渡邊智里

(2011.7.5)
高福祉高負担言う言葉を聞いて皆さんは何を思いますか?私は、税金は多く取られても、その分医療、福祉などに関してはほとんど無料と言う良いイメージがあります。実際に調べてみると高福祉高負担の国は、幸せな国ランキングの上位を占めていました。しかしメリットだけで、デメリットなところはないのか?と疑問に思い調べることにしました。調べた結果、例えば少し前から世界で問題になっている少子化問題です。この高福祉高負担になることで少子化現象につながっていくことがわかりました。実際に一番税金が高い国のスウェーデンの15歳以下の人口を調べたところ192国中、157位でした。(WHO.2011)これからどんどん高齢化が進む中で、子供が減っていくと日本はどうなってしまうのだろう?と思いました。いくら高福祉高負担でいい国が作られていってもこのような問題が起きては意味がないとおもいます。少子化問題を解決しようとするとそこから矛盾が生まれてきます。このようなことから、私は高福祉高負担に反対です。
ここからは高福祉高負担によって実際に起きている少子化問題について何個か例を挙げていきます。(キャッシュから)
① まず最初に、高福祉高負担になると少子化が必然的に起きてしまいます。
皆が、高額の保険と税金で支えてくれます。老後はほぼ税金で暮らせます。
家族がいなくて収入がなくても高福祉が家族の代わりになってくれます。家族の代わりを福祉がやってくれれば家族は必要ありません。人間は老後、どうしても自分一人では生活できないのです。誰かの助けなくして暮らせなくなります。だから家族をしっかり経営して後を託せるよう努力が要るのです。これは命が掛かっているから非常に真剣なものなのです。子供ができない夫婦は親戚などからもらってまでも育てるほどの努力を要するものです。しかし、高福祉国家では老後の生活を『みんなが連帯して』支えてくれるので家族も子供も必要ないのです。子育て責任を回避する、また後継者育成責任を果たしていません。こうして福祉国家はどこも少子化になっています。福祉という制度から少子化は必然的に起きると言うことができます。

② 二つ目に、少子化は福祉制度がある限り止りません
このように高福祉国家では、国の制度で家族より完璧に老後の保障ができるのです。そんな制度がありながら、いろんな子育て支援をしても子供は増えません。これはすでにヨーロッパ諸国が大規模社会実験をして証明されています。スウェーデンでは7万6千円もの金を母子手当てとして出していますが、少子化は解消しませんでした。労働時間短縮、育児休暇の充実、保育所の整備など当然やっています。しかし、家族より頼りになる国の制度があれば、あとは子育ての目的は楽しみだけになります。楽しみなら子育てだけではありません。スキー、旅行、など人それぞれ楽しみは多いのです。これらの楽しみを子育ては阻害すると言う側面もあります。また子育てには、手間暇、大金がかかり、結局子育ては敬遠されるのです。
このように、ヨーロッパ諸国はすでに大規模社会実験をやりました。福祉による老後の保障制度がある限り少子化は解消しないと言う命題はすでに実証されています。少子化は福祉制度がある限り止らないのです。

③ 最後に少子化では高福祉は維持できなくなっていきます。
北欧諸国も、最初から高福祉高負担ではなく高福祉低負担で始まり、高福祉中負担になり、高福祉高負担になっているのです。消費税だって最初から25%だったわけではありません。3%から始めていき25%の限度まで上がっていったのです。高福祉を維持するためにはお金が要ります。北欧諸国など今や何もかも止めて福祉につぎ込んでいます。負担の限界まで上がっています。
これは、少子化で支える人が減るのです。支える人が減れば、毎年同じ額の保険料と税金は用意できません。お金がなく予算が足りなくなると言うことは、同じ福祉水準を維持するだけで赤字になります。赤字を埋めるため一人当たりの負担を上げたいのですが限界で上げることはできません。保険料も税金も限界まで上がって、必要なお金がどこにもないというのが現実です。負担が限界まで上がって困っているのです。高福祉高負担とは福祉の行き詰まりの姿になってしまったのです。

