Fukushima 50(1)

福島原発緊急事態に東電が柏崎から応援派遣
東京電力福島第一原発、第二原発の緊急事態を受け、同社柏崎刈羽原発は11日夜、放射線測定を中心とした作業を応援するための社員25人を福島の両原発に派遣した。柏崎刈羽原発に配備されている化学消防車、水槽付き消防ポンプ車各1台も運転手・操作員あわせて6人とともに福島に向かった。 
また、県は11日夜、放射線測定の可搬型モニタリングポストを市内三和町の県放射線監視センターから、福島県境の阿賀町にある県新潟地域振興局津川地区振興事務所に配置。12日には、福島両原発周辺の放射線測定業務を援助するため、県の放射線測定要員2人を福島県災害対策本部に派遣した。
(2011/ 3/12)

被曝の恐怖、余震…真っ暗な建屋で決死の作業 社会 YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110315-OYT1T00701.htm
http://backupurl.com/p172vb
高濃度の放射性物質の放出が続く福島第一原発。放射能汚染の恐怖と闘いながら、決死の作業が続く。
15日朝に大きな爆発が起きた2号機。
東電や協力企業の作業員ら800人が水の注入作業を行っていたが、爆発に伴い、「必要最小限」という50人を残し、750人が一時、現場から離れた。被曝(ひばく)を避けるため、放射線量が高くなると作業を中断しなければならない。15日午前、隣接する3号機付近で観測された400ミリ・シーベルトの環境下で作業できる時間は15分が限度。津波による被害で、停電も続く。
照明がつかないため真っ暗な建屋内で、作業の効率はあがらない。余震が続く中、津波警報で作業の中断を余儀なくされることもある。400ミリ・シーベルトを記録したのは、作業員が携帯する放射線監視装置だった。
12日午後、高圧になった1号機の格納容器内の蒸気を逃がすための弁が開放された。格納容器に亀裂が入る最悪の事態はまぬがれた。その弁を開ける作業にあたった男性は、100ミリ・シーベルト以上の放射線を浴び、吐き気やだるさを訴えて病院へ搬送された。
もともと、この作業では、大量の放射線を浴びる危険があった。このため、1号機の構造に詳しいベテラン社員である当直長が作業を担当。「タイベック」と呼ばれる特殊な全身つなぎ服とマスクを身につけ、手早く弁を開けたが、10分超で一般人が1年に浴びてもいい放射線量の100倍にあたる放射線を浴びた。
経済産業省原子力安全・保安院によると、同原発で注水作業に当たる東電職員らは約70人。ポンプなどを制御しつつ、交代しながら格納容器付近の現場で活動している。
本来、中央制御室で監視できる計器も、被災後、故障し計測不能なものがある。遠隔制御も不能で、原子炉冷却のために弁を開く作業も現場で手作業するしかない。福島第一原発は1971年に1号機が稼働した古い原発で、通路などが狭く作業しにくいことも足を引っ張っている。
注水が進めば原子炉内の圧力が上昇し、炉の崩壊の危険性が高まるため、弁を開いてガスを外部に放出しながら進めなければならない。ガスは放射性物質を含むため、放出自体は最小限に抑えなければならない。東電の担当者は「バランスをみながらぎりぎりの選択の連続だ」とため息をつく。
(2011年3月15日20時01分 読売新聞)

時事ドットコム:「使命感持って行く」=電力会社社員、福島へ-定年前に自ら志願
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011031600093
http://hiyo.jp/4d3
 福島第1原発の事故で、情報提供の遅れなど東京電力の対応に批判が集まる一方、最悪の事態を避けるため、危険を顧みず作業に当たる同社や協力会社の社員もいる。地方の電力会社に勤務する島根県の男性(59)は、定年を半年後に控えながら、志願して応援のため福島へ向かった。
 会社員の娘(27)によると、男性は約40年にわたり原発の運転に従事し、9月に定年退職する予定だった。事故発生を受け、会社が募集した約20人の応援派遣に応じた。
 男性は13日、「今の対応で原発の未来が変わる。使命感を持って行きたい」と家族に告げ、志願したことを明かした。話を聞いた娘は、家ではあまり話さず、頼りなく感じることもある父を誇りに思い、涙が出そうになったという。
 東京電力側の受け入れ体制が整った15日朝、男性は自宅をたった。特別なことにしたくないと考えた娘は見送りはせず、普段通りに出勤した。「最初は行ってほしくなかったが、もし何かあっても、自分で決めたことなら悔いはないと思った」と話し、無事の帰宅を祈る。
 男性の妻(58)は「彼は18歳の時からずっと原発の運転をしてきた。一番安全なものをやっているという自信があったんだと思う」と話す。出発を見送り、「現地の人に安心を与えるために、頑張ってきて」と声を掛けたという。(2011/03/16-05:16)

