正義と正義と正義

 雲一つなく晴れた朗らかな日の事、涼しくなったそよ風に木々の葉は揺れ、互いに、秋が来たぞ、とささやく。草花はそろって風にあおられ、秋が来たの、と小首をかしげる。そんな昼下がり。
 ミツバチ達は少し低いかわいらしい羽音と共に野原を飛び交い、蜜集めに精を出していた。
 多くの綺麗な秋の花が咲き乱れている野原である。観光地であるため人の出入りは多い。そのせいもあって、ミツバチに刺されてしまう人が多くいる。そして刺された人の中には、蜂の毒針のせいでアナフィラキーショックを引き起こし、亡くなってしまう人もいる。
 多くの人は蜂のせいだ、蜂なんて駆除してしまえ、と言うだろう。しかしこれは不幸な事故だ。両者のうっかりが、偶然に重なっただけにすぎないのである。
 今、その不幸な事故が起きた。
 ある一人の男性が、ミツバチに刺されたのだ。その男性は大学で知り合った女性とデートをしている最中だった。男性は念願の彼女とのお出かけに有頂天になっていたらしく、虫よけスプレーを自分の身に噴霧するのを忘れていた。それだけなら良くある話だが、彼女との話に夢中だった男性は、周囲を飛んでいる蜂を羽虫と勘違いして、手で叩いてしまった。
 叩かれたミツバチは驚いてしまって、逃げ出すより先におしりの針でぷすりと一発刺してしまった。男性はあまりの痛みに叫び声をあげた。
(や、やっちゃったのね……!)
 刺した張本虫も、男性に負けず劣らず驚いていた。男性のわめき声を背景に、人間の皮膚の下に潜り込んで行く自分の針を、じいっ、と見つめていた。
(ああ、これを抜いたらあたしの命はあと数時間になるのだわ。針とつながっている内臓が、針に持っていかれてぷっつり切れちゃって、体中の水と言う水が針の抜けたその穴から出ていってしまって、最後にはカラッカラ。その時にはもう、あたしは飛べなくなって地面に落ちているのだわ。身の行く末は蟻さん達の家の中。そして蟻さんの赤ちゃんのお腹の中なのね)
 彼女は、伝聞で知っていた針が抜けたミツバチの末路を想像する。不思議と悪い気はしない。
(まあ、蟻さんだものね)
 蟻と蜂は姿形が大分違うものの、種族としてはとても近い。蟻は地上で暮らす蜂と言っても差支えないくらいである。人間で言う親戚のようなものだ。
(冥土の土産に姐さん達の顔でも見てこようかしら……)
 不幸なミツバチが末期の虫生計画を練っている間に、男の手が腕の上に止まっているミツバチを弾き飛ばした。彼女の針は、スポン、と一息に抜けた。彼女は体の中でぷちんという音を聞いた。どうやら内臓も外に出てしまったようだ。羽をはためかせて体勢を整え、振り返ってみると、何やら白い物が人間の腕の皮膚の上にぺとりと横たわっているのが見えた。初めて目にするが、あれがそうなのだろうか。
(意外と大したことないのね……)
 ミツバチは軽くなったお腹を気にしながら、泣き叫んでいる人間を尻目に巣へ帰る事にした。

