こえをきくもの 5*師走ハツヒト

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 彼女によると、動物の声が聞こえるというのは、完全に解るという意味ではないらしい。  人間は言葉を話そうとする時、ある程度自分の考えをまとめ、削ったり付け加えたりする。もしくは、嘘にまったく作り替える。  そして口に出すとき、その思いを誰かにあるいは自分に伝えようと強く意識する。  彼女は、それと同じように、動物が誰かに伝えたいと思う強い意識を感じ取る事が出来る。  実際、動物は人間より空気や雰囲気を発したり感じたりする力が強い。  それを通じて、動物同士は異なる種類でもある程度の意志疎通が出来る。  しかし、人間はそれを使う力が弱い。  人間だけは、他の動物と違う。  それは今迄人間が作り上げて来た高い塀だ。人間はその中の城で、土臭い動物達と別格に暮らして来た。  それは同時に深い溝でもある。  どんなに動物達と交わろうとしても、もはや決して叶わない程、既に人間達は隔たれてしまったのだ。  ネトシルは声は聞くだけで相手に伝えられはしない。だが、は発せられるし感じられる。  彼女は、溝の中の存在だ。 「異端なんだよ、私はね。どちらの仲間にも入れない。 そしてラーグノムも。彼らは、人によってあの姿にされたら、混ぜられてしまったら、もうどちらの群れにも戻れない。ただ、恨みを吐き出し、悲しみを訴えるだけだ」  そう言ってネトシルは笑った。自嘲の笑み。 「だから私はラーグノムを助けたいんだよ。同じ物だから。私にしか出来ないから」  言い終わった彼女からもう自嘲は消えて、瞳は決然としていた。 「分かった。そういう事なら、ラーグノムを救うの、オレにもやらせてくれ」  ネトシルがこちらを向いて、もう一度、心から微笑んだ。 「さて、ラーグノムを救う具体的な方法なのだが」  そう言って立ち上がりかけた瞬間、遠くから羊の絶叫が響き渡った。  何者かに襲われたようだとエルガーツが把握する前に、ネトシルは弾かれたように駆け出していた。  殆ど反射なのだろう、彼女にとって動物は近い物であり過ぎるのだから。  エルガーツもすぐ後に走り出したが、ネトシルは速かった。  それは肉食獣の迅捷さ。狩るという意志。迷いのなさ。そして獣の、仲間を守る強さ。  見えた。羊の一頭に奇妙な動物が噛み付いている。  牧羊犬より少し小さい程の大きさながら、尾は細く長い。脚の頑丈さは犬のそれで鼻面も長いが耳は立ち、凶暴に爛々と光る眼は縦に割れていた。  それでも羊とは明らかに大きさが違い過ぎる。無謀としか思えない攻撃だった。  ラーグノムだ。  喰らい付いて離さず、羊は絶叫を上げ続けている。近くにいた牧童も相手がラーグノムと知り、恐ろしくて近づけないでいる。逃げ惑う他の羊達は少し離れて分厚い輪を作り、噛まれている一匹を 取り囲む形になっていた。その羊達はかき分けるのには少し多すぎる。ラーグノムに近づく術をエルガーツは見出せなかった。  傷は深く、赤い肉の中に白い骨が見える。掻き分けていく間にラーグノムに脚をもがれるだろう。  羊の群れの縁まで駆け付けたネトシルは、大きめの羊の一匹に手をかけると、跳んだ。  羊に手を付きそれを支えにし、走る勢いを殺さず体を持ち上げ、逆立ちになった状 態から全身の発条を生かした高い跳躍で一息に群れを飛び越した。  赤い髪が残像を引いて軌跡を追う。  空中で一度体を丸め回転し、その間に片方の鞘からナイフを抜く。逆手に構えたナイフが陽光に煌めいた。  そしてその勢いのままナイフをラーグノムの首に走らせる!  体重、落下速度、回転力、全てを乗せて斬り下ろす!  ラーグノムの首から血が吹き出るのとネトシルの着地は同時だった。  少し遅れてラーグノムが倒れ伏す。  集まった牧童達から歓声が上がった。  ネトシルはボロ布を取り出しナイフの血を拭いながら、まだ彼女がラーグノムを一瞬で屠った事に呆然としている牧童達に、負傷した羊を運び手当するように言った。  残りの羊も逃げ去り、さっきまでの混乱はなかったように、ラーグノムの亡骸とネトシル、それとエルガーツが残された。 既に人々も動物もラーグノムの災害に慣れ切っている。 「これが、『ラーグノムを救う』事だ」  ネトシルは血まみれの布を少し持ち上げた。凶々しい赤。奪った命の色。 「薄々気付いてたんだけど、やっぱりな」  エルガーツは頷いたが、ネトシルは目を見開いた。 「気付いて……? エルガーツ、お前も聞こえるのか?」 「いいや」  エルガーツは首を横に振った。 「オレには聞こえないけど、ラーグノム達の暴れ方はどう見たって捨て身過ぎる。それに、ネトシルに出会って確信したんだ。あのラーグノムを救うという言い方。多分こいつらさ、死にたがってるんじゃないかな」  そもそもラーグノムを救うという最初の言葉。  あれは選別の意味があったのだ。  救うという事に反応する善の意志があるか。  抽象的表現でも、話を聞いてくれるか。そして一番に、ラーグノムを殺すという言葉の残虐性を隠す為に。  手段は殺すでも、目的は救うなのだ。  一番最初にそれを心得ていなければ仲間は務まらない。 **[[戻る>http://www47.atwiki.jp/bungeibuanzu/pages/62.html]]   [[進む>]] .