【放射能漏れ】自己犠牲50人「最後の防御」 米メディアが原発作業員を絶賛 +(1-2ページ) - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110316/amr11031619130007-n1.htm
2011.3.16 19:11 (1/2ページ)
 【ニューヨーク=松尾理也】米メディアのあいだで、相次ぐ爆発と深刻な放射性物質(放射能)漏れに苦しむ福島第1原発に残って作業を続けている50人の作業員への注目が急激に高まっている。16日付米紙ニューヨーク・タイムズは「最後の防御」と題して50人を特集したが、驚くべき自己犠牲の精神に対する称賛の裏側には、この国家的危機に際しても他の電力会社や国際社会の総力を結集できずに手厚い作業体制を敷くことができない日本の対応への疑問やいらだちも透けてみえる。
 「日本を核の大惨事から救う最後の頼みの綱」。ニューヨーク・タイムズは50人をこう表現した上で、「彼らは迷宮のように機器が入り組み、停電で真っ暗になった施設内を、懐中電灯だけを頼りに、防護服とマスクに身を包んではいずり回り、海水注入などの作業にあたっている」と、その献身ぶりを伝えた。
 「だが、被曝(ひばく)限度を超えれば作業員は現場を離れなければならない。さて、どうするのか?」。同じニューヨーク・タイムズの14日付記事は恒常的な人員不足の実態をこう指摘する。
2011.3.16 19:11 (2/2ページ)
 東電は現場に残った作業員の身元の詳細を明らかにしておらず、同紙は「フェースレス50(顔のない50人)」と表現。厚生労働省が15日、同原発での緊急作業時に限り、放射線の被曝限度を現行の100ミリシーベルトから250ミリシーベルトに引き上げたことを挙げて、「暗黙のうちに自分を犠牲にすることを求められた人々だ」とした。
 日本時間の16日に枝野幸男官房長官が会見で作業員の一時待避を発表した際には、米CNNのコメンテーターが「通訳ミスであってほしい。現場から立ち去るなどあってはならない」と取り乱した様子をみせるなど、すでに世界が息をのんで見守る対象になっている。
 だが、「50人」の自己犠牲に限界があるのは明らかだ。同紙は、東電は「新たな志願を要請しているかもしれない」との推測を述べることで、退職した技術者や、ほかの国内電力会社からの人員招集による“決死隊”の結成を暗に促した。 米CBSテレビは「死をも恐れぬ50人」と勇気をたたえつつも、「作業が長引けば、現在の50人に代わってリスクに向き合う覚悟を持った次のチームを見つけるのはきわめて難しくなる」と指摘している。

asahi_com(朝日新聞社):「立ち去るわけにはいかない」東電社員、放射線との闘い - 東日本大震災
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201103170563.html
http://megalodon.jp/2011-0324-0811-34/www.asahi.com/special/10005/TKY201103170563.html
2011年3月18日5時33分
 四つの原子炉が重大なトラブルに見舞われ、制御不能に陥った福島第一原子力発電所。最悪の事態だけは避けねば――。自衛隊などの放水活動が始まる中、原発内でも多くの人が過酷な状況下で闘い続けてきた。「もっと早く国ぐるみで取り組めなかったのか」「生きて帰って」。家族にもつらい時間が過ぎていく。
 福島第一原発が制御困難に陥った15日、東電は現場での作業に直接かかわらない社員らを施設外に退避させた。
 「もう会えないと思った。でも自分だけが立ち去るわけにはいかないと思った」。地震発生直後から作業にあたっていた東京電力社員は、家族に繰り返し言ったという。
 家族の説明によると、この社員は地震発生時に原発の中にいた。激しい揺れに襲われた直後、高い津波に襲われ、施設内の燃料や機材が失われたという。「自然は怖い。地震と津波が重なるなんて」と振り返ったという。
 ポンプ設備や最後の頼みの綱である緊急炉心冷却システム(ECCS)を起動しなければと、社員の自家用車のバッテリーや屋台の小型発電機までかき集めた。それでもシステムは回復しなかった。「外からの電力が断たれたのが一番悔しい」とも言った。
 現場では数百人の社員や作業員が交代で作業にあたった。だが、余震が襲うたび、せっかく修理したところが再び壊れていったという。
 余震で眠れず、備蓄のクッキーやレトルトの五目ごはんはのどを通らない。精神的に追いつめられた。
 放射線をどれだけ浴びたのか。このまま爆発するのか。多くの人たちに放射線を浴びせる事態を招くのか。
 東電の記者会見では、歯切れの悪い問答が繰り返されていた。それを知った社員は「中のことを、外の人は知らないんだ」と思った。「会社には、もうあきらめられているのか」とも。だが同時に「避難している住民が戻ってこられるようになるまで、ここを出てはいけない」と思っていたという。
 この社員から現場の惨状を聞かされた家族は驚いた。地震が起きるまで、「世界最高の技術だから安全だ」という社員の言葉を家族は信じてきた。事故の際の被曝(ひばく)対策もできていると思っていた。
 家族の一人はいう。「政府や東電は、現場で体を張る連中を見殺しにするのですか。今まで信頼してきただけに、腹立たしいのです」
    ◇
 第一原発そばの社宅に住んでいた東電社員の妻は、作業に携わる夫の身を案ずる。
 11日午後、激しい揺れに襲われた。タンスが倒れ、めちゃくちゃになった自室から、原発で働く夫に何度も電話をかけた。つながったのは深夜。「無事だ」。生きていることだけは分かった。その後、連絡は途絶えた。
 4日後、避難した妻に短い携帯メールが届いた。
 「飲み水が足りない。体調も悪くなってきた」
 こんな状況の中で、日本全体に影響する重大な仕事ができるのだろうか。夫の家族の一人は心配する。「東電社員は一番責任ある立場だから、何も言えないのかもしれない。けれど家族としては、すぐにでも何とかしてほしい」。涙がこぼれた。
 彼はまだ原発にいる。自衛隊の放水作業は始まったけれど、家族は胸がつまるようでテレビの画面を直視できない。