 ミツバチは巣を離れて蜜を探しに行く時、自分の通った道のりの風景を記憶していくという。その記憶は帰り道に活用され、ミツバチは迷わず巣へと戻る事ができる。ミツバチが出かけて行った後に、もし人間が木の伐採をしたり、生えていた植物を根こそぎ無くしてしまったりすると、出かけていたミツバチは道が分からなくなってしまい、巣へと戻れなくなってしまう。
 彼女の場合、幸いにしてそういう事は無かった。
 針を失ったミツバチが蛇行の激しい小川の上を通り、アナグマが暮らしている木の虚の側を行き、けもの道すら無い雑木林の中を飛んでいる。
 彼女にとって全てに鮮烈な記憶がある。川辺の葉っぱに溜まった朝露は、よく集めに行ったものだ。野原と住みかを行ったり来たりしているアナグマが、体に付着した種を運んで周囲に花を咲かせたのはここ最近。彼女が蜜を集めに行くたびに通った雑木林は、彼女にとって庭のようなものだ。
 雑木林の中を飛び続けた彼女は、やがて愛すべき我が家を見つける。しかし喉はカラカラで羽はもたつき、目も霞んできた。
 彼女は少し休もうと近くの葉の上に止まった。そこからは、彼女の家が良く見えた。後もう少しで巣に帰れる。そして冥土の土産に姉妹の顔を見てこよう。
 彼女は、少し休めばまた飛べるだろう、と思っていた。だが予想は外れた。羽ばたこうとして、この羽に自分を浮かせる力がもう残っていない事を悟った。彼女の命は我が家を目の前にして、葉っぱの上で尽きようとしていた。
 でも、不思議と悪い気はしない。
 彼女は巣の全景を眺めた。何カ月にも渡って増築された巣は、木の割れ目から正六角形がいくつも連なった板をのぞかせている。その奥には同じような物が何層も重なっている事を、今日の午前まであそこで働いていた彼女は知っている。
 巣から彼女と同じ働き蜂が、引っ切り無しに出入りをして忙しそうに働いている。衛兵蜂が巣の周りを巡回し、敵がいないか目を光らせていた。
 彼女は、巣がいつもと変わらない姿である事を喜んだ。巣はこれまでと同じであり続けるだろうと思った。
 自然に顔がほころんだ。すとん、と自然に目が閉じた。どこまでもどこまで続く暗闇は、優しく彼女を出迎えている。
 遠くなっていく意識の中、彼女はふと虫の羽音を聞いた。聞き覚えのある羽音だった。永遠の眠りにつこうとしていた彼女を無理やり目覚めさせる程に、重苦しく、不吉で、危険な羽音だった。
 無理やり霞む目を開けた。
 音の正体が彼女の目の前を横切った。それはまっすぐ、彼女の家へと向かっていた。彼女は仲間にそれを伝えるために羽ばたこうとした。しかし優しかった暗闇は急に粘り、体の動きの邪魔をする。空転する思考の中、彼女は自分の無力さをかみしめる。同時に意識が失せた。

 葉の上に止まっていたミツバチが、力を失ってぽとりと地面に落ちた。
 三匹のオオスズメバチはそれに気がつかなかった。そこらにある葉っぱよりも、目の前にあるミツバチの巣の方が彼女達にとって何よりも重要だったからだ。
 彼女達の巣は、今、食糧難に陥っていた。巣は順調に拡大し、沢山の幼虫も生まれ繁栄を極めているのだが、巣の周囲に獲物となる虫が少なくなってしまった。だから働き蜂のハンター達は、遠出をして獲物を探して来なければならなかった。
 その甲斐はあった。彼女達はミツバチの巣を見つける事ができた。
 ミツバチの巣を襲い、制圧すれば、しばらく巣の運営に頭を悩ませずに済む。それだけの食糧が、ミツバチの巣にはあった。ミツバチ達が溜めこんでいる花粉団子、花の蜜、そして幼虫、ローヤルゼリー。どれもオオスズメバチにとっては、喉から手が出るほどに欲しいものだ。
 しかも、
「これは幸運だ。奴ら、ミツバチではあるが、その中でも獲物にぴったりなセイヨウの奴らではないか」
「奴らは我らに対抗する術を持たない」
「他のオオスズメバチに横取りされない内に、女王へ知らせなくては」
 彼女達はミツバチの巣の周りを飛んだ。太陽の角度を観察し、巣の位置を正確に記憶するためだ。それが終われば、後は巣に返って仲間を呼び、襲う手筈となる。
 オオスズメバチにとって、ミツバチは同族ではない。単なる獲物に過ぎない。ミツバチの巣を襲う事に、オオスズメバチは何の痛みも感じない。

