『すき焼き』 1*夕暮れ

 さほど親しくもない人から、自分の行いを非難されたり、欠点を指摘されたりすることは、甚だ不愉快なことである。自分に何らかの非がある場合に、他人から注意されることは仕方のないことだが、自分に注意を促した相手が、「悪い所を直してやった」というようなしたり顔をしているのを見ると、いくら自分に非があっても相手に対して嫌な気を抱いてしまい、「こんな奴の言うことなど聞いてやるものか」という気持ちになってしまう。
 しかし、それが近しい者、例えば親兄弟や友人であれば、お互いに相手の性質をある程度理解しているため、多少言い方が悪かったとしても、相手の言わんとしている事を理解しようと歩み寄る気にもなり、かえって相手の指摘を受け入れ、正そうと言う気持ちになるものである。
 すなわち、人に注意を促す際には、互いの人間関係の距離によって言葉を使い分け、相手を納得させられるよう努力すべきである。直截的な 物言いは、しばしば関係に摩擦を引き起こすが、親しい間柄においては、お互いに持っている、相手に対する理解が相手の言葉を受け止める緩衝材となってくれるのである。
 以上の事柄の実例を、最近見かけた。

 鍋物屋の座敷である。座敷と言っても、何畳もある広い部屋に、仕切りがいくつか置いてあって、そこに大きな机が六つほど置いてある部屋である。私たちはその部屋の隅の机で、友人同士五人ほどで鍋を囲んでいた。そして、私たちの机のその右側の机からは、家族であろうか、低い声が一つに、高い声が二つ、合わせて三人の声が聞こえた。父親らしい低い声が言うことには、
「いいか、すき焼きはまず砂糖と醤油で肉を焼くんだ。肉を焼く前に野菜を入れる奴があるが、あれは全く食べ方を知らない奴のすることだ」
 それに答えて、はじけるような明るい、高い声が、
「じゃあ、お父さん、肉が焼けたら、あたしの方にちょうだい。あたしがどんどん食べるから、お父さんは次々焼いて下さいな」
 と言うと、また低い声が言った。
「馬鹿なことを言うな。肉が食いたければ、自分の分は自分で焼かなきゃあ」
「あら、でもあたしはお父さんみたいに焼くのが上手じゃないし、牛だって、上手な人に焼いてもらった方がうれしいんじゃないかしら」
 すると父親は、
「まったく、お前は人を乗せるのが上手いなあ。そんなことを言われちゃあ、俺も一生懸命しなきゃならない」
 と、まんざらでもないように言った。すると今度は、落ち着いた調子の高い声と、さっきの明るい声が続けざまに聞こえた。
「ちょっと二人とも、肉ばっかり食べちゃいけませんよ。ちゃんと野菜も食べなきゃ、身体に悪いわ。ほら、春菊と白菜と、あと豆腐も入れてしまいましょう」
「ちょっとお母さん、自分のお箸を鍋の中に突っ込まないでよ。いつも言ってるでしょ」
 その声を打ち消すように、慌てた様子で父親が、
「おい、そんなに早く春菊を入れたら、他の野菜が出来上がる前に、火が通っちまうじゃないか。野菜はまず、じゃがいもと白菜の芯から入れるんだ」
「そんなことを言ったって、どうせ後で鍋の中で一緒になるんですもの。今入れたって変わらないでしょう」
「何を言っているんだ。火の通り過ぎた野菜なんて、パサパサして何の値打もないじゃないか」
「そんなことはないわよ、その分早くさらってしまえばいいのよ」
「そんなことをしたら、肉の味も何も野菜に染み込まないだろう」
「あら、私は野菜を食べるときは野菜の味だけで結構よ。肉の味は肉を食べればいいんですもの」
 ああ言えばこう言う、子供っぽい言い争いである。私は鍋の煮えているのも忘れて、仕切りの向こうの声に聞き耳を立てていた。するとさっきの娘らしい勢いの良い声が聞こえた。
「二人とも、止めてよ。周りに人がいるのに、みっともない」
 そう言われると、流石に恥じらいを覚えたのか、二人とも黙りこんでしまったようである。しばらく声が聞こえなくなった。さらに続けて、娘の声が聞こえた。
「大体、お父さんは自分のやり方を人に押し付けようとするし、お母さんは頑なに人の考えを受け入れようとしないし、これじゃ衝突しないわけがないじゃない」
 すると今度は、
「いや、俺は間違ったことは言っていないぞ。長く連れ添った夫婦は、お互いのことを深く理解しているはずだ。なのに母さんは、未だに俺のことを分かろうとしない。いつも俺の言うことには異を唱えるんだ」
 と、むっつりした低い声が答えた。



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最終更新:2012年01月23日 12:01