福島原発:被ばく量の限界で作業員交代-東電は人員増強を急ぐ - Bloomberg_co_jp
http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90920010&sid=aXwobCWkYMJQ
http://megalodon.jp/2011-0324-0822-05/www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90920010&sid=aXwobCWkYMJQ
東京電力は核燃料が溶け出す事態を回避するため前線に送る作業員を増やしている。ただ、当初派遣された作業員は、放射線被ばく量の限界から交代を余儀なくされている。
 東電は核燃料が融解したり放射性物質が漏れ出したりしないよう、露出した核燃料棒に向けて放水作業を進める中、福島第一原発での作業員数を16日の180人から17日には322人に増員した。元米原子力規制委員会(NRC)の安全性指導員で米科学者団体「憂慮する科学者同盟」の物理学者、デービッド・ロックボーム氏によれば、露出した燃料棒のそばでは放射線量が16秒で致死量に達するという。

更新日時: 2011/03/18 08:17 JST

福島原発:電源ケーブル敷設に着手 復旧は19日以降に - 毎日jp(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110318k0000e040083000c.html
 東電によると、約20人の作業員が従事し、福島第1原発の山側にある6900ボルトの配電盤で途切れている外部電源を、1~4号機で唯一、津波で水没していない2号機のタービン建屋にある配電盤へ接続する。
 東電は同日午前、1号機の原子炉建屋近くに仮設した配電盤と2号機の配電盤を、1号機のタービン建屋を通してつなぐ。午後は、外部電源と仮設配電盤を道沿いに大きく迂回(うかい)して長さ1・5キロの高圧線でつなぎ、作業が完了する。
 ただ、現場の放射線量は、外部電源の配電盤付近で毎時3ミリシーベルト、最も高い仮設配電盤近くで毎時20ミリシーベルトと高い。作業員の被ばく限度は例外で、年間250ミリシーベルトとされたが、高い場所では約12時間作業すると、今後1年間は作業ができなくなる。このため、被ばく線量を確認し、作業員を交代させながら工事を進める。
 東電は「線量測定に加え、重装備のため通常の3倍ほど時間がかかる」と説明。

毎日新聞 2011年3月18日 11時48分(最終更新 3月18日 13時38分)

3月18日 18時11分

インタビューに応じたのは、福島県大熊町の電気工事業者、吉田稔さん(63)で、地震が起きたとき、福島第一原発・4号機の建物の1階で電気工事の作業をしていました。吉田さんは「建物が大きく横に揺れて停電し、真っ暗になった。配電盤などが落ちてくるかもしれないと思い柱にしがみついていた。1階には200人ほどの作業員がいたと思うが、建物の中は地震で舞い上がったほこりで視界が悪くなり、すべての火災報知器が鳴り響いていた」と振り返りました。さらに、「4号機は定期点検中だったので、通常よりかなり大勢の作業員がいた。揺れが収まるとみんなが一斉に外に出ようと非常灯を頼りに出口に向かったが、扉が塞がっていたらどうしようと不安でした。無事、外に出て事務所に向かうと、1号機のそばにある水のタンクの付近で地面が陥没していた」と直後の混乱ぶりを話しました。