 巣の周りをパトロールしていたセイヨウミツバチの衛兵蜂は、巣の周囲を不審な虫が飛んでいる事に気がついた。その虫は自分たちよりも大きくて、重苦しい羽音を響かせている。腹の色は黄色と黒の二色だ。衛兵蜂は、そこである虫を連想して身震いした。時に人間をも殺す、獰猛なハンター。同じ蜂なのにも関わらず、ミツバチやジバチなど、他の蜂の巣を襲い、溜めた食料や育てている幼虫を根こそぎ奪っていく野蛮な虫。
(お、オオスズメバチだ!)
 衛兵蜂はやっと、目の前にいる虫が自分達の天敵である事に気がついた。すぐさま警告を仲間に送る。
「オオスズメバチの斥候だ! オオスズメバチの斥候だ!」
 当直で巣の周りを飛んでいた衛兵蜂は、それを聞いてすぐさま声のする方に向かって飛んでいった。オオスズメバチはすぐに見つかった。黄色と黒の縞模様は、どこにいても目立つからだ。
 一匹のオオスズメバチに数匹のミツバチがぶつかっていく。
 真っ先に向かって行ったミツバチは、出会いがしらに胴を刺された。毒を注ぎこまれ体内の筋肉を溶かされる。今にも消え入りそうな意識の中、そのミツバチは足に力を込める。オオスズメバチの腹に抱きつき、針を封じる。それっ、とばかりに残りのミツバチがオオスズメバチに群がった。腹の周りに密集し、ぴくりとも動けないようにする。オオスズメバチが重みに耐えかねて地面に落ちた。
 もう一匹のオオスズメバチもミツバチの波に飲み込まれ、腹の周りを包み込まれ地面に落ちた。

 オオスズメバチ達は驚いていた。
 ニホンミツバチは、オオスズメバチを包み込んで蜂球を作り、内部の温度を上げ蒸し殺す、というオオスズメバチに抵抗する方法を知っている。ニホンミツバチが耐え切れる最高温度がオオスズメバチより高いからできる荒技だ。ニホンミツバチの場合、せっかく斥候が巣を見つけても、仲間に知らせる前に殺されてしまう事が多いのだ。しかしセイヨウミツバチのそれはオオスズメバチより低いので、同じような事は不可能なのだ。加えて、セイヨウミツバチがもともと住んでいたヨーロッパにはオオスズメバチのような捕食者がいないので、対処の方法が分からない。三十匹くらいのオオスズメバチがいれば、セイヨウミツバチの巣は簡単に制圧できるくらいなのだ。セイヨウミツバチがオオスズメバチと戦い、勝利を収めるのは並大抵のことではない。確固たる戦術を持たないので、ほんの数匹のセイヨウミツバチが相手でも、オオスズメバチにはどうって事も無いのだ。その筈なのだが、現状は明らかに違っていた。
「くそ、諦めの悪い奴らだ!」
 何とか襲われずに済んでいる一匹が、ミツバチにしがみつかれて地面に落ちた二匹に助太刀しようと舞い降りて来た。彼女は仲間に手を貸そうとして、その仲間に制止させられた。
「落ち着け、こいつらはそのうち、熱でくたばってしまうさ。体も私達の方が硬いし、この数では針も刺しようがない」
「そんな事よりも、お前のするべき事は巣の仲間の所に戻って巣の在り処を教える事だろう?」
 セイヨウミツバチの巣から援軍が飛び立つのが見えた。その様は黒い霧のようで、さすがのオオスズメバチでも太刀打ちできなさそうな、多勢に無勢の数の差が押し寄せようとしていた。
「早く行け……!」
 言われて、一匹のオオスズメバチは仲間を見捨てて飛び去った。

 女王蜂の命でオオスズメバチ退治の援軍に来た衛兵蜂達は、明らかに何かの方法を知っていて、その上で動いているようだった。地面に落ちた二匹のオオスズメバチは、それを嫌と言う程思い知る事になった。彼女らセイヨウミツバチは、自分達がニホンミツバチと同じ蜂球で戦えない事を知っていた。それでいて、セイヨウミツバチ達はオオスズメバチの腹の周りに密集し、がっちりと固まっているのだった。腹を覆うミツバチが増えるにつれ、二匹のオオスズメバチはセイヨウミツバチがやろうとしている事の内容を突き止めた。セイヨウミツバチ達は、腹を圧迫する事でオオスズメバチの呼吸を止め、窒息死させようとしているのだ。
「くそっ、こいつらにも我らに対抗する術があったのか……!」
「生意気な奴らめっ!」
 二匹のオオスズメバチは慌てて、腹の周りに集まっているミツバチを引きはがし、強靭な顎でかみ殺そうとした。しかし、時、既に遅く、ミツバチは引きはがしても引きはがしても次々とむらがって来た。一時間も経つと二匹のスズメバチの抵抗は弱くなっていき、やがて、かくり、と力が抜けた。ミツバチ達はそれでも油断なく腹を圧迫していたが、二匹のスズメバチに意識が戻る事は二度となかった。

