいます」

キャリーは昨年クワンティコでの研修を終えたばかりの、いわゆる「グリーン・ボーイ」というヤツだった。
「……だからって皆、私のこと言うんですよー。グリーン・ボーイ、グリーン・ボーイって。失礼しちゃいますよね、だって私、こう見えても女なんですからねー」
……キャリーの自己紹介はまだ続いていた。
「配属先の上司なんかー……」
キャリーの自己紹介はとうぶん終わりそうにないので、ハーパーがなんとか聞き出した情報をかいつまんで記すと……。
現場、それも凄惨な類の現場に場馴れさすべく、上司が「調査」の名目で彼女を此処に送り込んだのだ。
送り込む「現場」の条件はただひとつ。
なるべく凄惨な事件であること。
だからキャリーの送り込み先としてこのアリゾナの事件が選ばれたのは、全くの偶然といってよかったのだ。
「……それでー、写真見てちょっとだけクラクラってしたらー……ほんとちょっとだけ。ちょっとだけだったんですよー、そしたら『キミにはもう少し現場ってものに慣れてもらう必要があるな』なんて言われちゃってー……」
キャリーの説明を上の空で聞き流しながら、ハーパーは現場写真、特に遺体の写った現場写真に次々目を通していった。
(アラスカと此処の違い。此処では新聞社に通報したが、アラスカでは放置した理由、それは……気温だ!)
ハーパーはついさっき誤って車のボンネットに触れてしまったときの熱さのことを思い出した。
(「主の羊社」が千客万来だったとは思えない。店の前の郡道も車の行き交う気配は殆ど無かった。だから、事件を放置した場合、何時発見してもらえるか判らない。
犯人は、殺した直後の状態で現場を見てもらう必要があった)
検死官の記録によると、犯人は一撃目を後頸の右から左に、二撃目を背中の左側に上から下、最後は腰部に左から右という順序でチェーンソウを振るったということになっていた。
しかし遺体の写真を見る限り、三回の攻撃は別々の攻撃ではなく、繋がった一連の動きのようにも見える。
(あの現場にあって、最も熱の影響を受けるもの。それは遺体だ。犯人はこの状態の遺体を見て欲しかった。腐敗が進んでしまってから発見されるのは不本意だった。
でも……犯人は何を見て欲しかったんだ?!)
そのとき、遺体写真を見ないよう、別資料を開いていたキャリーが、素っ頓狂なことを言いだした。
「犯人はー、ビタミンCでも足りてなかったのかなー」

「ビ、ビタミンC?」
ハーパーは見つめていた写真から思わず顔を上げた。
(この女、いったい何を言い出すんだ?)
しかしプレーリードッグ女の顔にふざけている様子は見えない。
改めてハーパーは尋ねた。
「いまビタミンCがどうとか言ったみたいだが……」
「えっ!?ああ……」
見上げるハーパーの視線をプレーリードッグは真正面から受け止めた。
「なんか見ていて感じたんです。Cばかりだなって」
女の言葉から間延びした調子が消えた。
「さっきウォードさんから聞いたんですけど、被害者のホバートさんは常々自分で言ってたんだそうです。『オレはカノンと縁がある』って」
大砲(CANNON)と聖典(CANON)だ。
「それから凶器がチェーンソウ(CHAINSAW)で……」
「それはオレも気がついてたが……」
「それだけじゃないんです。この写真……」
凄惨な写真から目を逸らし気味にして、女は遺体の背中を指さした。
「なんだか『C』の字に見えませんか?」
「Cだって!?」
ハーパーの視線が写真に戻った。
「それで……私思ったんです。こんなにCがいっぱいだってことは……」
ハーパー自身もさきほど考えていたのいではないか?
三回の攻撃は別々の攻撃ではなく、繋がった一連の動きのようにも見えると。
「……犯人のメッセージかなんかじゃなかと思うんです。被害者自身の体をメモ代わりに使って『もっとビタミンCを採ろう』なんて……」
ビタミンCうんぬんには、さすがについていけないが…。
(そうだ……あり得ることだぞ。犯人は遺体に何かのメッセージを残した。
しかし遺体の発見が遅れれば腐敗が進んでメッセージが判らなくなってしまう。それで犯人は地元新聞社に通報した……)
「あの、ハーパーさん……」
気がつくとプレーリードッグ……いや、キャリー・グリーンの切れ長の目が、正面からハーパーの目線を覗きこんでいた。
「ハーパーさんが来たってことは、他にも何か事件があったってことですよね?他の事件では、どんな文字があったんですか?」