asahi_com(朝日新聞社):「英雄フクシマ50」欧米メディア、原発の作業員ら称賛 - 社会
http://www.asahi.com/national/update/0318/TKY201103180477.html
http://megalodon.jp/2011-0319-2003-43/www.asahi.com/national/update/0318/TKY201103180477.html
2011年3月18日20時42分
 福島第一原発で作業にあたる人々が、欧米メディアやネット上で「フクシマ50」と呼ばれている。
 米紙ニューヨーク・タイムズ電子版が15日、「顔の見えない無名の作業員が50人残っている」とする記事を東京発で載せた。米ABCテレビも「福島の英雄50人――自発的に多大な危険を冒して残った原発作業員」と報道。オバマ米大統領は17日の声明で「日本の作業員らの英雄的な努力」とたたえた。
 最前線で危険な作業を担うのは、東京電力のほか、東電工業、東電環境エンジニアリングといった子会社、原子炉を製造した東芝、日立製作所などメーカーの社員たちだ。
 地震発生後には800人いたが、15日朝に4号機で火災があり、750人が退避。監視などのために残った50人が、フクシマ50になった。その後、新潟県の柏崎刈羽原発などからも応援が駆けつけ、交代しながら作業。送電線を引いて電源を確保する作業員も加わり、18日朝には総勢約580人になった。
 作業員は頭まで覆われた防護服姿。頭をすっぽり覆う防護マスクもつけている。胸には放射線量をはかる線量計。その日に浴びることができる放射線量をセットし、8割まで達すると警報音が鳴る。
 原子炉内への注水作業は、人海戦術だ。1人の作業時間を決めて弁まで行って操作。それを交代で繰り返す。格納容器内の蒸気を外に逃す弁を開く作業では、1人が大量の放射線を浴びた。18日までの負傷者は20人を超えた。
 建屋の爆発で飛び散ったがれきが、作業をはばむ。放射線量が高い1~4号機での活動は難しくなり、いまは電源確保や5、6号機に人を振り向けている。
 現地の対策本部は、原子炉の山側にある免震重要棟にある。作業員は、この棟で寝泊まりしている。東京・内幸町の本社2階にある緊急時対策室に現地の状況を伝え、指示を仰いで作業を進める。
 本社の緊急時対策室には、100人以上が詰める。中央に円卓があり、大型モニターが現地の様子や計画停電の状況を映す。社員の一人は「テレビ会議で厳しい環境で作業する仲間をみていると、涙が出そうだ」。中央には清水正孝社長がすわる。周囲には復旧班や計測班の机があり、対策を練る。原子力安全・保安院は、別室に陣取る。
 原子炉圧力容器や格納容器内の圧力計や水位計は、一部が機能を失っている。何が起きているのかは、限られたデータから推測するしかない。ある幹部は「スリーマイル島やチェルノブイリの事故のときにどんなことがあったのか思い浮かべながら、何をすべきか考えている」と明かす。
http://www.asahicom.jp/national/update/0318/images/TKY201103180569.jpg
http://megalodon.jp/2011-0324-0857-38/www.asahicom.jp/national/update/0318/images/TKY201103180569.jpg
電源復旧工事の見取り図

福島第一原発3号機の現場の生の声が投稿されてきたのでお届けする。国民は、東電と原子力保安院、そしてマスコミ、民主党政権の嘘をこれで見抜け!!!!
以下、現場からの生声をメールおこししたものを全公開!(本文中の「ベクトル」は「ベクレル」のことかと思われます)

1回目
国も東電も情報を出してくれない。私達はゴミじゃない。現場は混乱してる。セシウムの数値が高すぎて各作業員も2時間以上は外にいられない。
私も先程帰ってきました。消防庁も自衛隊もひっきりなしの人員交代ばかりで作業が進まない。
体外洗浄を待ってても常に列を作ってる。なんで真実を公表しないのか苛立ちを感じる。原子力開発機構もつながらない。
現場は冬なのに暖かい。水素もこれだけでてればヘリなんか一発だろね。臨界点に達したらどうするんだろ。(事故が)ないないっていうけどもう誰も信用できないのが現場の前線の意見だよ。

2回目
3号のベクトルの濃度が欲しい○○さんにベクトル数値を聞けないかな?
絶対にはかってたはず。通電してたもん

3回目
○○さん
○○です
ベクトルの数値がほしいんです
現場はマイクロではなくミリシーベルト
場所によってはミリも外れます
レベル7でもおかしくないです
釜はとてもじゃないけど入れないですよ
燃料棒はむき出しですよ
言いませんけど

4回目
あとプルサーマルのウラン以外の化合物。失礼ですが国も東電も情報が遅いです。自衛隊も消防庁も限界がありますよ~
私も早く帰りたい。こんなのアルマゲドンです。
必ず○○と三人で飲みましょうね。

5回目
東工大テクノロジー原子炉チームの会議に召集されました
どこまでになるかわかりませんが終わり次第

6回目
泣きたくなるサポートに感謝します では

7回目
こちらはどのような報道が流れてるかもわからないんです。ワンセグが使えなくて。
2時に放水車がくる予定ですが無線では遅れてる話だし。
放水後、うまくいけば釜てか炉の中に入ります。
地獄だろう。アルマゲドンの世界だよ。
さっき釜に入るメンバーを選んだ3名・・・

8回目
帰ったらチュー以上のことをしてくださいませ
放水車がまだ着かないんだけどどんな報道がながれてる?