 セイヨウミツバチが勝利の雄叫びをあげている頃、オオスズメバチもまた、歓喜の声に巣を震わせていた。生き残った一匹のオオスズメバチは、無事に巣へと帰りついていたのだ。
 獲物のハンティングを専門とする働き蜂が、久しぶりの大規模な狩りに身を震わせ、その身を猛らせていた。皆が皆武者震いをし、ときの声をあげ、足を踏み鳴らす。巣が振動し、内部で働く他の蜂や幼虫に興奮が伝わる。戦争が始まるのだ。
これは生存を賭けた戦いだ! 皆の視線が集まる部屋で、女王蜂が叫んだ。これから飛び立つ兵は、皆の命を繋ぐために飛び立つのだ。彼女達に敬意を示せ。最高級の敬意を。そして敵には死を。獲物には我らの糧となる最高の栄誉を。さあ、兵達よ、命を捧げる者たちの顔は見たか、背中を預ける同胞を信じたか。
 何十匹というスズメバチが羽を振動させ、各々にうなりをあげ始めた。女王蜂が一匹一匹の返答に、目をつむって耳を傾ける。最後の返事を聞き届けた瞬間、大きく腕を振り上げる。
 行け!
 太く低い羽音が部屋中に響いた。働き蜂達が一斉に羽を上下させ、飛び立って行く。高鳴る鼓動が、栄えある未来を待ちかねている。

 山の木々の上に、突如として黒雲が現れた。行く道も知らぬ、更なる高みの白雲とは違い、どこかを目指して飛んでいく。それを木々の間から見たアカネズミは、子供達を巣の奥深くに押し込めた。カモシカは身を硬くして、雲が過ぎ去るのを待った。追いかけて追いかけられてをしていたアカトンボのカップル達は、互いの存在を忘れたかのようにその場から逃げ去った。山を登っていた人間は、帽子からはみ出ている黒髪を手で覆って隠し、身を低くした。野原をのんびり散策していた観光客は、ぎゃあ、と騒いで逃げ惑った。
 黒雲は見向きもせず、一心にどこかへ飛び去った。

 一匹のセイヨウミツバチが、巣を目の前にして呆然と立ちつくしている。
 嵐の後とはこの事だろう。かつて整然と六角形の筒が並んでいた我が家は、全体が歪んで傾いていた。見る影もない。彼女は未知の光景を目にして恐怖で涙した。巣の周りでは体を丸めて動かなくなった衛兵蜂と、オオスズメバチの死骸が転がっている。それは巣に近づくにつれて多くなるが、巣の内部となるとミツバチの死骸しか見当たらなかった。敵を倒した形跡が一つも無いのだ。抵抗する力を失ったのだろうか。彼女はその場に自分がいなかった不幸を嘆く。蜜を溜めていた部屋は蹴り破られ、根こそぎ奪われていた。幼虫たちのいた部屋も荒らされていて、一匹残らず連れ去られている。世話役の働き蜂は折り重なるようにして死んでいる。彼女は一匹生き残った悲しみを胸に涙を流し、巣の奥へと進んで行く。いつも働かず食っちゃ寝していた怠惰な雄蜂は、突然降りかかった死を受け入れる事ができなかったのか、食べ物を頬張ったまま死んでいる者や、すやすや寝たまま死んでいる者と、情けない姿ばかりだった。彼女は怒りの涙を流した。
 数々の死体にあらゆる涙を流しながら、彼女は巣の最奥にたどりつく。
 そこで女王蜂は死んでいた。勇敢にも戦ったのだろうか、女王は無念の表情のまま事切れていた。
 一匹になった彼女は横たわっている女王の前で膝をつき、涙が流れるままに泣いた。皆殺しにするだけでなく、生まれて間もない幼虫すら連れ去ったオオスズメバチが憎かった。
しかしできる事は一つしかない。
「外道め! 恥知らずめ!」
 他に一体、何ができるだろうか。

