被災地からの報告まとめ02

同朋N メールニュース 4月23日版より転載

■被災地レポート

 4月20~22日に東京教区17名は岩手:陸前高田、宮城:亘理町を訪問した。
21日はお寺のあとかたずけ、子どもたちとの遊び、保育所に物資搬入。夕方には避難所のお寺で100人前のおでん・やきとり・おしるこの炊き出しを実施した。
 翌22日は亘理ボランティアセンターにて300人前の中華丼・バナナ春巻き等の炊き出しを行なう。被災地は寒く、温かく野菜たっぷりの食事を大変喜んでいただいた。
 行動はささやかだが、行動を通して多くの人に出会い、多くの声を聞き、多くのことを感じた。当たり前のことだが、人が生きている・・・。この厳しい現実の中を、あつい思いを懐いて、人が懸命に生きている。そんなことを痛感した3日間だった。コーディネートをして下さった復興センターの方々に心からの深謝。

 亘理町ボラセンに写真が掲載されています。
 http://msv3151.c-bosai.jp/index.php?module=blog&blk_id=10929&page=2


☆「微力がたくさん」東京教区A・Tさん(23日)
 ニュースやネットでどんな状況か知っているつもりでしたが、それは間違っていると思いました。車窓から一面の荒野が広がっていたのを見たのです。「無力感」と表現した人の言葉通りに感じました。だけど、無力だと感じても、絶望とは何か違いました。ボランティアセンターにいる大勢の方々に中華丼をお届して、「こんなに多くの方がここにいるのだ」と力強さを感じました。たった2食の炊き出しなど愕然とするほどの微力であることは解っています。ただ、微力がたくさん集まっているのを感じました。


☆「こつこつと長い支援を」東京教区H・Rさん(23日)
 たいへんショックを受けました。支援の継続を考えた場合、今回の活動の最大のネックが東京からの距離だと思いました。被災地が千葉県から北海道までの沿岸におよびます。東京からの人的支援を考えた場合、一日かけて岩手宮城に行く支援がどれだけ継続できるのか疑問に思いました。千葉・茨城・福島あたりまででしたら、移動に時間も労力もあまり取られず頻繁に通えるのではないでしょうか。
 東北地方への人的支援は、門徒さんを含めたボランティア登録や、長期滞在できるバックアップ体制が大切と思います。わたし個人の力は微々たるものですが、こつこつと長い支援が続けられればと思います。


☆「今、私たちが欲しいのは元気です」奥羽教区S・Tさん(21日)
 岩手県山田町へ向かう。途中集落で一人の女性に声をかける、「必要な物資はありませんか?」カイロや食品、下着などを届ける。なかでも喜ばれたのがビール!!奥さんが「ほんとにいいの?しばらく飲んでないから・・・」嬉しそうだ。隣の夫もニコニコしている。
 山田町の避難所へいく。一人の女性が「物資は皆さんのおかげで届くようになりました。ここは小さな避難所なので、タレントさんが来ることはないんです。今、私たちが欲しいのは元気です」。
 釜石の「ボランティアセンター」で炊き出しの申し込みをする。以下はその情報。
 1. 大規模避難所への申し込みが多く、小規模避難所は少ない。
 2. 昼食が多く、夕食が少ない。
 3. 贅沢は言ってられないが、メニューがほぼ同じ。
小規模避難所希望・夕食可・バーベキューという我が奥羽チームにぴったり。22日午後、避難所でバーベキューを行うこととした。


☆そしてバーベキューはどうなったのか…奥羽教区S・Tさん(23日)
 午後2時、会場となる「浪板交流促進センター」着。天気は小雨。午後3時30分いよいよ子供たちから開始。さすがに育ち盛り、始めは遠慮がちであったが、次から次へと肉や野菜、焼きそばがなくなる。「肉たりね~、焼きそばまだか、器はどこだー」。子供たちもスタッフも笑顔でいっぱいだ。4・5人の大人が暖をとりながらやはり笑顔で見ている。我慢できなくなったのか、一人の男性が箸を手に忍び寄る。「こら~、○○さん、まだ子供の時間だ~、ハッハッハッ」。やがて、そう言った大人たちも「ハイ、そろそろ子供の時間は終わりだよ、あと10分」。この間にもクーラーボックスのビールがどんどん減ってゆく。
 午後4時20分、大人の時間。雨のため座るところもままならないが、皆ビールを片手にうまそうに食べてくれる。「あぁ、まとまった量の肉や野菜を食べるのは地震以来だ、勿論ビールも」。髭面の男性が住宅関係の社長さんだったことがわかる。「ぜ~んぶいっちゃった」返す言葉がない。呆然としていると手をにぎられ「ありがとう、これからどうなるかわかんねけど、生きていくよ」と一言いいながら、焼酎をうまそうに飲み干した。
 午後5時過ぎ。仕事から戻った方も、食べたりなかった子供たちも入り混じってワイワイガヤガヤ。一方で支援物資の積み下ろし。
スタッフ 「不要な物があればもって帰ります。」
女性   「不要な物などありませ~ん。」
 午後5時30分過ぎ。避難所の方々が後片付けを始めてくれた。最後の一人まで温かいお肉をと思っていたが、私たちのことを考えてくださり6時頃には全て終了。今度は晴れた日にやりたい。この地区の仮設住宅入居開始予定は7月中旬だそうだ。
気づいたこと
1. 子供たちは別として、避難所の方々とそこに入っていない方々との間には、何かしらの壁ができてしまったようだ。
2. 支援物資は全体では行き届いているように思えるが、個々にはまだまだ。というより、お話していくと足りないものがいっぱいでてくる。この日はなんと清掃用に持っていったバケツが人気だった。
3. 僕、個人でこの場所に来るのは4回目。ようやく名前を覚えてもらったし「真宗大谷派奥羽教区」ということも今回覚えていただいたと思う。少しずつ、ゆっくりだけど長く寄り添うことが、被災者も僕たちも共に生きていくことなんだな、日本は一つなどと無理やり一つにするのではなく・・・。

