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2章

  • お金に関すること

政治を良くするためには

  • 一般的な商売では、売り手は商品の値段を一方的に自由に決めてよい。買い手はその値段で満足できれば買うし、満足できなければ買わないだけのことである。
  • 不当に高い値段をつけると非難されることがあるが、それはおかしいことだ。買わなければいいだけなのだから。もっと安く提供できると思うのであれば、その人が自分でやればいいのだ。もし本当に成功すればライバル社から顧客を奪えるだろう。こうして企業は競争を通じて進歩してきた。
  • しかし政府はこれに沿わない。税率は勝手に決めてくるが、支払いは強制である。他人が第二政府を打ち立てて競争を挑むこともできない。本来なら、支払った金額に見合ったサービスが得られていないと感じれば、税を払わないという選択もあるべきだ。政府にやってもらうよりも自分や民間企業でやったほうがずっといいと感じることは少なくない。
  • こんな具合だから政治はよくならない。競争相手はいないし、努力しなくてもいいのだから努力しない。政治を良くするためには選挙を繰り返すことが必要なのではない。この独占をやめさせればいいだけだ。政府の事業に対して、競合するサービスを民間企業が提供することを可能にする。そして脱税してもいいことにして、その代わり脱税者には政府のサービスを受けさせない。

使わないことは稼ぐことと同じ

  • 支出を半分にすることは、収入を2倍にすることと同じである。年収の多いことを自慢する人がいるが、それも全部浪費してしまうのだとしたら、稼いでいない人となんら変わりない。人の2倍のお金を使って生活するということは、2倍の働きをしなければいけないのだ。逆に、能力が一般人の半分しかないとしても支出も半分以下なら、何の問題もないのである。

累進課税制度の失敗

  • 世間にはお金を稼ぐのがうまい人と下手な人がいる。うまい人はお金を持たせておけばどんどん増やす。下手な人はお金を持たせておいても無駄遣いするだけである。しかも無駄遣いしているという自覚すらない。自覚できれば徐々にお金を増やせるようになるのだが。
  • 現在の法律では、所得が大きい人ほど税率が高い。また低所得者には生活保護もある。つまりお金をうまく稼げる人から元手を奪い、下手な人にお金を渡している。だから国全体としては無駄遣いが促進されている。本来は能力の高いものほど生き残るべきなのだから、これらの不平等はやめるべきだと思う。

貧乏な家に生まれたのは不幸か

  • 貧しい家に生まれたものは不幸だという話がある。だから助成金を増やせという。しかしこれはおかしい。自分の両親が裕福なのは、先祖が努力してお金を貯めておいたからだ。どうすればお金がもうけられるのかを考えて、それをやって成功したからだ。そういうことをしなかった先祖をうらんだり非難したりするのは道理だが、政府を批判するのはおかしい。
  • 能力があるのに十分な教育が受けられないものは不幸だという論点もある。それはわかる。私の家もそうだった。しかし私は奨学金を借りて進学した。それで問題はないと感じている。
  • 貧しくてあまり頭のよくない友人にどうしてもっと勉強しないのかと聞いたことがある。解答は「お金がないから」ではなかった。勉強することそのものにそれほどの価値を感じていないのだ。その友人の両親も同じ考えだった。そういう親だからこそ貧乏なのであって、そういう子だからこそまた貧乏なのだ。勉強は借金してでもやる価値があると思えばいつでもできる。しないのは本人たちの問題であって、助成金が不足しているからではない。能力のない者や努力しない者に安易にお金を与えても、無駄になるだけだ。
  • まあ今の学校教育は役に立たないことをたくさん教えているので、価値を感じないという考え方にも一理はあるが。





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最終更新:2011年04月08日 08:39