9回目
着いた~特殊車両、消防ポンプ車両、30台はいるかな
センターに戻って配置を決めます。
緊急会議の召集がありました。行ってきます。

10回目
よろしくです。外部に2時間以上いたから今日はセンターからは出ない
しかし情報公開がなさすぎ。多分明日は電気が通るみたいだけど確実ではないけどね
ただアンテナがついててどの携帯も連絡がとれるのは幸せな方かな。さすがは原発だわ
明日は支援物資、こちらは食料とホウ酸化合物だけど。
帰ったら思いっきりチューしてくれ
帰れなかったりして
さっきも防護服の中の作業着で800マイクロシーベルトが出てた。そくゴミ袋だよ
いつまで続くんだろ

11回目
みんなで携帯の貸し合いでバッテリーが切れちゃうかも
情報は入れといて
燃料が届き次第自家発がきくから

12回目
3号のベクトルの濃度が欲しい
現場はマイクロシーベルトは突破してる
ミリ1000倍だよ
ベクトルの発表を拒んでる
計算が遅れるんだよ

現在、13通目待ち

本更新は電話で関係者とやりとりし、さらにメール転送を受けたものです。本文中には個人名がでていますが加工・削除しています。
また、本来は(というか、大手メディアであれば必ず)所属や本人確認なども行うのですが、現在はそんなことをしている時間がないため、緊急性を重要視し、投稿を信じてそのまま掲載しております。当サイト記者が聞いた限りでは適当なことをいっているようには思えません。
2011-3-18 21:02

2011/3/18 21:55
 日立製作所は福島第1原子力発電所への技術者の派遣人数を80人へと前日比倍増させた。原発近くの高圧電線から電線を引き込む作業などを支援する。

【放射能漏れ】「誰かー!」響き渡った叫び声 福島4号機で作業の男性証言…復旧作業に戻る仲間も - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/region/news/110318/fks11031823260041-n1.htm
2011.3.18 22:07
 「誰かー!誰か!」。激震で停電し真っ暗になった原子炉建屋で叫び声が響いた。東日本大震災が発生した11日に福島第1原発の4号機で作業し、18日に神奈川県内の避難所に入った男性が当時の様子を語った。
 男性は東京電力の下請け会社の社員で、4号機の機器の交換作業を担当。1階でエレベーターが来るのを待っていたとき、激しい揺れが始まった。最上階で作業中だった約40人の作業員は防護服を脱いだ下着姿で階段を駆け降りてきた。燃料プールの水を浴びて腰までぬれている人も。最上階にいた仲間から、プールの水が津波のようにうねって押し寄せたと聞かされた。
 近くのグラウンドに集められて上司から「原子炉がどうなっているか分からない」と帰宅を指示された。
 何人かの仲間は原発の復旧作業に戻ったと聞いた。「誰かがやらないといけないことですから」。近く現場に戻るという。

3月19日 11時49分
福島第一原子力発電所には、電機メーカー各社も技術者を派遣し、防護服を着ながら復旧作業などに当たっています。
このうち「東芝」は、原子炉の格納容器に詳しい設計者や電気系統の専門家など、福島第一原子力発電所の保守点検などに当たってきたおよそ100人の技術者を派遣し、東京電力とともに冷却ポンプの復旧作業を行っています。また、東京の東京電力本店や首相官邸にも原子力発電所に精通した社員を派遣するなど、およそ700人が現地の作業を支援する業務に当たっているということです。「日立製作所」は、冷却ポンプ用の電源を確保するため、東北電力の送電線から発電所に電線を引き込んだり、施設の中の分電盤を設置したりする工事を行うため、80人の社員を現地に派遣し、作業を行っているということです。さらに、プラントの設計者など原子力発電所の構造に詳しい技術者およそ1000人も、茨城県日立市の拠点などで、こうした工事を支援する業務に当たっているということです。現地に派遣されたメーカーの社員は、放射線を計測しながら防護服を着て作業を進めているということです。

電源復活へ160人奮闘、放射線防護服に線量計 社会 YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110319-OYT1T00692.htm
http://backupurl.com/ubhedr
 福島第一原発に外部から送電線を引く作業は19日、最初の電源復活を目指す2号機のケーブルがつながった。通電に向け、作業員の奮闘が続いている。
 放射線防護服と放射線を測るバッジ型の線量計を身につけた作業員たちは19日未明、2号機の配電盤にケーブルを接続した。その手前の敷設に手間取ったが、午後に入り、ようやく東北電力の変電所から、1本の線でつながった。
 東京電力の社員ら約160人が作業に当たった。うち約50人を派遣する東電の協力会社の社員は19日午前、「作業は順調」との報告を受け、胸をなで下ろした。「危険な作業は信頼関係がなければできない。東電を信じるしかない。帰ったらご苦労さまと言ってあげたい」と語った。
 毎時400ミリ・シーベルトの高い放射線量が観測された3、4号機付近での作業は、線量が高い場所を避け、慎重に進められた。近くのタービン建屋内は昼間でも停電で真っ暗。普段は1時間で終わる作業が2時間近くかかることもある。
 6号機では、点検作業に当たっていた作業員が非常用ディーゼル発電機の機能が回復しているのを見つけた。発電機の一つはすでに起動していたが、それ以外は使えなくなったと思われていた。作業員が手回しで回した後、電源を入れたところ、うなりを上げて回り出したという。
(2011年3月19日20時32分 読売新聞)

