チム・チム・チェリー!~灰被り姫と星の王子さま~ 2*師走ハツヒト

 寒い季節はこの仕事の最も忙しい時期で、日も短いので本当に朝から晩まで仕事がある。もうそろそろ春がやってくる頃だが、それでもチェリーは今日も遅くまで一生懸命仕事をした。
 それは一重にこのためだった。
「んーっ! 今日の仕事もおしまい!」
 チェリーは屋根の上で伸びをした。チェリーの眼前には日も暮れて真っ暗な空いっぱいの星と、星のようにキラキラ輝く夜景が広がっていた。
 屋根の上から見上げる空と見下ろす街の風景は、煙突掃除人たちだけの世界だった。チェリーは今掃除し終わったばかりの煙突に命綱――他の 煙突掃除人は使わない者が多いが、チェリーの母が絶対に使えと泣いて頼むので仕方なく使っているもの――を結びつけると、ぐるりと回りを見回した。
 北に見えるのは時計塔で、戦争が終わってすぐに町のシンボルとして建てられたものだ。南には真っ黒な海が広がり、けれど月の光を反射して逆さ向きに輝く白い塔が建っているように見える。東にあるチェリーの家では今頃母が夕飯を作っているだろう。そしてこの家と、あの家と、あそことそことその家が、今日自分が煙突をきれいにした家。どの家も平和で暖かい色の光が窓から漏れている。
 この景色を眺めるだけで、どんなに遅くまで働いてくたくたになっても、一息で疲れが吹き飛ぶのだ。
 心ゆくまで眺めたい所だけどそろそろ帰るかな、と思って掛けた梯子の方に振り向くと、隣同士連なる屋根の向こうの方に人影が見えた。同業者かな?とチェリーは思ったが、人影のあたりには煙突はないからどうやらそうでもないようだ。不思議に思い、屋根に腰掛けたその人に近づいていって声をかける。
「何してんの?」
「え?……うわぁ!」
 それは眼鏡をかけてマフラーをした少年で、声をかけられ振り向いた拍子に驚いて、持っていた筒を取り落とした。それに気付いて咄嗟に取ろうとするが、何分屋根の上は角度がある。筒は転がってゆく。慌ててそれを追った少年は、何とか転がり落ちる前に掴む事は出来たものの、今度は勢い余って体勢を崩し、自分が落ちそうになる。
「わ、あぁっ!」
「危ない!」
 ばねのような俊敏さでチェリーは駆け寄り、片手で少年の腕を取る。もう片方の手は命綱をしっかりと握っている。
 チェリーの支えにより、少年は体勢を立て直す事が出来た。
「……ふぅ、死ぬかと思った……」
「駄目だよ、気をつけなくちゃ。ここ屋根の上なんだからね」
 まぁ命綱無かったらあたしもやばかったけど、と小さく付け加えた。
「そう、だね。危ないとこ、助けてくれてありがとう」
 少年は筒の無事を確認し息をつくと、深々と頭を下げた。
 少年はテクスと名乗った。屋根に腰を下ろしたテクスの隣に、チェリーも座った。何故かテクスはちらちらと横目で見るばかりで、チェリーの顔をちゃんと見ようとしない。女に助けられて恥ずかしいのかなと思い、チェリーは特に気にしなかった。
「どういたしまして。こんな危ないとこで何してたの」
「君こそ……いや、その格好から見ると、君は煙突掃除人さんなんだね。じゃあ君は、ひょっとしてチェリー?」
「あったりー!」
 明るく言ってチェリーは胸を張った。
「こんな遅くまで、大変なんだな」
「ん、大変だけど平気。夜景とか星とか見たら元気になれるしね。そう、屋根の上からの眺めは煙突掃除人のものなんだよ」
 意地悪に笑ってしっしっと手を払うチェリーに、テクスは酷く不服そうに「えええー」と言った。
「空はね」
 テクスは手に持った筒を掲げた。それはよく見ると望遠鏡だった。
「みんなのものだよ。そして屋根と煙突が君らの仕事場で庭であるように、星空は僕ら天文学者の庭で仕事場だ」
 やたらと偉そうに言ったが、その後少し背を丸めて「いや僕まだ卵だけどね」と呟いた。
「へええ天文学者! それで屋根の上にいたんだ! まぁ確かに屋根の上から見る星空に勝るものはないしね! いやぁそれ分かってくれる人が仕事仲間以外にいたなんて感激!」
 チェリーは、珍しい物に驚いたキラキラ笑顔でテクスの顔を覗き込んだ。人がチェリーをそう見るように。
 テクスはまた目を合わせようとはせず、視線を明後日に泳がせた。
「でもどうして声かけた時にあんな驚いたの」
「そりゃ驚くさ」
「何でよ」
「それは……その……」
 テクスは視線をあっちこっちさせて口をうごめかせていたが、
「僕以外に人がいるって思わなかったし、それにあんまり……黒かったものだから」
「服が?」
「顔が」
 勢いで口を滑らせてしまい、慌ててテクスは口の前で人差し指をクロスさせた。失言を防ぐのおまじないだった。完全に後の祭りだが。
 けれどチェリーは「失礼ね!」と返すものの、声を立てて快活に笑った。
「あっはは、ごめんごめん。煤まみれのまんまだっけね、そりゃ怖いわ」
 チェリー自身、真っ黒顔のままで歩いて町の人に怖がられ、避けられてる気がするけどなんでかなーと思いながら家に帰り、鏡に映った自分に仰天した事もあった。
 ポケットから布切れを取り出して顔をぬぐう。ちゃんと洗わないと綺麗にはならないのだが、とりあえずの応急処置だ。暗闇に目と歯だけが光って浮いてるよりこっちの方が幾分かましだろう。



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最終更新:2012年01月23日 11:52