 数々の戦利品を持ちかえっているオオスズメバチ達は、女王から下される栄誉の数々を想像して騒がしかった。セイヨウミツバチの幼虫は、肉団子となって食糧になる。花粉団子や花の蜜も同様だ。そしてその食糧の中でも、ローヤルゼリーはとびきり栄養価が高い貴重品だった。
「さあ、急げ! 皆が待っているぞ!」
 陽気な返答が返ってくる。彼女達には、輝かしい未来しか待っていないのだ。

 四人の男が、神社の屋根の下にある蜂の巣の駆除に成功した。彼らの近くにはワンボックスカーが止まっており、そこに書かれている文字から、彼らが市役所の人間で、巣の駆除を仕事としている事が分かる。彼らは全員が、まるで即効性の高いウィルスに侵された病人を治療する医者が着るような防護服を身につけていた。白い丈夫な布が、隙間なく体中を包んでいる。手袋と服のつなぎ目は固く閉ざされ、靴の方も同じようになっている。白い丈夫な布は頭部も覆っていて、顔の位置にだけ唯一、透明なプラスチックの板がはめ込まれ、外が見えるようになっている。
 彼らは巣を守っていた衛兵蜂の猛襲に辟易しながら、煙でいぶして追い払ったり服から引きはがしたりしていた。
 それが一通り済むと彼らは素早く車に乗り込む。蜂が一緒に車の中に入り込んでいる可能性もあるので、暑苦しいが防護服を脱ぐわけにはいかなかった。
 一人が言う。
「やれやれ、オオスズメバチだけはもうこりごりだ」
 お互いの声が防護服に阻まれ届かないので、服の内部には無線が仕込まれている。
「全くだ。大きいし力も強いし、針なんてミツバチと違って何回でも刺せるもんな。おまけに毒液を飛ばせると来てる」
「ま、でもこれで観光客の安全も保障できるだろうさ」
「そうだな。苦情の電話はもう来ないだろう」
 男達はそう言って、車を発進させた。窓ガラス越しにオオスズメバチがぶつかって、カツン、カツン、と虫にしては大きな音が響いていく。その中でフロントガラスに止まった一匹のオオスズメバチが、雄々しく腹を振り上げて針を突き刺そうとしていた。しかし針は空しくフロントガラスの上を滑るだけだった。それでもオオスズメバチは攻撃を止めない。他に何もできる事が無いからだ。
 男達は言い合う。
「観光客が刺される前で良かったな。あんなでっかい巣、下手すりゃ死人が出たぞ」
「全くだ。観光客は無条件に自分達が安全だと思ってるからな。少しは勉強して来いって話だ。今度、上に言って勉強会を開いてもらうべきじゃないか?」
「誰が出席するんだ?」
「観光客にとって、自然は親しむべきものだ。そこに危険があるなんて露ほどにも思っちゃいないんだ」
「いや、俺はさ、殺す事しかできないのが虚しくて……」
「付き合い方を知らないからな、観光客は。だから殺しておく事しかできないのさ」
「そうかなぁ」
「そうさ」
 山を下って行くにつれ、車にまとわりついていた蜂は少なくなっていき仕舞いにいなくなった。男達は車を止め、車内に入り込んだ蜂やその死骸を外に捨てる。作業が終わり安全の確認が終わると、我先にと防護服を脱ぎ捨てた。
「風が涼しいな。もう秋なんだな」
 離れた所に見える宿泊施設では、食欲の秋、読書の秋、スポーツの秋に心を躍らせる人々がいる。その人々を守るために、男達はオオスズメバチの駆除に精を出している。
「俺達にとってはスズメバチの秋だけどな」
「やれやれだよ……」
 男達は互いに苦笑して、再び車に乗り込んだ。

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最終更新:2011年06月18日 13:35