☆高福祉高負担によって少子化になっていく。これを防ぐには、保証水準の切り下げしかないと考えられています。しかしそこから矛盾も生まれてくる。
高福祉高負担を高負担のままで中福祉にせざるを得なくなっていくと言うことです。
そのうち、低福祉になり、ついには高負担のまま、福祉で生活が出来なくなってしまいます。実際スウェーデンでは年金制度を改革しました。負担は限度のままで凍結し、少子化で赤字になったら年金の金額を自動的に下げると言う制度です。年金の金額が下がるのです。高福祉制度をやめ中福祉にせざるを得ないと言うことになります。もちろん年金の額はまだまだ下がっていきます。少子化が止まらないかぎり保障は下がり続けていきます。
しかしこのようなことが起こると矛盾につながり保障では暮らせない人が続出になり保障が下がると福祉では老後が暮らせなくなる人が続出する事態になります。もう税金も保険も限界で注ぎ込めません。暮らせなくなりどうなるの?と言う事になっていきます。
福祉に頼れず、資産か家族と言うことになると、徐々に子供や家族に頼る人が多くなって行きます。もちろん最初の内は資金をためようと必死になるかもしれません。
しかし、民間保険や資金は物価スライドがなく、たとえば今の20万円が20年30年同じ価値を維持できるはずありません。したがって、資金に頼るのは不安な人が多くなって行きます。

高福祉高負担と聞くととっても充実した国と言うイメージが強かったが、少子化問題がうまれて、少子化問題を解決しようとすると色々な矛盾点が生まれてきます。こんなことになる前に、低負担にして少子化問題がなくなったらまた、高負担に戻せばいいと大体の人このような考えだと思います。しかしそんな簡単に高福祉から低福祉に変更できないことが少子化を解決する前の問題だと思いました。




(2011.6.28)






皆さんは高福祉高負担をどう思いますか?
まず(高福祉高負担はどういうことか)
社会保障の規模を示す考え方。国のかたちを示すものとして使われる。「高福祉高負担か低福祉低負担か」というテーマは、戦後の欧米先進国の2大政党の基本的対立軸となり、国の選択肢として提案されてきた。日本においても、首相の諮問機関である臨時行政改革推進審議会(新行革審)が1990年に「高福祉高負担型ではなく、公私の分担・協力を基礎とした活力ある福祉社会をめざす」と答申。そのために、高齢化のピーク時でも国民負担率が50%を下回る簡素で効率的な政府とすることを求めたように、国民負担率に絡めて論じられることが多い。また、同じように国のかたちを示す考えに「大きな政府/小さな政府」がある。大きな政府論は社会的な公正のために政府の役割を重視し、所得の再分配や雇用機会の創出、産業規制などを求める。社会保障は高福祉高負担の立場で、欧州の社会民主主義政党が掲げてきた。小さな政府は、政府の市場介入は有害との立場で、競争原理による経済的自由主義、自立と自助を説く。大きな政府を非効率と批判し、規制緩和や減税を掲げる。レーガン元米大統領やサッチャー元英首相が代表とされ、自民党は2005年の総選挙での政権公約(マニフェスト)で「小さな政府をめざす」とした。
高福祉高負担の現実
☆少子化が必然的に起きる。
みんなが、高額の保険と税金で支えてくれます。老後はほぼ完璧です。
路頭に迷う恐れなどありません。高福祉が家族の代わりですね。家族の代わりを福祉がやってくれれば家族は要りません。人間は老後、どうしても自分一人では生活できないのです。例外なく誰かの助けなくして暮らせなくなります。だから家族をしっかり経営して
後を託せるよう努力が要るのです。これは命が掛かっているから非常に真剣なものなのです。子供ができない夫婦は親戚などからもらってまでも育てるほどの努力を要するものです。しかし、高福祉国家では老後の生活を『みんなが連帯して』支えてくれるから家族も子供も必要ないわけです。子育て責任を回避するし、後継者育成責任を果たしていません。こうして福祉国家はどこも少子化になっています。福祉という制度から少子化は必然的に起きると言うことができます。