同朋N メールニュース 4月20日版より転載

■被災地での活動日誌

☆仙台仏青メンバーからの声
「僕たちが思っているよりも、ずっと多くの支えられていることを感じます。即座に探して送って下さった方、投光器、ドラム、発電機を車に乗せて長距離をとどけに来て下さった方たち、本当に有難うございます。
 現在、「物資は十分にある」といわれることも多いと思いますが、実際は十分ではありません。必要としている人がいます。そして、おそらく長期に渡るでしょう。要望は本当に多岐に渡ってたくさんあります。それは贅沢なんじゃなくて、願っているのは「普段の生活」だからだと思います。決して物資が要らなくなったわけではないはずです。そのための聞きとりやお届けの手伝いをしてくれる人も求めています。
 活動費について。現在たくさんの支援をいただいている仏青活動費ですが、女性、乳児、お子さんたちを中心に、可能な範囲でお渡ししようと考えています。直接関われる僕らが、活動できる範囲だけど、届けたい。届けようと思います。
 BOP(お風呂企画)について。今週末23日(土)、24日(日)を予定しています。場所は未定。お手伝いいただける方はご連絡ください。この日以外にも来て下される日があればどんどん連絡をお願いします。来てくれる人たち、常に大歓迎です。現地復興支援センターにお問い合わせください。直接仙台仏青でも大丈夫です。」(以上)

 現地復興支援センター
  〒983-0803 
   宮城県仙台市宮城野区小田原1丁目2番16号
   [仙台教務所内]
   TEL:090-7345-5049
   FAX:022-297-2827[仙台教務所]
   E-mail:otaniha-f.s.center@watch.ocn.ne.jp



☆「現地復興支援センター」の動きより
「今日は午前中に本願寺から2トントラック一台分の物資が届き、その積みおろしをしました。毎日のように物資が届けられます。今回は、米とカップ麺がかなりあり、念珠も届けられていました。スタッフの皆さんは、昨日に引き続き、仙台仏青とともに炊き出しとBOPに出ています。この寺院は避難所にもなっているようです。
 少しずつですが、炊き出しが動きだしました。昨日のように、喜んでいただける姿に私自身も元気をいただきました。本願寺HPからの呼び掛けに、リアクションがあってほしいなと思います。私も寺の人間として、寺だからこそできる支援を模索できたらと思います。」(以上)



■避難所より

☆福島原発から避難中の大谷派僧侶K・Hさんより
「避難所ごとに二次避難が始まっていますが、これから一次避難をしようという市町村もあります。一昨日、飯館村の自宅へ帰った人達が避難所に戻ってきました。聞けば、二~三ヶ月をかけての全村避難との説明があったそうです。そんな悠長な話しでいいのか!?その間の水や食料は確保できるのか!?避難する場所は!?。震災直後、飯館村の人達にはとてもお世話になっているだけに気がかりでなりません。」(避難所通信12より)



■被災地訪問記

☆奥羽教区のYさんより
「奥羽からは6名で加勢に行って来ました。京都からも3名、お風呂持参で本当に頭の下がる思いでした。現地石巻市到着後お風呂と炊き出しの豚汁の準備を手分けして行いました。今回は京都の方が電動のポンプを持って来てくれたので、かなり楽にできました。が、やっぱりかなり疲れます。何に参ったかといえば、ホコリで目をやられたのと、風で仮設テントが飛ばされそうになったり・・・。チラシ配りの効果もあり、午後5時頃から急に皆さんドカっと来はじめ、約20名ほどの方が入浴されて行きました。皆さんが来るまでの待ち時間も長く、スタッフも疲労感が漂っていたので、皆さんが来た時はとても報われた気分でした。
 今週は、奥羽単独での行動をする予定で計画しています。20日に先発隊が行き、岩手県山田町・大槌町で現地と打ち合わせをした後、22日に本隊が行き、炊き出しまたは後片付けのボランティアをする予定です。

