こえをきくもの 第三章 3*師走ハツヒト


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 他の者には聞こえなかったが、ネトシルにだけは悲鳴以外の声が聞こえていた。
 道行く人々に小さな叫声を上げさせながら、通りを駆ける。より大きな悲鳴と怒号の源は、徐々に近づいていく。角を曲がり大きな通りに出ると、それが見えてきた。
 逃げ惑う人の合間から遠くに見えるもの、それは、暴れる獣たちだった。
 大通りの向こうから、傷だらけの焦土色の体を躍らせながら、蹄を鳴らせて猛進してくる。背にたてがみが走っており、それは尾まで流れていたが、巨体と首の短さが他の印象を裏切って、得体の知れない獣としている。ラーグノムだ。
 ラーグノムはその性質故、群れる事はしない。しかし、お互いぶつかり合いながら暴走する事は稀にある。街の外で団子になり、そのままの勢いで街になだれ込んだのだろう。街の入り口の衛士達なども、この一軍に跳ね飛ばされたに違いない。
 遅れてエルガーツも到着する。その後ろには細い足と走りにくい靴で懸命に追いついて来たファルセットが見える。
「多ッ!!」
 ざっと五匹はいるだろうか。余りの数に反射的に声を上げたエルガーツだったが、ネトシルが突然駆け出した事には納得できた。
 進んで人を襲うつもりはなさそうな手負いとはいえ、錯乱状態なのでこのままでは街の人間に被害が出るのは間違いない。
 ネトシルとエルガーツは目を見合わせ微かに頷くと、ラーグノム達に向かって疾駆した。
 二人の背に「やっちまえ!」「頼んだぞ!」と野次馬達の声援が飛ぶ。
 その人々の間に、たおやかな手がすっと伸ばされた。
「失礼します。少々、道を開けて下さいな」

 一撃で倒すのは無理だと悟り、ネトシルはまず先頭の一頭の脚をナイフで切りつける。たまらず膝を屈して崩れ落ちる一頭と、それに巻き込まれ同じく地に倒れた一頭が、まず一群がら外れる。
 次に切り込んだエルガーツは、ラーグノム自身の勢いを使い、すれ違いざまに脚の付け根に剣を突き立てた。そのまま腹と後肢の腿までを大きく裂き、続いて迫る二頭目の頭を力任せにぶっ叩く。
 傷を受けた一頭は派手に血を噴きながら地面に転がり、叩かれた方は衝撃で昏倒する。
 刃を振るう二人の上に、影が落ちる。見上げる二人の視界を覆ったのは、今手にかけたのと同じ巨体だった。
 転がる四頭を飛び越えて、残る一頭が現れたのだ。
「しまった!」
 二人の声が重なる。やはり二人では捌ききれなかった。得物を握り直すも、もう既にそれぞれの間合いから外れている。
 暴走しているラーグノムが、蜘蛛の子を散らすように逃げ出す野次馬の背に突っ込んでいく。
 馬にせよ牛にせよ、本気で蹴れば人間に大怪我をさせる事など容易い。あたり所が悪ければ、死に至る事すら有り得る。
 ラーグノムの凶悪な蹄が人の背に届くその時、

「お止まりなさい」
 シャリィィン――

 場違いな程澄んだ二つの音が、修羅場に響き渡った。玻璃を鳴らすような声と、さんざめくような金属音。その二つは不思議に調和し、喧騒と静謐をすり替えた。誰もが時が止まったように感じた。
 その視界で動く物があった。それは地鳴りと共にドザッという音を立て、空から地に引き寄せられた。
 今まさに人の塊へ飛びこまんとしていたラーグノムである。蹄を掲げたまま、凍りついたようにその形を留めて横たわった。
「さぁ、今の内に」
 先程の声と音の主が、何が起こったのか分からずに茫然としていたネトシルとエルガーツに歩み寄り、そっと告げた。その声ではっとして二人は動き出し、訳が分からなかったがそれでも硬直したままのラーグノム達の命を絶っていった。

「助かった。ありがとう」
 ラーグノムの喉から、赤黒い鉱石であるイヴィラを抜きとった後、街の者にラーグノムの骸の処分を指示していたあの声の主に、ネトシルは礼を言った。
「いいえ、礼には及びませんわ。当然の事をしたまでですから」
 例の玻璃の声でそう返したのは、栄えた街のワイティックでさえも、中々見る事が出来ないような麗しい女性だった。
 この国では珍しい夜色の髪は、水面に浮かぶ月のような光沢を宿し長く背に流れている。その髪は一つに括り上げられている事により、ほっそりとしたうなじの白さが際立っていた。象牙の肌はきめ細やかであり、鼻筋は通って切れ長でも細すぎない目元は涼やかだ。上品に持ち上げられた唇は春の花の花弁にも似て、慈愛を感じさせる優しい微笑みを形作っていた。ファルセットのような華やかな可憐さはないが、じっと見つめていたくなる魅力があった。
 纏っているのは、緑のワンピースと、その上にに刺繍で紋様が描かれた白い上衣を重ねたものだった。何かの儀式服らしく、仕立ても生地も目に見えて高級な物だった。
 何よりの特徴は、身の丈に届く程も長い杖だった。決して安くはないだろう細工が施されており、杖の頭にはそれぞれ大きさの違う金属の輪が七つ下がっていた。先程音を奏でたのはどうやらこの杖らしい。女性は髪を括っていた紐を解いて、杖の輪に結びつけて留めた。
「お姉さま~っ!!」
 今までどこにいたのか、人だかりからファルセットが跳ねるようにして現れ、女性に抱きついた。
『姉?』
ネトシルとエルガーツの疑問が唱和する。どう見ても、血の繋がりがあるようには見えない。
「もう、違うってば! この人はラシークさん、異国からこの街に来て、街の平和を守ってくれてるすっごく素敵なあたしのお義姉さまなの♥ おまけに見ての通りの美人だし~」
「あら、そういえば名乗っておりませんでしたね。これは失礼。わたしはラシーク・ハーミットと申します。以後お見知りおきを。ファルセットとは、戯れに姉よ妹とは呼んでおりますが……ファル、この方達はあなたのお知り合い? 紹介して下さるかしら」
「あ、ごめんなさいお姉さま。こっちがあたしの幼馴染のネトシルで、こっちがその旅の仲間のエルガーツね」
「こちらこそ、名乗りが遅れた。ネトシルだ」
「エルガーツです」
 それぞれ、今更ながら会釈を交わした。
「ファルセットが世話になっている……と言うべきなのか」
「いえ、可愛がっているだけで、特に世話だなんて。ファルはファルでしっかりしていますもの」
「うふ、お姉さまに誉められちゃったぁ♥」
 背の低いファルセットの頭を、女性としては背が少し高いラシークが撫でている。その様を、ラーグノムと戦っていた時には生気を取り戻していたネトシルが複雑な顔で見ていた。
「ところで、お姉さまと呼ばれているが」
 怪訝そうに眉をひそめ、ラシークに問う。
「……本当に女か?」
 二度目に空気が凍った。



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