☆少子化は福祉制度がある限り止らない。
このように高福祉国家では、国の制度で家族より完璧に老後の保障ができるのです。そんな制度がありながら、いろんな子育て支援をしても子供は増えません。これはすでにヨーロッパ諸国が大規模社会実験をして証明されていますね。スエーデンでは7万6千円もの金を母子手当てとして出しています(5子合計)が、少子化は解消しませんでした。労働時間短縮、育児休暇の充実、保育所の整備など当然やっています。しかし、家族より頼りになる国の制度があれば、あとは子育ての目的は楽しみだけになりますね。楽しみなら子育てだけではありません。スキー、旅行、観劇など人それぞれ楽しみは多い。これらの楽しみを子育ては阻害すると言う側面もあります。また子育てには、手間暇、気苦労、大金がかかり、結局子育ては敬遠されるのです。
このように、ヨーロッパ諸国はすでに大規模社会実験をやりました。福祉による老後の保障制度がある限り少子化は解消しないと言う命題はすでに実証されています。少子化は福祉制度がある限り止らないのです。



《☆少子化では高福祉は維持できない。》
☆最初は低負担から始まった。
北欧諸国だって、最初から高福祉高負担だったわけではないのです。高福祉低負担で始め、高福祉中負担になり、いまや高福祉高負担になっているのです。消費税だって最初から25%だったわけではありません。3%から始めついに25%の限度まで上がっているのです。
高福祉を維持するためにはお金が要ります。北欧諸国など今や何もかも止めて福祉につぎ込んでいます。負担の限界まで上がっています。ついに負担の限界まで上がってしまっているというのが高福祉高負担国家です。高福祉高負担とは福祉の行き詰まりの姿に他なりません。

☆負担は限界まで上がって困っている。
北欧諸国では女性も正社員で総動員です。外国人も地方参政権まで付与して入れています。
しかしいまや、もう負担は限界というところまで上がってしまっています。少子化で支える人が減るのです。支える人が減れば、毎年同じ額の保険料と税金は用意できません。
金がなく予算が足りません。と言うことは、同じ福祉水準を維持するだけで赤字になります。赤字を埋めるため一人当たりの負担を上げたいがもう限界で上げることはできません。
保険料も税金も限界まで上がって、必要な金がどこにもないというのが現実。負担が限界まで上がって困っているのです。


☆保証水準の切り下げしかない。

しぶしぶ、高福祉高負担を高負担のままで中福祉にせざるを得なくなっているわけです。
そのうち、低福祉になり、しまいには高負担のまま、福祉で生活が出来なくなるわけですね。

実際スエーデンでは年金制度を改革しました。
負担は限度のままで凍結し、少子化で赤字になったら年金の金額を自動的に下げると言う制度です。

年金の金額が下がるのです。
高福祉制度をやめ中福祉にせざるを得ないわけです。もちろん年金の額はまだまだ下がっていきますね。(年金を切り下げしやすくしただけで、改革にはなっていませんね。年金で『大丈夫暮らせる』ということになったわけでは全然ありません。

☆少子化が止まるまで保障は下がりますね。
さて、年金はどこまで下がるか?こんなことぐらい誰にでもわかります。少子化がいつまるかですよ。少子化が止まらないかぎり保障は下がり続けます。

☆保障では暮らせない人続出になる。
保障が下がると福祉では老後が暮らせなくなる人が続出する事態に陥りますね。もう税金も保険も限界で注ぎ込めません。暮らせないのですからどうするのって事になるわけです。

☆税金と保険で暮らせなきゃ自腹になる。
みんなが払ってくれる税金や保険で暮らせなきゃ自分で努力するしかありません。
自分で老後の保障手段(資金(民間保険を含む)家族、子供。)を調達することになります。
ボランティア施設入居も可ですが、福祉で生活できなければ資産か家族かと言うことになりますね。

☆子供の本来の老後の保障機能が見直され少子化は解消する。
福祉に頼れず、資産か家族と言うことになると、徐々に子供や家族に頼る人が多くなって行きますね。もちろん最初の内は資金をためようと必死になるかもしれません。
しかし、民間保険や資金は物価スライドがなく、たとえば今の20万円が20年30年同じ価値を維持できるはずありません。したがって、資金に頼るのは不安な人が多くなって行くのです。

☆少子化が止まった時点の保障なら維持できる。
少子化が止まったら支える人ができるわけですから、その時点の保証水準なら維持できます。つまり少子化が解消するまで保障は下がると言うことです。