同朋N メールニュース 4月17日版より転載


■被災地訪問記

☆陸前高田市を訪問した東京教区:S・Hさん(埼玉組)
 自分の目の前に広がっている光景が現実であるということがすぐには実感できませんでした。想像することすらできないほどに全てが津波に流されてしまっていました。実際に行った作業は、寺院の仏具等の捜索活動となりました。どこを探していいのかも分からず、手探り状態でした。なんともいえない無力感を感じました。写真や手紙など見つけるうちに、被災された方々がここで生きていた証になる品々を探しだそうという気持ちが湧き起こってきました。 
 今自分にできることは、現地で感じた思いを多くの人に伝え、この震災を風化させないことではないかと感じています。自分の地域にいながらできることを考えたり、長いスパンで関われるような体制を作っていくことが必要ではないかと考えています。
 仙台教区の方々を中心に大谷派のボランティアネットワークが作られはじめています。自分の中から「とにかく動けー!」という声が込みあげ、何かせずにはいられません。



■ご遺体の火葬に立ち会って 東京教区:I・Kさん(東京一組)

 先日、都立瑞江火葬場にて震災犠牲者のご遺体500体の火葬が行われました。簡易祭壇が設けられ、宗教者による読経が可能となっていました。教区若手の12名で読経をしてきました。
 現地の祭壇の場所は、火葬場敷地内に入ってすぐのところ。火葬している建物には近づけず、ご遺体が火葬されている様子や、お骨が搬送されている様子はまったく見ることができませんでした。読経は時間制限のゆえ正信偈同朋奉讃を勤めました。外には、震災犠牲者の遺族と見られる方が20名ほど集まっていました。残されたご遺族の方はどんな気持ちなのでしょうか。被災地へは行くことは難しくとも、自らの場所で何ができるのか考えさせられるきっかけをいただきました。
 今後、千葉県佐倉市や山梨の方の火葬場でも、震災犠牲者のご遺体が火葬されるそうです。様々な形で、被災地・被災者支援の活動が広がっていくことを願っております。

同朋N メールニュース 4月12日版より転載


■被災地訪問記

☆陸前高田にて活動した東京教区:○○さんより
(4月12日)
午後5時本日の作業終了しました。全員で取り組みましたが、なかなか思うような成果は上がりません。能登、三条、高岡、金沢、各教区のメンバーと合流しました。本日もお風呂有り。帰ってミーティングです。

(4月13日)
本日12時活動終了しました。なかなか成果も上がらず折れそうな気持ちの時間がありました。仙台教区の方から「こうして被災地のことを思い来てくれたことでうれしいんです」と声をかけてもらい、泣きそうになりました。そんな時、○○寺裏に位置する高田小プール作業中、燭台のカメを発見!思わず歓声が上がりました。俄然士気も上がり、その他ツルも発見。他、仏具も少々見つかりました。また、別チームでは御本尊掛軸(一貫代)を発見。別の場所から燭台のツルを見つけてくれました。今回、残念ながら御本尊を見つけることは出来ませんでしたが、とにかく現地に立てたこと、皆さんに会えたこと、一緒に活動出来たことに感謝したいと思います。まだまだ先の見えない不安が広く広がる被災地ですが、長く長く繋がり合って取り組んで行きたいと思います。最後になりましたが、長○寺さんには 何から何まで本当に心遣いを頂き大変お世話になりま
した。ありがとうございます。

(4月15日)
 被災地に入り、テレビや新聞で見ていた所、聞いていた所を目の当たりにし・・・言葉を失う。今回の作業も何処から手を付けて良いのか混乱。作業中も、ふとした時あらためて思うことしばしば。そのような状況でした。実際、目に見える、また感じ取れる、ボランティアの達成感はありません。過ぎてゆく時間と成果的なものを出し得ない状況に焦燥感がありました。それでも粛々と作業に取り組むメンバーに気持ちも支えられ進めるばかりでした。
 ただ、現地に立てたこと、皆さんに会えたこと、一緒に活動出来たことを大事にしたいと思います。まだまだ先の見えない不安が広く広がる被災地ですが、長く長く繋がり合って取り組んで行きたいと思います。
 あと、仙台仏青活動の熱い思いに答える施策、共同作業が必要に思う。というのは、宗門がそれに素早く応える場所になっていないように思います。