その夜キャリーは、フェニックスの安モーテルに宿をとっていた。
泊っているのはもちろんキャリー1人だ。
ハーパーはどこかの誰かに電話をかけ、「ベックマン」という人物と「ジュディス」について早口で意見を交わすと、キャリーへのあいさつもそこそこにカリフォルニアへと大急ぎで帰ってしまった。
(ベックマンって確か……アラスカの捜査員よね。だったらジュディスは……)
ベッドサイドに腰を下ろしたキャリーは、携帯で「アラスカ」「ジュディス」、それからちょっと考えて「殺人」も加えて検索をかけてみた。
すると……
「アラスカ州パーマーで一家皆殺し?……きっとこれだわ!」
ゲットした街や日付のデーターも加え、キャリーは更に検索をかけていった。
15分ほど後には、キャリーは知りたいことの概要をほぼ掴めていた。
アンカレジから北東に約68キロの都市パーマー郊外で、海外出張中の夫をのぞく一家4人が皆殺しになったのだという。
被害者の名は、一家の主婦ジュディス、長男のケイン、長女ジェゼベルに次女エシェット。
このうち子供たち3人の死因は射殺だが、ジュディスだけは喉を裂かれたことによる外傷性ショックだった。
(喉を裂かれた?!生きたまま!?……う、うそでしょ??)
胃の中に大きな石が入っているような気がしてきたが、まだ肝心なことが判っていない。
(まだよキャリー。うげーとか、ぎょえーとかやるのはまだダメ)
自分で自分にムチをくれながらキャリーは携帯で情報収集を続けた。
だが、彼女の知りたい事実、「被害者の喉を裂いた凶器は何だったのか」は判らなかった。
新聞社のHPや個人ブログには「ナイフ」と書いたものもあったが、単に小型の刃物という意味で使っているのかもしれない。
さんざん思案したすえ、キャリーは一時間ほど前あとにしてきた警察署に電話をかけてみた。
運良く、顔見知りになったあのウォードという警官が電話に出てくれた。
「あのー……知ってたら教えていただきたいんですけどー、『主の羊社』ではナイフとかカミソリとか、何か刃物を扱ってましたかー?」
「ああ、それなら聖餐式用に主の御言葉なんかを刻み込んだナイフを扱ってたよ」
(間違いないわ!)
丁重に礼を言ってキャリーは電話を切った。
ハーパーが「主の羊社」にやって来たということは、「主の羊社」で扱われていた商品がジュディスの喉を裂くのに使われたに違いない……。
キャリーはそう考えたのだ。
ヤマ感は大当たりだった。
チェーンソウ(Chainsaw)なら「C」。
だからナイフ(Knife)なら……。

「間違いないよ絶対。ジュディスの喉は、「K」の字に切り刻まれてたんだ」

頬が強張るのを感じながら、キャリーは窓際へと歩いていった。
安モーテルの窓の外は、これまた安っぽい夜景が広がっていた。
このあたりまえの人が住む、あたりまえの世界を、人を殺してアルファベットを刻むバケモノが這いまわっているのだ。
(どんなことしても捉まえなきゃ!どんなことしても!)



「ロレンツォ先生、受付に面会の方がみえられてますよ」
まずは事務的に言ってから、助手のジムはロレンツォにぐっと顔を近づけると抑えたトーンで続けた。
「……ニューヨーク市警です」
「ニューヨーク?」
警察官に突然訪問されば、大抵の人物は何がしかの動揺を示すものだ。
しかメガネの向こうの、落ち窪んだ黒い瞳はいささかの変化も示さない。
「女性です。美人だけど、まるでサイボーグみたい」
灰色の瞳がキラリと光ったのは、「美人」と聞いた瞬間だった。
「……はるばるニューヨークからこのフロリダまでお越しとは、さて、如何なる御要件なりや?」
芝居がかった言葉で歌うように言うと、監察医サンベルト・ロレンツォは悠然と立ちあがった。
イタリア人は背が低いというイメージがあるが、あれは南イタリア人についてのもので、ローマ出身のロレンツォには当て嵌まらない。
6フィート3インチに達する痩身を優雅に逸らすと、少々乱れていた黒髪の一本結びを
手早く結い直して……今度も歌うようにロレンツォは言った。
「忙しき身なれども、会わぬわけにもゆくまいて……」
口では面倒くさくて会いたくなさそうだが、足が一瞬タップを踏んだのをジムは見逃さなかった。

