こえをきくもの 第二章 7*師走ハツヒト

「いやー楽しかったねぇ!」
 何も知らない旅人は顔を上気させてエルガーツの背中をばんばん叩いた。
「そっちの彼女も最後立ち上がっちゃって、意外と熱くなるカンジの人だったんだねぇ!」
 とかなんとか言い出したのでネトシルはしどろもどろに「ま、まぁな」とか言って誤魔化した。
「サーカスはまた移動するけど、今夜くらいはここに泊まるかな? 夜中にこっそり見に行っちゃおうかなぁ」
 ぼそりと呟いた旅人の言葉にネトシルとエルガーツはぴくりと反応した。
 それだ。

 ネトシルとエルガーツ、それに興奮醒めやらぬ様子の旅人は、宿に戻った。
 旅人はネトシルに「今夜僕の部屋に来ない?」などとそのものずばり過ぎる誘いをかけていたが、最早返事もされなかった。
 それでも旅人にめげた様子はない。
 サーカスの為に客が多く、ネトシルとエルガーツが男女の組にも関わらず相部屋にされたのは逆に好都合だった。お互いの部屋を行き来すれば音が立つからだ。
 宿の一室で、二人は声を潜めるようにして相談を交わす。
「……最優先は」
「動物達を逃がす。それと、少しだけ」
「やり過ぎるなよ」
「わかってる」
「まぁ……信じとくよ」
「ありがとう」
 ふ、とどちらともなく息をつく。小さく。
「問題は動物達が団員の所に行かない事だな。それに団員に気付かれないようにするのが厄介だ」
 エルガーツが腕を組んで眉を寄せた。
「それについては簡単だ」
 対照的にネトシルはさらりと答えた。
「私に考えがある」
 そして口角を上げる。仄かに底意地の悪い、獰猛な笑みだった。

 夜が更けてゆく。サーカスの興奮も、それにつれ鎮まってゆく。
 ひとときの夢のような祭が終わりを告げた後は、誰もが寝床で続きを見るのだろう。晩くまで今夜の事を語り合っていた者達も眠りに就いた頃、ネトシルは仮眠から目覚めた。
 目を開けると、手燭の明かりの中に、エルガーツの顔が浮かび上がっていた。手燭の眩しさに二、三度まばたきをしてから目で問いかけると、頷いた。仮眠している間に準備は出来たらしい。
 先にエルガーツに仮眠を取らせ、夜目の利くネトシルが野に入り材料を手に入れる。次にエルガーツが起きて代わりにネトシルが休み、エルガーツが仕掛けを作る。部屋の隅に置かれたその仕掛けを、音の立たないようにそっと抱え、二人は部屋を出た。
 獣達を、鞭の虐待から救う為に。二人は、夜闇の隙間を駆ける。

 誰も起こさぬよう細心の注意を払って宿を抜け出す。鍵が掛かっているが内側からなのですぐに外れた。
 国が乱れる以前は、家の戸を閉ざす習慣などなかった。
 良き時代の思い出が、エルガーツの胸に爪を立てて過ぎった。振り払うように、先を行くネトシルを追う速度を上げる。
 錠の落ちた家々、頭上の星々が後ろに流れていく。
 ネトシルは猫が歩く程の足音しか立たないのに、こんな時ですら足が速かった。あっという間に村外れのサーカス小屋へたどり着いた。
 エルガーツは物陰に隠れ、自分が持ってきた分の仕掛けをネトシルに渡した。受け取ったネトシルはサーカス団員の寝息の立つテントに息も足音も潜めて近付き、その仕掛けをテントの傍に置いて回る。
 仕掛けは、少し見ただけでは枯れた細長い草を一掴み、集めて束ねただけの物に見えた。草の束の内側には、別種であるがやはり草が入っているのが合間から見える。こちらはまだ青い。
 最後にネトシルは手燭を傾け、その仕掛けに火を放った。細長い草に一気に火が広がる。
 全ての仕掛けに火を移し、素早くネトシルが物陰に隠れると、それを見届けたように、
 ぴぃっ、ぴぃぃぃぃっ!
 仕掛けが甲高い音を立てた。
「な、なんだぁ……?」
 ぴぃぴぃと夜空を突裂く音を聞き、団員達が起き出した。
 そして火に気づき、慌てふためいて他の団員達を起こす。
「お、おいっお前ら起きろ!」「何事だ!?」「何なのこの音……?」「きゃあああ! 火事よ!!」「誰か水、水持って来いっ!」
 原因不明の火と音に、団員達の眠っていたテントは大混乱の坩堝と化した。
「あったぞ、これだ!」
 苛立ちを積もらせ、最優先の消火より気を散らす笛音をひとまず消そうと原因を探していた団員は、すぐに燃え盛る炎の中から仕掛けを見つけ出した。
 何の事はない、どうやら草の塊のようだ。
「へっ、驚かせやがって。ただのゴミクズじゃねぇか」
 突き壊せば音も消えるだろう。そう思い、団員は適当な棒を拾って来た。睨み据えられ、怯えるように段々か細くなりつつもぴぃぴぃと鳴き続けるそれに、怒りと僅かな嗜虐心を込めて棒を突き刺す。
 先端が触れるその瞬間、
 ぱぁんっ!!
「ぉあぁっ!?」
 仕掛けが爆ぜた。



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最終更新:2012年01月23日 13:16