☆ランドセルも、家も、妹も流されちゃった
「避難所で避難生活を送る、小学4年生のYくんと話をしました。Yくんは、「この前、お母さんと妹2人の火葬を済ませました」とゆっくりした口調で語りはじめました。 お母さんはヤクルトの販売員で、販売所にいた時津波に飲み込まれました。お母さんが最初に瓦礫の中から発見され、その後4歳の妹が発見され31日に火葬。次に今年4月小学校に入学する予定だった妹が発見され4月1日に火葬しました。「地震の前に、家にランドセルが届いたんだ。デパートから文房具も届くって妹は楽しみにしてたんだよ」少し時間をおいて「でもランドセルも、家も、妹も流されちゃった」
 Yくんは「僕より小さな子どもたちが亡くなったんです」と目を伏せながら話をしてくれました。 お母さんと2人の妹も火葬をしたものの、お通夜やお葬式はしておらず火葬場で手を合わせただけだったそうです。「たくさんの人が火葬を待っていたので、僕たちだけ火葬場にずっといるわけにもいかないから」
 しばらくは避難所から、震災前と同様に高田小学校に通うそうです。「友達も家ごと流されて見つかってないから、前よりも生徒は少なくなると思います」避難所の敷地では中学生が、幼稚園児や小学生と遊ぶ姿が見られます。子どもたち同士で悲しみを乗り越えようと、お兄さん、お姉さんもがんばっています。」(シャンティ国際ボランティア会ニュースリリースNO,21より)

同朋N メールニュース 4月12日版より転載


■被災地訪問記

☆陸前高田を訪問中の東京教区:不二門さんより
「午後4時前に陸前高田の高田小に到着。現地の様子を視察、約1時間程の活動で、華ひん・香炉・仏具の一部を発見。明日の作業への望みを繋ぐ。道路は所々段差のある程度。思ったより問題なく進めました。陸前高田市に入り矢作地区に入ると、ある境で景色が急変します。それはテレビや新聞で何度も見たものでした。
 長安寺へ移動し仙台教区仏青の4名の方と顔合わせ。温泉にも入り大変お世話になってます。明日は粛々と作業に取り組みます。それしかないなぁ、というのが今の気持ちです。取り急ぎご連絡まで。」(以上)


☆同じく陸前高田を訪問中の東京教区:脇山さんより
「本日の作業は終了しました。あまりの光景に言葉がありません。震災から一ヶ月を迎えた友人は、地元のお寺の子で、「心が苦しい」との言葉。全く被害を受けていない所と、被害のある所が、隣あっていて。余震も続き、地震は未だ終わっていないと感じました。
 明日は○○寺さん・避難所に物資を届けにいきます。次の隊につながるようにしたいと考えています。」(以上)


☆同じく陸前高田で一緒に作業した仙台仏青メンバーより
「本日、陸前高田市のお寺近辺にて活動させていただきました。東京教区の方や仙台教区の方など、総勢15名ほどで付近を捜索。当初片付けも想定しておりましたが、やはりそれは無理な状況です。ご本尊や仏具などを探すと言うほうが適切と思われます。すでに重機は一度入っており、現在はよけた瓦礫をさらに別の場所にどんどん撤去しているような状況です。そんな中、今日は一度よけられた瓦礫や泥の中から何か手がかりはないかを皆で手分けして探すという作業に終始しました。
 日暮れ間近になって鶴亀や金香炉などが集中的に見つかる場所があり、明日はその近辺の瓦礫や土砂をチームを組んでよけながら捜索する作業になりそうです。思っていたよりもあまりにも広大な範囲にモノが拡散されていること、よけられた瓦礫の山が高過ぎることなど、人力では限界を感じることが多々ありますが、少ない手がかりをもとに明日・明後日と作業していきたいと思います。お寺の近辺は瓦礫の撤去作業が建設業の方々によってどんどん進んでいる状況です。来週にはお寺の周りも更地になっているかもしれません。
 時間はないのですが、とにかくやるしかないという感じです。釘がむき出しの柱やガラスの破片多数・プロパンガスのボンベがそのまま落ちていたり、そこいら中危険物だらけです。しっかりとした装備での現地入りが必要です。もっと人をかけて捜索できたら……という思いもあります。そのぐらい状況は厳しいと思ってもらって結構です。明日もがんばります!」(以上)


☆シャンティ国際ボランティア会のメールより
「今日で東日本大震災が起きてから1カ月が経ちました。SVAが拠点を置いている宮城県気仙沼市では、大きな余震が毎日のようにあります。特に4月7日の深夜に起こった地震は人々を心身ともに疲弊させました。「この生活がいつまで続 くのか
と考えると、希望が持てない」と気仙沼市の方が口々に言っています。3月11日から1カ月が経ったというよりも、1カ月間震災が続いている状態です。」(以上)

同朋N メールニュース 4月10日版より転載


■被災地訪問記

☆東京教区茨城一組:○○○○さんより
「名取市役所(宮城県)の掲示板に下記の掲載がありました。
  最愛の妻と生れたばかりの一人息子を大津波で失いました。
  いつまでも二人にとって、誇れる夫、
  父親であり続けられるよう精一杯生きます。
  被災されたみなさん、苦しいけど、負けないで!
                      (名取市 職員)
人の悲しみにどう向き合っていくのか?今、問われています。
親鸞聖人だったら何て言われるでしょか?毎日考えています。」(以上)


