縁日草子 5*師走ハツヒト

「たくやあああああああああっ!」
女性の絶叫。それを聞いて人々は状況を察する。
橋から子どもが落ちたのだ。
川の中は深さが十分あり、かなりの高さから落ちただろうが恐らく怪我はない。それでも子どもが溺れている事は確実だ。
母親が追って橋から飛び降りようとするのを、父親らしき人が止めている。「馬鹿、ここで待ってろ、俺が今助けに行くから!」と怒鳴るものの、半狂乱の母親の母親は聞かず必死に振りほどこうとしている。
周りの人々が騒然となり、俺も思わず立ち上がった。
その袖をリイナが引っ張った。力強く。
「な、何――」
「助けてあげて」
今までにない強い語調に驚いて顔を見ると、リイナは必死の形相だった。品のいい眉は寄せられ、目は見開かれて光っていた。打算も小細工も無しで、ただひたすら真っ直ぐに訴えかけていた。懇願するようでもあった。
「あの子、助けてあげて!!」
心に叩きつけるように、叫ぶ。こんな興奮したリイナは出会ってから初めてだ。俺の袖を握りしめる拳の固さもそれを物語っている。
一瞬その様子に気押されたが、次の瞬間には応えて俺は力強く頷いた。
「わかった!」
走るのに面倒な下駄は脱ぎ捨て、裸足で河原を疾走する。
浴衣の裾がはだけるのなんか気にしていられない。
狐面の紐が解けて落ちたのには気づきさえしなかった。
ナイアガラ花火の柱の横を擦り抜け、橋の真下の川面へ。
石を蹴り、足の爪を割りそうになりながらも、水際へ辿りつく。
何人かの男達が走り出そうとしていたが、連れの女性に「のんで水に入っちゃ駄目!」と後ろから叫ばれて足を止めていった。
助けられそうな大人の男は、殆どがこの祭で酒を呑み、まだ酔っている。
リイナを連れていたのは、そういう意味で幸運だったのかもしれない。
ああ、大吉は当たったなと思いながら、俺は黒々とした水に飛び込んだ。

花火を照り返して踊らせる水面のお陰で、溺れて白い飛沫を跳ねあげる子どもの位置はすぐに分かった。深いながらも流れは速くないのか、まだ橋からさほど離れていない所に子どもはいた。
クロールの要領で泳いで子どもに近づき、その腕を取る。 パニック状態の子どもはまだ少し暴れたが、引き寄せて抱きかかえるとどうにか手足をばたつかせるのをやめた。
しっかり掴まってろよ、と目で子どもに伝えると、流石に窮すれば通ずといった所か、浴衣の背にしがみついた。
一安心して後は岸に向かって泳ぐだけ、と体の向きを変える。
その瞬間、足を払われたように体が傾いだ。
――この川、浅い所と深い所で流速が違う!
気付いた時には遅い。子どもを抱きかかえて体を垂直にしたせいで深い流れに足を突っ込み、そのまま足を取られて俺は流されてしまった。
必死に水を掻き分けて岸に近づこうとするも、ほんの少しずつしか距離が縮まない。それより下流に流される勢いの方が強く、下手すると深い流れに全身引き込まれてしまいそうだった。
顔を水面から出すのがやっとで、息が苦しい。俺の背中にしがみつく子どもは、上手く呼吸出来ていないようだ。背から喘ぐ声が聞こえる。
ふと下流に目をやると、酷く近くにナイアガラ花火が迫っていた。
花火を水に潜って抜ける。子どもが水を飲んで息を詰まらせたら?
炎の滝をくぐる。子どもが火傷したら?
くそっ、水難に火難ってこの事かよ!
花火はもう目の前だ。
ヤバい!
進退極まって目を閉じそうになるその一瞬、川岸に赤い浴衣が映った。
浴衣の模様の流線が、揺らいで光ったような気がした。
「またね」
呟いて、微笑んだように見えたのは、幻覚だったろうか。
俺の狐面を被ったその少女は、両手を天に掲げる。
そして、勢いよく振り降ろし、水面を叩いた。
刹那、炎の滝の真下から盛大な水柱が上がった。
水柱は火を垂らす縄を濡らし、炎の滝は消え去った。
白い水飛沫は、重力に従い大質量で川へ殺到する。その波が、俺の体を打ちつけた。
波に揉まれて上も下も分からなくなり、最後の意識を振り絞って子どもを胸側で抱きしめた。
次に目を開けた時、俺は子どもを守るように腕を回した格好で、川岸に打ち揚げられていた。

「リイナ!リイナぁぁ!!どこだ、いたら返事しろ!」
 叫ぶが、返事がない。川岸に、もうリイナはいなかった。ぽつんと狐面だけが落ちていた。
 子どもを親に渡し、親の涙ながらの感謝の言葉を半ば上の空で聞いた。それよりも、何故かリイナが消えてしまってもう二度と会えないような、そんな嫌な予感が胸の内にわだかまっていた。
何かお礼をと頭を下げる親を後目に、俺はそこを早々に辞した。一刻も早く、リイナを探し出したかった。


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最終更新:2011年10月17日 17:48