地区別
石巻市東部:4,533人(平成23年2月末日、牡鹿総合支所)
[女川町:10,051人(平成22年度国勢調査)]
町の人口は6773人である(1990年国勢調査)。
牡鹿町の経済基盤を見ると、労働人口の40%が水産業に従事している。産業
別に見た場合の第二位はサービス業(16%)、第三位は卸売り及び小売業(11
%)となっており、第三次産業の合計は38%となる(1990年国勢調査)。また、
純生産高で見た場合には、水産業が26%、サービス業が25%となり、水産業と
観光業が二大産業の地位を占めていることがわかる(町勢要覧1992年版に掲載
されている市町村民所得統計推計による)。
牡鹿町の総人口のうち30%前後が鮎川に集中しており、また町役場も鮎川に
置かれている。鮎川は牡鹿町の政治・経済の中心である。
明治中期まで55戸ほどの寒村にすぎなかった鮎川が、牡鹿町の中心地として
発展したのは、明らかに、捕鯨会社の進出による捕鯨基地としての歴史による
ものと言えよう。しかしながら、捕鯨の全盛期である1970年代を迎える前に、
1960年代より、人口の減少がはじまっており、現在でも減少傾向は強い。その
後、捕鯨の事実上の終了及び漁業構造の変遷などもあって、牡鹿町、特に鮎川
浜は、観光の町としての性格を強めつつ、現在に至っている。
<資料・牡鹿町の人口>(1990年国勢調査より作成)
年次 1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990
人口 13405 11974 10581 9535 8450 7814 6773
国勢調査
人口・世帯
2 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等
3 年齢(5歳階級),男女別人口(総年齢,平均年齢及び外国人―特掲)-町丁・字等
4 配偶関係(3区分),男女別15歳以上人口 -町丁・字等
5 世帯の種類(2区分),世帯人員(7区分)別一般世帯数,一般世帯人員,1世帯当たり人員,施設等の世帯数及び施設等の世帯人員 -町丁・字等
7 住居の種類・住宅の所有の関係(6区分)別一般世帯数,一般世帯人員及び1世帯当たり人員 -町丁・字等
8 住宅の建て方(7区分)別住宅に住む主世帯数,主世帯人員及び1世帯当たり人員 -町丁・字等
9 住居の種類・延べ面積(7区分)別一般世帯数,一般世帯人員及び1世帯当たり人員 -町丁・字等
過疎化
牡鹿町の現状に関して、最後に、過疎化について触れておく。本項目では、
しばしば主張される「捕鯨がなくなれば町を維持できない」とする主張の真偽
を、人口の推移という見地から検証することを目的とする。
以下の数表は、牡鹿町全域及び各集落の1960年比の人口割合をまとめたもの
である。北西隣接の石巻市の地域別推移、北東隣接の女川町全域の推移も、比
較のために掲載した。
原則として1960年の人口を 100とし、5年おきの人口を百分率で表示した。
石巻市と合併した一部地域については古い人口資料が入手できなかったため、
資料が入手できた最初の年を 100として算した(そのため、その地域の数字は、
他の地区の数字とは、直接比較はできない)。
<資料・人口の推移>
初年人口 1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990
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牡鹿町全域 13405 100 89.3 78.9 71.1 63.0 58.2 50.5
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<牡鹿町・旧鮎川村地区>
旧鮎川村域(*1) 8022 100 87.8 78.0 69.9 59.2 52.4 43.6
鮎川浜 3854 100 88.4 81.1 75.8 63.6 58.2 53.1
十八成浜 1000 100 85.8 79.3 68.8 58.3 48.2 43.3
長渡浜(*2) 2029 100 92.2 77.4 64.5 56.0 48.2 35.4
網地浜(*2) 1139 100 79.6 67.8 60.6 51.1 43.7 26.4
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<牡鹿町・旧大原村地区>
旧大原村域(*3) 6442 100 89.0 77.9 70.8 65.6 63.2 54.9
小網倉浜 463 100 91.3 76.6 66.9 58.3 56.5 50.5
大原浜 683 100 85.6 70.5 63.2 55.9 50.6 46.9
小淵 1041 100 99.4 91.4 84.6 78.5 74.5 70.0
給分浜 468 100 80.9 71.7 61.5 73.7 73.7 69.4
新山浜 272 100 90.4 77.2 65.8 59.5 58.8 53.6
泊浜 464 100 95.9 88.5 77.3 72.6 71.9 57.1
谷川浜 591 100 88.6 73.0 63.9 55.4 49.7 47.3
大谷川浜 266 100 84.2 74.8 69.5 62.0 59.3 56.3
鮫浦浜 209 100 86.1 76.0 74.6 77.9 109.5 96.6
前網浜 207 100 97.1 81.1 74.8 71.4 62.3 55.5
