見えざる遺産 5*大町星雨

三 相棒

 後日、ますます暑い猫田の事務所。
 オレは暑さと心労のせいで、事務机のいすにだらんともたれかかっていた。猫田がソファに座りながら、そんなオレを楽しそうに見ている。
「ったく、とんだじじいだったぜ」
「まだ言うの? 根に持つねぇ」
 うっせえ。
 大寺を現地の警察に突き出した後、安藤さんの家族の見守る中、箱を叩き割った。
 出てきたのは、「べっ甲飴一袋」と「メモ一枚」、だけ。メモには「お疲れさん。飴はみんなで仲良く分けなさい。」とだけ。
「べっ甲飴は祖父の好物だったんですよ」
「素敵なおじいちゃんだったんですねぇ~。あ、もう一個もらっていいですか?」
こんな会話ができたのは安藤さんと猫田だけ。オレや他の親戚一同はその横で脱力していた。じいさんが万年筆と鉛筆の字を極似させ、山をえっちら登ってまで用意した「遺産」が「飴」かよ! オレの労力返しやがれ!
「香は分かってないなぁ。あの箱の中には、遺産よりずうっと大事なものが入ってたの」
猫田がかき氷をスプーンで口に放り込みながら言った。
「大事なもの……空気、はさすがにねえか」
 しばらく暑さで沸騰しそうな頭で考えたが、全く思い付かない。猫田の横顔を見ていると、ふと山頂での猫田を思い出した。
 猫田はいつもふぬけてて不真面目そうで、まともに考えてないように見える。だからオレはいつも「猫田」と呼ぶし、それがぴったりだと思う。
 ただ、時々こいつはふっと真剣な表情を見せる。事件現場で。犯人と対峙する場で。オレが何度聞いても、答えはぐらかされてしまう。でもオレは、あれはこいつの一番奥にある表情なんだと思っている。こいつが見てくれ通りののほほん考え無しなら、時に危険に巻き込まれ、人の暗い面だって見なきゃならないような、探偵業なんかやるはずがないんだ。
「どう、分かった?」
 猫田の声で、オレは質問されていた事を思い出した。あの箱の中に入っていた大事なもの、だっけ。
「分かんねえ。答え教えろ、猫田」
「いつも言ってるけど、僕は猫田じゃなくて苗田だよ。そして答えは教えてあーげない!」
「はあ!?」
オレは思わずそんな声を出した。分かんねえから聞いてるんだろうが!
猫田が容器に張り付いた氷をかき集めながら続けた。
「ヒントを出すならぁ、誰もが昔は持っていたもの、かな」
「……ランドセル?」
「香、見えないランドセルなんてあるわけ無いじゃん」
 言われなくても、オレだってそれぐらい分かってるよ! 駄目だ、ギブアップ。猫田がスプーンをくわえながら呆れたように首を振った。
「全く、これが分からないなんて、香はロマンチストじゃないよねぇ。女の子なら、ロマンの一つぐらい無くっちゃ~」
「お前、いちいちそこに触れるかっ――!」
 オレは立ちあがって猫田を絞めようとしたが、動いた途端に熱気が押し寄せてきた。それに負け、またいすに倒れ込むオレ。……このオレが猫田に言われ放題とは。くそ、夏なんか大嫌いだ!
「猫田、この事務所そろそろクーラー入れろ!」
 猫田はふにゃっとした、でもどこか意地悪そうな笑みでオレを見て、答えた。
「んー、香の夏バテ訓練のために、入れないどこうかな~。あ、さっきの答え分かったら入れてあげようか?」
「……せめて、扇風機買え……」
うつむきながら言ったせいか、絞り出すような、我ながら情けない声だった。


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最終更新:2011年10月17日 17:46