☆国民に自助努力を求める制度こそ国が国民に奨励すべき制度。
つまり、福祉国家という『後継者育成責任を放棄』して『みんなや社会に頼る社会主義制度は成立する制度ではない』ということです。たとえば年金生活とは、自分の育てた子供には頼りませんが誰か他人が育てた子供の支払う保険料と税金で暮らすという事ですね。
きつい子育て責任を回避している無責任なライフスタイルです。
国民皆年金制度とはこんな無責任を国民すべてに奨励することにほかなりません。
また、後継者育成責任を果たさず社会に貢献した正しいライフスタイルではありません。
自分では子育て責任を果たさず他人の育てた子供に頼ると言う生活は道徳的にも間違っています。道徳的にも間違っているし、制度しても成立しません。高福祉国家は国が国民に奨励すべき正しい制度ではないのです。
苦しくても自前の子育てをして後継者育成責任をしっかり果たし、老後を託せ得るよう教育も必死で、老後委ねていく行き方こそ正しい生き方とわかるのです。後継者育成責任を果たし社会に貢献しています。このライフスタイルを国民の多くがとれば国全体として立派な後継者が育ち国は発展していくのです。脱福祉国家で国民に自助努力を求める制度こそ国が国民に奨励すべき正しい制度です。






(2011.6.21)
[グッドバイ.レーニン]あらすじ
昏睡状態にあった愛国者の母親は、壁の崩壊とドイツ統一の狭間の時間に目覚め、息子のアレックスは、母親の前に失われた世界を再現し嘘を言を続ける。嘘がばれそうになると、実はコカコーラは東ドイツの発明だったとか、西から資本主義に疲れた難民が押し寄せているといったニュースをでっち上げる。  しかし、アレックスが母親のためにしていることは、いつしかアレックス自身の純粋な喜びに変わっている。共産主義体制は終わったが、だからといって西側が勝利したわけではない。西側の“自由”はそれ以前にグローバリズムによって形骸化し、壁を壊したのも西や東の意味を奪い去る圧倒的な経済の力でしかなかった。だからアレックスは、虚構のシナリオ(映画の脚本)を発展させながら、歴史と現実を見つめなおし、修正していく。  この映画で印象的だったのは、アレックスと彼のかつてのヒーロー、東ドイツで唯一人の宇宙飛行士となったイェーンとの出会い。イェーメンは、壁の崩壊以後の世界でタクシーの運転手になっている。アレックスは、東ドイツ、というよりも彼が求める世界のなかで、いまだ揺るぎないヒーローであるイェーンに協力を仰ぎ、テレビのなかにもうひとつのドイツ統一という歴史を作り上げていった。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/euro/berlin.html
図書館で調べたかった4つの項目に当てはまる本が無かったので
とりあえず先生に勧められた映画を見て見ました。

(2011年6月15日)
小貫大輔です。『グッドバイ・レーニン』という映画をみてごらん。
...激動の80年代末のドイツを舞台に繰り広げられるコメディドラマ。心臓発作による昏睡状態にあったため、ベルリンの壁崩壊、東西ドイツ統一の事実を知らない社会主義者の母親。ショックを与えることが命取りになることから、息子は事実を隠そうとする…。

宿題
前回までベルリンの壁が出きるまでの事を調べようと思ってたんですけど
ベルリンの壁破壊後のほうを調べることにしました。
☆図書館で調べたいこと
①シンボルだった壁はなぜ崩れたか
②壁が壊れた後東西に分かれていた人たちは元の生活に戻れたか
③東西に分かれていた人々は壁が崩れてからどのように仲良くなったか
④壁が崩れてから今までまだ東西に分かれていた人の生活はまだ違うのか?


(20116月1日)
ゼミ発表
少し前国際関係史の授業でベルリンの壁のことをやっていて
なぜそこに壁を作らなくてわいけなくなったのか?
壁を作ることは重労働なのになぜこんなに長い壁を作ったのか?
もっと詳しく調べたくてベルリンの壁について調べることにしました。


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(宿題)
スペインについて!!
¡Hola!(オラ)⇒こんにちわ

授業でスペイン語をとっていてスペインのことを
もっと知りたくて調べる事にしました。




渡邊 智里
高校わ
付属望洋!!


千葉県の木更津出身

神奈川で一人暮らし満喫中(笑)


my hobby…

DVD鑑賞

お買いもの

旅行

輸入雑貨

スポーツ(soft ball)


よろしくね^^♡ 

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最終更新:2011年07月06日 10:19
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