 彼女によると、動物の声が聞こえるというのは、完全に解るという意味ではないらしい。  人間は言葉を話そうとする時、ある程度自分の考えをまとめ、削ったり付け加えたりする。もしくは、嘘にまったく作り替える。  そして口に出すとき、その思いを誰かにあるいは自分に伝えようと強く意識する。  彼女は、それと同じように、動物が誰かに伝えたいと思う強い意識を感じ取る事が出来る。  実際、動物は人間より空気や雰囲気を発したり感じたりする力が強い。  それを通じて、動物同士は異なる種類でもある程度の意志疎通が出来る。  しかし、人間はそれを使う力が弱い。  人間だけは、他の動物と違う。  それは今迄人間が作り上げて来た高い塀だ。人間はその中の城で、土臭い動物達と別格に暮らして来た。  それは同時に深い溝でもある。  どんなに動物達と交わろうとしても、もはや決して叶わない程、既に人間達は隔たれてしまったのだ。  ネトシルは声は聞くだけで相手に伝えられはしない。だが、は発せられるし感じられる。  彼女は、溝の中の存在だ。 「異端なんだよ、私はね。どちらの仲間にも入れない。 そしてラーグノムも。彼らは、人によってあの姿にされたら、混ぜられてしまったら、もうどちらの群れにも戻れない。ただ、恨みを吐き出し、悲しみを訴えるだけだ」  そう言ってネトシルは笑った。自嘲の笑み。 「だから私はラーグノムを助けたいんだよ。同じ物だから。私にしか出来ないから」  言い終わった彼女からもう自嘲は消えて、瞳は決然としていた。 「分かった。そういう事なら、ラーグノムを救うの、オレにもやらせてくれ」  ネトシルがこちらを向いて、もう一度、心から微笑んだ。 「さて、ラーグノムを救う具体的な方法なのだが」  そう言って立ち上がりかけた瞬間、遠くから羊の絶叫が響き渡った。  何者かに襲われたようだとエルガーツが把握する前に、ネトシルは弾かれたように駆け出していた。  殆ど反射なのだろう、彼女にとって動物は近い物であり過ぎるのだから。  エルガーツもすぐ後に走り出したが、ネトシルは速かった。  それは肉食獣の迅捷さ。狩るという意志。迷いのなさ。そして獣の、仲間を守る強さ。  見えた。羊の一頭に奇妙な動物が噛み付いている。  牧羊犬より少し小さい程の大きさながら、尾は細く長い。脚の頑丈さは犬のそれで鼻面も長いが耳は立ち、凶暴に爛々と光る眼は縦に割れていた。  それでも羊とは明らかに大きさが違い過ぎる。無謀としか思えない攻撃だった。  ラーグノムだ。  喰らい付いて離さず、羊は絶叫を上げ続けている。近くにいた牧童も相手がラーグノムと知り、恐ろしくて近づけないでいる。逃げ惑う他の羊達は少し離れて分厚い輪を作り、噛まれている一匹を 取り囲む形になっていた。その羊達はかき分けるのには少し多すぎる。ラーグノムに近づく術をエルガーツは見出せなかった。  傷は深く、赤い肉の中に白い骨が見える。掻き分けていく間にラーグノムに脚をもがれるだろう。  羊の群れの縁まで駆け付けたネトシルは、大きめの羊の一匹に手をかけると、跳んだ。  羊に手を付きそれを支えにし、走る勢いを殺さず体を持ち上げ、逆立ちになった状 態から全身の発条を生かした高い跳躍で一息に群れを飛び越した。  赤い髪が残像を引いて軌跡を追う。  空中で一度体を丸め回転し、その間に片方の鞘からナイフを抜く。逆手に構えたナイフが陽光に煌めいた。  そしてその勢いのままナイフをラーグノムの首に走らせる!  体重、落下速度、回転力、全てを乗せて斬り下ろす!  ラーグノムの首から血が吹き出るのとネトシルの着地は同時だった。  少し遅れてラーグノムが倒れ伏す。  集まった牧童達から歓声が上がった。  ネトシルはボロ布を取り出しナイフの血を拭いながら、まだ彼女がラーグノムを一瞬で屠った事に呆然としている牧童達に、負傷した羊を運び手当するように言った。  残りの羊も逃げ去り、さっきまでの混乱はなかったように、ラーグノムの亡骸とネトシル、それとエルガーツが残された。 既に人々も動物もラーグノムの災害に慣れ切っている。 「これが、『ラーグノムを救う』事だ」  ネトシルは血まみれの布を少し持ち上げた。凶々しい赤。奪った命の色。 「薄々気付いてたんだけど、やっぱりな」  エルガーツは頷いたが、ネトシルは目を見開いた。 「気付いて……? エルガーツ、お前も聞こえるのか?」 「いいや」  エルガーツは首を横に振った。 「オレには聞こえないけど、ラーグノム達の暴れ方はどう見たって捨て身過ぎる。それに、ネトシルに出会って確信したんだ。あのラーグノムを救うという言い方。多分こいつらさ、死にたがってるんじゃないかな」  そもそもラーグノムを救うという最初の言葉。  あれは選別の意味があったのだ。  救うという事に反応する善の意志があるか。  抽象的表現でも、話を聞いてくれるか。そして一番に、ラーグノムを殺すという言葉の残虐性を隠す為に。  手段は殺すでも、目的は救うなのだ。  一番最初にそれを心得ていなければ仲間は務まらない。 **[[戻る>http://www47.atwiki.jp/bungeibuanzu/pages/62.html]]   [[進む>http://www47.atwiki.jp/bungeibuanzu/pages/64.html]] .

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