ジムは女刑事のことしか言わなかったが……。
ロレンツォが事務所に入って行くと、待っていたのは「サイボーグのような女」と普通の中年男の二人だった。
制服であると私服であるとに関わらず、警察官はふつう単独では動かない。
ジムが女刑事のことについてしか言わなかったのは、隣の女刑事のインパクトが強すぎたからだろう。
「ようこそフロリダへ」
ロレンツォが右手を差し出すと、中年の男性刑事は応じて手を差出したが、「サイボーグみたいな女」は手を出さなかった。
女は……身長で6フィートに2インチほど足りないぐらいか?たしかにモデル並みの長身だ。
髪は褐色でベリーショート。透明感すら感じさせる肌は北方系だろう。
秀でた額と高い頬骨の間で、半眼の青い瞳がじっと動かない。
やや反り上がった鼻先の下では、薄い唇が真一文字に引き結ばれている。
……全体の印象は活動的で少年的とすら言えるのだが、冷たい瞳がその総てを消し去っていた。
(ニューヨーク市警というより、KGBみたいだな……)というのが、ロレンツォの第一印象だった。
「……失礼ですがアナタは?」
ロレンツォが重ねて手を差し出すと、女の視線がロレンツォの顔の上に「ロックオン」した。
炎のラテン対氷のスラブ。
知性対知性。
互いを値踏みする視線が交錯する。
「お、おい……」
理解の外の対決に男性刑事が戸惑いを見せ始めた時……。
サイボーグ女は初めてロレンツォに手を差し出した。
「はじめまして。わたくし、ソフィア・プリスキンと申します」

彼女の差し出した手は、左手だった。

コーヒーの紙コップが三つならんだテーブルを挟んで、刑事二人とロレンツォが向かい合って座っている。
それからどうでもいいことだが……中年男性刑事はグルックという名だった。
「我々が本日お伺いしたのは……」
禿げかけた頭の汗を拭きふき、グルックは切りだした。
(…なるほど、立場上は彼の方が上ということか…)
ソフィアと名乗ったサイボーグ女は、人形のように動かない。
「ロレンツォ先生が検死をされたマニュエル・ルービン事件についてでして……」
「…ああなるほど」
ロレンツォは口をつけていたコーヒーの紙カップを優雅な手つきでデスクに置いた。
「あなたがたお二人は、デルハイル射殺事件の捜査をされているんですね」

ロデリック・ヴァン・デルハイル。投資アナリスト。
事件の発覚は一年前に遡る。
デルハイルの経営する投資運営会社に違法行為の疑いありと、フロリダの地方経済紙が一面トップですっぱ抜いたのだ。
フロリダは現役を退いた富裕な老人層の多い土地柄で、デルハイルの会社に投資運用を任せている者も多かったため、この記事はたちまち大きな反響を巻き起こす。
信用不安を引き起こしたデルハイルの会社はたちまち倒産。
しかしこの事件、本当に法律に違反の事実があったのかは争いがあり、いまだ決着はついておらず、決着がつく気配も無い。
司直の手がいままさに入ろうというある夜、総てを知るはずのデルハイルが逗留先のニューヨークで射殺されてまったのだ。