寄磯浜 639 100 91.5 84.9 85.6 82.6 84.8 74.1
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<現石巻市区域>(*4)
旧石巻地区 62360 100 109.9 117.9 121.6 127.1 129.6 128.6
田代 1020 --- 100 84.2 65.0 46.2 28.8 19.2
蛇田 5510 100 105.5 171.6 263.0 299.4 312.7 310.6
荻浜 3868 100 91.1 60.9 51.8 45.7 41.5 37.8
渡波 14385 100 97.8 111.1 114.0 120.1 122.4 125.0
稲井 6998 --- --- 100 91.7 89.3 87.1 84.1
---------------------------------------------------------------------
<女川町>
女川町全域(*5) 18002 100 100.4 98.2 94.1 89.4 84.6 77.8
(国勢調査の数値より算出)
1 旧鮎川村は、牡鹿町南部(牡鹿半島先端部)および網地島からなる。
2 長渡浜と網地浜は、牡鹿半島南西の網地島にある。この2地域の人口推移
と、石巻市田代(網地島北西の田代島)の人口推移とを比較せよ。島部の
人口減少は、どこも著しい。
3 旧大原村は、牡鹿町北部であり、石巻・女川に隣接するエリアである。陸
路をたどった場合、旧鮎川村地域と比べると、遥かに交通の便がよい。う
ち、人口減少率が特に低い小淵・給分浜は牡鹿町西海岸北部の中心地であ
り、鮫浦浜は東海岸の北部にあたり女川に近い場所である。さほどはっき
りしたものではないが、半島の付け根から先端に向かうにつれ、過疎化の
進行が激化するというおぼろげな傾向が見える。
4 石巻は基本的には人口減少にみまわれていないが、地域的に見ればかなり
の差がある。田代は、長渡浜・網地浜と同様に島であり、極めて過疎化の
進行が激しい。蛇田は、石巻市街北方の内陸部で、石巻のベッドタウンで
あり、過疎化とは無縁の状態である。荻浜は、牡鹿半島北西部にあたり、
牡鹿町と接するエリアで、牡鹿町以上に過疎化が進行している。渡波は、
石巻東方地区で、鉄道も通っている地区。稲井は、石巻北東の内陸部。
5 鉄道が通っている女川町であるが、牡鹿町ほどではないにせよ、やはり過
疎化は進行している。
このデータから読み取れることは、町全体で過疎化は確実に進行しているが、
それでも牡鹿町はよく頑張っているという姿である。また、鮎川浜で特に過疎
の進行が激しいわけではなく、それどころかかなり不利な半島先端部に位置し
ているにもかかわらず牡鹿町の中では中位の過疎進行状況にとどまっているこ
とが読み取れる。満足できる状態ではないにせよ、決して最悪の状況にあると
いうわけではない、と言えようか。
過疎化が牡鹿町にとって極めて深刻な問題であることは確かである。しかし
ながらそれは日本各地の、たとえば交通の便がよくない場所などで一般的に発
生している状況なのであり、牡鹿町及び鮎川浜の過疎化に、個別の特別の事情、
たとえば捕鯨という一産業の衰退というような事情があるようには見受けられ
ない。過疎化は、日本各地で同じように起こっている問題であり、日本におけ
る社会の構造的な問題に由来するものである。牡鹿町の過疎化の進行を食い止
めるには、基本的には日本の社会構造に手をつけなければならないものなので
ある、と言うことができよう。
更に、捕鯨産業と鮎川浜・牡鹿町の人口推移との関係について見てみよう。
<資料・人口推移(*1)>
記録年 鮎川浜 牡鹿町域 記事
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1698年 433人 ( 3916人)
1772年 408人
1774年 408人
1828年 329人
1850年 202人
1887年 332人 ( 3197人)
1888年 376人
1889年 ( 3472人)
1891年 477人
1896年 ( 4473人)
1896年 ( 4406人)
1904年 ( 4981人)
1906年東洋漁業進出
1908年土佐捕鯨・紀伊水産進出
1909年 651人
1910年藤村捕鯨進出
1911年 ( 5608人) 1911年長門捕鯨進出
1915年 1135人
1917年 ( 6996人)
1925年 ( 8016人)
1930年 8559人
1935年 9486人
1940年 9902人
1943年 (10197人)
1946年 2900人
1947年 11798人
1950年 3660人 13226人 1950年日本水産撤退
1955年 3795人 13753人
1960年 3854人 13405人
1965年 3409人 11974人 1965年極洋捕鯨撤退
1970年 3126人 10581人
1971年 (11191人) 1971年外房捕鯨進出
1975年 2925人 10361人
1977年 ( 9522人) 1977年大洋漁業撤退
1980年 2453人 8949人
1985年 2245人 7814人
1988年商業捕鯨終了
1990年 2049人 6773人
1 牡鹿町域の人口のうち、カッコがついていないものは国勢調査。カッコが
ついているものは複数の別の調査による数値であり、必ずしも連続性が保
障されていない。
(「牡鹿町史」「国勢調査」より作成)
最終更新:2011年06月09日 19:13