☆全国青少年教化協議会:○○○○さんより
「遅ればせながら、4日(月曜)から福島、宮城、岩手の避難所などを巡っています。今は福島にいます。一昨日は仙台で余震に遭いました。早速翌日の朝から一時は落ち着いていたガソリンスタンドに、車の行列ができ、なかには売り切れの店も出ました。3・11の不安が多くの人をスタンドに向かわせたようです。
 余震によって石巻、福島などでは避難先の建物が被害を受け、避難所を移動しなければならない方々も多数いらっしゃいます。現在でも、小さな余震が続いています。私が見た限り、現在、避難所では、最低限の生活物資がほぼ揃ってきています。廃棄されつつある食べ物が出始めている中で、相変わらず温かい食べ物を口にする機会が極めて制限されています。一人一畳ほどの生活空間で、ほとんどの人が辛抱強く耐えている姿には頭が下がります。とはいえ、将来に対する大きな不安を抱えていらっしゃいます。中には、夜フラッシュバックによってうなされている方もいます。PTSD化が懸念されるところです。
 今後直近に被災地に入る方に求められていること(※ただし同朋ネットとしては未確認です)
① 温かい食を提供する炊き出し。
② 厚手のゴム手袋、長靴、防塵マスクなど、作業用の用品の差し入れ。
③ お風呂に入れる機会の提供。
④ 自然な形でのメンタルケア。
⑤ 子どもたちとじっくり遊ぶ。
繋がりのある現地の寺院、団体、ボランティアセンター、災害対策本部などと密に連絡を取りながら被災地入りをお願いします。ご承知のように日々刻々と被災地のニーズは変わっています。さまざまな形での、活きた支援をお願いします。  
合掌」(以上)

同朋N メールニュース 4月8日版より転載


■被災地訪問記

 ※下記の報告は、①③などで東京教区が訪問する場所です。
   じっくりとお読みください。(同朋ネット)

☆仙台教務所:○○○○さんより

 先日、陸前高田の寺院の撤去作業(言葉が不適切かもしれませんが)に四人で行ってきました。
 寺院周辺は津波で何もありません。コンクリートや鉄筋の建物が少々残っていますが、その屋上にも瓦礫があります。車を停めた学校もかなり高台ですが、校舎の一階まで津波の形跡がありました。正直想像を越えています。
 お寺へ向かいましたが周りに何もないので少し迷いました。基礎とお寺の手すりを発見し、ここに庫裏や本堂が建立されていたことが分かりました。
 梵鐘とお地蔵さんだけが現場に残っておりますが、ほとんどは五十メートル東側に流されており、作業は広域に渡ります。自分の身長ほどの瓦礫を一つひとつ退けると勤行本や片衣、御厨子などが少し出てきましたが、本尊は中々見つからず、時間だけが過ぎていきました。
 途中、副住職と息子さん、親戚の方が見えられたのでお話を伺うと、「全てなくなっちゃったよ」との苦笑いされた姿に、何も言葉を返せませんでした。自分の無力さが歯痒かったです。
 作業はかなり広範囲です(大きくエリアを分けると2箇所になります)人力のみですと、やれないことはないと思いますが限界があります。チェーンソーやゴーグル、丈夫な安全靴が必要です。
 体力・精神共にかなり辛いです。(作業が嫌という意味ではなく)
 はじめて見た息子さんの後ろ姿を見て、優しかったお母さんの分まで生きてほしいと願い、岐路に着きました。
 11日から加勢に来てくださる皆様、どうかよろしくお願いします。副住職と息子さんも手伝ってくれるそうです。皆様と今できることを一緒にしたいです。助けにならないかもしれませんが、考えるよりも動きたいのです。
 風呂に入り、ビールを飲みながら、落ちていたアルバムのことを思い出していました。できる限りアルバムを拾って届けましたが、思い出さえも流されてしまった方々のことを考えていたら、二度目の地震に遭遇しました。貯水タンクと自証高級プラズマテレビがヤラれました。また断水生活です。
 本日、お西の震災応援ネットの方が来られて、「人員・物資・郵送手段・宿泊場所(食事含)、全てそろえてあります。この際、宗派を超えて一緒に活動していきたいです」とのお話をいただきました。