【放射能漏れ】「ほかの作業員は大丈夫か」東電孫請け社員 松山に避難 - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110319/dst11031921250090-n1.htm
2011.3.19 21:24
 「自分は安全な場所にいるが、ほかの作業員は大丈夫か」。福島第1原発で働き、松山市の市営住宅に避難した東京電力の孫請け会社の男性(42)が19日、報道各社の取材に応じた。
 地震発生時、同原発6号機の駐車場にいた。車は踊るように跳ね、道路脇ののり面が崩れ落ちた。電気設備の設置作業をしていたが、会社からの指示ですぐに帰宅した。
 自宅は原発から車で約10分の高台にあり、被害は少なかった。妻(40)や長女(15)ら子ども3人も全員無事。妻の妹がいる約千キロ離れた松山市に避難し、家族そろって20日から市営住宅に入居するが、「友達も仲間もみんな置いてきてしまった。原発周辺の放射線量はすぐには健康被害がないというが、それは成人を対象にした話。子供への影響も心配だ」と話した。

福島第一原発、クリスチャン作業員に祈りの輪
2011年03月20日02時48分
 東日本大震災で深刻な被害を受けた東京電力福島第一原発(福島県大熊町、双葉町)で続いている電源復旧作業。政府と東京電力は19日、1、2号機の配電盤兼変圧器に外部からの送電線を引き込んで接続する作業を成功させた。20日には、通電のための作業を行う予定だ。関係筋によると、作業担当者の中には茨城県内の教会に通うクリスチャンの男性がいるとの情報がある。一部クリスチャンの間では、作業の成功とともに、この男性の無事を祈る祈りの輪が広がっている。
 「祈りをひとつにしましょう」「どうぞイエス様、この兄弟をあなたの盾で守ってください。そして周りに居る作業員たちが、不思議な神の御手を見ることができますように」。あるクリスチャンから届いたメールには、このような祈りが記されていた。旧約聖書には、預言者ダニエルの3人の友人が、火の燃える炉に投げ込まれて何の害も受けなかったとの記述がある。「彼の上にイエス・キリストの愛と油が留まり、御翼にかくれ、御使いが彼を包囲し、そしてダニエルのように、火の中にいても、燃えないそのような完全な神の守りがありますように」
 作業には様々な課題があるが、特に深刻なのは放射線による作業員の被曝(ひばく)だ。被曝を防ぐための特殊な防護服を着て、放射線量の測定器を装着しながらの慣れない作業。限られた時間内に、いかに迅速な作業ができるかがポイントとなる。
 3~6号機に関しても、早ければ20日中に建屋と外部電源をつなぐケーブルの敷設作業を終わらせる見通しだ。電源が復旧し、機器が正常に動けば、危機的状況を打開できるだけに、引き続き作業の進展が注目される。

東日本大震災:福島第1原発事故 「出口はパニック」 津波、車で逃れ 作業員が証言 - 毎日jp(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110320ddm041040157000c.html
2011年3月20日6時0分
 東日本大震災の発生当日の11日、福島第1原発で働いていた4人が、毎日新聞の取材に当時の恐怖を語った。停電で暗闇の中、サイレンが響き、脱出を求めるアナウンスと怒号が飛び交った。巨大地震は「安全神話」を誇った施設で働く人々をパニックに陥れていた。
 5号機の原子炉建屋で管理区域内から搬出する物品が放射性物質に汚染されていないかを調べる作業を同僚としていた20代の会社員男性は突然、大きな横揺れを感じ、立っていられなくなった。
 停電し、真っ暗な中で何かにつかまった。サイレンが鳴り「地震です、建物から退出してください」とアナウンスが流れた。急いで外に出ると道路がえぐられていた。所々に段差ができ、車が走れる状態ではなかった。
 5号機から約100人が一斉に事務本館へ走った。本館から荷物を持ち出し、構内にある10メートル余の高台を目指した。いつもは静かな海が、遠くの方から白波を立てて向かってきた。到達するのを見届ける余裕はなく、走って自分の車に戻り、西門から逃げた。
 「それ以降の原発構内の状態がどうなっているかはわからない」
 3次下請けの男性社員も5号機にいた。翌週から始める機器点検の準備を終え、現場を離れようとした時だった。建屋の出口に向かう途中、ぐらっときた。立ち止まって様子を見たが、ひどい揺れだった。電気が落ちて非常灯がつき、砂ぼこりが舞った。原発施設内から出る際は放射線量を測定しなければならないが、地震で機械が止まり、作業員らが足止めされていた。「早く出せ」という怒声が飛び交ってパニックになり、警備員も止めることはなく、急いで出口へ向かった。
 5号機と6号機の間にあるサービス建屋を出ると、地割れで40センチの段差ができ、配管のつなぎ目から水が噴き出していた。津波が来る前に現場を離れ、ほどなく県央の避難所に駆け込んだ。
 1号機西側に隣接する廃棄物処理建屋の1階で放射線管理をしていた協力会社の30代の男性社員は、同僚ら十数人とともに揺れに見舞われた。仮設の足場が崩れ、蛍光灯が激しく揺れた。「放射能漏れの恐怖を感じた」
 逃げ出そうにも物品用搬入口はシャッターが下り、2号機側につながる通路にも煙が充満。ようやく違う出口から外に出て正門前に避難する際、従業員用グラウンドが液状化現象でドロドロになっているのを見た。
 4号機近くの原発敷地内で金属加工作業をしていた富岡町の会社員男性(47)は地面のゆがみと波打つような揺れに襲われた。揺れが収まり下請け会社の事務所へ逃げると、窓が割れ、棚も倒れてめちゃくちゃで、仲間とともに近くの駐車場で待機した。それでも自分も仲間も「大丈夫だろう」と思っていた。
 建屋から出てくる大勢の従業員を見て異変に気付いた。建屋外に出る際に返却する簡易線量計を身につけた人が多かった。同僚を見かけ、線量計を持って出てきた理由を尋ねると、同僚は「順番待ちなんてしていられない。出口は長蛇の列でパニックだ」と言った。
 翌日、テレビで水素爆発を知り、14日夜の放射線量の数値を見て避難を決意。母(76)と妻(49)、娘(17)の家族4人、車で南を目指した。「いつか故郷に戻れる」
 東電によると、地震後、地下で作業中だった20代の社員2人が行方不明となっている。

