少年のマッチ*替え玉

 冬になると、私はいつも落ち着かない。
 まるで少年のころのように、心がまとまりをなくす。何も手につかなくなる。
 憎しみも、興奮もすべてがごちゃ混ぜになる。憂鬱な季節だ。

 休日になると起きてすぐ子供は私の書斎に来る。幼稚園のときからで、高校生になっても変わらない。
 だが、今日の息子は平日の朝から書斎にいた。
「朝からいい身分だな」
 正直、話をする気分ではなかった。いろんなことが湧き上がってはきたくなるような日。しかし、こんな息子を見るのは初めてだった。まじめ、とは言いがたいが学校をサボるようなことは一度もなかったのに。
「だってやることないし」
 私の書庫の漫画を本棚に背を預けながら読んでいる。そこだけ見ればいつもどおりだ。
「勉強は?」
「昼から」
「そうか」
 椅子に腰かけようかと思ったが、止める。隣に、彼に倣った体勢で床に座る。
「ねえ。昔、休みの日はなに観てた」
 唐突に聴いてくる。
「父さんが子供のころはスーパーヒーロータイムがあってだな」
「子供向けだろ」
「裏切り、仲間割れ。なかなか見ごたえがあったんだ」
 息子はため息をつく。
「ほんと好きだったんだね。なんでブルーレイとか古いので残しとかなかったのさ」
「想像力が足りなかったんだよ」
「平和ボケ?」
「たぶんな」
 備え付けのテレビのスイッチをつけようとすると、息子が止める。
「観たくない」
「気がまぎれるんじゃないか?」
「面白くないよ。何にも」
 そう息子ははき捨てる。何だろう。放っておけない。
「何でだ?」
「うそ臭いんだよ。仲良しこよし仲良しこよし。明るい家庭、楽しい未来。露骨過ぎるよ。ひどいやつがいないわけがない」
 息子は語る。何かに取りつかれたのように。
「なんだかさ、どろどろしてるんだよ。みんな気持ち悪いんだ。常識で生きることが一番だって、それでしか人間は生きてちゃいけないって本気で思ってるんだ。そして、そんな人しか自分たちの周りにいないって思い込んでる」
「いつもきれいなことを考える人間がいるわけないんだ。すれ違うカップルを八つ裂きにしたい、こいつの弁当をトイレに流してやりたいとか、ふと考えちゃうのに。わからないふりだよ。」
「言葉に出す必要のないことだな」
 わかってるよ、それくらい、と息子はつぶやく。
「俺、あいつらがわからない。わかってるのかわからない振りをしてるのか。奥が見えない。俺と生き方も考え方も違う。気持ち悪いのが皮なのか、中なのか見当もつかない」
「たぶん、あいつら誰かが人を殺しても責めるだけだぜ。『人殺しはいけないことだって』何が引き金か、どんな状況にいたのか、そういった過程を飛ばして責めるだけなんだ。正しいとは思うよ。でも、それだけなんだ」
「何か、あったのか?」
 彼はこちらを向き、なんともいえない表情をした。
「……倫理の授業だよ。マッチ売りの少女」
「どういうことだ」
 はん、と息を吐き彼は嘲笑する。
「『こんな子が出ないように皆さんは努力しなければなりません!助けてあげられるようないい大人になりましょう!』なんて、言うわけだよ。するとね、女子の一人が手を上げてさ、恐る恐るだけどこう言ったんだ。『それって女の子を買うってことですか、先生』って」
 こんな時勢に勇気のある子だ。でも……。
「その子は?」
「教師連中に連れて行かれたよ。カウンセリング受けさせるんだって。笑っちゃうよな。そのやり取りわかってないやつがほとんどなんだぜ。なんでどうして、って具合にさ。
ははっ。――『思ってても口に出すなよ』って輩が一人もいないんだ」
 カウンセリングだ。彼らにとっては、カウンセリングだ。
 私はこぶしを握る。
「でも、俺なにもできなかったんだ」
 彼の声がかすれる。
「わかってたのは俺だけなのに、その考え方は正しいって味方できたのに。できなかった。しなかった。
それじゃあ変わらないんだよ。わからなかったあの馬鹿どもと。……悔しいんだ。あの子に味方できなかったよりも、それが悔しい。間違ってるけど、あの子の安全よりこの現実のほうがつらい」
 天を仰ぐ。まるで誰かの許しを請うように。
 ――納得した。落ち着かないわけだ。
 私がいる。
 顔の似ていない、あのときの私がいる。
 わかっていながら何もできなかった私が、私に救いを求めている。
 冬。
 年末のおもちゃ屋。楽しかったクリスマス。楽しかった正月。
 全てが終わった日。なくなってしまった日。
 終わりを理解できなかったあのとき。手遅れだった日。
 何の力にもなれなかったかもしれないけど、何かできたのではないか。
 どうして、何もしなかったのか。
 この子は、あのときに比べればまだ何とかできる。何かをやれる可能性が残っている。
「行きなさい」
「……え」
「後悔するだけか?」
 私は、息を吸う。あの、愚かで未熟できらきらしていた一瞬を思い出しながら。
「くだんねえアホどもなんぞ、ファックしちまえ!」
 息子はきょとんとして、それから今日初めて笑顔を見せた。

 冬は誰にとっても厳しく、雪は何もかもを覆い隠してしまう。過ぎない時はない。終わらない季節はない。
 春は、やってくる。



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最終更新:2012年07月18日 14:16