 「ニューヨークのお二人がここフロリダはタラハシーまでご足労くださったということは、ニューヨークで起こった事件の捜査と何か関係があるからでしょう?
私がこのあいだ検死をやったマニュエル・ルービンは、デルハイルの会社についてすっぱ抜いた張本人ですからね」
捜査上の秘密もあって困り顔で黙り込むグレックに代わって、ソフィア・プリスキンが口を開いた。
「そのとおりです。ドクター・ロレンゾ」
電子音を思わせる声でソフィアは、イタリア風にロレン「ツォ」ではなく、アメリカ風にロレン「ゾ」と発音した。
ロレンツォの眉が小さくピクリと動く……。
相手の不興を買ったことを敏感に察知したグルックが渋い顔をするが、ソフィアは表情を崩さない。
「おっしゃられるとおり、我々は、デルハイル殺しの捜査班の一員です。事件の発端になったルービンが事故と思われる状況で死亡し、それについてドクターが異議を唱えてられると、より正確には殺人と主張されていると聞き、此処にこうしてお伺いいたしました」

 地元の人間のことでもあり、ロレンツォはルービンを取り巻く状況についても詳しかった。
「マニュエル・ルービン老は、街の郊外の富裕層が多く住む高齢者向けマンションの一室に、家族とも離れて一人で暮らしていました。どうもルービン老は正義感が強すぎて付き合い難い人物だったようですね」
ロレンツォはしばらく意味ありげにグレックとソフィア、二人の刑事の顔を交互に眺めると「まあそんなことはどうでもいいことですかな」と言い足した。
ロレンツォが口を閉ざし、ソフィアも相変わらずだったので、グレックは上着のポケットからメモを取り出した。
「……えぇと……管理人室の集中管理システムが、ルービン老の部屋で漏電遮断器が作動した旨表示。
15分以上そのまま電源が復帰しないため不審に思った管理人が合いカギ使って部屋に入り、浴槽で死んでいるルービン老を発見……。
浴槽内には家庭用電気ヒーターが沈んでおり、電源コードは繋がったままだった。
通報を受けた郡警察は、不慮の事故による感電死と考えたが……」
「検死を依頼されたこの私が、妙な報告書を書いてよこしたものだから、対処に困って頭を抱えていると、そういうわけですね」
「まあ、そんなトコですな」
グルックはどうやら地元警察に同情的なようだった。
プロの判断に、素人は口を出すなと言いたいらしい。
ロレンツォのもとを訪れたのも、彼の意向によるものではないのだろう。
「ドクター・ロレンゾ」
ソフィアが口を開くと、ロレンツォの眉がまたピクッとなった。
「ドクターは、ルービン老の死は、事故ではなく他殺だと主張されているそうですが、その根拠についてお伺いしたいのですが」
「それなら総て警察に提出した報告書に……」
「ご自身の口から、直にお伺いしたいのです」
「××したい」という希望の形をとってはいるが、ソフィアの意思は命令そのものだった。
ロレンツォのもとを訪れたのは、明らかにソフィアの意見によるものだ。
「……判りました。何と言ってもあなた方は遠来のお客人ですからね。客人は大事にしろというのが、一族の家訓でもありますし……」
ロレンツォは長い両手の指を編み物でもするようにクネクネ動かしながら、視線をふっと天井に移した。
「発端はですねぇ……」
医師は明らかに言葉を選んでいた。
「奥歯、下顎右側の奥から二番目の臼歯に穴があいてたんです」
「穴があいてた?何の穴です?」
「虫歯のあとです」

「む、虫……歯?」
眉を寄せ中年刑事が呟くと、ロレンツォが直ちに訂正した。
「グルック刑事。私は『虫歯のあと』と言ったんです。ただの『虫歯』とは言っていません」
「……詰め物が取れて、治療の痕が露出していたんですね」
ソフィアが言うと、ロレンツォが頷いた。
ひとり蚊帳の外のグルックが困惑気味に言った。
「でも、詰め物が取れてしまうのはよくあることでしょ?私だって何度か経験がありますよ」
「グルックさん、問題は、何故、詰め物がとれたのかってことなんですよ」
ロレンツォの指が、ギターの早弾きのように一瞬目まぐるしく動いた。
「前歯は見栄えに関わるのでレジンとかセラミックスが使われます。しかし臼歯は噛みしめる力に耐えねばならないのでいまだに金属が使われることも多いんです。」
何を言い出すんだ?と言うように、グルックがため息をついて天井をあおいだ。
ようするにギブアップ宣言である。
対戦相手が独りになったとみたロレンツォは、攻撃をソフィアだけに絞った。
「それでは、プリスキン刑事。コンポジットレジンやセラミックスといわゆる金歯には、どんな違いがあると思いますか?」
「明白ですね。レジンやセラミックスは電気を通さないが、金歯なら通します」
「正解です。金はルービンはユダヤ系だったせいか古典的な蓄財方法を採用していたようですね。詰め物に金を使っていたんです。それでは……」
大学の指導教授のような口調で、ロレンツォは次なる問いを投げかけた。
「……では、最も重要な質問です。ルービン老の奥歯に嵌っていたはずの金はいったいどこへ消えたのか?」