毎日新聞 2011年3月20日 東京朝刊

東電社員命がけ復旧作業「日本のため、みんなのために早く鎮めたい」:社会:スポーツ報知
http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20110320-OHT1T00039.htm
http://megalodon.jp/2011-0324-1021-28/hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20110320-OHT1T00039.htm
 東京電力福島第1原発では、極限状態のなかで、関係者が命がけの作業を続けていた。19日、実際に電源復旧にあたった東京電力の社員の決死の作業ぶりが、スポーツ報知の取材で明らかになった。
 福島第1原発の電源復旧のため、東電本店から各支店へ応援要請があったのは、地震発生から4日後の今月15日だった。翌日には、作業にあたる社員が続々と、現場から約20キロ離れた福島県双葉郡ベクレル葉町のサッカートレーニングセンター「Jヴィレッジ」に集まった。「自衛隊の車両や、消防車が控えていた。全部で500から1000人はいたのではないか」。水も電気も止まっている状態の中、通路で非常用毛布だけで寝起きした。
 当初、17日午後からの作業予定が、放射線量が高く待機となった。放水作業中は電源復旧作業は行えない。結局、現地到着は日付が変わる頃だった。布製とゴム製の手袋を二重にはめ、防毒マスクをつけ、ヘルメットをかぶり、放射性物質が直接皮膚に付着することを防ぐための防護服、タイベックスーツを着用した。肌が露出するところは同じ素材のもので目張りした。防毒マスクは他の電力会社から借りたものもあった。「慣れない格好で道も悪かったし、現地に着くまでに車酔いする人もいました」と話す社員もいた。
 作業時間内に浴びる放射線量が、「100ミリシーベルト(10万マイクロシーベルト)になったら撤退」と決まっていた。センサーは80ミリシーベルト(8万マイクロシーベルト)になるとアラームが鳴るよう設定されていた。現場では、厳重装備のためお互いの声は聞こえにくく、さらに照明用の発電機、クレーンなどの重機の音でうるさく、大声で叫びながらの作業になった。約40人ずつ2班に分かれ、翌日朝5時まで作業した。「映画の爆破後のワンシーンみたいだよ。鉄鋼は曲がってて、配管はもう…。何しろ、ボロボロだよ」。3号機付近で作業にあたっていたという社員が、すさまじい状況を振り返る。
 当初の見込みでは、1~2時間しか作業できない、との見方だったが、放射線量が10ミリシーベルト毎時以下だったため、5時間作業を行うことができた。それでも、通常の状況下でも「3~4時間はかかる」というケーブルの敷設作業は終了せず、残る作業は交代で向かった第2陣に託された。
 「(放射線を)多少受けたって死んじゃうわけじゃない。誰かがやらなきゃならない。手を挙げた限り、やるんだ、そう思っていた」。作業を終えた社員は、そう思いを語った。「早くあの原発をどうにかしたい。鎮めたい。日本のために、みんなのために。ウチ(東電)のためにも。あそこにいたみんな、そう思っていた」。ある社員は、祈るように話した。
(2011年3月20日06時02分 スポーツ報知)