同朋N メールニュース 4月6日版より転載

■被災地からの生の声

☆仙台教区浜組明賢寺坊守:藤内明子さんより
「いわき市の被害は甚大で、沿岸部では津波による家屋流失、火災などで多くの人命が奪われました。行方不明者の数もいまだ定かになっておりません。
 さらに拍車をかけるような原発事故。今、現在、いわき市内の避難所におられる方は3300人。原発近隣からの避難者も数多くいらっしゃいます。住職は、そんな避難所をあちこち訪ねては、被災された方の話相手になったり、日用品などの差し入れをしています。先日は、仙台教務所から支援物資が届いたので、それを持っていきました。
 いわき市はいわゆる30キロ圏外です。しかし、原発の状況が日々悪化するにつれ、市外へ避難する市民も増え、同時に市内への物流が全く途絶えてしまいました。一時は極端な物資不足に陥り、危機的状況でした。しかし、現在は、徐々に復旧し、落ち着きを取り戻しつつあるようです。
 いわき市は広範で、復旧に差があります。他県のように一般のボランティアに期待するには、原発事故による不安感から、すんなりといかないのが実情です。それでも、承知の上で物資を運んでくださる方、炊き出しなどしてくださる方が本当に有難く、頭が下がります。
 4月。学校も始まるようです。そのために、避難していた子どもたちも戻ってくるでしょう。青い空のもと、思いきり深呼吸させてやりたい。そんなささやかな行為すら私たちから奪ってしまった原発事故は、もはや人災としか思えないのです。
 自坊のある浜組は、原発事故の退避指示地域の中に3か寺、さらには別院も含まれています。組内寺院の全てが何らかのかたちで、被害を被っているのです。何より、寺や土地を追われ、帰る見込みの全く立っていない方々の無念さは、察するにあまりあるものがあります。
 あの日、浜組では、まさに原発近くの町にあるご寺院で、組門徒研修会が開かれていました。私も住職、自坊の門徒さんとともに参加していました。その後の地震でした。ご一緒していた各ご寺院の方々、ご門徒の方々のお顔が目に浮かびます。今頃どうしていらっしゃることでしょう。
 苦渋の内に、ご門徒ともども故郷を離れざるを得なかった、これら原発被災寺院に対しても、どうか宗門が速やかにその所在を確認し(もちろんすでに確認済みかもしれませんが)、一刻も早い救済の手を差しのべて下さるよう、同組内寺院の一員として、切にお願い致します。
 あらゆる面で原発被災は続いております。復興は立ち遅れ、風評に泣き、風向きに怯え、今なお安定しない原発に危険を感じながら、人々は生活を見切り発車させています。
 多くの同朋の皆さまに、この窮状を知って頂きたく、失礼と思いながらメール差し上げました。お読みいただけましたら幸いに存じます。」(要旨)

☆南相馬市から避難中の大谷派僧侶:木ノ下秀俊さんより
「今日から小学生は、二次避難が始まるまでの一月ほどですが避難所近隣の学校へ登校です。中学生は明日からになります。南相馬市原町区に残る170人の子供達は、かろうじて30キロ圏外の南相馬市鹿島区にある中学校の校庭に建てた仮設校舎で新学期が始まるようです。
 深刻なのは高校生です。学校再開のめどはたっておらず、福島県内に避難している場合は編入試験を受けて転校も可能なようですが、他県に避難している場合はそうもいきませんし、県内に居ても二次避難によってどこに移動になるか分からない状況です。避難者の中には子供の高校就学のために避難所を出て自費でアパートを借りる人もいますが、それも経済的に可能な人だけです。そのあたりの配慮をする余裕が県の対策本部にもないようです。」(避難所通信NO. 009より 4月5日)

「南相馬市への一次帰宅を計画中です。南相馬にはいまだ18000人(人口の4分の1)が生活しており、放射線レベルも安定しているのでリスクは少ないと判断しました。第一原発で除染作業経験者も一次帰宅するというのでアドバイスしてもらったころ、空間放射線は問題ないが体内被爆には要注意ということで選んでくれたのが写真(白の防護服)の装備です。(写真は割愛)しかし、本当に人が住んでいて大丈夫なんだろうか!?という姿です。追記、ニュースを見てしばらく様子をみることにしました。」(避難所通信NO.010より 4月6日)

■被災地訪問記

☆大谷保育協会東京支部:五島満さんより
「4月4日(月)、見舞金、物資を持参し仙台地域の加盟幼稚園、保育園を訪ねました。名取では今だ安否捜索が行われ、立ち入り禁止地区も多くあります。とにかく名取近辺の被害は甚大で、家を流された保育士さん家族はアパート暮らしをしています。二本松には毎日遺体が15体程集まり、地元の住職が一人で読経を「こなす」状態だそうです。また原発事故から避難してきた子ども(家族)の預かりを保育園幼稚園で行っておりましたが、今ではそういう子ども達の数も減少してきているそうです。」

