こえをきくもの 第三章 4*師走ハツヒト

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 ラシークが、ぴくりと眉を動かした。
「お、おおおおいネトシルっ、どっからどう見ても女じゃないか! 今のは流石に失礼だと思うぞ!?」
 吃驚したエルガーツが反射的に反論した。確かに彼の言うように、顔立ちは清楚な女性そのもの、物腰もたおやかで、緑のワンピースは体の線が出にくい物であるとはいえ、それでも胸のふくらみや腰のくびれ程度の凹凸は見てとれる。エルガーツが言う通り、どこからどう見ても女性だった。
 ラシークはふっと微笑み、ネトシルの手を取った。いきなり何を、と思う一同の前で、ラシークは取った手を自らの胸に押し当てた。大胆にも、その手が沈み込む程に。
 三度目に空気が凍った。
「お分かり頂けまして?」
 本人だけが、何事もなかったように笑っていた。理解する一瞬の間の後、残る三人の顔色が朱に染まった。
「だ、だめぇ! お姉さま、なんていうかそんな大サービスだめですぅ~!!」
 照れのあまり訳が分からなくなったファルセットが、ラシークを守るかの如く正面から抱きつく。
 ネトシルは更に混乱した表情になって、手を凝視していた。
 エルガーツは義姉妹がひしと抱き合う光景から目を背け、自分の胸に手を当てて驚きなどの余り暴れる鼓動や荒くなった息に静まれと念じていた。
 ラーグノムの撤去が済み、往来に人が戻り始めたので、四人も突っ立っている訳にもいかず一時解散する事にした。
「そこの角を曲がった所の、キーツフィーブという店で、さっき倒したラーグノムを御馳走して下さるそうですよ。あなた達も是非にって。今日は熟成させるそうですから、宜しければ明日の昼にお出で下さいね」
「じゃ、また明日ね、お姉さま!」
 優雅に手を振りながら、ラシークは去って行った。

 それから三人は鉱物を扱う店を回り、今まで倒したラーグノムから得たイヴィラを売って当面の路銀を得た。イヴィラを買い集める者達がいるそうで、かなり高い値段で売る事が出来たのだが、店の者もその団体の名は知らなかった。しかし、その者達がラーグノムに関係しているのは間違いないだろう。
 一見ラーグノムとの戦闘で持ち直したネトシルの具合だが、また段々と悪くなってきた。この街に来て、ファルセットと会ってからあからさまに様子がおかしい。表情に乏しいこの女が、怒りなどで顔を赤くするのは時々見るが、青い顔をしているのを見るのはエルガーツにとって初めてだった。変には思うものの、ファルセットはネトシルにべったりでしかもずっと喋々喃々としゃべっているので、ネトシルに直接訊く事ができないのだった。
 「酔いどれ海精」に戻るとすぐ、ネトシルは「気分が……」と言って部屋に籠ってしまったので、結局原因は分からなかった。

 その晩は、エルガーツ一人が「酔いどれ海精」の店の方へ招かれた。店は決して大きくはないが。片隅には楽団が控えられる程の大きさの舞台が設えられていた。そこそこ有名な店らしく、日が沈み夜が更けるにつれ空いたテーブルはなくなった。客は概ね筋骨隆々に赤銅色の肌の船乗り達で、大きな杯で酒を呷っては豪快な笑声を上げていた。
 酒を注いでいるのは着飾った美人達で、皆一様にファルセットと同じ花形の付け黒子をつけていた。この店の者達は店名にちなんでネリエスと呼ばれている。ネリエスとは船乗り達に信じられている海の精霊であり、美しい姿で海を自由に泳ぎ回り、世にも素晴らしい声で歌うが、嫉妬深く、船に女が乗っていると転覆させてしまうという。
 ネリエス達は代わる代わる舞台に立ち、客からリクエストを募っては歌を歌った。後ろにはニロドナムという六弦の弦楽器をとナップリーツという金属の打楽器、オグノブという木の胴に皮を張った打楽器を携えた楽士達が伴奏をして、店中のネリエス達が合いの手やコーラスを歌う。賑やかな空間だった。
 盛り上がって来た時、店の奥からファルセットが現れて舞台へ上がった。店の薄暗い光の中でも目鼻立ちが分かるよう、昼に見た時より化粧は濃い。下ろしていた髪は結い上げて、うなじがさらけ出されている。裾に入ったスリットからちらちらと脚が覗き、二の腕は出ていながら袖はひらひらとした付け袖をつけていた。ドレスは虹色の光沢を放つ貝の小片が縫い付けられており、煌びやかな装いだ。ドレスからでも、他のネリエス達とは一段格が高いのが推し量れた。胸元には、昼にもつけていた革のリボンが結ばれていた。
 舞台の中央に立つと、周囲の客に投げキッスや来店の礼などを振りまいてから、舞台に近い席の客からリクエストをもらって歌い出した。
昼の甲高いとさえ思える声からは、想像もできないようなうねる低いハミング。それに合わせ、楽士達が前奏を奏で始める。オグノブが緩やかな拍子を取り、ニロドナムは甘やかな、それでいてどこか切ない調べをそれに乗せる。


   ねぇ貴方 この世に人は数多
   この彼方 波間にただよう涙
   波は寄せては返し
   人は来ては去るの
   海に果てなく 水の在る様に (ラ・ラ・リート)
   世に果てなく 人の在る中で (ラ・ラ・リート)
   唯一人の私を 貴方は拾い上げて
   只一粒の雫を 貴方の為に流すわ
   それは私の頬を濡らし 海へと落ちて
   海からの飛沫となって 貴方の頬を濡らすでしょう
   あの風に 歌が聞こえたら (待っているわ)
   この港へ きっと戻って来て (待っているわ)



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