チム・チム・チェリー!~灰被り姫と星の王子さま~ 1*師走ハツヒト

 夜が明けるか明けないかの内に、少女の朝は始まる。
 少女の名はチェリー。長い手足を跳ねさせてベッドから飛び起きる。くるくると自分勝手に跳ね回る癖っ毛を、梳いて束ねて二本の太い三つ編みにするのが、毎朝一番に彼女がする事だ。
 学校に通う程の年頃の娘が、休日のこんな朝早くに起きるのは珍しいだろう。
 斜め天井のチェリーの部屋から階段を降りると、キッチンからベーコンの焼けるいい匂いがしてきた。
 愚痴っぽくて心配性のチェリーの母が、朝早くから朝食を作ってくれているのだ。
「おはよう、お母さん!」
「おはようチェリー」
 返事を返しながら母は、チェリーがテーブルにつくと焼いたトーストの上にベーコンエッグをのせた。早速チェリーはかぶりつく。
「ねぇ、あなたまだ仕事やめないの? 汚いし、危ないし、女の子がやるような――」
「やめなーい」
 母の台詞を切ってトーストを食べながら、いつも通りチェリーは答える。
「何も引退したお祖父さんの仕事を、あなたが継ぐことはないのよ」
「あのねお母さん」
 最後にミルクを飲み干し、音高くコップをテーブルに置いて、チェリーは唇を尖らせた。
「別にあたし、お祖父ちゃんのお客さんに申し訳なくてこの仕事やってる訳じゃないから。何度も言ってるでしょ、あたしが好きでやってんの。ごちそうさま~」
 そう言い放って立ち上がると、「チェリー! ちょっとチェリー! もう……」という母の声を尻目につかつかと階段を上がっていった。

 黒いズボンに黒いシャツ。黒いベストに黒のネクタイ。礼服のようにかっちりとしたその服は、チェリーのしなやかで細い肢体によく合っていて、最後に被ったシルクハット似の帽子だけがやたらとぶかぶかだった。礼服にしては葬式だとしてもこんなに黒ずくめにはしないし、それにあんまりにあちこちほこりだらけだった。長いワイヤーをぐるぐると丸めて輪にしたものを腰につけ、バケツを持ち、梯子をかつぐ。そこにいたのは、一人の煙突掃除人の姿だった。
「行ってきます」
「気をつけてね」
 心から心配そうに言われるのもいつもの事だ。
「いよう、チェリー!」
「おはよう、チェリーちゃん」
 道行く人々は皆チェリーに挨拶する。
「おはようございます、ドミニク親方、メリッサおばさん!」
 チェリーも元気に挨拶を返す。女の子の煙突掃除人はとても珍しく、チェリーはこの町では有名人なのだ。それに、煙突掃除人に出会ったり触れたりすると幸運が訪れるという言い伝えがあるため、自然と人々は煙突掃除人達に温かいのだ。
 煙突掃除人達はいつも煤だらけで埃臭く汗まみれだ。さらに、チェリーの母親が言うように、この仕事はとても危険なものである。屋根の上の高所作業は必須だし、命綱を付けないような命知らずの男は時に本当に命ごと落っこちる。それでも、むしろそうであるからこそ、チェリーはこの仕事に誇りを持っているのだ。
 煙突はどの家にもある。もしもちゃんと掃除をしなければ、煤が詰まって火事になってしまう。これは人の命を守る仕事なのだ。だから、女だてらに祖父から継いだ仕事を守り抜く。
 町の娘達のように、それこそ母がよく引き合いに出す隣のベッキーのように、着飾ることはチェリーはしない。煤がチェリーの化粧であり、黒い服がチェリーのドレス。それにチェリーは何の不満も感じていなかった。顔が真っ黒になってしまえばそばかすも見えないし、足が長くて母のお下がりは着られないが、この服なら合わせて仕立ててもらったのでぴったりだ。チェリーがひらりと屋根に登る姿は、あんまり颯爽としているから男も女もみんな見とれた。ただ、何故か煙突掃除人お決まりのシルクハットのような帽子だけは、祖父に譲ってもらったのでちょっと大きすぎるのだが。
 握手を求める人々に笑顔で応えながら、チェリーは朝から晩まで張り切るのだった。


進む













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最終更新:2012年01月23日 11:49