☆奥羽教区:鷲嶺駐在さんより
「奥羽有志の方々と岩手県宮古市、山田町、大槌町、釜石市へボランティア&物資輸送に行って来ました。
 宮古市では、ご門徒さんのお宅数件で片付けの手伝いをしました。お内仏を運んだり、海水を大量に吸収した畳を運んだり、新品ですが海水にどっぷり浸かって使えない大型液晶テレビなどを運び出す作業をしてきました。
 その後各避難所を周りながら物資を渡し、日帰りを断念、花巻市内のホテルに一泊して、昨日岩手県内陸部の寺院に立ち寄り、残った物資を託して帰ってきました。
 所感としては、すでにボランティアの人手が必要になりはじめたということ。仮設住宅が出来始め、順次移動が始まるため、ニーズが食器やポット、鍋、フライパンなどに変わりつつあるということ。あとは下着類が必要だという声がたくさんあったのですが、おそらく、2~3日で解消されると思われます。
 大槌町では、残った方々の心に相当な喪失感があり、仮設住宅に入って現実を直視した時に、かなり危険だという雰囲気をひしひしと感じました。
 岩手県北部方面を中心に奥羽のボランティア隊を投入することになりそうです。といいながら、シフト体制を組めるぐらいのボランティア隊をこれから教区内に呼び掛け、組織するので、間に合うかな?と、ちょっと不安です。以上、近況報告です。本日奥羽仏青の会議です。」


同朋N メールニュース 4月5日版より転載

☆仙台仏青の活動報告より
「2011年4月2日土曜日
 今回は、以前ドラム缶風呂の活動をした、気仙沼市本吉町、大谷地区にある別の避難所、仙翁寺が目的地。
 仙翁寺は、270人程が避難しており、そのほとんどが津波により家を無くして帰れない長期避難者である。
 今日私が出会った子供たちは、みんなとびっきりの笑顔だった。みんな被害がなかったわけじゃない。おこずかいを貯めて買った服をなくし、大切にしてたギターをなくし、三回しか遊んでないWiiをなくし、思い出のユニフォームをなくし、好きだった子は震災で転校し、親は職を失い、友達との想い出が、生まれてからずっと住んできた家が流された。勿論、次の住みかも決まってない。それだけの現実を背負ってなお、本当に明るく、笑顔で生きている。
 慕ってくれて片付けまで手伝ってくれた思春期全開の少年たち、無邪気に遊ぶ小学生たち、トゲのある言葉で大人を傷つける女子たち、その全てが、可愛くて可愛くて、愛しくて愛しくて堪らなかった。
 私自身、避難生活をしており自覚はないけれど、被災者になるのだろう。
 それでも、支援活動のつもりで物資を届け、お風呂を作ってきた。
 だけど、なんのことはない、支援されていたのは、私でした。
 震災に直面し、目を覆いたくなるような現実にうつむいていた私に、前を向かせてくれたのは、彼らの笑顔なんだと今は確信しています。
 本当に、本当に元気と希望をもらいました。
 そして、本当に楽しい時間でした。
 きっとまた会いに行きます。」(抜粋)


☆原発から避難中の大谷派僧侶:木下さんより
「震災から三週間が過ぎましたが、原発近隣市町村民にとって災害はいまだ進行形です。先日、山形市・仙台市と出かけてきましたが普通の街並とそこを行く人たちがとても眩しく見えました。
 31日には福島県職員から「避難者は、二次避難として山形県内の旅館・ホテルへ移動の後、七月以降は順次仮設住宅への入居」という説明がありました。しかし、各県の避難所には、該当しない人も多数いますし、逆に20~30キロの南相馬市の避難者の中には、帰宅する人が増えているという奇妙な状態になってきました。
 帰宅する人達は、曖昧な国の指示の中で、先の見えない避難生活に疲れ、みんなが帰るからと言って帰っていきます。」(抜粋)



■被災地からのレポート

☆大谷派僧侶:中下さんより
「宮城県の石巻市役所で、げっそりとした表情のおばあちゃんがいらっしゃいました。気になって声をかけると、家族の○○が亡くなったと。おばあちゃんは、立って職員の方と話をできる状態でなく、私が代わりに話を聞き、それをご本人に伝え、また職員の方へ伝えるという方法で支援を行いました。手続きが終わるとおばあちゃんは、故人への想いを私たちに延々と語ってくれました。
 困難な手続きなどに同行する中で、互いに思いを語り合うことも出来そうです。「心のケア」についてですが、ある程度の事前の信頼関係、もしくは各種手続きの同行申請などの関係性があってはじめて成立するのかなと感じました。
 岩手県大船渡市では、真宗大谷派のお寺が地域の遺体安置所となっていました。また別の寺では地域の避難所も兼ねており、朝昼のお勤め時には、避難所暮らしをされている方も手を合わせていました。それは、間違いなく何らかのケアになっているように感じました。
 それぞれの地域や実情に沿った後方支援体制を整えることが前提かと感じています。」(要旨)

同朋N メールニュース 4月2日版より転載


☆東京教区:梁河さんより(4月2日)

