涙 * 師走ハツヒト

 ひらり。
波の間に光るものがありました。
あたたかい海で、魚のこどもが遊んでいました。
よく晴れた、夏の昼間のことでした。
銀色のうろこを日の光にひらめかせ、こどもはあさせで泳ぎ回っていました。
あんまり浅いところで遊んじゃだめよ。
魚のお母さんはいつも言っていましたが、こどもは気にしませんでした。波打ちよせる砂浜で、小さな体をひるがえしひるがえし、白い砂とおどっていました。
「おすなと おひさまが きらきらして とっても たのしいな
なんで はまべで あそんじゃ だめなのかなぁ」

 同じころ。
浜辺に打ちよせられた流木に、新しいような色の緑のつるが巻きついていました。
ほっそりとしたつぼみが、ゆっくりと開いていきました。
ひるがおの花です。
花の白い肌は、やっと咲いた喜びにうすいべに色にそまっていました。たった一りん、一番はじめに咲いたのです。
そのうすもも色の顔を、夏のおひさまはかがやかしく照らしました。
海の波も、波間の小さな魚も、きらきら光っています。
「あぁ あぁ うれしいわ
おひさまは うみは こんなにきれいなのね」

 同じころ。
小さな人間の男の子が、浜で砂遊びをしていました。
山をもり、谷をほり、道を通して、男の子の手の中で次々に地形が生まれてゆきました。
海から水を引いて湖を作り、まわりの草を取ってきてちりばめました。
やがて、小さくて自然ゆたかな男の子の国ができあがりました。
男の子は満足して自分の国をながめました。
おしまいに、目にとまったひるがおの花を山のてっぺんにかざろうと手を伸ばしました。
「そういえば おばあさんが
このはなの おはなしを してくれたっけ」
――ひるがおの花は呪われた花じゃよ。
ひるがおの花を手折るとな、どんなよく晴れた日でも、雨になってしまうんじゃ。
ひるがおの涙が、雨を降らすとも言われておるよ。
男の子は、せっかく作った自分の国が雨で流れてはいけないので、ひるがおをかざるのはあきらめました。
「よくみたら こんなに よわそうに さいているんだもの
とってしまっては かわいそう」

魚のこどもは、困っていました。
あさせで遊んでいると、岩場にあるくぼみに迷いこんでしまったのです。
気付かない内にしおが引いて、くぼみはしおだまりになってしまいました。
夏のおひさまは水をかわかして、だんだんしおだまりを小さくしていきます。
「どうしよう うみに もどれない
このままだと ひあがっちゃうよ
たすけて おかあさん おかあさん」

こどもの泣き声を、呪われた花は聞きました。
 ひるがおは、こどもを助けてあげたいと思いました。
しかし、草であるこの体は、手を伸ばす事も出来ません。
「このからだが うらめしい
じゆうに うごかせる からだが あれば
たすけて あげられるのに」
ひるがおは悲しくなりました。そしてそっと顔を伏せました。
男の子は、そんなひるがおの様子を見ていました。
「ひるがおさん
どうして そんな かなしい かおを しているの」
男の子は、ひるがおに声をかけました。
ひるがおは、はっと顔をあげました。
「あぁ にんげんだわ
にんげんの こどもさん
あなたの てで あそこの かわいそうな さかなを
すくって あげてください」
ひるがおは、必死に男の子におねがいしました。
男の子も、そのねがいを聞き入れようと思いましたが、こう言いました。
「ひるがおさん ごめんなさい
だけど それはできないよ
ぼくのてで みずから だしたら
さかなは いきが つまって しんでしまうから」
 ひるがおは、また悲しそうな顔になりました。
いっしょうけんめい考えて、ふたたび男の子に話しかけました。
「にんげんのこどもさん
わたしの くびを おってください」
くるしそうに、そう言いました。
「わたしは のろわれた はなです
わたしを おると あめが ふります
あめが ふれば みずが あふれて
しおだまりと うみが つながります
そうしたら さかなは うみへ かえれます」
男の子はおどろきました。
「そんなことしたら あなたが しんでしまうよ」
ひるがおは、はかなげに笑いました。
「わたしは いいのです
わたしの いもうとたちが これから さくでしょう
のろわれた はなでも やくに たてるのなら
わたしは それでいいのです
さぁ はやくしないと しおだまりが
ひあがって しまいます
あなただって さかなを たすけて あげたいでしょう
はやく わたしを おってください」
男の子は必死にやめさせようとしましたが、ひるがおの決意はかたいようでした。
せっかく咲いた大事な自分を捨てて、ひるがおは魚を救おうとしているのです。
どんなに辛い決断だったでしょうか。
男の子は決心して、ひるがおの言うことを聞いてあげることにしました。

男の子の指が、そっとひるがおの首にかかります。
ひるがおは少しうなだれるようにして、指に首を預けました。
雨が降れば、男の子の国もくずれてしまいます。
でも、それより魚の命が大事です。
男の子はゆっくりと力を込めて、
ひるがおの根元をひきました。
 ぷつん。
小さな、ひめいのようなよろこびのような音を立てて、緑色のつるからひるがおの花がはなれました。
男の子の指は、少しふるえていました。
ぽたり。
ひるがおの花びらにあった朝つゆが、男の子の指をぬらしました。
ぽたり。
男の子のうでに、水のしずくが落ちました。海のようなしずくでした。
ぽたり、ぽたり。
砂浜にもしずくが落ちて、白い砂が黒くなりました。
ぽた、ぽた、ぽたぽたぽたぽた……
雨が、降り始めました――

 魚のこどもは、運良く降り出した雨のおかげで、しおだまりから出て海へもどる事ができました。
魚のこどもは、もう二度とあさせで遊ぼうとしませんでした。
いつしかこどもではなくなった魚は、たまにふと、不思議な気持ちになります。
ひょっとしたら自分は、何かとても大切にされているのではないか、と。
誰かが自分を、とても優しく支えてくれているのではないか、と。
ひょっとしたら、命すら捨てて自分を助けてくれているのではないか、と。
そう感じるたび、そうまでされたこの命を、大事にしなくてはならないと思うのでした。
見たこともない誰かに、感謝しながら。









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最終更新:2011年07月02日 23:09