「ルービン老の金歯はどこに消えたのか?警察があまり乗り気じゃなさそうなので、仕方がないから自分で探しに行きましたよ」
「お探しの物はどこで見つかりましたか?」
「簡単に見つかりましたよ、寝室で」
ロレンツォとソフィアのやりとりに、よせばいいのにグレックが戦線復帰した。
「簡単に見つかった?でも小さなものなんでしょう?金属探知機でも持ち込んだんですか?」
……もうロレンツォはグレック刑事の方を見ようともしない。
黒い瞳の先で、青い瞳が答えた。
「……ドクター・ロレンゾ先生は、臭いで見つけられたんですね」
「正解!」と言うのと同時に、ロレンツォの左眉が上がった。
「人が死ぬと肛門括約筋などが弛緩して糞尿を漏らします。例えば首吊り死体なんかだと死体のパンツが…………あ、いや、こりゃ失礼。女性の前で話すべきことではありませんでしたな」
ソフィアは許すでもなく、かといって非難するでもなく、無表情のままだ。
「ま、オチから言ってしまえば、ルービン老が歯の詰め物に電流を流されて殺されたのなら、死の瞬間、殺人現場に放尿した可能性がある。
だから私は調査の前に、ビーグル犬にでもなったつもりで家の中じゅう鼻をクンクンさせて歩きまわってみたんです。そうしたら寝室で……」
ロレンツォは優雅な手つきで鼻をつまんでみせた。
「金属に溶融の痕跡は?」とソフィア。
ロレンツォが答えた。
「金そのものには溶融と断定できる痕跡は見つかりませんでしたが、一緒に使われた歯科用セメントには何らかの熱が加わった痕跡がみてとれましたね」
ソフィアとロレンツォ、ロシア女とイタリア男がともに黙り込むと、グレック刑事が口を半開きにして、ありもしない前髪を掻き上げる仕草をした。
「つ、つまり先生は……」
彼はいま得られたばかりの情報を取りまとめるのに手一杯のようすだ
「……ロレンゾ……じゃなかったロレンツォ先生は、ルービン老人は寝室で金歯に電流を流されて殺された。そのとき電流の熱で金歯がはずれたと、そう言ってられるんでしょうか?」
無表情を通していたソフィアの口角が僅かに上がる。
「……それ以外に聞えましたか?」とロレンツォが追い撃ちをかける。
「いや……でも、しかし……」
グレックは十字砲火に晒されたような状態だ。
「なんでそんな面倒なことする必要があるんですか?風呂に入れて電気製品放り込めばリバリって……」
「それだと確実性に欠けるんですよ。感電ぐらいはするでしょうが、感電死してくれるとは限らない。死んだとしても溺死の可能性の方が高いでしょう。しかし……」
ロレンツォは口をがばっと開け、自分の奥歯を指さした。
「ここに電線を繋いで、何かの外部電源から強力な電流を流せば確実にイカせることができます」
「でもそれなら風呂の水に電流を流せば……」
「その場合せっかく流した電流が拡散してしまいますね。確実にショック死させようと思ったら電気椅子なみの電流を流さねばなりません」
「……しかし……うーん……」
存在しない髪を掻き毟るのを止め、グレックは再びメモを取り出した。
「……そこまで手間をかけたってこたぁ、事故死に見せかけるためのはずだ。だったらデルハイル事件の報復って線は……」
マフィアなど裏社会の報復であれば、「これは報復である」とハッキリ判るようにする。
事故死では、裏社会にたてつく者に対する見せしめや威嚇にならないからだ。
「こりゃあ、フロリダくんだりまで無駄足踏んだってことかな?」
めんどくさい事件と関わりが切れて、グレックはほっとしたように見えるが……ロレンツォと上司のやりとりを黙って聞いていたソフィアが、それまでよりもややゆっくりした調子で口を開いた。
「……洗濯機の中を御覧になられましたか?ドクター・ロレンゾ??」
「もちろん調べてみましたよ、プリスキン刑事。中ではパジャマのズボンがしょんべん臭い臭いをプンプンさせていました」
ロレンツォの答えに納得がいったのか、それともいかなかったのか?
ソフィアはしばし、ロレンツォの黒い瞳を見つめていたが、やがて軍人を思わせるキッチリした動作で立ち上がった。
「グレック刑事、ドクター・ロレンゾはお忙しい方です。そろそろお暇するとしましょう」