「30~31日、石巻市をめざして6名で現地へ出発。物資(水・体ふき・オムツなど)を避難所・石巻中学へ直接運搬をした。実際にどういう状況で何が必要なのか。できる限り、一つでも多くの避難所を回り状況を把握、何ができるか方向性を見出すため足を運んだ。
 夜は車中で仮眠をし、次の日朝早く三陸沖海岸・名取などの被災地を回ったが、とうてい言葉では表現できない・・・。実際、被災者の声だが「温かい物がたべたい」「炊き出しを是非やってほしい」。不安に満ちた目、ほそぼそと した
声、確かに受け取り、茨城へもどってさっそく炊き出しの段取りをする。最後に子供のお菓子類が避難所に無かったので、チョコレートを山ほど集め、持っていきたい。」(以上)
☆奥羽教区:須田さんより(4月1日)

「3月31日奥羽教区2名が壊滅状態の宮古市田老地区を訪問。この地区の避難所が10数キロ北の「グリーンピア」に統合されるという。手伝うことはないかと職員に申し出たところ、今は特にないとのこと。しかし、「この先かなりの人手が必要となるので、その時お願いします」。情報を逃さないようにしたい。
 市内の寺院に寄り坊守さんと一緒に被災地区をまわる。現在は、家の片付け作業が行われている。坊守さん「被災地区を歩いてみることから始めては」「必ず手助けが必要な方がいます」というアドバイスを頂く。ただし、必ず身元がわかるようにしなければ、かえって不審に思われる、とも。被災者から声がかかるのを待っていては何もはじまらない。こちらから動かなければ、被災者の生活に配慮しながら。
 次に大槌町の浪板地区にて。一軒の家の庭先から立ち上る煙を発見。声をかけたところ窓から男性が。「何か足りない物はないですか」「下着、下着」「ありますよ」「いま降りていく」。民宿を経営していたとのこと。息子さんは消防士で住民を避難させている途中で津波にのまれ・・・。食事は足りていますかと聞くと「まぁ、避難所にいけばおにぎり2個もらえるから」。この地区の避難所へ支援物資を届けた。なんと避難所なのに電気は昨日復旧したとのこと。
 避難所によってニーズが違う。先の坊守いわく「今は食品より生活用品、これから暮らしていくのに必要なのは茶碗やお箸、ポットや座布団などです。」次回は4日に行きます。」(以上 要旨)



同朋N メールニュース 4月1日版より転載

【被災地からの声】

☆仙台仏青の活動日誌より(3月30日)
 「今回は、石巻の住吉小学校にて(お風呂を)設置するのですが、そこはライフラインが未だに全滅、夜はロウソクで暮らしているような状況。150人程の方が避難生活を送っています。お風呂は、「大人も入れないか?」という声をたくさん頂いたので、子供に限らず受け入れることにしました。思春期の女の子二人組から、おじいちゃんまで、幅広く利用して頂けました。
 私にとって、利用者の方がお風呂を待っている時間は、お話を聞かせてもらえるのでとても大切です。今日も、色々な話を聞かせて下さいました。ずっと描き続けてきた絵を全て失った話、町が海に沈んだので家族が船に乗って助けに来る迄、三日間1人で部屋に閉じ込められていた話、身内を目の前で亡くした話、ついさっきお兄ちゃんに意地悪された話、他愛ない話から、深刻な話まで、皆さん本当によくお話してくれます。
 何より、泥だらけの中を片付ける毎日なのに風呂も洗濯も無理、というストレスがあるので、皆さんとっても喜んで下さる。ですが、最後の女性を笑顔で見送った時には心地よく感じていたハズの疲労感は、気が抜けた途端に、半端ない疲れとなって肩にのしかかるのでした。」(以上)


【被災地で感じたこと】

☆高岡教区○○○○さん(3月31日)
 仙台仏青並びに仙台教務所員が被災者支援に奔走していました。頭が下がる思いでした。石巻市の災害現場をみると、絶望感と喪失感しかありませんでした。でも、住民の皆さんは、迷いながらも力強く生きておられました。山形、宮城県では、まだガソリンの供給がすくなく、ガソリンを求めて何キロにもわたる長蛇の列。また物資の配給も必要でした。
 避難者の受け入れが山形、新潟、北陸、関東などで行われています。各教区が避難者への支援へと動き出しています。自己完結型の支援が必要かと思われます。自分たちで責任をもち、情報を収集し、行動する。そのようなことが、中期支援活動では、一番配慮しなければいけないことかもしれません。
 被災地では、まだまだ支援が必要なところ、ボランティアが行き届かない場所があります。私たち僧侶は、この被災地の現実を一人ひとりが自分の目で、しっかりと見ないといけないと思いました。この「絶望感」「喪失感」を感じることが同じ時代に生きている私たちの責任だと思います。

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最終更新:2011年04月28日 07:34
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