「Fukushima 50」を知っていますか? YUCASEE MEDIA(ゆかしメディア) 最上級を刺激する総合情報サイト 1
http://media.yucasee.jp/posts/index/7009
http://megalodon.jp/2011-0324-1029-36/media.yucasee.jp/posts/index/7009
最終更新:2011年03月20日 07時10分
 「Fukushima 50」という名前が、われわれ日本人が知らない間に海外で大きく知られる存在になっている。
 これは、福島原発で残って作業する東京電力や関連作業員たちの呼称だ。文字通り命がけで戦っている50人のチームに対しての賛辞の報道が、海外メディアでは多く見られる。もちろん、日本では報じられることがないのは残念な限りだが。
 詳しく知りたい人は、すでにウィキペディアでも、「Fukushima 50」の項目が作成されているくらいだから、一読してみると良いだろう。
 英BBC、米ABC、CBSなどのテレビでは、灯りのない原発施設の中で、白い防護服を着用して原子炉の爆発を防ぐための作業に従事していると報道されている。
 まさしく「名もなき英雄」。勇敢な作業員たちに「Fukushima 50」の名前が付けられ、そう呼ばれている。いつ終わるともわからない戦いが続く英雄たち。私心を捨てて取り組む姿には、同じ日本人として誇らしい限りだ。
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福島原発で作業息子の無事祈る 福井に避難の家族 特集・M9.0東日本大震災 福井のニュース :福井新聞
http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/earthquake/27010.html
http://megalodon.jp/2011-0324-1040-47/www.fukuishimbun.co.jp/localnews/earthquake/27010.html
http://backupurl.com/5l6dlo
(2011年3月20日午前10時50分)
 東京電力の福島第1原発事故で同社社員、自衛隊などの困難な冷却作業が続く中、福井県内に避難した福島県の家族が作業に従事する息子の安否に不安を募らせている。東電の関連企業に勤め、同原発5、6号機の電源復旧作業に出たまま連絡が取れていない。家族は19日、疎開先でつらい心情を語った。
 福島県大熊町の原発から約3キロの距離に自宅がある志賀良子さん(67)は16日から、妹夫婦の住む福井市に疎開している。息子の良郎さん(41)は東電の原発下請け電気工事会社に勤務し、福島第1原発や柏崎刈羽原発(新潟)などを飛び回ってきた。
 1号機が水素爆発を起こした当初は自宅待機だったが、状況が変わったのが良子さんが疎開した16日深夜。「仮設電源を5、6号機に引くことになった。明日出発し、昼から仕事に入る」と連絡があった30分後、「今から出かける。長引くかもしれない」とあわてた様子で電話してきた。
 原発関連の仕事に従事し、緊急時に招集がかかることは覚悟していたという良子さんだが「被ばくすることが確実な現場。電話もつながらず、状況が全くつかめない」と表情を曇らせる。
 夫の五郎さん(67)も「原発の仕事をしていれば行かざるを得ない」と避難したくてもできない息子家族を案じた。連絡がないことで「その後、放射線が非常に強い1、2号機周辺に向かったのでは」(良子さん)と不安は強まるばかりだ。
 自分たちの避難生活もいつまで続くか分からない。地震による自宅の損壊は小さかったが、原発事故が長期化し、万一放射能汚染が深刻化すれば「もう家には帰れないかも」と悲観的な考えが頭をよぎっている。

asahi_com(朝日新聞社):日立、技術者派遣100人態勢に 福島第一原発 - 社会
http://www.asahi.com/national/update/0320/TKY201103200264.html
http://megalodon.jp/2011-0324-1106-43/www.asahi.com/national/update/0320/TKY201103200264.html
2011年3月20日20時26分
 日立製作所は20日、福島第一原子力発電所の事故で、同日中に技術者ら約60人を現地に派遣し、すでに派遣した人員と合わせて計約100人態勢で対応にあたることを明らかにした。新たに派遣するのは、被災地でもある、日立事業所原子力製造部(茨城県日立市)に所属する技術、設計の担当者が中心。同原発3号機、4号機の電源復旧作業などに従事する。
 同原発の復旧作業は、1~4号機は日立が、5、6号機は東芝が分担して実施する。

地震発生時に原発4号機地下1階にいた作業員にインタビュー「非常灯つかなかった」 – ロケットニュース24(β)
http://rocketnews24.com/?p=81742
2011年3月20日

編集部  原子力発電所4号機に内部にいたそうですね。
作業員  そうですね。4号機タービン建屋の地下一階にいました。
編集部  ということは東京電力の職員の方ですか?
作業員  いいえ、日立GEニュークリア・エナジーという会社があるのですが、そこからの依頼で作業を進めている会社に所属しています。
編集部  どのような作業をしていたのですか?
作業員  建屋の中で配管の溶接などをしていました。

編集部  地下に30人前後ということは、4号機全体ではどれくらいの人がいるのですか?
作業員  400~500人くらいはいたかと思います。すみません、詳しい人数はわからないです。
※発言内の人数に関しては不確定です

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最終更新:2011年03月25日 05:47