ニューヨークから来た二人の刑事は停めてあった車に戻ると、キャリアが長く上司でもあるグレックが運転席につき、ソフィアが助手席に座った。
ソフィアは、実はあまり運転が上手くない。
生きてニューヨークに帰りたかったら、ソフィアにハンドルを任せてはいけないのだ。
「なにが『ドクター・ロレンゾはお忙しい方です』だ。いきなり一方的に面談を打ち切りやがって。先生、ムッとしてたぞ」
エンジンキーを探しながらグレックはぼやいた。
「オマケに、ルービンの死が事故だろうと他殺だろうと、デルハイル殺しとはこれっぽっちも関係ねえときちゃ、まるっきりの無駄足……」
「……無駄足ではありません」
助手席の窓を開け、ソフィアは後にしてきた建物の方を眺めていた。
「なんだって?」
「無駄足ではなかったと、私は思っています」
グレックから顔をそむけたまま、ソフィアは答えた。
「グレック刑事、我々はデルハイル殺しを金融マフィア絡みの殺人だとばかり思っていました。しかしそれは間違いだったんだと思います」
「デルハイルは債権者の追及を逃れた先のホテルで射殺されたんだぞ?ヤツに色々喋られちゃまずい奴らの犯行に決まってるじゃないか?」
「だったら何でボルカニック連発銃みたいな骨董品で撃ったんでしょうか?」
グレックの問いに対し、問いをもってソフィアは答えた。
「それからもうひとつ。ルービン殺しで犯人は、なんで失禁の痕跡をそのままにしたんでしょうか?」
「失禁の痕跡だと?」
グレックは辞去する直前、ソフィアの放った質問を思い出した。

『……洗濯機の中を御覧になられましたか?ドクター・ロレンゾ??』

「犯人が金歯に電流を流したのは、電流班を残したくなかったからだと思います」
電流班とは、電流が体のどこかに集中したとき局所的に発生する火傷のことだ。
「人ひとりを確実に感電死させるほどの電流を流せば、必ず電流班が残ります。
ピアスや指輪に流しても同じです。その下の皮膚に電流班が残りますから。しかし金歯に流すのであれば、電流班を残すのを避けられる可能性がある。
また、もし仮に電流班が残ったとしても、大抵の医師は口の中の電流班など身落とすと思います」
「ところが、あのイタリア先生は身落とさなかったってわけか」
探していたエンジンキーは、胸ポケットからようやく発見された。
「ま、ああいう手合いに検死されるたぁ犯人も不運……」
「にもかかわらず、犯人は被害者の失禁の痕跡をそのままにしました。入浴中に感電死したのであれば、失禁したとしても風呂の水の中です。寝室に失禁の痕が残るはずはありません。
被害者を殺した後、犯人は服を脱がせ風呂に入れ、電気ヒーターを放り込む手間をかけています。
だったら失禁の痕跡を消さなかったのはなぜでしょう?
汚れたパジャマも洗濯機に放り込んだだけだったのは何故でしょう?」
「……そりゃもちろん他人のションベンの後始末なんて気が進む作業じゃねえからだろ?」
グレックがエンジンキーを捻ると、軽く身震いしてレンタカーのエンジンが目を覚ました。
「オレだって経験あるぞ。息子が赤ん坊だったころなぁ……」
おしめ交換の経験談とともに、二人を乗せた車がゆっくりと動き出すと、ソフィアはもうそれ以上話すのを止めた。
よく考えてみる必要があった。
ロレンツォは明らかに「理論の人」だった。
その理論の人が口にした唯一の無駄口。

