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『ドイツ・イデオロギー』



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分業化

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目次



分業化

概要

 「ドイツイデオロギー」のキーワードの一つが「分業」である。
 分業は何を生み出したか。肯定的な面では、社会を効率化し、個人・社会の余力を生み出した。一方で、分業により断絶が発生し、いくつかの不幸も生まれてきている。
 技術の利点欠点にしても、人間の長所短所にしても、明確なる長所は、反対方向に突き詰めれば短所にもなり得てしまう。
 ここでは、分業が生み出す余力と、逆に導き出してしまう不幸について、概観する。

分業により生み出される余力

個人の余力

 分業化が進むに連れて、一人の人間が行う仕事は、生きる動作とは直結しなくなっていく。食べるために動物を狩るのではなく、食料を買うために事務作業などでお金を稼ぐことになる。働くことと、食べることとが分離していく。仕事はもはや、生物としての生きる作業からは切り離される。
 仕事がもっと効率化していくと、さらに余力が生まれ、プライベートの時間が確保できるようになる。仕事では会社などの集団に属す一方で、プライベートでは個人として振る舞うことができるようになる。マルクスは経済の高度化の歴史を、分業の高度化という観点から整理している。経済学の理論としての明解さもさることながら、分業化が進んだ社会で人々がどのように苦しむのかという点まで考えている点が面白い。
 洞窟に住み狩猟で食べていた時代から、人間の技術は徐々に進化していき、安定した生活を手にしていく。技術の進化の一方で、社会の分業化も必要な要素だ。人口が増えれば増えるほど、社会の効率化が必要になる。ただひたすら分業化を目指せば良い時期も確かにあっただろう。でも、今はどうかと考えると、分業化による問題点の方が目立っているように思える。
 ここでは、分業により生み出されたものについて考えていく。


 分業化によりプライベートという余力が生まれた。分業化が進んだ現在は、さらに人に余力をもたらしたか? いや、今はむしろ、「仕事の自分」と「プライベートの自分」とで引き裂かれ苦しんでいる人が多いように思える。
 また、欧米などと比較すると日本独自の問題点として、多くの人がプライベートの場でも大きな集団への帰属を求めたことが指摘できる。

社会の余力

 社会全体の効率化により、余剰が生まれる。食料の余剰、建物の余剰、電気の余剰などなど。余剰を持つからこそ子孫を養うことが出来、また技術革新などが企てられる。

 余剰はしかし、人間を過剰に対して鈍感にもさせる。

分業が引き起こす問題点

分業と権力

 分業によって現れる、集団と集団の関係について考える。
 知らず知らずのうちに、「マジョリティ=権力側」に立ってしまっている違和感について。

分業と任せきり、クレーマー

 個人と専門家の関係について考える。各個人は何かの専門家であると同時に、それ以外の分野では一般人である。
 困った問題が自分に降りかかったとき、あるいは困っているひとが目の前にいたときに、その問題解決を専門家に任せるだけで良いのか、という問いでもある。


分業と孤立

 個人とその帰属先である集団との関係について考える。
 なぜ孤立して苦しむ人が多いのだろうか、という疑問。

メモ

  • 分業の細かさ
    • 生産力の向上、効率化のためには分業が必須
    • でも、ひたすら細かくしていけば良い、というものでもない
  • 分業と機械は相性がよい
    • 分業化の歴史は、機械化の歴史ともつながる
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