見えざる遺産 1*大町星雨

一 探偵

 外にいるだけで体の力を絞り取られそうな、そんな夏の土曜日。
 オレは、赤いTシャツの袖を肩までまくりあげながら歩いていた。出来るだけ日陰を歩いていても、湿気のこもった空気は日なたと変わらずどんよりとしている。汗のせいか、服まで体にまとわりついてくるような気がする。
 夏はあまり好きじゃない。海できゃあきゃあはしゃぐような趣味はないし、なによりこの蒸した感じが嫌だ。うちの幼馴染は、猫似のくせに夏でもけろっとしてるが……。オレは今訪ねる先の相棒を思い出しながら思った。
 やがて、件のそいつの事務所があるビルに着いた。いつから建ってるんだか、というような三階建てのビルで、汚れた壁を見る限り、とてもクーラーなんて望めないような所だ。最近は忙しくて、ここにも顔を出さないままだった。その奴――猫田ときたら、放っておくと平気で食事を抜くから油断できない。睡眠の方は十二分のようだが。
 階段で二階に上がると、「苗田探偵事務所 事件の相談承り 」というホワイトボードがドアにかけてあった。オレはいつもの通り、ノックもせずに開ける。
 そこでオレの動きが止まった。
 ソファに猫田が座っている。いつも通りよれたワイシャツに寝ぐせかと疑いたくなるようなくしゃくしゃの髪。開いてるのか閉じてるのか分からない細い目。幼馴染の様子は相変わらずだ。
 だが、今日は猫田の反対側に男性が一人座っていた。オレ達より若干年下の、二一、二歳位。この暑いのにワイシャツの上にネクタイをきっちり締めている。(ちなみにこの事務所には扇風機すら無い。呆れた事に、本人が構わないから買う気がないらしい)背筋を伸ばして座っている様子は、育ちの良さを感じさせた。
 で、彼がここに座っているってことは、だ。
「客か。……珍しいな」
 オレは客の目の前で、思わずポツリと言ってしまった。
やっべ、と思った時には、猫田がぱっと立ち上がっていた。口がへの字になっている。
「ちょっと香~、ひどいじゃんその言い方! まるで僕の事務所にお客さんが全然来てないみたいじゃん!」
実際そうだろが。
依頼人が目を丸くしてこちらを見ていたので、次の言葉はぐっと飲み込む。このままじゃいつもの口げんかに突入だ。
「で? 依頼の話してたんだろ」
「あ、うん、そうそう。香にも紹介するよ。こちら、安藤光雄さん。安藤さん、僕の友達で刑事の」
「大君(おおいぎみ)香です」
男性が頭を下げた。ぺこりと音がしそうな丁寧なお辞儀に、オレも慌ててお辞儀を返す。
「では、もう一度始めからお話した方がよろしいでしょうか。助手の方も来られたことですし」
誰が助手だ!
オレがそう言う前に猫田がぷるぷると首を横に振った。
「ううん。香は助手じゃなくて、相棒ですよ。あ、でも、話はもう一回お願いします!」
オレも猫田の横に腰を下ろして、安藤さんの話を聞くことにした。
「事の始まりは、私の祖父が先月亡くなったことです。それだけなら相談に来るようなことも無かったんですが」
安藤さんが一度言いよどんだ。
「祖父は死ぬ前、集まっていた親族にこう言ったんです。『私は自分が大事にしていたものをどこかに隠しておいた。だが、今はその場所は言わん。私が死んだら、場所を記した文書が公開されるようになっている。私のことを毎日思ってくれるようならばその隠し場所も分かるだろう』、と」
そこで安藤さんは机の上にあった紙束をオレに手渡してきた。
「でも、祖父の死後出てきたのはこの私宛の手紙だけだったんです」
オレは受け取って黙読した。
『光雄へ
元気にしてるか? 今お前がこれを読んでいるということは、私はもうこの世にいないということだ。
だが、私のことでいつまでもくるしんでるんじゃないぞ。――』
どうやらざっと読んでみたところ、遺書のようだ。最後に「おじいちゃんより」と書いてあるから、これは安藤さんのじいさんの遺書ってことか。自分が死んだ後の孫を心配しているのが伝わってくる。
毎日のように読み返しているらしく、鉛筆で書かれた文字が所々かすれていた。だが、遺産の隠し場所らしき話は全く出てこない。
オレが手紙を机の上に戻すと、安藤さんが暗い顔をしながら続けた。
「親族中でこの手紙を見てみたんですが、誰も隠し場所は分からなくて。でも遺産の話なら放置するわけにもいかないし。それでこうして相談しに来たんです。探偵さん、本当に祖父はどこかに遺産を隠したんでしょうか? それとも全部嘘だったんでしょうか?」
猫田は腕を組んで、うーんと考え込んでしまった。オレも手紙の一枚を拾い上げて目の前に透かしてみる。公開されたのがこの手紙だけって言うんなら、この中にヒントが隠されていそうなもんだけど……。


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最終更新:2011年10月17日 17:44