『マニュエル・ルービン老は、街の郊外の富裕層が多く住む高齢者向けマンションの一室に、家族とも離れて一人で暮らしていました。どうもルービン老は正義感が強すぎて付き合い難い人物だったようですね』

そしてその直後の意味ありげな沈黙。
(ドクター・ロレンゾはあのとき謎かけか何かを仕掛けていたに違いない。なのに……私にはその意味が判らない。いったいドクターは、私たちに何を言わんとしていたの!?)
ソフィアの視界の先で、ロレンゾと面談した事務室が遠ざかっていった。
窓際に立ち、じっとこちらを見ている医師の姿も、もう見えなかった。



 今度も空港で待っていたベックマンが、あいさつもそこそこにきりだした。
「さて、どっちから話す?」
「…そちらからどうぞ」
「じゃあ歩きながら……」
ベックマンが早速喋り出した。
「君がロスに戻ったその日遅くに、殺されたジュディスの亭主が出張先のヨーロッパから戻ってきてね」
「……心が痛みますね」
「ところがそうでもなさそうだった。家族の関係はもう何年も前からバラバラだったみたいだね」
自動ドアが開くと……亜寒帯湿潤気候の風が心地いい。
青空高く針のように聳えるCNタワーが遥かに見えた。
極寒のアラスカから熱砂のアリゾナ。そしてその次は、隣国カナダの街トロントだった。

 トロント・ピアソン国際空港を後にして、ベックマンの運転する車はロジャース・センターの丸屋根を右に見ながら東へと走っていった。
「なんでもジュディスの亭主の話だと、家にあったはずの拳銃が一丁、無くなっているらしいんだ」
「拳銃?」
「自分が留守がちだから護身用のつもりだったらしい」
「まさかそれが子供たちを射殺するのに使われたとか?」
「いやそれはない。子供たちを撃ったのは9ミリだ。だが紛失した拳銃は45ロング・コルト弾だ」
「45ロング・コルト?…ってことはまさか??」
「そのまさかだよハーパー。ジュディスの亭主は若いころ『ハイヌーン』見た勢いでシングル・アクション・アーミーを手に入れたんだそうだ」
コルト・シングル・アクション・アーミー。
別名ピースメーカー。偉大なる西部を拓いた偉大なる拳銃。
……しかしいまでは単なる骨董品だ。
セル・リードかジェフ・クーパーでもない限り、あんなガラクタを実戦に使う物好きなどいない。
「……どっかにしまって忘れてんじゃないのかい?もっと安くて実用的な銃がいくらでも……」
「いや、それがそうじゃないんだ」
ベックマンの運転する車は繁華街を離れて、いわゆる閑静な住宅街といった地域に入って行った。
「……君が電話で言ったように、ジュディスを殺したナイフが『主の羊社』の殺人現場から持ち出されたものだとするならばだ、ジュディスの殺人現場からも何か持ち出されたものがあるんじゃないだろうかって思ったのさ」
「……トム、まさか君は……」
「だからオレは警察関係の知り合いたちに照会してみたんだ。シングル・アクション・アーミーを凶器に用いた殺人事件は発生していないか……とね」
アラスカの時以上にハーパーは驚いていた。
ベックマンの顔が効くのは、地元アラスカだけではないのだ。
いや、アラスカどころの話ではない。
「……カナダの警察関係者にまで顔が効くとは驚きですね。そのぶんじゃメキシコにも……」
ハーパーは冗談のつもりだったが……ベックマンはあっけなく肯定した。
「もちろん照会したさ。メキシコにもね」
そして車は、とある豪邸の前で停車した。
屋敷の前には既にトロント市警のパトカーが二台止まっており、背広姿の大男が車体にもたれてタバコをふかしていた。
「おう、久しぶりだなベックマン!このくそたれ野郎」


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最終更新:2011年09月12日 17:48